※このページに書いてある内容は取材日(2020年09月02日)時点のものです
調査,分析,論文執筆という研究の仕事
私は国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC,ジャムステック)に所属する研究者で,海の生き物の研究をしています。
深海の海底から数百℃の熱い海水が噴き出している「熱水噴出域」という場所があるのですが,私が研究しているのは,この熱水噴出域にすむフジツボ,エビ,カニや貝類などの生き物です。これらの生き物は子ども(幼生)のうちは広い海中を漂い,ある程度成長すると熱水噴出域の海底に落ち着いて大人になります。現在の主な研究テーマは,離れ小島のように点在する熱水噴出域を,幼生がどうやって見つけるのか,また,世代をまたいで熱水噴出域から別の熱水噴出域へとどう渡っていくのかを解き明かすことです。熱水噴出域は互いに遠く離れているので,海底の生き物は,絶海の孤島の生き物のように孤立しています。しかし,多くの熱水噴出域では同じ生き物がすんでいることが知られています。人類がどこからやってきたのかを調べたように,DNAなどを使って,広い深海の中で生き物がどこから来てどこへ行くのか,そしてどうやって新しい種が生まれるのか,を調べています。
私の仕事には,調査,分析,論文執筆という一連の流れがあります。まず海に調査に出かけ,生き物の観察や採取をします。JAMSTECが保有する,深さ6,500mまで潜ることのできる有人潜水調査船「しんかい6500」に乗ることもあります。実際に潜って,カメラではなく自分の目でじかに深海を観察するのは,わくわくする体験です。調査で採取した生き物は,JAMSTECの実験室に持ち帰り,DNAの分析などをします。そして最終的に,わかったことを論文にまとめて学術雑誌や学会で発表しています。
深海で見つかった,浅い海とは違う生態系
地球表面の7割は海で,世界の海の平均水深は約3,700mです。「深海」とは,太陽の光が届かない,水深200mより深い海のことをいいますが,海は大部分が深海なんです。
1977年にアメリカの有人潜水調査船が,水深約2,500mにある熱水噴出域にサンゴ礁と同じくらいたくさんの生き物がいるのを発見するまで,深海では変わった生き物が細々と暮らしていると考えられていました。そのため,この発見には世界中が驚きました。熱水噴出域の生き物たちを調べると,さらに驚いたことに,浅い海とは生態系を支える一次生産者がまったく違っていることがわかりました。日光が届く浅い海では,光合成で育つ植物プランクトンなどが生態系の底辺を支えています。しかし熱水噴出域では,海底から噴き出す硫化水素やメタンなどの物質を利用して栄養を作る微生物が,生態系を支えていたのです。
私が研究しているのは,この熱水噴出域にすむフジツボやエビ,カニ,貝類などの生き物です。
生き物はどうやって熱水噴出域を見つけるのか
フジツボやエビ,カニ,貝類など海底にすむ生き物は,生まれてから一定の間,プランクトンとして海中を漂う生活を送ります。子ども(幼生)のうちは親とは似ても似つかない姿をしていますが,成長するにしたがって体の形を変え,やがて海底に落ち着いて親と同じ姿になります。
私たちはこれまでの研究で,熱水噴出域の生き物の幼生には海面近くまで浮上して漂っているものがいることや,1年以上もの間,海の中を漂っているものがいることを明らかにしてきました。今,私が「不思議だな」と思って研究をしているのは,まず,幼生がどうやって熱水噴出域を見つけてやってくるのか,です。熱水噴出域は地球内部の熱が噴出する場所で,離れ小島のように,ポツンポツンと離れて点在しているんです。海底から噴出した数百℃の熱水は,周りの冷たい深海の水にあっという間に冷やされて4℃くらいになってしまい,含まれている化学物質も酸化されてしまいます。そうすると,温度や化学物質を頼りに遠くから幼生がやってくるのは難しそうです。熱水噴出域の生き物ではありませんが,最近では,浅い海の生き物が音を頼りに着底場所を探していることがわかってきています。音は水の中を伝わりやすく,世界で最も深いマリアナ海溝の底でも,海の表面の音をとらえることができます。もしかしたら,熱水噴出域にすむ生き物の幼生も,音を頼りに熱水噴出域の場所を探知しているのかもしれません。しかしこうした仕組みなどの解明は,まだまだこれからです。
また,幼生は,全ての熱水噴出域の間を行ったり来たりすることができるわけではありません。場所によっては一番近くの熱水噴出域と数千kmも離れていたり,海流によって行手を阻まれたりすることがあります。このようなことが長く続くと,もともと1つだった種が,2つあるいはそれ以上の種になってしまうことがあります。どうやって新しい種が生まれるのか,今あるような海の生き物の多様性がどうやって生まれてきたのかを知るために,私は遠く離れたいくつもの熱水噴出域で生き物を採取して,DNAの違いから,幼生が移動できる範囲や,生き物がどうやって多様化してきたかなどを調べています。生命は海で誕生し進化してきましたが,私たちが深海生物について知っていることは,まだごくごくわずかなのです。
「しんかい6500」で深海へ
JAMSTECは,さまざまな調査船や深海の探査機を持っています。ただし調査の航海には回数や定員に限りがあるので,好き放題に調査ができるわけではありません。研究の課題や調査内容をまとめた「プロポーザル(研究内容の計画書)」を提出し,選ばれる必要があります。
調査の航海は,沖縄や小笠原などの国内なら期間は1,2週間であることが多く,私はここ数年は年に1, 2回ほど参加しています。数年に1度は,遠くインド洋やカリブ海などへ航海に出ることもあります。この場合,調査の期間は1か月から数か月にわたることもあります。生き物の採取方法はいろいろで,船からネットをひいてプランクトンを集めたり,網を引きずって海底の生き物を集めたり,潜水調査船や無人潜水探査機による調査を行うこともあります。研究はチームで進めることが多く,プロポーザルは研究チームで相談して作りますが,プロポーザルが選ばれても船には定員があり全員は乗れないこともあり,乗船する研究者は,他の研究者の分も生き物などのサンプルを採取して,持ち帰ります。
何よりわくわくするのは,6,500mまで潜れる有人潜水調査船「しんかい6500」に乗る調査です。「しんかい6500」の定員は3人で,以前はそのうち2人が操縦士でしたが,昨年からは操縦士が1人,研究者が2人,乗れるようになりました。私はこれまでに8回,乗船していますが,初めて熱水噴出域を生で見たときは,その迫力にびっくりしました。熱水が噴き出す「ゴーッ」という音まで聞こえた気がして,こんな厳しい環境に生き物がひしめいていることに感動しました。
「しんかい6500」は母船から切り離されて潜航しますが,音波によって母船との会話や画像の送信ができます。調査場所や採取する物など,母船にいる研究者たちと相談しながら作業を進めることもできます。熱水の水温を測ったり,生き物を海底で処理したりなど,その場でしかできない調査を行うこともありますね。潜る水深にもよりますが,海底にとどまる時間は4,5時間ぐらいです。
地道な分析や実験の仕事
「しんかい6500」の潜航時間は8時間以内と定められていて,朝から潜って母船に戻るともう夕方です。このあと,採取した生き物の処理作業が待っています。種類や大きさ別に分け,薬品で固定する処理なども行います。採取した量が多いと夜中までかかることもあって大変ですが,この作業はとても楽しいんですよ。「こんな生き物がとれた」「このヘンな物は何だろう」などと夢中になって顕微鏡をのぞいていると,「このサンプルで,あんな実験ができるかもしれない」などと,次々に研究計画の妄想が浮かんでしまいます。実際に研究までは進めず,妄想のままで終わる計画も多いんですけどね。
船上での作業はここまでで,細かい分析などは,陸に持ち帰ってから研究室でじっくり進めます。私の場合には,たとえば生き物のDNAの分析をします。別々の熱水噴出域にいる同じ生き物のDNAを調べて比較し,1か所からいくつもの場所に幼生が漂って分布を広げているのか,それとも場所ごとに隔離されていて,DNAに違いが蓄積しているのか,などを探るんです。
また,たとえばこんな実験もしています。深海で採取したフジツボを飼育して卵を産ませます。その卵をいくつかの水槽に分け,水温や塩分濃度などの条件を変えます。これまでの実験で,水温が高いと成長のスピードが早く,幼生の期間が短いことがわかりました。ということは,地球温暖化で海水温が上がれば,幼生が旅をする海の範囲も狭くなり,分布域が狭まる可能性も考えられますね。
分析や実験は地道で,思いどおりの結果が出ないことも多くあります。でも何かしら新しい発見はあるものなので,1年に1本は論文を書くよう心がけています。
浅い海から深海まで,海はつながっている
日々,技術が進歩して,無人潜水探査機でも十分に調査や採取はできるようになりましたが,実際に「しんかい6500」に乗船して,深海に潜ってみないと気づかないこともあります。そのひとつが,海面から数千mの深海まで海はつながっているんだなあ,という実感です。潜航を始めるとだんだん暗くなり,水温が下がって船の中も寒くなってきます。最深の6, 500mまで潜るには2時間半もかかり,水圧もすさまじいものです。しかし,私が研究している生き物の幼生だけでなく,クジラや魚など,浅い海と深海を自在に行き来している生き物は,意外とたくさんいるんです。「しんかい6500」で水面と深海とを往復する体験は,そのような生き物の暮らし方を体験することでもあります。「こんなに環境の違うところをよく行き来できるものだなあ。海の生き物って本当にすごいなあ」と思い,海や生命への理解が深まった気がしています。
研究生活では,他の研究者との交流や意見交換も,楽しみのひとつです。研究は自分ひとりだけで行うのではなく,他の研究者との共同研究も多く,分野の違う研究者が協力して調査や研究を進めることもあります。国の枠を超えて,海外の研究チームに招かれて調査船に乗ることもあるし,国際学会にも参加します。大学院生時代にあこがれていた,アメリカの研究所に外来研究員として訪問することもあります。あこがれの研究者たちと一緒に仕事ができるのは,本当に楽しいです。
過去の研究の上に今の自分がある
仕事をするうえで,過去の研究の積み重ねの上に自分がいるということを,いつも意識しています。研究は鎖のようにつながっていて,これまでの研究でわからなかった課題をわずかでも自分の研究で明らかにし,その成果を次の研究に役立ててもらうことが,研究者の使命だと思います。研究の成果を次の研究につなげるには,論文にまとめて発表しなくてはなりません。ですから私は, 1年に1本は論文を書こうと決めています。
海のことを知りたいと思い,私たちは一生懸命研究をしていますが,海の大部分は深海で,簡単にはのぞくことができず,まだわからないことだらけです。この見えない海が秘めているすごい力を,多くの人に知ってもらいたいという思いもあります。JAMSTECでは研究の成果を一般の人にわかりやすく伝える広報の努力のほか,海洋科学の裾野を広げたいという思いから,2019年には大学生等を対象とした「ガチンコファイト航海」という試みを始めました。この航海は,実際のJAMSTECの研究現場を,研究チームの一員として「ガチ」で体験してもらうという趣旨のものです。2019年は,選ばれた3人の大学生がそれぞれ研究者とともに「しんかい6500」に乗船し,私はそのうちの1人と一緒に潜航しました。自分の目で深海の世界を見た学生さんは言うまでもなく,母船に乗船した7名ともが,それぞれ,いろいろなことを感じ,成長した様子が私にもわかりました。こうした,海への理解が進むような取り組みには,積極的に関わっていきたいと思っています。
研究者としては遅いスタート
私は,現在は生物の研究者ですが,子どものころから生物に強い関心があったというわけではないんです。高校に入学したころに,ジェームズ・ラブロックの『ガイアの時代 地球生命圏の進化』という本を読む機会がありました。その影響で地球のことが知りたいなと思って,大学は地球科学科を選びました。
初めて生物に興味を持ったのは,卒業研究のテーマを何にしようかと考えていたときです。ふと古生物に気持ちが引き寄せられました。陸と違って海底は風化しにくいので,化石で見つかっている生物は,ほとんどが海洋生物なんです。大学院の修士課程まで古生物の研究室に所属していましたが,そのうち生きている海の生物のことが知りたくなってきて,博士課程で生物学科に転入しました。このように,生物学の研究者としては,すごくスタートが遅かったんです。生物学の基礎知識がなくて,大学院に入ってから独学でかなり勉強しましたが,今でも知識の不足を情熱で補っているところがあるかもしれません。
博士号を取ってからは,1年半ほど,日本科学未来館でサイエンスコミュニケーターをしていました。高校生のころ,博物館の学芸員になりたかったこともあり,いろいろな人に科学のことをわかりやすく伝えたいと思ったんです。でも,自分の能力をより発揮できるのは研究ではないかと考えるようになり,日本学術振興会の特別研究員制度に応募し,JAMSTECで研究を始めました。海外の研究所に行く人も多いのですが,私はたまたま移り住んだ夫の実家が神奈川県横須賀市で,JAMSTECの本部も横須賀市だという,そんなご縁もありましたね。
「好き」という気持ちを大切に
何事も始めるのに遅いということはないと,私は思っています。私は生物学の研究者としてのスタートがかなり遅かったのですが,生物学がおもしろくてたまらず,遅れを取り戻すための勉強も頑張れました。「好き」という情熱は,何よりも強い原動力になります。好きなことを見つけたら,地道に目的に向かって努力を続けてほしいと思います。たとえ寄り道をしても,経験にむだなものはひとつもありませんから,のちのち生かせるはずです。あきらめさえしなければ,いつかきっと道は通じるでしょう。
みなさんの中にもし海の研究者を目指している方がいたら,「とても広がりのある分野の研究にようこそ」と,大歓迎したいです。人類はまだ,海のことをほとんど知らないといっていいほどです。たとえば最近,温室効果ガスである二酸化炭素の多くが海に吸収されており,陸上の地球温暖化に歯止めをかけているなど,海の知られざる機能も明らかになってきています。また,地球の生命は海で誕生したので,海の生物の研究は地球外生命の研究にもつながると考えられています。1977年の熱水噴出域の生物群の発見のように,思いがけない発見がこれからもきっとあると思います。ぜひ,一緒に海の研究をしましょう。