※このページに書いてある内容は取材日(2025年03月19日)時点のものです
水の都・大垣の地下水を使って日本酒を造る酒蔵
私は、1902(明治35)年に創業した「渡辺酒造醸」の5代目杜氏として、酒蔵で日本酒を造り、販売しています。酒蔵がある岐阜県大垣市には、長良川、木曽川、揖斐川という3つの川が流れています。地下水も豊富で、今も地下水が自然に噴き出す“自噴水”が数多く見られます。そのため、古くから“水の都”と呼ばれ、水を利用した産業が発展しました。渡辺酒造醸も、私の曽祖父が大垣の水を使って日本酒造りをしようと始めた酒蔵です。
日本酒は、日本酒造りの技術を持つ“蔵人”という職人によって造られます。その蔵人たちを指揮し、日本酒造りを管理する責任者が“杜氏”です。杜氏は、どんな日本酒を造るかを決め、原料や働く人の手配、スケジュール管理などを行います。昔は、酒造りが盛んな地域の杜氏が蔵人を引き連れて全国各地の酒蔵を訪れ、その蔵の日本酒を造っていました。渡辺酒造醸でも、30年ほど前までは新潟県の杜氏を呼び、日本酒を仕込んでもらっていましたが、私がこの酒蔵で働き始めてからは、その杜氏の方にこの蔵の味や技術を教えてもらい、自分たちで日本酒を造っています。
その年に収穫された新米で日本酒を造る
渡辺酒造醸では、その年の新米が入荷する秋から日本酒造りが始まります。日本酒造りには、重要な工程を順に表した「一麹、二もと(酒母)、三造り(仕込み)」という言葉があります。まずは洗った米を蒸し、そこに米に含まれるデンプンやたんぱく質を糖やうまみに変える麹菌を繁殖させて、麹を造ります。次に、できた麹に米や水、酵母と呼ばれる微生物を混ぜ合わせると、「酒母(しゅぼ)」ができます。酒母は、麹が作る糖をアルコールに分解する酵母を育み、酒造りの土台となるものです。その後、酒母に米・麹・水を加えて発酵させることを”仕込み”といいます。私は2000~2500リットルのタンク1本分の日本酒を造る際に、4回に分けて仕込みを行います。その後、1か月ほど発酵させると「もろみ」になり、これを搾った液体が日本酒になります(残った固形の部分は「酒粕」です)。秋から造り始めた日本酒は1か月半ほどででき上がり、12月ごろからその年の新酒の販売が始まります。
昔は毎日、朝早くから作業をしていましたが、私は子どもの出産を機に、子育てとの両立や従業員の働きやすさを考えて、働く時間を8時~17時に決めました。午前中は主に仕込みの作業を行い、午後はお米洗いや、できあがった日本酒をろ過したり、タンクの洗浄や翌日の準備などをしたりします。麹造りは特に温度や湿度の管理が非常に重要になるため、以前は夜も頻繁に様子を見に行っていましたが、近年は温度や湿度をスマートフォンで確認できるシステムを活用し、必要なときだけ見に行くようにしています。
生きている微生物の力を引き出す難しさ
日本酒は、麹菌や乳酸菌、酵母などの微生物が米を溶かしたり発酵させたりする働きを利用して造られるため、杜氏の最も重要な仕事は、微生物の力をうまく引き出すことです。微生物はそのときの環境によって刻々と状態が変わるので、毎回、同じ味の日本酒を造るだけでも至難の業です。ときには微生物がうまく育たず、思い通りの味にならないこともあります。一方で、微生物の様子を確かめながら、育て方や改善点を考える作業は奥が深く、そこに面白さがあると感じています。タンクを開けて日本酒の状態がどうなっているかを確認するのが、毎日の楽しみです。
また私は、農薬や化学肥料をできるだけ使わず、田んぼにれんげ草をすき込んで土に栄養を与える「れんげ農法」で栽培された「ハツシモ」という品種の米を使って、日本酒を造っています。しかし近年は夏に猛暑日が続き、収穫した米がとても硬くなっていると感じています。日本酒は、米が芯まで溶けることでうまみが増しますが、米が硬いと溶けにくくなり、今までと味が変わってしまいます。そのため、ほかの酒蔵の方にアドバイスをもらったり、米に水を吸わせる時間を変えてみたりと試行錯誤をして、よりよい造り方を探求しています。
自分で考えた新しい日本酒造りに挑戦する
日本酒造りの醍醐味は、自分が目指す日本酒の味や香りを自分の手で実現できる点だと思います。私も杜氏になってから、新しい日本酒造りや昔からある商品の改良に取り組んできました。
渡辺酒造醸には、以前から地元の米を使って造ってきた「白雪姫」という日本酒があります。私は、その米の味や、口当たりが柔らかい大垣の水をもっと感じられるようにしたいと考えました。そこで、仕入れる麹を厳選したり、仕込む際に原料の配分を調整したりして、サラリと飲める喉越しのいい日本酒に仕上げました。また、長良川上流の山から湧き出た天然水は超軟水ということを知り、その水を用いてより軽い飲み心地にした「覚眠森水酒」や、私の名前を商品名に付けた「あさちゃんのどぶろく」など、新しい商品づくりにも力を入れています。
大きな酒蔵では、さまざまな製造工程を手分けして作業することが多いですが、うちのように小さな酒蔵では、すべての工程に携わることができます。その分、自分のこだわりを貫いたり、「こうしたい」と思ったことにすぐ挑戦できたりするところが魅力です。これからも積極的に新しい日本酒造りにチャレンジしていきたいです。
多くの世代に好まれる“地酒”を造りたい
私は、地元の水や地域で育った米にこだわり、この土地の“地酒”を造ることを大切にしています。その味をつくり出すポイントは、蔵にすみついている天然の乳酸菌です。最近は、人工的につくられた乳酸菌を用いることが多くなっていますが、私は天然の乳酸菌の力を活用し、その蔵ならではの味わいを生み出す伝統的な製法で、日本酒を造っています。そのため、貯蔵タンクや道具を洗うときも、洗剤は使わずワラを焼いてできた灰やお湯を用いて、蔵にすむ菌を損なわないようにしています。手間はかかりますが、歴史ある蔵だからこそできるこの製法を守っていきたいです。
また私は、お客さまが自分の好みの味に出会えるよう、多種多様な商品づくりを心がけています。そのために、より多品種の日本酒を造れるよう、少量をていねいに仕込める小さなタンクでの日本酒造りを始めました。最近では、日本酒になじみが少ない若い世代に向けて、スッキリとして飲みやすい「白雪姫 platinum」を開発し、地元の大学でデザインを学ぶ学生さんに瓶のラベルをデザインしてもらいました。地元の素材、地元の人の手で造られた日本酒をきっかけに、若い世代にも日本酒の味わいを知ってもらえたら、うれしいです。
両親の勧めで日本酒造りが学べる農業大学へ進学
私は、3人姉妹の末っ子として生まれました。子どものころは、“酒蔵に女性が入ってはいけない”という風習が残っていたので、私たち姉妹はもちろん、母も酒蔵に入ったことはなく、父がどんな仕事をしているのかも知らずに育ちました。そんな私が酒蔵を継ごうと思ったのは、高校3年生のときです。私の両親が知り合いの酒蔵を訪れた際、息子さんが一緒に日本酒を造っている姿を見て、「うちの娘にもできるかもしれない」と考え、その後、私に進学先として日本酒造りが学べる農業大学を勧めてくれました。それまで自分が杜氏になることはまったく考えていませんでしたが、学校の授業でも生物などの理科系の科目が好きだったので、醸造を専門的に学べる、東京農業大学の醸造科学科に進むことを決意しました。
杜氏になるためには特別な資格は必要ありませんが、日本酒造りの知識や技術を学ぶことが大切です。私は、大学で日本酒造りの基礎を学んだ後、山梨県の酒蔵に就職して酒母を造る作業を担当し、2年間、日本酒の製造と販売について学びました。酒蔵での修業を終えて渡辺酒造醸に戻ってからは、父とともに自分たちで日本酒を造ろうと、新潟の杜氏から日本酒造りの指導を受け、27歳で杜氏になりました。近年は女性の杜氏も増え、全国各地の酒蔵で活躍しています。私は岐阜県で唯一の女性杜氏として、父と日本酒を造り続けてきましたが、父が2024年に亡くなり、それ以降は経営者としてもこの酒蔵を受け継いでいます。
理科の実験や生物の勉強への関心が原点に
私は小学生のころから、理科の授業で実験をするのが大好きでした。リトマス試験紙の色が青や赤に変化したり、塩水に浸したモールに美しい塩の結晶ができたりと、実験によって現れる現象に、いつも「すごい」と感動していました。高校に入ってからは文系コースに進みましたが、生物の授業は変わらず好きだったので、両親に農業大学を勧められたときも、微生物の働きを利用する日本酒造りは面白そうだなと思いました。実際、大学ではすぐに醸造の勉強に夢中になり、予測ができない微生物の営みに、今も面白さを感じています。
また、私は自分が興味を持ったものに対しては、とことん突き詰めていきたい性格です。中学・高校時代もロールプレイングゲームに夢中になり、休みの日には熱中してゲームをすることも多かったです。そんな性格も、毎回同じことがなく、日々変化していく日本酒造りを追求する杜氏の仕事に向いていると思っています。
自分の体験から学べることを大切にしよう
今はインターネットですぐにいろいろな情報を得られたり、バーチャルな世界を楽しむゲームなどが増えたりした分、子どものうちに多くのことを実際に体験する機会が少なくなってしまったように思います。たとえば、天気のいい日に公園に行って鉄棒に触れば、鉄でできた棒には太陽が当たって熱くなります。そんな当たり前の自然の摂理が頭では分かっていても、実際に経験したことがないと、何も考えず熱された鉄棒に触れてしまい、ヤケドをしてしまう、ということもあります。何かにチャレンジすると、失敗することも多いですが、自分でやってみることはとても大切で、そこから学べることもたくさんあると思います。
また、「興味があることが見つからない」という声をよく聞きますが、興味というのも、何かを実際にやってみたときに、初めて感じられるものでもあります。最初はうまくできなくても、「なんでできないんだろう?」と考えながら取り組むうちに「面白いな」と思えたり、「これは自分に向いていないな」ということが見えてきたりします。何事にも、一度の失敗で諦めず、ぜひ繰り返しチャレンジして、自分を知るきっかけにしてみてください。