仕事人

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岐阜県に関連のある仕事人
1974年 生まれ 出身地 宮崎県
波多野はたの るみるみ
子供の頃の夢: 花屋
クラブ活動(中学校): 陸上部
仕事内容
観光列車を利用するお客さまに、せっきゃくや案内をする。
自己紹介
大ざっぱで、細かいことは気にしないせいかくです。旅行が好きで、休みの日には近場の観光スポットに行ったりバスツアーに参加したりして、風景やグルメを楽しんでいます。

※このページに書いてある内容は取材日(2025年03月30日)時点のものです

なががわ沿って走る観光列車「ながら」で働く

長良川に沿って走る観光列車「ながら」で働く

わたしなががわ鉄道で、観光列車アテンダントとして働いています。なががわ鉄道は、岐阜県からせきじょうまでを南北に結ぶローカル列車です。1984年、JR(当時は国鉄)のえつなんせんはいせんとなることが決まったさい、住民の間で鉄道のそんぞくを求める運動が起こり、1986年になががわ鉄道として生まれ変わりました。それ以来、いきの大切な交通しゅだんとして利用されています。
なががわ鉄道は、全長約70㎞のうち約50㎞を岐阜がほこる清流であるなががわ沿って走ります。しゃそうからは四季折々の風景を見ることができ、休日になると多くの観光客がおとずれます。2016年には、なががわぜっけいや昔ながらの田園風景をながめながら、ゆったりと走るローカル列車の旅をもっと多くの人に楽しんでもらおうと、観光列車「ながら」の運行が始まりました。どうも楽しめるよう特別にデザインされた車両で、山や川の風景にえるロイヤルレッドの車体と、岐阜県産の木をふんだんに使ったレトロモダンなないそうりょくです。運行は金・土・日曜日げんていで、乗車のみのお客さまを乗せる観光車と、食事付きのプランが楽しめるしょくどうしゃの2両へんせいで運行しています。
アテンダントの仕事は、沿えんせんの見どころや観光じょうほうを案内したり、しょくどうしゃでお客さまに食事や飲み物をていきょうしたりと、乗車したお客さまをおもてなしすることです。また、観光列車が運行しない日には、本社にりんせっするせき駅内で、お客さまや旅行会社からの問い合わせにたいおうしたり、電話での予約を受け付けたりしています。

ぜっけいポイントや沿えんせんじょうほうを案内するほか、食事のていきょう

絶景ポイントや沿線の情報を案内するほか、食事の提供も

観光列車が運行される日は、朝8時30分に列車のていしゃじょうであるせき駅にしゅっきんし、ほかのアテンダントとその日に乗車するお客さまの数などをかくにんした後、しょくどうしゃと観光車のたんとうに分かれます。しょくどうしゃと観光車にそれぞれ2、3人のアテンダントがみ、行きと帰りでたんとうを交代します。
観光車のたんとうは、各駅でりするお客さまをかくにんしながら、しゃそうから見える風景や観光じょうほうをアナウンスします。しょくどうしゃたんとうは、お客さまにていきょうする飲み物や食器類、ホテルからとどく料理をみ、それぞれの席にランチョンマットをいて、おきやはし、料理などをセッティングします。その後、出発駅であるおお駅までどうし、お客さまをむかえます。
列車の出発後は、しゃそうから見えるぜっけいポイントやその周辺の観光じょうほうなどを伝えたり、お客さまにお茶や飲み物をはいぜんしたり、マイクで岐阜の味覚がまった料理の説明をしたりしながら、じょうはちまん駅までご案内します。
じょうはちまん駅でお客さまを見送った後、観光車はさらに先の駅まで行くため、しょくどうしゃはいったんはなします。観光車を待つ間にしょくどうしゃの中を元のじょうたいに整え、食器をあらうなどのかたづけをします。帰りのしょくどうしゃではスイーツをていきょうするため、スイーツのみや席のセッティングをして、折り返しもどってきた観光車とふたたび連結し、お客さまをむかえます。このとき、しょくどうしゃと観光車のたんとうは、交代するようにしています。帰りの列車がおお駅にとうちゃくしたら、お客さまのこうしゃかくにんしてせき駅にもどり、かたづけや売り上げのかくにんをした後、17時ごろに仕事が終わります。

れる列車の中でも、ていねいなせっきゃくをする

揺れる列車の中でも、ていねいな接客をする

観光列車の仕事で大変な点は、走っている列車の中で作業を行わなければいけないことです。走っている列車はかなりれるため、わたしもこの仕事を始めたころは、お客さまの席まで歩いていくだけでも、ふらついてしまうことがありました。特に、飲み物を持っていくさいは、トレーの上やお客さまの前でこぼすことがないよう気を使います。仕事をするうちに自然とたいかんきたえられ、今ではれが気にならなくなりましたが、お客さまの前では失敗をしないよう、ゆっくりはいぜんをするように心がけています。
また、アナウンスについては、スタッフがそれぞれにふうをこらしてないようを考え、話しています。リピーターの方をきさせないためにも、話すべきないようがかっちりと決められているわけではなく、それぞれにせいが出ます。この仕事を始めたころは、岐阜県内の観光じょうほうについてあまりしきがなく、なががわ鉄道に長くつとめるしょくいん沿えんせんの市町村の特産品やれき、イベントなどのじょうほうを教えてもらい、けんめいに覚えました。さらに、りスポットやまめしきしゅんじょうほうなどを調べて自分だけのノートをつくり、アナウンスに加えるようにしています。アテンダントをしているスタッフはねんれいそうはばひろく、それぞれにせいあるアナウンスができるよう、さまざまなてんじょうほうしゅうしゅうしているので、時々、じょうほうを教え合い、お客さまの役に立つ案内ができるようにしています。

列車から見えるぜっけいを楽しんでもらうために

列車から見える絶景を楽しんでもらうために

観光列車「ながら」の一番のりょくは、なががわの美しい流れを間近で見ることができるところです。特に、なががわ鉄道にはきょうりょうが数多くあり、きょうりょうわたる間は列車がスピードを落としてゆっくりと走るため、ぜっこうのシャッターチャンスでもあります。わたしはその中でも、赤いアーチが美しい第2なががわきょうりょうから見る風景がお気に入りです。天気のいい日には、のどかな田園風景の向こうにたかやまじょうにまたがるだいにちたけを望むことができ、がんに目を向けると、なががわんだかわに赤い“さかばし”がうつむこともあるなど、ごたえ十分です。わたしは、お客さまがどの風景ものがすことがないように、見どころを伝えています。わたしがご案内した風景を見て、お客さまから「とてもきれい!」「見られてよかった」などの声が聞こえてくると、自分のことのようにうれしく感じます。
お客さまの中には、なががわの景色にせられて、何度も乗車してくださる方もいます。「以前、乗ったときに楽しかったから、また来ました」と言われることが、何よりも大きなよろこびです。そうしたお客さまには、新たなりょくを発見してもらえるように、車内のアナウンスやせっきゃくでは前回とはちがじょうほうを伝えるようにしています。

ゆったりと岐阜のりょくを感じられる時間をていきょうする

ゆったりと岐阜の魅力を感じられる時間を提供する

わたしはいつもお客さまに対して、ゆっくりと走る列車の中で、にちじょうでは味わえない時間をごしてほしいと思っています。そのため車内では、お客さまの様子からどんな時間をごしたいのかをそうぞうして、それぞれにてきしたせっきゃくをするように努めています。たとえば、友人と観光に来たお客さまには、会話をじゃしないようにはいりょしながら、おすすめの観光スポットをお伝えしたり、一人で乗車している方には、時折、声をかけて会話を楽しんでもらったりと、気配りをわすれないようにしています。
また、「ながら」に乗車されるのは県外からおとずれるお客さまが多いため、岐阜のりょくを伝えることも大切なやくわりの一つだと思っています。なががわ鉄道が走るせきじょうには、自然やれきを感じながらゆっくりと観光できる場所が数多くあります。「今度来たときは、ちゅう下車してみよう」「次は車で来てみよう」などと思ってもらえるように、観光スポットや有名な特産品など、できるだけ多くのじょうほうを伝えています。車内でていきょうされる食事も、地元のホテルや飲食店がいきの食材を取り入れて作っているため、いきの食材やきょう料理などの話をして、風景とともに地元の味を楽しんでもらえるようにしています。

バスガイドの仕事で知った、伝える楽しさ

バスガイドの仕事で知った、伝える楽しさ

わたしは、宮崎県で生まれ育ちましたが、高校3年生のときに先生から「岐阜県のバス会社がバスガイドをしゅうしている」と聞き、岐阜県でしゅうしょくすることを決めました。まったく知らない土地でバスガイドをするためには、覚えなければいけないことがとても多く、つらさを感じたこともありました。また、わたしはなかなか宮崎べんのなまりがけず、ほかのバスガイドのように話せないこともコンプレックスでした。しかし、観光じょうほうを知るうちにれきへのきょうがわき、自分が学んだじょうほうをお客さまに伝えることに、楽しみを感じるようになりました。
その後、けっこんして仕事をめましたが、育児がいちだんらくしたころに観光列車「ながら」の運行が決まり、運行開始に向けて車内で働く人をしゅうしているという話を聞いて、「バスガイドの仕事に近い仕事かもしれない」と、アテンダントにおうしました。仕事を始めたときは、車内のふんも仕事のしかたもバスとはまったくちがうことに、不安を感じていました。そんなとき、当時のリーダーから「お客さまから親しまれる列車になるように、わたしたちも親しみやすいふんせっきゃくしよう」と声をかけられ、「自分らしくせっきゃくすればいいんだ」と自信を持つことができました。

人と話すことが楽しみだった子ども時代

人と話すことが楽しみだった子ども時代

わたしは子どものころから体を動かすことが好きで、活発な子でした。たくの近くには海や川があり、小さいころから友達と外で走り回ったり、川で泳いだりして遊んでいました。自然の中でごすことが当たり前のかんきょうで育ったので、今もアテンダントとして列車に乗るときは、大好きな山や川の景色を見ながら働けてよかったと感じています。また、両親が共働きだったので、たく後はせんたくそうなどを手伝うのがにちじょうでした。家事をすることはまったく苦とは思わず、楽しんでやっていたのを覚えています。
休みの日になると、父はよく川や海に行き、カキやハマグリなどしゅんの食材をっては、近所の人に配っていました。わたしも父について近所の家をおとずれていたこともあり、子どものころから人見知りをすることもなく、大人にもものじせずに話すことができました。いつも多くの人にかこまれてごすことが多かったためか、このころから人とせっするのが好きだったので、せっきゃくを通じて多くの人とふれ合えるバスガイドや列車のアテンダントの仕事も、楽しく感じられているのではないかと思います。

どんなことも、あいさつと好きな気持ちから始めよう

どんなことも、あいさつと好きな気持ちから始めよう

わたしは、いつも「あいさつをすること」を大切にしています。「おはよう」や「こんにちは」のひと言は、おたがいの心を開いてくれる言葉です。一見、こわそうに見える人やむずかしそうな人でも、思い切って元気よくあいさつをすると、思っている以上にやさしくあいさつを返してくれます。「人とのコミュニケーションが苦手」という人も、まずはあいさつをすることから始めてみてください。
もう一つ伝えたいのは、失敗をおそれずチャレンジすることです。わたしが今の仕事にチャレンジしたきっかけは、「人とせっするのが好き」という理由でした。たとえば鉄道の仕事なら、「乗り物が好き」や「自然が好き」という理由でもだいじょう。どんなことも最初から「できないかもしれない」と思わずに、「好きだからやってみたい」という気持ちで始めてみればいいと思います。失敗することを考えてあきらめてしまうのは、とてももったいないことです。わたしもたくさんの失敗をしてきましたが、たとえ失敗したとしても、心をめてあやまれば必ず相手に思いは伝わります。頭で考えず、まずは「やってみたい」と感じたことに向かって、動いてみてほしいと思います。

私のおすすめ本

島田 洋七
少年時代を佐賀で過ごした作者が、祖母との暮らしを描いた作品です。ばあちゃんが貧しくても明るく元気に暮らす様子が描かれ、ユーモアあふれるエピソードに元気をもらえます。私も九州出身なので、祖母が運動会のときに“さかな寿司”(サバやアジを使った寿司。九州の郷土料理)を作ってくれたことを思い出し、懐かしさを感じました。

もっと知りたいこの仕事人

取材・原稿作成:船戸 梨恵(クロスワード)/撮影:松野 幹郎(岐阜新聞社)/協力:株式会社 電算システム