※このページに書いてある内容は取材日(2024年10月02日)時点のものです
写真家として「人に愛される仕事」と「世の中になくて、自分が見たいものだけをつくる活動」を行う
ぼくの肩書きは写真家です。自身の会社「株式会社ゆかい」は、「写真とデザインとまちづくり」と幅広く活動を行っていて、雑誌や広告、音楽関係、図工の教科書などの仕事を数多く手がけつつ、活動の拠点である「神田ポート」というオルタナティブスペース(展示、舞台、イベントなどさまざまな目的で使用できる、表現のための空間)にて、展覧会やワークショップの企画、パブリッシング(出版)や、地域交流を目的としたイベント運営などの活動を行っています。
ぼくは写真家として「人に愛される仕事」と「世の中になくて、自分が見たいものだけをつくる活動」、この2つを同時進行で行っています。
1つ目は、人に愛されて、喜んでもらう写真を撮ることです。例えば編集者さんやデザイナーさんから「こういうテーマや特集のために写真を撮ってほしい」と依頼を受けて、それに応じて写真をつくるという受注仕事があります。成果物は本やポスター、CM、Web、CDジャケットなど、掲載される媒体はいろいろです。撮る対象も、アイドルやアーティスト、役者さん、お笑い芸人さん、スポーツ選手、はたまた犬も猫も車もビルも、お魚屋さんも。それだけじゃなく木や水も雲も。本当に幅広く人や物や事に出会うことが仕事といっていいくらい、いろいろな人に会って写真を撮ったり、それらを使ってデザインをしたりします。
そして2つ目は、誰かに喜ばれなくても、自分が見たい風景や光景を撮ることです。その中の一つに「自然」をテーマにした作品シリーズがあり、自然への興味を探究しています。
ぼくはこの「お仕事」と自主制作である「作品制作」と、この両方をカメラという同じ道具で行えることが、ちょっと「いい!」と、思っています。なぜなら、技術の向上がどちらにも直接的に反映できるからで、「あのお仕事で撮影したやり方を、今度は作品のほうでトライしてみよう!」となります。また、その逆もあります。
ちなみに補足ですが、静止画を撮影する人を「カメラマン」と呼ぶのは和製英語で、日本独特の言い回しです。海外では「photographer(フォトグラファー)」となります(英語の「cameraman」は動画の撮影者を指します)。仕事や現場によって呼ばれ方が変わったりもしますが、その肩書きは自分で決められます。
カルチャーイベント「HOME FOREST」にクリエイティブディレクターとして参加
2024年の9月には、箱根で行われた「HOME FOREST(ホームフォレスト)」というカルチャーイベントにクリエイティブディレクターとして関わりました。「クリエイティブディレクター」というのは、一般的に広告や制作物をつくる現場で、企画から制作までの指揮を執り、でき上がるものや商品のイメージを最終的に決定する立場です。ぼくは現在、「神田ポートビル」という東京都千代田区錦町にある、サウナのある文化複合施設(株式会社ゆかいもここに入っています)のクリエイティブディレクターも務めていますが、この神田ポートビルでの地域交流の活動として、定期的に街の縁日を企画しています。大きな取り組みの一つとして、ビルの目の前の道路に300畳の畳を敷き詰め、ダンスやカルタ、演劇に茶道、書道にヨガ、アートに食と防災などをテーマに、さまざまなクリエイターや福祉施設のユニークなアイデアによる活動などを、「人と体験が出会える場」として、「なんだかんだ」という名称で行っています。そういった経験から、小田急電鉄さんのお仕事として、箱根での新しいカルチャーイベントの企画に関わることになりました。
箱根の森でたのしんでもらうために
現在、日本の有名観光地には主に外国からの観光客が集中しすぎて「オーバーツーリズム(過度な混雑やマナー違反によって地域住民の生活に悪影響を与えたり、観光客の満足度が低下したりする現象)」の状況になっている場所が多くあり、問題となっています。箱根も同様で、いわゆる観光ルートが、たくさんの人で混雑することがあります。
しかし、箱根には歴史とセットで古くから親しまれている国立公園があり、美しい森や自然がたくさんあります。観光客の方々に意外と知られていないのが、箱根の森や自然の存在でした。クライアントである小田急電鉄さんは数年前から、建築やまちづくりを手がけるUDSさんとの新たな取り組みとして、この箱根の自然をテーマとした拠点を箱根湯本駅のすぐ近くにつくり、森の案内所としての機能を持たせるとともに、自然体験のアクティビティや自然保護活動を行うイベントなどを実施しています。今回ぼくが担当したイベントは、そのプロジェクトの拠点「HAKONATURE BASE」を森(桃源台駅付近の森)にして、さまざまなカルチャーが集まり、自然のたのしさや、リラックスする快感など、五感で感じる体験と感動をみなさんと共有することを意図したものでした。
箱根と聞いてパッと思いつくのは、駅伝や温泉。大涌谷の黒たまごやジョン・レノンが泊まった富士屋ホテルなど、すでにいろいろなイメージがあります。でも主役を「箱根の森」とすると、都心から気軽に行ったり来たりできる身近な場所であり、自然に触れる体験として、森に入ることで「野生の呼吸を取り戻す」ことができ、新たな価値になります。箱根の森で心をリラックスしてもらいたいという願いをこめて考えたのが、「HOME FOREST」というカルチャーイベントです。
つくる側がおもしろいと思わないと、人におすすめはできない
このイベントでは、地域業者のみなさんのご協力のもと、森林公園をたのしみながら散策できるように、ユニークな小話が書かれた立て看板「森のかわらばん」を設置したり、地元地域で人気のあるお店が出店するマルシェ(市場)で、おいしい食べ物や飲み物を販売したり、原っぱでたのしめるヨガや子どもと一緒にたのしむダンスやアート体験、ボードゲームや森の図書館、オリジナルレジャーシートを貸し出して、ゆったりと過ごしてもらうなど、さまざまないい時間に出会う体験を提案しました。
やってみて大事だと感じたことは、企画する側の自分たちがおもしろいと思わない限り、その体験を人におすすめはできない、という当たり前のことです。また、企画もどこかで前にやれたパッケージをそのままスライドさせても仕方がありません。今後も「箱根の森でたのしむ」にはどうしたらいいかについて、つくる側が箱根の森へ通い、発見したり、学んだりして、地元にいる方々との交流や意見交換にも時間をかけて、オープンに取り組んでいきたいと思います。そんな共有のたのしみが始まったことは、今回のイベントをやってみて、とてもよかったと思えることです。
早起きが、生活を楽にしてくれる
趣味が釣りであることから、早起きは気持ちがいい!ということを知ってはいましたが、実際にやってみるとわかったことがたくさんありました。
まずは時間の認識です。ぼくらは日々時間に追われた生活を送っていますが、できれば固定の時間に毎日起きて朝日を浴びると、季節の移ろいにも気がつきます。窓を開けて、ベランダに出てみる。この時間がいいんです。追われている感覚ではなく、周りが動いている時間を体験できて、起きたての脳がフレッシュに活動し、判断力と集中力が上手にコントロールできるようになります。この仕組みについてはあまり詳しくはないのですが、時間管理術と呼ばれる自己管理の時間術だそうです。脳が疲れないうちに脳を使い、感覚を大事にしたい時間を午後に持ってくると、ストレスを感じにくく、上手に仕事をこなしていけるんです。
調べてみると、画家のピカソは破天荒なように見える人生を送りながらも、世界一作品の量が多いといわれる絵描きであり、仕事の量も並大抵ではありませんでした。そのヒントとなるのは、ルーティン生活で、起きてすぐやることが決まっていた生活だったそうです。スポーツ選手のイチローや大谷翔平にしても、あらかじめ決めた習慣をオリジナルでメソッド化したことで話題にもなっていますね。
午前中はそうやって「考えることや、やるべきこと」をやり、午後は「人と会ったり、体を動かしたりする時間」を過ごすのが、ストレスを軽減し、結果的に効率がいいようなので、それを実行しています。
「働くことは苦しい」を、本来の「たのしい」に変換する
仕事をするうえで、大変なことや、経験がないために苦労することはたくさんあると思います。でも、大変なことを一生懸命、頑張って乗り越えられることもありますよね。
正解がわからないことも、やってみてわかったことをたのしみに変換できると本当はいいです。仕事は当然そんなに簡単にはいかないものだからこそ、おもしろいことなんだ!というふうになるといいです。例えば、いきなり「曲をつくってください!」と、音楽のことを何にも知らないのに頼まれたら、それは困りますよね。でも、曲ってこうやってつくるのか、を勉強すると、きっとたのしいじゃないですか。一見つまらなそうな掃除でも、本気で掃除したら、気持ちがいいですし。「どこにたのしみがあって、おもしろがれるか」が、今後続けられるかどうか、に繋がっているかもしれません。ぼくは何の根拠も見当たらなくても「写真ならきっとできる」と思えたから、大変でも無理をしないでやっていけているのかもしれないなと思います。
そして、写真家なのに、クリエイティブディレクションやアートディレクションを担当するような仕事をしていますが、その基本的な考え方は、写真で学んだ考え方やアイデアの出し方なんです。「森に人が集まっているこんな光景が見られたらうれしい」とか、「路上に畳を300畳敷いて、人が思い思いに遊んでいたら、こんな光景は今までなかったでしょ!」といったように、風景や光景をまずイメージするところから考えて、着手していきます。
情熱だけでなく、敬意があることが大事
子どものころ大人に言われた「あれやこれや」が、大人になって理解できることも多くあります。あのときはわかりませんでしたが「あっ、本当にそうだな!」と……。ただ、「こうしなくてはいけないものだ」と、いわゆる常識とされているものに対して疑問を持つことはすごく大事なことで、クリエイティブはその本質を見抜くことで新しい価値を生んでいき、カルチャーへと進化していきますよね。
だから、いいところと、よくないところを自分の中で決めていけると成長に繋がる気がします。つまり、自分にとって直感的にこれはいいな、と思えるものを信じてみたりするのが、今後のその人の覚悟となっていく気がします。
ぼくの場合、仕事をしていて幸せだな、と思うのは「いろいろな人に会える」ということです。人生の勉強にもなるし、日常の中ではなかなか会えないような人とも会うことができます。これはいちばん、贅沢なことです。
人に会うと、どうしたって「敬意」の気持ちが芽生えるんです。どんな人生の方でも、扉を叩いて話を聞くと、やっぱりおもしろい。「ここまで生きてきたあなたはすごい!」と、偉そうですがそんな気持ちになります。そうすると写真にも、その気持ちは乗っかって写ってくるんですよ。「あなたを撮らせていただきました」という敬意が写真に表れます。そのことによって、その人が「ここにいる」だけのことが、いかにも素晴らしいことのように表現されるんです、不思議なことに。
「長所」と「短所」をどちらも生かせる職業
生まれ育ったのは神奈川県横浜市の金沢区という場所です。両親は写真館と化粧品店を営んでいます。一つのお店で父が写真を撮り、家族写真などでメイクが必要なときは母がメイクをする、というちょっと珍しい形態のお店です。そんな環境で育ち、ぼくも撮影の手伝いなどを子どものころからしていたので、カメラはいつも身近にあるものでした。子どものころはどんな性格だったかというと、ずっと通信簿に書かれ続けていた言葉が、長所は「明朗活発」、短所は「うるさい、落ち着きがない」でした。
大人になって、この長所と短所を混ぜても大丈夫な職業が写真家でした。むしろそのほうが向いている気がします。動きながら、大きな声を出して写真を撮って、どんどんおもしろいことを提案していく感じがいいので、短所を直す必要がなかったんです。
「勉強はできなくていいけれど、おもしろいことなら負けない!」と決めたのは小学校2年生のときです。実は赤面症で、人前に出ると泣いてしまうような子どもでした。でも、小学生くらいのころから「ものまね」をするとみんなが笑ってくれて、誰か別の人間になることで人前に出るのが平気になる、ということに気づいたんです。当時はテレビのものまね番組もとても人気だったこともあり、「将来はものまね芸人になりたい」という夢を持つようになりましたが、高校生のときオーディション番組を受けて、レベルの高さに圧倒され落選したことで挫折しました。だから、今でもものまねは得意ですし、職業になっていないだけで、個人的には「ものまね芸人」でもあると思っています。
褒められると、うまくなる
8歳年上の兄が、もう一人の父のような存在で、年が離れている分、いろいろなことが進んで見え、影響を受けながら育ちました。そんな兄が美術大学(美大)に入学したことで、アートやデザインという世界に対する憧れを持つようになり、兄が働いていた美術予備校に通い、ぼくも美大を目指すこととなりました。すると、そこで3浪もすることになるんですが、大体のことはその予備校で学び、いろいろと遊ぶこともできました。アートが自由だと思えたのもその時期でした。
その後、就職もせず、いろいろな現代美術作家の手伝いをしていました。絵を描くことや、彫刻をつくること、パフォーマンスやバンド活動をすることなど、「これが今フレッシュでたのしい!」と自分が思うことだけを選んで、作品をつくって発表したり、仲間と共同でアトリエをつくり、ギャラリーをやったりと、思いついたことばかりを試しながら、あとはアルバイト生活をしていました。ジーパン屋の裾上げや建設現場での土木作業、造形職人の手伝いなどいろいろしましたが、本当に全部がたのしかったです。そんな中でも、カメラはいつも自分のそばにありました。それが当たり前だったので、好きだとか向いてるだとかは、考えたこともありませんでした。そして、たまたま撮った写真を仲間や先輩が、やけに褒めてくれたことがきっかけで、写真がおもしろくなっていったんです。
同じように見えて全然違う、2つのプロの世界
褒められると調子に乗って、どんどん写真を撮って、発表するようになりました。それを継続していると、どこかで誰かは見ているもので、写真の仕事がやってきます。美術館での展覧会のお誘いまで来ました。でも、仕事の写真と、プライベートの写真とでは、一つだと思っていた海が、まるで別の世界の海のようで……。とてもじゃないけれど、ぼくの船では両方は泳げない状態でした。
「プロの仕事は、こんなことをここまでやるのか」と目の当たりにしていくような日々と葛藤が始まります。でも、それでも続けていくと、いいことが起こります。チャンスをくれた先輩クリエイターだったり、美術館の学芸員だったり、デザイナーや編集者、同世代の仲間たちに正直に話を聞きます。そうすると、「何をやるか」だけではなく、「この仕事ならこうしてああして、どこまでやるべきか」の仕方まで、ちゃんと教えてくれました。教えてくれたことを丁寧にやるだけで精一杯でしたが、次第に、できなかったこともできるようになっていきます。でも、できると思っていたら意外にできなくて、できないと思っていたらできたり。「自分には何ができるのか?」を模索している時期は、誰もがぶち当たる壁のように、社会と関わるための修行のように思っていました。
そして同じクリエイティブな世界でも、アーティストの誰かとデザイナーの誰かが、全く違うことを言うこともある、ということにも直面するようになったころには、自分がどうしたらいいか、わかるようになっていました。そこで、「愛される写真」と「誰に愛されなくても、自分が見たいものは何か、を模索してする写真」とを分けて活動して、それぞれを行き来できるように、一つの船で別の海でも泳げる技術を身につけ、やり方を覚えていきました。
自分の「おもしろい」という感覚を大切にしてほしい
子どものころ、よく親に「テレビを見るとバカになるよ!」と言われていましたが、大人になった今になって思うことがあります。「バカになる」時間は、必要なんですね。考えてばかりいる脳を休めたり、体で感じたりする時間は、子どものころにたくさん経験して本当によかったと思います。
ぼくはサウナとかお風呂が大好きなのですが、その時間にも似ていて、体の感覚が優位に働くことで、脳がリラックスしてくれます。リラックスするといいアイデアやおもしろいことを思いついたりします。エジソンやアインシュタインの世界を驚かす大発明や大発見だって、リラックスした状態をきっかけにアイデアが浮かび上がった、と言われていますよね。
大人になると、リラックスした状態をつくることがさらにたのしみになります。子どものころに経験した「おもしろい」という感覚は、いつまでも覚えているものです。だから、いつでも「おもしろい」は身近なところにあって、そのことに気づけたら、自分のことをちょっと好きでいられたり、共通の仲間もできたりします。大人になると、そんなたのしみも待っています。