※このページに書いてある内容は取材日(2018年04月11日)時点のものです
60年以上続くうなぎ店の女将
私は,東京都荒川区にあるうなぎ店「うなぎあら川」の女将をしています。「うなぎあら川」は昭和30(1955)年に創業し,三代続いています。先々代の店主は女性で,うなぎ問屋さんに嫁いだことからこのお店を始めたそうです。二代目店主の時に今の社長である私の夫が店で修行を始め,その後,この店を引き継ぎました。今の店舗は平成元(1989)年に建てられたものです。
お店ではうな重やうなぎの白焼,うなぎ肝焼などのうなぎ料理と,鯉こくなどの鯉料理,焼き鳥などを提供しています。店頭でも持ち帰り用のうなぎかば焼きやお弁当,焼き鳥を販売しています。持ち帰り用に購入されるお客さまも多く,店内での販売と持ち帰り,両方を含めるとおそらく,他のうなぎ店さんに比べてもかなりの量が売れるお店ではないでしょうか。
職人は社長と,その2人の弟の3人で,あとはパートさんやアルバイトさんたちと一緒にお店を回している,家族経営のお店です。私の仕事の内容は幅広く,接客や配膳はもちろん,お店の片付けや掃除,料理によっては調理も担当します。うなぎに関しては職人さんたちに任せていますが,その他の料理は私やパートさんが一緒に作ることもあります。また,仕入れのお金や売上の管理など,経理全般も私が担当しています。
日中はお店に出て,帰宅後に経理作業
私は自宅で家事などを済ませてからお店に来るので,出勤は午前10時から11時ごろになります。ただ,夫をはじめ職人さんたちは朝7時から仕込みを始めています。うなぎ料理には技術が必要なだけでなく,工程がたくさんあります。また,お店に届けられるうなぎはまだ生きていますから,さばこうとすると腕にからみついてしまうこともあります。ぬるぬるしていて,慣れないと,つかむだけでも一苦労です。そんなうなぎを手早く,きれいにさばいていき,何工程にもわけて焼き上げていきます。うなぎ料理はとても手間がかかる料理なんです。
ランチタイムの後も特にお店が閉まる時間はなく,そのまま営業は続きます。午後8時に閉店し,お店の片付けなどを終わらせ,仕事が終わるのは午後9時くらいです。経理の仕事もありますが,それらは自宅に持ち帰って作業をしています。
夏の「土用の丑の日」の前後1か月は,一年のうち最も忙しいシーズンになります。いつもの量の約3倍のうなぎを扱うので,そのころになると仕込みは朝の4時半ごろからスタートしています。とにかく忙しい期間ですね。
定休日は毎週火曜日だけの週1日ですし,決まったお休みも取りづらい仕事ではありますが,休日に好きなゴルフができるのを楽しみに頑張っています。
毎日の作業を丁寧にこなすことが何より大切
うなぎ店は今,うなぎの不漁で仕入れ価格が上がり,全国的にとても厳しい状況にあります。うちのお店は長年,「おいしいうなぎを気軽に,手頃な値段で食べていただく」ということをモットーにしてきたお店だったのですが,やはり値上げはせざるをえませんでした。それでも,やはり「昔から守ってきた部分は残したい」という思いがあり,うなぎの量は少なくてもお手頃な価格で食べていただけるメニューをご用意したりと,工夫をして頑張っています。逆に「あまり量は食べられない」という高齢の方にそういったメニューが好評だったり,いい面もありましたね。
また,一番大切で難しいのは「昔ながらの味を守っていくこと」だと思っています。手間がかかったり,面倒くさい作業はたくさんあります。例えばお料理に使う酢味噌一つにしても,焦がさないように火にかけながら大量のお味噌を練っていくのは,とても大変な作業なんですね。職人さんたちが行ううなぎの下ごしらえにしてもそうです。そういった日々の仕事は,単純作業がとても多く,しかも毎日同じことをやらなくてはいけない。
でも,それを毎日きちんとやらないと,創業以来続けてきたものが壊れてしまいますから。いかにそれらに手を抜かず,毎日の仕事をちゃんとこなしていくか。それを日々,心がけています。
お客さまの「ハレの日」に立ち会える喜び
来店してくださったお客さまが「おいしかったよ」と言って帰られ,後日,その方がまた来てくださる。そんな時が何よりもうれしいですね。中には「おいしかったから,今度は友達を連れてきたんだ」と,他の方を連れて来店してくださる方もいらっしゃいます。
うなぎのおいしさは,うなぎの味はもちろん,ごはん,タレ,お吸い物,香の物……すべての総合バランスだと思うんです。ですから,お店に来られてそれらを食べ,また来てくださった方には「ああ,本当にうちのうなぎのおいしさをわかってくださったんだなあ」と感無量になりますし,それを実感できたときが一番うれしい瞬間ですね。
また,ご家族で,入学式や卒業式,七五三などの節目に来てくださる方がいらっしゃいます。うなぎは毎日食べられるようなものではないですが,そのかわりにそういう「ハレの日」においしいものを食べることは,とても記憶に残ると思うんですよね。そんな家族の記憶の一場面に私たちの店がある,それはとてもうれしいことなんです。
じつは私自身,七五三のお宮参りのあとに来たのがこのお店だったんです。7歳のときでしたが,このお店でうなぎを食べたことがとても印象に残っています。まさかその後このお店の女将になるなんて,そのときは予想もしていませんでしたが。
楽しく仕事をしてもらえるよう気づかいも
最近ようやく,お客さまに女将として少し認めていただけるようになったのかな,と実感しています。お客さまに少しでもいい時間を提供して,お客さまがこの店で過ごすその一場面に加われれば,というのが私の思いです。だからなるべくお客さまとお話をさせていただき,時間を共有することを大切にしています。
また,経理を担当しているため,お店の状態が数字として見える立場でもあります。そのため,お店の売り上げや経費管理の面で厳しいことを言わなくてはいけないこともあります。でもあまりそれを従業員に言いすぎても,かえってわずらわしいと思うんですよね。どうせなら,仕事は楽しくしたいなと思うんです。だから締めなければいけないところは締めつつも,お店の雰囲気を悪くしないよう,あまり言いすぎないように気をつけています。
アルバイトがきっかけでやがて女将に
私の兄も別の場所でうなぎ店を経営しています。その兄がまだ修行時代,私が高校生の時に「何かいいアルバイトない?」と兄に相談し,紹介してもらったのがこのお店だったんです。16歳のときでした。その前も喫茶店やパン屋さんなどいろんなアルバイトをしていたんですが,ほとんどが接客業でしたね。お客さまと接する仕事が好きなんです。
「うなぎあら川」は当時,今よりもさらに人が入っているお店でした。ひっきりなしにお客さまがいらっしゃり,先々代の女将さんが午後2時から3時くらいになるとおしゃべりに来て,おやつをくださって……本当にかわいがっていただきました。私にとって,とても居心地のいいお店だったんです。
その後,お店で働いていた今の主人と結婚しましたが,子どもが生まれてからは子育てが忙しく,お店からは離れていました。ところが兄が独立してお店を出すことになり,兄のお店を切り盛りするようになりました。そして,そちらが一段落した2014年から,今度は「あら川」で女将として働くことになったんです。
主人や弟たちは,みんなこのお店で修行した人たちです。うなぎ職人になる方はほとんどがまずはこういう専門店に入って修行するか,もしくはうなぎを扱う問屋さんに入るかのどちらかですね。
下町生まれの活発な子
出身はお店があるのと同じ荒川区の東尾久というところです。兄と私の2人きょうだいですが,兄とは9歳離れていて,私が物心ついたときには兄はもう働いていました。兄はすごく私のことをかわいがってくれましたね。
子どものころは活発で,近所の子たちとよく遊んでいました。お店がある西尾久もそうですが,東尾久も住宅や工場が密集する下町なので,木登りができるような自然あふれる場所ではありません。代わりに人の家の塀の上に登って歩いていったりして,近所のおじさんに怒られたこともあります。走るのも早くて,たいていリレーの選手に選ばれていました。
また,英会話やエレクトーン,日本舞踊,お習字,そろばんなど,習い事はたくさんしていましたね。いろいろと「やりたいこと」が多い子どもだったんです。どれも,それらの「プロ」になれたわけではありませんが,それら習ったことが,大人になってからちょこちょこと顔を出してくるのを実感しています。
「役にたたないこと」は何一つない
やった経験がムダになることは,絶対にないんです。だから一つでも自分の好きなことを見つけたら,なんでもいいから挑戦してみたらいいんじゃないかな,と思います。もしかしたら,それが将来につながっていくことがあるかもしれません。また,やった上で「自分には向いていないかな」と思ったとしても,やってもみないうちに結論を出すよりはいい経験になると思うんです。だからなるべく,たくさんのことにチャレンジしてもらいたいですね。
私自身,子どものころからたくさんの習い事をしてきましたが,今,役に立っていないことは何一つありません。例えば習い事の中でも日本舞踊は特に好きで,いちばん長く習いつづけました。そうすると,身についた所作が着物を着たときや,日常生活の中で役立っているんです。そろばんも,今,経理を担当するようになり,役に立っています。むしろもっときちんとやっておけばよかった,とも思いますね。
みなさんも,やってみたいと思うことに出会ったら,ぜひ積極的にチャレンジしてみてください。