東京都に関連のある仕事人
1983年 生まれ
子供の頃の夢:
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クラブ活動(中学校):
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※このページに書いてある内容は取材日(2016年03月31日)時点のものです
右足を失ったころ
自分らしく生きる方法を見つけたい
切断者スポーツクラブ「ヘルスエンジェルス」への参加
自分らしい生き方を探すために,まずは同じような境遇の人が集まる場所に行ってみようと思いました。わたしと同じように,義足を使っている友達がほしいと思い,義足を作っている臼井二美男さんの紹介で義足ユーザーを中心としたスポーツクラブ「ヘルスエンジェルス※」の存在を知り,その活動に参加することにしたのです。 参加して気づいたことは,同じ義足の人でも暗い人が全くいませんでした。みんな明るくて,キラキラと輝いて見えたのです。参加する前は「走るなんてできない」などと消極的だったのですが,活動の中で「わたしもあんな風に走れるのかな」「明るく楽しく走れるのかな」と期待はどんどん大きくなり,また勇気をもらうことができたのです。
1年かけて,走りを猛特訓
ヘルスエンジェルスの活動で勇気をもらったわたしは,「本格的に走りたい」という気持ちが強くなっていきました。しかし,それまで陸上競技の経験がなかったため,たくさんの練習が必要で,義足を履いて走れるようになるまで,1年はかかりました。そして,ようやく競技会に出場できるまでになったのです。 初めて競技会に出たときは,緊張というより,自分がどれくらい走れるのか,走りきることのができるのか,自分のこれまでの練習成果を試すときが来たと,わくわくしていましたね。無事100mを走り終えたとき,達成感とともに,これは自分の力だけで走り切った100mではないのだと感じました。ここまで支えてくれた人,命を救ってくれた病院の先生,両親,義足を作ってくれた人,友人。たくさんの人への感謝の気持ちがこみ上げてきたことを,今でも鮮明に覚えています。
同情から励ましへ,周囲の変化
パラリンピックという「目標」
取材・原稿作成:東京書籍株式会社