伝統的な漁法・鵜飼を受け継ぐ
私は,岐阜県岐阜市を流れる長良川で“鵜飼”という漁をする“鵜匠”の仕事をしています。鵜飼は,鵜という水鳥を操って,川にいるアユなどの魚を獲る漁法で,長良川では1300年以上前から行われてきました。明治時代になると,長良川の鵜飼で獲れたアユを天皇に献上するようになり,それから長良川で鵜飼をする鵜匠は,宮内庁の儀式に関する職務を行う“宮内庁式部職”になっています。現在,鵜飼は全国12か所で行われていますが,“宮内庁式部職鵜匠”に任命されているのは,全国で,ぎふ長良川鵜飼の6名と小瀬鵜飼(岐阜県関市)の3名の,合計9名のみです。
ぎふ長良川鵜飼の鵜匠は,代々鵜匠を受け継ぐ家に生まれた男性ひとりだけがなれるという,世襲制をとっています。そのため,ぎふ長良川鵜飼は,昔から6人の鵜匠で行われています。鵜匠は,漁で用いる鵜を自宅で世話し,365日,一緒に生活をします。
ぎふ長良川鵜飼が行われるのは,5月11日から10月15日の夜です。その間,鵜匠は大雨で川が増水したときなど特別な場合を除いて,毎日休まず鵜飼をします。7月から9月の土曜日には,1日に2回,一般の人が観覧船に乗って鵜飼を見ることができる“納涼鵜飼”が行われます。またシーズン中に8回だけ,皇室に納めるアユを獲る“御料鵜飼”も行います。鵜飼シーズン以外の時期は,次のシーズンに向けて道具の手入れや補充をしたり,鵜の世話をしたりします。
鵜を操り,アユを獲る
鵜飼のシーズン中は,朝から舟や道具のチェックを行い,鵜にエサを与えたり小屋の清掃をしたりします。午後3時くらいから鵜飼舟の船頭さんが,道具を運んで準備を始めます。鵜匠は,その日の漁に連れていく鵜を選び,休ませる鵜にはエサをやって休ませ,連れていく鵜にはエサをやらずに籠へ入れておきます。早めに夕飯を済ませ,午後6時には舟に乗って川の上流へ向かいます。
漁が始まると,上流から川を下りながら鵜を操り,鵜がアユを飲みこんだところで引き上げて,アユを吐かせます。お腹を空かせた鵜は,暗闇の中で最も光を反射するアユを見つけて,一瞬で飲みこみます。鵜の首の付け根にはひもが付けられていて,小さな魚は首を通って鵜が食べられるように,大きな魚は首のところで止まるようになっています。鵜匠は,それぞれの鵜をつないだ“手縄”を左手に握り,鵜の動きに合わせてからまないようにさばきながら,漁をします。舟には松の木を燃やした“篝火”がかけられていて,鵜匠は鵜を操りながら,その火が消えないように,薪を足す作業もします。
上流から下流まで舟で下りながら漁をする“狩り下り”が終わると,再び上流へ行き,6隻の舟が川幅いっぱいに並んでいっせいにアユを浅瀬に追い込む“総がらみ”を行います。これを最後に,漁は夜9時ごろに終わります。舟に積んだ道具を引き上げ,鵜を寝床へ戻して翌日に備えます。
鵜とともに生活し,信頼関係を築く
鵜飼では,1回の漁に10羽から12羽の鵜を使います。私の家には現在,16羽の鵜が暮らしています。毎日,朝一番で,寝床の籠から1羽ずつ小屋へ出し,昼間のうちはのんびりと過ごさせて,漁の疲れを回復させます。その間に,それぞれの体の大きさに合わせてエサをやり,小屋の中を掃除します。毎日,鵜とふれ合っていると,体の重さや羽根のしぐさ,くちばしの形などで,それぞれの個性が分かるようになります。
鵜飼に使われるのは,鵜の中でもいちばん体が丈夫で大きい,ウミウという種類です。漁をするとき,川底で体を擦って傷ができても一晩でふさがり,大きな病気もほとんどしません。また,気の合うもの同士でペアを決めると,死ぬまで一緒に過ごすようになります。そのため,寝床となる籠を一緒にし,漁に連れていくときにもそのペアで使うようにしています。ペアを間違えるとケンカをしてしまうので,十分に注意を払います。
ウミウの生態はほとんど解明されておらず,何年飼っていても卵を産むことはありません。そこで鵜飼に使うウミウが新たに必要な場合は,専門の方にお願いし,茨城県日立市の海で捕獲された野生のウミウを送ってもらいます。鵜はとても繊細な性格で,環境が変わると死んでしまうこともあります。そのため,新しく入った鵜が人との生活に慣れるまでは,細心の注意を払って世話をします。そのまま小屋に入れると,他の鵜にいじめられてしまうので,1か月ほどかけてゆっくりと小屋に慣らし,一方で川で水浴びをさせながら,長良川の水にもなじんでもらいます。
常に鵜のことを第一に考える
鵜とは毎日生活をともにしていても,言葉が通じないので,分からないことがたくさんあります。ある日には多くの魚を獲った鵜が,次の日にはまったく獲れないこともあり,体調が悪いのか,エサの量が間違っていたのかなど,常に悩みながら接しています。鵜と信頼関係を築くためには,鵜とふれ合うことが一番です。鵜のくちばしは鋭いため,ときどき噛まれてケガをすることもありますが,人の手や私のことを覚えさせるために,毎日ふれ合うようにしています。
漁に出たときにも,鵜に負担がかからないようにすることがいちばん大切です。鵜匠を始めたころは,なかなかうまく手縄をさばくことができず,手から手縄が抜けて鵜を逃がしてしまったこともあります。また,せっかく鵜がアユを飲みこんだのに,そのタイミングが掴めず,アユを吐かせられないこともありました。鵜飼は,一緒に漁をする鵜によってやり方も違うため,先代から直接言葉で指導してもらうことも,他の鵜匠にやり方を教わることもありません。鵜とふれ合ってそれぞれのクセを把握したり,実際にやってみながら感覚やコツを掴んだりするしかないため,そこに難しさがあります。
たくさんのアユを獲れるように
鵜飼は漁ですから,一番の目的は魚を獲ることです。鵜飼では,6隻の舟が出発する順番を毎日くじで決めるため,その順番や川の様子によっても違いますが,一晩の漁で,1隻あたり,多くて50匹くらいのアユが獲れます。やはりたくさんのアユが獲れると,やりがいも大きいです。鵜が獲ったアユは,一瞬で死ぬので,鮮度がよくおいしいと言われます。一般の店に並ぶことはほとんどありません。うちのアユは長良川河畔の旅館やホテルが買い取ってくれ,そこで提供されています。
以前,私の父が鵜飼シーズン中に病気になり,代わって漁をしたことがありましたが,父と同じ鵜を使っているのに,そのシーズン中はまったくアユが獲れませんでした。苦い思い出です。父に相談すると,「それは誰でも通る道だから,仕方がない。鵜は鵜匠が変わったことをよく知っていて,まだお前は鵜に認められていないんだ」と言われました。そこで,これまで以上に鵜と接するようにし,徐々にアユが獲れるようになったときには,とてもうれしく感じました。
1シーズンに8回だけ行われる御料鵜飼では,皇室に届けるアユを獲るために,普段は入ることができない禁漁区で漁をすることができます。このときは,舟がいつもの倍の距離を下るため,多いときで1隻あたり200匹ほど獲れることもあります。
シーズン中は毎日,鵜飼を行う
鵜飼のシーズン中である158日間は,ほとんど休みがないため,鵜匠は体調を崩さないように心がける必要があります。先代の父は,よく私に「体調が悪いからといっていい加減に漁をすると,鵜は賢いからよく分かる」と言っていました。私は体が丈夫なほうですが,それでもシーズン中は病気やケガをしないよう,注意しています。
川が増水して荒れたときは,漁をしてもアユが獲れず,観覧船も出すことができないため,鵜飼は中止となりますが,それ以外は雨の日も風が強い日も,鵜飼は行われます。風が強いと,舟を動かすだけでも非常に苦労をします。篝火は一度つくと火持ちがいい松の木を使っていますが,雨の中でも消えてしまわないように,いつもより気を配ります。篝火に使う松の木は,1月から3月にかけて,1シーズンに必要な量を仕入れて,自分が火にくべやすい好みの太さに割って乾かしておきます。
ぎふ長良川鵜飼には,毎年約10万人の人が訪れ,観覧船に乗って漁を楽しみます。近年は,昔よりも1回の観覧船の数を少なくし,ゆったりと見られるように工夫したことで,より間近で迫力あるシーンを見ることができます。観覧船のお客さんが声をかけてくれると,とてもうれしく,励みになります。来てくれるお客さんのためにも,毎日いい漁ができるように努めています。
幼いころから仕事を覚え,船頭を経て鵜匠に
私は小学生のころから父の仕事を少しずつ手伝い始め,高校を卒業後に船頭として父の下で働き始めました。船頭は,鵜匠にいちばん近い場所で漁の様子を見ることができるため,最初は修行として船頭をしながら,鵜匠の仕事を覚えます。船頭の仕事のほかに,鵜の世話や冬場に行う道具の手入れなどを少しずつ任せてもらい,徐々に父の代わりにできるようになっていきました。
ぎふ長良川鵜飼の鵜匠は,一つの家に一人しかなれず,先代が亡くなるか引退をすると,その息子が跡を継ぎます。私の場合,29歳のときに父が亡くなり,鵜匠を継ぐことになりました。鵜匠は,80歳でも現役で活躍する人もいるので,次の代の鵜匠が40歳を超えてデビューするということも,珍しくありません。私は跡を継いだとき,「自分には早すぎるのではないか」と思いましたが,今は早くから始めてよかったと思っています。
現在は,これからもぎふ長良川鵜飼を担っていく若手の鵜匠として,もっと鵜飼のことを知ってもらうための活動もしています。幼稚園児や小学生が見学に来たときや,鵜飼観覧船に乗るお客さんが乗船する前などに,鵜飼について分かりやすく説明をするなど,PRをする役割も積極的に担っています。
いつも鵜や鵜匠の仕事を見てきた
小学校3年生くらいのころからは,父が私に仕事を見せるため,川へ連れて行くようになりました。夏の間は父が毎日仕事で,どこにも遊びに行けなかった私にとっては,川に行くのも遊びに連れて行ってもらうような感覚でした。毎日川で泳いでいたので,子どものころから泳ぎには自信があります。小学生のころからサッカーも続けていたので体力もあり,その点は今の仕事にも役立っています。
自宅には鵜の小屋があり,両隣も鵜匠の家だったので,幼いときは「どの家にも鵜がいるものだ」と思っていて,ペットと同じような感覚でした。小学校に入ったくらいから,周りからも「跡取り」と言われるようになり,徐々に父の仕事や自分の家のことを自覚していきました。中学生になると,跡を継ぐのが嫌だと思う気持ちもどこかで出てきました。父と一日中一緒にいることに,反発心があったのだと思います。しかし高校生になり,徐々に家を継ぐこと,そして岐阜に根づく伝統を受け継ぐことの大切さを感じ,鵜匠を継ぐ決意が固まっていきました。
今は私も,父が私にそうしたように,小学校6年生の息子に少しずつ仕事を教えています。息子も少し興味を持ってきているようなので,徐々に私の代わりに鵜の世話などができるようになってくれればと思っています。
自分のやりたいことを見つけて努力をしよう
私の場合,すでに将来の仕事が決まっていて,ほかの仕事に憧れることすらできなかったので,ぜひみなさんには,自分のやりたいことを見つけ,自分を信じて努力をしてほしいと思います。中には,私のように家業を継ぐ人もいると思います。家の仕事を受け継ぐということは,とても大変で責任をともなうことです。その仕事に興味を持てない場合もあるかもしれませんが,私はせっかく跡を継ぐのであれば,楽しんでやることが大切だと思います。家業を継ぐということは,自分で考えて,自分なりの方法にチャレンジしていける場があるということです。やったことは必ず成果として表れるので,ほかでは味わえない喜びもあると思います。
まだやりたいことが見つからない人は,ぜひいろいろなものを見てほしいと思います。その中でも,岐阜城を頂に置いた金華山をバックに,長良川の流れを感じながら,1300年伝わる伝統を知ることができるぎふ長良川鵜飼は,見るだけで歴史の勉強もできるものです。まだ見たことのない人は,ぜひ一度は観覧船に乗り,迫力ある漁を見てみてほしいと思います。