※このページに書いてある内容は取材日(2018年07月03日)時点のものです
海の環境をよくする
私は,地元の海である東京湾を中心に,海をきれいにして豊かな自然環境を取り戻すための活動をしています。「東京湾」というと,くさい,汚い,といったイメージがあるかもしれません。でも,もともと東京湾は,さまざまな種類の魚がたくさん住む,豊かな海でした。人が出す工業排水や生活排水などによって,魚が住みづらい,汚れた海になってしまったのです。
そこで,私は,2001年に立ち上げたNPO法人「海辺つくり研究会」を通じて,地域の人たちや子どもたちを巻きこんで,海をよくするための活動をしています。具体的な活動としては,アマモやワカメなどの海藻を育てて海をきれいにする,というものがあります。アマモやワカメは生活排水に含まれる窒素やリンといった栄養素を吸収し,酸素を出して育つので,海をきれいにしてくれます。子どもたちに,楽しみながら海について考えてもらうために,みんなで一緒に育てたワカメを食べて「みんなの胃で海をきれいにする」というワークショップを東京湾でおこなったりしています。
また,アマモがまとまって生えている「アマモ場」は,小さな生き物の産卵場所や稚魚の絶好の隠れ家になるため「海のゆりかご」ともいわれ,これがあると海の環境が豊かになります。そのアマモ場を東京湾につくるために,砂を購入して海に入れて人工の干潟をつくり,そこにアマモを植えてアマモ場をつくるといった活動もしています。砂を海に入れるのは,集まったみんなのバケツリレーでやったんですよ。このように,多くの人の手を借りて,みんなに実感してもらいながら海をきれいにしていく活動をおこなっています。
活動を通してコミュニティ再生も
東京のお台場では,地域の人々と一緒に海苔を育てる活動もしています。お台場はせっかく身近に海がある場所であるにもかかわらず,住んでいる人たちには「くさい,汚い,危ない」海だというイメージを持たれてしまっています。子どもたちがふるさとに誇りを持ってほしいという思い,そして,海の環境を守ることの大切さを知ってほしいという思いから,かつてお台場付近の海でさかんに行われていた海苔の養殖を,地域の小学校をはじめ,地域の方々と協力しておこなっています。活動を通してみんなが協力することで,地元の人たち同士のつながりが強くなり,みんなが助け合えるコミュニティになってくれるのではないかという,コミュニティ再生への願いもあります。干潟に入るのを怖がっていたような子どもが,こうした活動をしていくにつれて,堂々と海に入れるようになっていくのを見ると,この活動をやっていてよかったなと感じます。
きれいな海とは?
「きれいな海」とはどういう海でしょうか。排水を規制したりすることで,東京湾の水質はよくなってきたのですが,水がきれいだというだけでは,生き物は戻ってきません。育っていく環境がないと,生き物は生きられないんです。アマモ場をつくって生き物が住みやすい環境を作っていくといった取り組みは,人の手でこうした環境をつくるものです。本当の意味での「きれいな海」はどのようなものなのか,見極めていくことが大切だと思います。
私は今でも,海には月に10日間ほどもぐって,自分の目で海の状態を確認しています。水の状態や生息する魚の種類など,海の中は実際に目で見ないと分からないことが多いので,正しい情報を伝えるためには必要なことなんです。
また,私はテレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』内の「DASH海岸」という,東京湾に渚をよみがえらせる企画にレギュラーで出演しているのですが,この番組に出るようになってからは,地方で海をきれいにする活動をしている人たちからも,協力の依頼がくるようになりました。私の地元である東京湾での活動に加えて,全国各地で講演をしたり,それぞれの地方で海をきれいにする活動をしている人たちに,私の東京湾での経験をふまえてアドバイスをしたり協力したり,といったこともしているため,休みの日のほとんどない日々を送っています。
みんなの笑顔が一番のやりがい
海を管理しているのは国なので,海での活動をするためには,行政の許可をもらわなければなりません。東京湾でアマモ場をつくる活動を始めたころ,行政に相談すると,「市民が海を独占して使った前例がないからダメ」「漁業に関わる人以外が水産生物を扱ってはダメ」と,ダメダメづくしで断られてしまいました。でも,活動を実現するためには許可が絶対に必要です。そのため,行政側の人としっかりコミュニケーションをとってじっくり話し合ったり,計画書を作ったり,たくさんの人へ協力をお願いしたりと地道に努力を重ねた結果,ようやく行政を動かすことができて,具体的な活動ができるようになりました。今では人のネットワークも広がり,以前より活動もしやすくなってきています。
私の仕事のやりがいとしては,みんなの笑顔を見られることですね。ワカメや海苔を協力しあって育てる子どもたちの笑顔や,海を再生する活動が一歩ずつ前進しているときの,関わっている人々の笑顔など,海を通してみんなが笑顔になる瞬間は,何度見ても胸が熱くなるものです。また,自分で海に潜っていて,きれいになった海にたくさんの生き物たちが住むようになっているのが確認できたときも,やはりうれしいですね。
生活の一部に,能登の海があった
私はもともと横浜生まれの横浜育ちなのですが,夏休みなどの長い休みには,母親の実家がある石川県の能登へよく行っていました。幼稚園に入る前から,夏になると夜行列車に乗って,横浜から石川県まで一人で行っていたんですよ。そこは海も近くて,漁師をしていた叔父はもちろん,他の地元の漁師の方々にも,魚の取り方や潜り方など,いろいろと教えてもらいましたね。そうした中で海が好きになり,海に関する仕事をしたいと思うようになったのだと思います。
中学に入るころには,頻度こそ少なくはなってしまいましたが,それでも夏休みなどには必ず能登の海に行っていました。そうして大学では海洋学部というところに進み,海に関わる勉強をしました。大学卒業後,海で事故があった際に救助をおこなったり,建設工事やさまざまな海洋調査をおこなったりする会社へと入社し,いよいよ本格的に,海を仕事にする日々が始まったのです。
人生の残り半分を,悔いなく過ごしたいと活動を始めた
最初に就職した会社では,海の水質調査や生物調査,危険物の調査など,海に関わることなら何でもやっていました。寝る間も惜しんで働いて,いろいろな技術を習得していきました。そしてその後,数名で新しい会社を設立して,海の環境を調査する仕事をするようになりました。例えば新しい工場や建物を建てるとなったとき,それが海の環境にどのような影響を与えるのかを調べるんです。もし影響が出てしまうのであれば,どうすればそれを最小限にとどめることができるかを考え,その方法を提案します。しかし結局のところ,悪影響が出るということがわかっていたとしても,その工事を止められるわけでもなく,そのまま作業が進んでしまうことがほとんどでした。
こんなことを続けていては自然が持たないだろうな,という思いも強く持つようになってはいましたが,当時主流だった環境保護のための取り組みは,「工事をやめろ!」「海を汚すな!」という言葉だけの反対運動ばかりで,具体的な活動をできているところはあまりありませんでした。それで,「こうなったら海をよくする活動は自分がやるしかない」と決意したんです。私が40歳のとき,会社は社員数が100名を超えるまでに成長していたのですが,「人生80年だとしたら残り半分。1回きりの人生だから悔いのないものにしよう」と思い,会社を辞めて,現在の活動を始めたんです。
成果を急がず,きっかけになっていきたい
海という巨大な存在を相手にしていると,人間がちょっと手を入れたぐらいでは大きな変化をもたらすことはできないと考えてしまうのですが,そうではありません。確かに一気に大きな成果を得ようと思っても無理ですが,少しずつでも動いていけば,結果はちゃんと付いてくるんです。だからどんなことでもあきらめず,まずは目の前の問題にしっかりと向き合うことが大切だと思いますね。この事実に多くの人が気づいて,「まずは自分から」という気持ちで環境問題に取り組んでもらえれば,あっという間に環境はよくなっていくのではないでしょうか。
一人の人間が持てる力は小さいかもしれませんが,私が起点となって,より多くの人が行動していくための種をまくことができればうれしいですね。私が何かをするというよりは,みなさんの考え方や感じ方,動き方を変えるきっかけになれればと思っています。
多様性を認め,お互いを尊重できる大人になってほしい
海をはじめとした自然には,さまざまな生き物が暮らし,お互いがお互いを必要不可欠な存在として認め合いながら生きています。その姿は,人間も見習わなければいけないのではないでしょうか。生き物たちがそうであるように,人間も一人として同じ姿,考えを持った人はいません。だからこそ,そうした違いや多様性を認め合っていく必要があるのだと思います。
みなさんは学校でいろんな勉強をしていく中で,ルールやマナーといったことも教えられ,覚えていくことになると思いますが,それすらも数ある多様性の中の一つの考え方にすぎません。テレビや新聞といったもので語られることも,それがすべて正しいというわけではないでしょう。だからこそ,自分はどう思うか,自分はどうしたいか,という視点を大切にして,自分を大切にしつつ,お互いを認め合えるような,やさしい大人に成長してもらえるとうれしいですね。