仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1972年 生まれ 出身地 東京都
廣瀬ひろせ 一也かずや
子供の頃の夢: プロ野球選手
クラブ活動(中学校): 野球部
仕事内容
りょう機器を仕入れて病院におさめる。
自己紹介
4人の子どもがいて,PTA会長もしています。めんどうのいいせいかくです。
出身高校

※このページに書いてある内容は取材日(2018年03月26日)時点のものです

病院で使う道具や機械をメーカーから仕入れてはんばいする

病院で使う道具や機械をメーカーから仕入れて販売する

わたしは,「メディカルオフィス」という会社の社長として,病院で使う道具や機械をメーカー(せいぞう業者)から仕入れ,病院にはんばいする「りょう機器おろし」の仕事をしています。病院のの人に必要なものを聞いて,それをこうにゅうして病院にのうひんし,必要があれば使用にあたってのアドバイスやはんばい後のフォローをするのが主なぎょうです。 りょう機器をはんばいするには,自治体が発行するめんきょが必要です。医者やかんやくざいなど,りょうげんで働く人にめんきょが必要なのと同じで,人の健康や命に関わるりょうの仕事にたずさわるためには,きちんとしたしきが必要だからです。
わたしの会社であつかう商品は,ガーゼやマスク,ちゅうしゃはりといった細かいものから,人工血管,ペースメーカーなど,りょうのために体の中に入れるもの,さらにX線やちょうおんを使う機械やCT,MRIといった体の中をさつえいする大型の機械まで,さまざまです。そうしたりょう用品やりょう機器をメーカーから仕入れ,取引のある病院にはんばいします。病院で使うものは,薬以外は何でもあつかいます。
病院では日々,何万,何十万という種類のりょうようの道具や機械を使います。それらを病院が全部あくして,ちょくせつメーカーから仕入れるのはとても大変です。また,りょう用品には使用できる期間がかぎられているものも多く,ざいの管理にも手間がかかります。そのため,それらの仕事を病院に代わってたんとうしているんです。

道具や機器をおさめるだけでなく,使い方のアドバイスも

道具や機器を納めるだけでなく,使い方のアドバイスも

わたしは社長ですが,わたしを入れて3人だけの会社なので,えいぎょうのうひんわたしの仕事です。朝はたくから車を運転し,メーカーに直行して病院から注文の入っている品を引き取り,それを病院におさめてから会社に行きます。これをほぼ毎日おこなっています。
また,病院が新しい道具や機械を使うときは,病院と協力して勉強会を開き,正しく使えるようにしてもらいます。時には,わたしが説明をすることもあります。さらに使い方などをアドバイスするために,以前は週に2回くらいのペースでしゅじゅつにも立ち会っていました。
会社はほんてきに土日が休みですが,必要な品は24時間365日いつでもとどける,という約束を病院としていますので,お正月やクリスマスでも声がかかって仕事にいくことがあります。また,一年の中では,冬の時期が最もいそがしくなります。その理由は,うちの会社の取引先にはしんぞうや血管の病気をあつかじゅんかんの病院やが多いためです。冬になって寒くなると,けつあつじょうしょうして血管にたんがかかり,しんきんこうそくなど,じゅんかんの病気になる人がえるんです。

人の命が関わっているからこそ手はけない

人の命が関わっているからこそ手は抜けない

この仕事で大変なことは,土日や祝日に関係なく,予期していないときにとつぜん,仕事が入るのうせいがあることです。きんきゅうしゅじゅつで必要なものが病院にない場合,急いで商品をとどけなければ,かんじゃさんのようだいに関わります。もちろんかんじゃさんがさいゆうせんですから,しゅじゅつをすると決めてれんらくをもらったら,すぐに必要なものを持ってけつけます。
また,この仕事を始めたばかりのときには,勉強するのが大変でした。体の仕組みや各部位の名前やのうなどを全部覚えていくのはそれなりに苦労しました。でも,こういったしきがないと,取引先の病院のと仕事のやりとりができません。りょうに関してのさいていげんしきに加えて,りょう機器の最新のじょうほうはつねに頭に入れておきたいので,勉強はつねにし続けています。

しんらいして仕事をまかせてもらえるとうれしい

信頼して仕事を任せてもらえるとうれしい

何といっても,かんじゃさんの役に立てるのがこの仕事のやりがいです。ではないのでわたしちょくせつ,人の命を救うわけではありませんが,自分が急いでとどけたものがしゅじゅつに使われ,しゅじゅつを受けた人が助かったと聞くと,やはり「ああよかったな」と思います。
また,わたしが以前働いていた会社で,取引先としてお付き合いをさせてもらっていたどくりつして自分の病院を立ち上げるときに,物品や機器ののうひんをすべてまかせてくれたことがあります。こんなに大事な仕事をまかせてもらえるほどしんらいしてくれていたのかと思うと,じょうにうれしく思いました。CTなどのこうりょう機器を病院に入れるときも,長い時間をかけて病院やメーカーに働きかけてきた努力が実ったと思うとやはりうれしいです。
わたしがやっているような小さな会社でも,何十種類ものりょう器具,機器をあつかっていますので,それぞれのとくちょうあくすることはもちろん,それをかんなどじっさいに使う人にせいかくに伝え,もんに答えるなど,必要におうじてきちんとれんらくを取り合う必要があります。それをおこたらずに,商品と人にせきにんをもってせっすることが,この仕事には大切なことだと思っています。

友人のしゅうしょくさきだったりょう機器おろしぎょうきょうをもっててんしょく

友人の就職先だった医療機器卸業に興味をもって転職

わたしてんしょくして今の業界に入りました。高校を卒業後,自動車はんばいの会社に入社しましたが,りょう機器おろしぎょうの会社に入った友人が話す仕事ないようを聞いてきょうをもち,自分もその業界で仕事をしたいと思いました。人の役に立つ,人の命を助ける手伝いができるということにりょくを感じたんです。そこで,21さいのときに,社員数が150名くらいの,あるりょう機器おろしぎょうの会社にてんしょくしました。
入社後は勉強の日々で,ある大学病院のほとんどのしんりょうえいぎょうに行き,それぞれの科でどんな器具,機器を使うのかを学びました。そしてその後,その会社のせんぱいとともに新しい会社を立ち上げた後,さらに自分のどくりつに向かってじゅんをはじめました。
わたしはもともとどくりつして仕事をしたいと思っていたので,どくりつする前からしんらいするたちに相談をしていました。すると,多くの人がおうえんしてくれると言ってくださり,2013年9月にどくりつりました。当初は1人だけで仕事をしていましたが,げんざいわたしふくめた3人でがんばっています。

小学2年生から高校卒業まで,10年間野球を続けた

小学2年生から高校卒業まで,10年間野球を続けた

わたしは小学2年生から高校を卒業するまで,ずっと野球を続けていました。少年野球から始めて,中学,高校と野球部にしょぞくしていました。野球はただ楽しいから続けていたのですが,うまくなろうと努力を重ねるので,体力とにんたいりょくはつきました。また,当時の部活は上下関係がきびしかったのですが,それによって「もっとうまくなって見返してやる」というはんこつ心が身についたほか,苦楽をともにした同学年のチームメイトとの連帯感は強く,今でも付き合いが続いています。
どくりつして会社を立ち上げてからの数年は,ほぼ休みをとらずに働いていましたが,そんなときにささえになってくれたのは,家族と,昔からの気のおけない野球部の友人のそんざいでした。大人になると,昔からの友人はとてもちょうそんざいだとしみじみ思います。

やり続けることがざいさんになる

やり続けることが財産になる

今,自分の周りにいる仲間は大切にしてください。友人はいくつになってもできますが,子どものころからの仲間は,大人になってもじゅんすいに付き合えて,気をゆるせるあいだがらになれるからです。
また,どんなことでもいいので,なにかをずっと続ける,やりとげるというけいけんをしておくといいですね。わたしの場合は野球でしたが,そのけいけんが後の自分の「ざいさん」になるはずです。部活でも仕事でも,続けられることはぜひやり続けてみてください。長い目で見ると,つらいこと,に思えることでも,続けていたことで何かの意味をもつはずです。努力は決して自分をうららないと思います。

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取材・原稿作成:東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫