病院で使う道具や機械をメーカーから仕入れて販売する
私は,「メディカルオフィス」という会社の社長として,病院で使う道具や機械をメーカー(製造業者)から仕入れ,病院に販売する「医療機器卸」の仕事をしています。病院の医師や事務の人に必要なものを聞いて,それを購入して病院に納品し,必要があれば使用にあたってのアドバイスや販売後のフォローをするのが主な業務です。
医療機器を販売するには,自治体が発行する免許が必要です。医者や看護師,薬剤師など,医療の現場で働く人に免許が必要なのと同じで,人の健康や命に関わる医療の仕事に携わるためには,きちんとした知識が必要だからです。
私の会社で扱う商品は,ガーゼやマスク,注射器や針といった細かいものから,人工血管,ペースメーカーなど,治療のために体の中に入れるもの,さらにX線や超音波を使う機械やCT,MRIといった体の中を撮影する大型の機械まで,さまざまです。そうした医療用品や医療機器をメーカーから仕入れ,取引のある病院に販売します。病院で使うものは,薬以外は何でも扱います。
病院では日々,何万,何十万という種類の医療用の道具や機械を使います。それらを病院が全部把握して,直接メーカーから仕入れるのはとても大変です。また,医療用品には使用できる期間が限られているものも多く,在庫の管理にも手間がかかります。そのため,それらの仕事を病院に代わって担当しているんです。
道具や機器を納めるだけでなく,使い方のアドバイスも
私は社長ですが,私を入れて3人だけの会社なので,営業や納品は私の仕事です。朝は自宅から車を運転し,メーカーに直行して病院から注文の入っている品を引き取り,それを病院に納めてから会社に行きます。これをほぼ毎日おこなっています。
また,病院が新しい道具や機械を使うときは,病院と協力して勉強会を開き,正しく使えるようにしてもらいます。時には,私が説明をすることもあります。さらに使い方などをアドバイスするために,以前は週に2回くらいのペースで手術にも立ち会っていました。
会社は基本的に土日が休みですが,必要な品は24時間365日いつでも届ける,という約束を病院としていますので,お正月やクリスマスでも声がかかって仕事にいくことがあります。また,一年の中では,冬の時期が最も忙しくなります。その理由は,うちの会社の取引先には心臓や血管の病気を扱う循環器科の病院や医師が多いためです。冬になって寒くなると,血圧が上昇して血管に負担がかかり,心筋梗塞など,循環器の病気になる人が増えるんです。
人の命が関わっているからこそ手は抜けない
この仕事で大変なことは,土日や祝日に関係なく,予期していないときに突然,仕事が入る可能性があることです。緊急の手術で必要なものが病院にない場合,急いで商品を届けなければ,患者さんの容体に関わります。もちろん患者さんが最優先ですから,医師が手術をすると決めて連絡をもらったら,すぐに必要なものを持って駆けつけます。
また,この仕事を始めたばかりのときには,勉強するのが大変でした。体の仕組みや各部位の名前や機能などを全部覚えていくのはそれなりに苦労しました。でも,こういった知識がないと,取引先の病院の医師と仕事のやりとりができません。医療に関しての最低限の知識に加えて,医療機器の最新の情報はつねに頭に入れておきたいので,勉強は常にし続けています。
信頼して仕事を任せてもらえるとうれしい
何といっても,患者さんの役に立てるのがこの仕事のやりがいです。医師ではないので私が直接,人の命を救うわけではありませんが,自分が急いで届けたものが手術に使われ,手術を受けた人が助かったと聞くと,やはり「ああよかったな」と思います。
また,私が以前働いていた会社で,取引先としてお付き合いをさせてもらっていた医師が独立して自分の病院を立ち上げるときに,物品や機器の納品をすべて任せてくれたことがあります。こんなに大事な仕事を任せてもらえるほど信頼してくれていたのかと思うと,非常にうれしく思いました。CTなどの高価な医療機器を病院に入れるときも,長い時間をかけて病院やメーカーに働きかけてきた努力が実ったと思うとやはりうれしいです。
私がやっているような小さな会社でも,何十種類もの医療器具,機器を扱っていますので,それぞれの特徴を把握することはもちろん,それを医師や看護師など実際に使う人に正確に伝え,疑問に答えるなど,必要に応じてきちんと連絡を取り合う必要があります。それを怠らずに,商品と人に責任をもって接することが,この仕事には大切なことだと思っています。
友人の就職先だった医療機器卸業に興味をもって転職
私は転職して今の業界に入りました。高校を卒業後,自動車販売の会社に入社しましたが,医療機器卸業の会社に入った友人が話す仕事内容を聞いて興味をもち,自分もその業界で仕事をしたいと思いました。人の役に立つ,人の命を助ける手伝いができるということに魅力を感じたんです。そこで,21歳のときに,社員数が150名くらいの,ある医療機器卸業の会社に転職しました。
入社後は勉強の日々で,ある大学病院のほとんどの診療科に営業に行き,それぞれの科でどんな器具,機器を使うのかを学びました。そしてその後,その会社の先輩とともに新しい会社を立ち上げた後,さらに自分の独立に向かって準備をはじめました。
私はもともと独立して仕事をしたいと思っていたので,独立する前から信頼する医師たちに相談をしていました。すると,多くの人が応援してくれると言ってくださり,2013年9月に独立に踏み切りました。当初は1人だけで仕事をしていましたが,現在は私を含めた3人でがんばっています。
小学2年生から高校卒業まで,10年間野球を続けた
私は小学2年生から高校を卒業するまで,ずっと野球を続けていました。少年野球から始めて,中学,高校と野球部に所属していました。野球はただ楽しいから続けていたのですが,うまくなろうと努力を重ねるので,体力と忍耐力はつきました。また,当時の部活は上下関係が厳しかったのですが,それによって「もっとうまくなって見返してやる」という反骨心が身についたほか,苦楽をともにした同学年のチームメイトとの連帯感は強く,今でも付き合いが続いています。
独立して会社を立ち上げてからの数年は,ほぼ休みをとらずに働いていましたが,そんなときに支えになってくれたのは,家族と,昔からの気のおけない野球部の友人の存在でした。大人になると,昔からの友人はとても貴重な存在だとしみじみ思います。