※このページに書いてある内容は取材日(2019年07月11日)時点のものです
造船所の工程管理
私は,長崎県の大島にある,大島造船所で働いています。大島造船所は,おもに「バルクキャリア(バルカー,ばら積み貨物船)」と呼ばれる大型貨物船を建造している造船所です。
日本では,鉄で船を造る造船業は明治時代に始まりました。日本は,1950年代半ばから90年代まで造船量が世界一だった造船大国なんです(現在は,中国や韓国に抜かれて3位)。そんな歴史の中で,大島造船所は1973年に創立された,比較的,若い造船会社です。
私のおもな仕事は,造船の「工程管理」です。船を造るには,鉄板のパーツを溶接でつなぎ合わせたり,船内に配管や電線を巡らせたり,塗装したりと,数多くの工程が必要です。どの工程にどれくらいの時間と人をかければ効率的に作業できるか計画を立て,工場の各部署で働く人の数や働く時間,作業の流れなどを調整するのが私の仕事です。
大島造船所の工場では2000人以上の人が働き,1年間に約40隻の大型貨物船を造っています。1隻の船を造るには,約8か月かかります。造り始めの船から完成間近のものまで,工場の中では常に27隻前後の船の作業が並行して行われており,鉄板の溶接,配管や塗装など,いくつもの作業部署に分かれています。船をスムーズに建造できるよう,私はそれぞれの作業部署とコミュニケーションをとりながら,工場全体の作業の流れに目を配っています。
また,私は工場全体の工程管理に加えて,設備投資の予算を立てる仕事もしています。作業の効率化やコスト削減のために,工場の建物や機械類などの設備は定期的に新しくしたり,買い替えたりしますが,そのためにどこにどれくらいお金をかけるかを計画する仕事です。
年間40隻の大型貨物船を建造
年間約40隻という建造量は,日本の造船会社ではトップクラスです。大島造船所には大きく2つの強みがあります。
1つ目は,「バルクキャリア(バルカー)」と呼ばれる大型貨物船を専門に造っていることです。バルクキャリアは「ばら積み貨物船」ともいい,鉄鉱石などの鉱石類や石炭,小麦などの穀物,セメント,木材チップなどの梱包されていない貨物を,じかに船倉に入れて運ぶタイプの船です。大島造船所ではバルクキャリアに特化することで,造る船のタイプを減らしています。そうすると同じパターンの作業が多くなるため,効率的に建造ができるのです。「バルクの大島」として,世界でも定評があります。
国際航路の貨物船には,いくつかのサイズの規格があります。たとえば「パナマックス」は,2016年に拡張される前のパナマ運河を通り抜けられる最大サイズ,長さ900フィート(約274m),幅106フィート(約32m)に近いサイズの船です。大島造船所ではパナマックスサイズを含め,いくつかの型のバルクキャリアを造っています。
大島造船所の2つ目の強みは,ドックが大きく,同時に作業できる船の数が多いことです。造船所でもっとも特徴的な施設は,海につながったドックです。ドックは巨大な水槽のような形で,水門とポンプの操作で海水を出し入れできます。造船の最後の工程は,ドックを使わないとできません。大島造船所のドックは深さ13m,長さ535m,幅80mで,とくに横幅が広いため,パナマックスサイズの船を縦横に2隻ずつ並べて,同時に4隻の作業ができるんです。国内の他の造船所では,同時に2隻までしか作業できないところがほとんどです。こうしたことが,年間約40隻の建造を可能にしています。
大型貨物船ができるまで
大型船の船体は鉄でできており,ブロック工法という方法で建造します。まず2000枚の鉄板を切断して,5万個のパーツを作ります。それらを熱で曲げたり溶接したりしながら,パーツを組み合わせてブロックを作っていきます。さらに,ブロックどうしを組み合わせて,だんだん大きなブロックにしていきます。
5万個のパーツが60個のブロックにまでなったら,次に,エンジンルームに燃料や水のパイプや電線などの設備を取りつけます。このように,船の中に装置や設備を取り付けることを「艤装」といいます。さらに船体の塗装も行ったら,またブロックどうしを組み合わせ,最終的に18個の巨大なブロックにします。
ここからはドックでの作業に移ります。ドックには,最大1200トンの物を吊り上げられる巨大なゴライアスクレーンが2基あり,これで巨大なブロックを吊って移動させます。18個のブロックを溶接して,船の形に組み立てます。さらにエンジンやプロペラなどを設置して甲板を張り,操舵室や居室の内装や設備を整え,貨物を積んだり揚げたりするためのクレーンやコンベアを乗せます。ドック作業に入ってから約26日で,船として動く状態になったらドックに注水して,船を水に浮かべます。これを「進水」といいます。
進水したら,ドックの外の岸壁に船を出して,試運転や機械類の調整をし,最後に甲板上の塗装を仕上げます。これで船は完成です。船主や地元の住民の方々を招いて華やかな命名引渡式(船に命名し,船主に引き渡すセレモニー)を行ったら,その日のうちに出航です。約8か月をかけてでき上がった船は,大島造船所を離れて,世界の海へと旅立っていきます。
設計・営業と現場との橋渡し役
作業工程の計画は,あらかじめ決められている納期から逆算して,各工程の作業日数と人員数を割り振りします。しかし,貨物船の型によって工程はパターン化されているので,それほどむずかしい仕事ではありません。
むしろ気を配るのは,現場への情報の伝え方です。貨物船の型はほぼパターン化されているとはいえ,注文によって船のサイズや居室のデザインなど,設計に多少の違いがあります。設計や営業担当からその情報を受け取り,工場の現場に伝えるのは私の仕事です。情報の橋渡し役ですね。現場とのコミュニケーションのとり方については,いつも考えています。
もちろん自分がミスをしないことも,いつも肝に銘じています。私が作った作業計画にミスがあれば,現場に大きな迷惑をかけてしまいます。以前,設計の先輩社員から「手で描いた線は,何度でも描き直せる」と,いわれたことがあります。つまり,計画段階なら何度でも作り直せるのだから,慎重すぎるぐらいに何度も見直してミスを防ぎなさい,という教えです。現場は工場内でもエアコンはなく,ドックなど屋外の作業もあります。溶接の火を使うので夏にはとても暑く,高所や大型機械が動く場所での作業には危険もあります。そんな厳しい現場で働く人たちに迷惑をかけないよう,私は徹底してミスを出さないよう,自分に厳しく仕事をしたいと思っています。
急な変更が発生したときは
むずかしいのは,計画になかった変更が出た際の調整です。2000人以上が働く工場では,時折,ミスも発生しますし,船主から急な注文が入ることもあります。甲板を張った後で,「大型洗濯機を船室に入れたい」という船主の注文があり,通常の出入り口から運びこめるサイズではなかったので,わざわざ甲板に穴を開けて洗濯機を入れたこともありました。
このような場合,ミスや変更があった部署の作業が増えるだけでなく,前後の部署にも影響がおよびます。たとえば,ミスのあった部署の前の部署に部品を作り直してもらうことがあるし,後ろの部署では作業がストップしてしまいます。私は,納期に間に合うよう工程の計画を立て直しますが,やり直しの作業や遅れを取り戻すために,現場には休日と出勤日を入れ替えてもらうこともあります。そこで,影響のある部署には,私からていねいに状況を説明して,調整のお願いをします。その際,言葉の使い方にはとても気をつかいますね。現場の人たちに納得してもらえるよう,相手の気持ちになって誠実に話すことを心がけています。
年間わずか40隻だから愛着も思い出も
造船所は,生産する製品の数がとても少ないんです。たとえば自動車工場や電気製品の工場だったら,年間に何万台も何十万台も生産するのでしょうが,大島造船所が造るのは年間たった40隻です。だからその分,1隻1隻の船への愛着が強く,思い出も多いんです。また,会社の仲間たちと「あの船にはあんな苦労があった」とか「あの時の工夫はうまくいった」などと,共通の話で盛り上がれるのも楽しいですね。
それから,多くの人の日常生活を支える仕事だという誇りもあります。大型貨物船は一般の人の目には触れにくいかもしれませんが,火力発電の燃料の石炭や,パンや麺類の原料になる小麦,紙パルプの原料になる木材チップなど,生活に欠かせないものを運んでいます。私たちが造る貨物船は,大切な縁の下の力持ちだという誇りがあり,これが働く喜びにもなっています。
バルクキャリア専門の個性にひかれ入社
私は長崎県の五島列島の,福江島の出身です。父は漁師ですが,息子たちに「漁師になれ」とはいいませんでした。私は機械いじりが好きだったこともあり,大学は工学部に進みました。就職先は工業系の会社を考えましたが,ジャンルにはこだわらず,実家に近い会社に就職しようと思いました。長崎県内の会社を探していると,長崎市の三菱重工長崎造船所に勤めている兄が,大島造船所のことを「バルクキャリア専門という個性があって,建造隻数も伸ばしている元気な会社。工場が1か所だから転勤もなさそうだよ」と,教えてくれ,興味をひかれて入社試験を受け,入社することになりました。
最初に配属されたのは,「小組」の工場でした。「小組」とは,5万個のパーツから4000個のブロックを組み立てる,船体の組み立ての最初の工程です。この工場の工程管理を担当しました。工場は暑いので汗をだらだらかき,現場の人たちと接しながら作業の様子をよく見て,現場の空気を体に叩きこみました。この経験が,今の工程管理の仕事の土台になっていると思います。
海も山も遊び場だった
私は島育ちなので,海も山も楽しい遊び場でした。きょうだいや友だちと一緒に,面白いことを見つけては,遊びにしていたように思います。釣りは小さいころからやっていて,10歳ごろからは潜って貝などをとるようになりました。母に「海に遊びに行ってくる」というと,「おかずをとってきてね」と,バケツを渡されたものです。
山の幸の思い出は,アケビの仲間のムベの実です。とても甘いんです。少し青いうちにとって,学校の砂場に何日か埋めておくと,熟して美味しくなるんです。
外遊びだけでなく,ラジオの分解と組み立てや,プラモデルづくりにも夢中になりました。プラモデルはモーターつきの戦艦大和など船が好きで,完成したらお風呂に浮かべていましたね。今思うと,子どものころから船は好きだったのかもしれません。
積極的にいろんな人と会話してみよう
みなさんには,いろんな人と会話をして,コミュニケーションの能力をみがいてほしいと思います。どんなに頭がよくても,人とコミュニケーションがとれなければ,頭脳を生かすことはできません。学校の友だちだけでなく,なるべく幅広い人たちと積極的に会話してみることで,コミュニケーションの能力は育つと思います。
コミュニケーションをとるには,相手の気持ちになってみることが大事です。そのためには,相手の話を聞き,相手について知ることが欠かせません。私も今の仕事で,現場の人に情報を伝えたり,日程の調整をお願いしたりするときには,その部署の状況をよく見て相手の話を聞いた上で,こちらの話をするように心がけています。
私は今でも,ひたすら会話の努力を重ねています。思ったことを伝えるのに,伝え方ひとつでうまくいくこともあれば,失敗することもあります。みなさんがどんな仕事をするにせよ,コミュニケーション能力は必要です。今のうちからどんどん,コミュニケーションにチャレンジしてみてください。