仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

茨城県に関連のある仕事人
1973年 生まれ 出身地 岡山県
川田かわだ 伸一郎しんいちろう
子供の頃の夢: 昆虫博士
クラブ活動(中学校): 柔道部
仕事内容
博物館でにゅうるいの標本を集め、管理する。
自己紹介
「標本バカ」で、ギターがける動物学者です。お酒が大好きです。休日のしゅはロードバイクでサイクリングすることと、楽器えんそうです。
出身大学・専門学校
弘前大学理学部、弘前大学大学院修士課程理学研究科、名古屋大学大学院博士課程農学専攻

※このページに書いてある内容は取材日(2024年07月19日)時点のものです

博物館で最も重要なものは標本

博物館で最も重要なものは標本

ぼくは国立科学博物館の動物研究部にしょぞくしている研究者です。博物館には標本があります。その標本を作ったり、ぞうされた標本を管理したりする仕事の一方で、研究者として研究も行うのがぼくの仕事です。標本ではにゅうるいが、研究者としてはモグラがぼくせんもん分野です。
標本というのはとても重要なもので、例えば「動物のことを知るためにはかんを読めばいい」と思う人がいるかもしれませんが、やはり実物の標本にはかないません。体がどうなっているか、毛皮がどんな感じか、内部のこっかくはどうなっているか……。げんざいではじゅつが発達して、写真から立体モデルを作ったり、スリーDディーデータを残したりすることもできるようになりましたが、やはり実物の標本が持つじょうほうりょうにはかなわないのです。
また、標本には、目に見えない部分にも多くのデータが残されています。今、地球おんだんなどにより、地球かんきょうは急速に変化していますが、動物や植物の体にはその記録が残されています。例えば、げんだいじゅつでは、20年生きたカモシカの角を調べた場合、そのたいがどんなものを食べ、どんなかんきょうで生きてきたかをぶんせきすることものうになりつつあります。つまり、その20年間で起きた地球かんきょうの変化を調べることができます。この標本を残しておけば、もしかしたら、遠い未来にはさらにじゅつが進歩して、今以上のことがわかるようになっているかもしれませんし、地球の未来について何か役立つことがあるかもしれません。標本作りは、未来の人たちへ向けてサンプルを送り出す作業なのです。

標本作りがにちじょうだが、動物園などに飛んでいくことも

標本作りが日常だが、動物園などに飛んでいくことも

死んだ動物や植物は、そのままだとちて土にかえってしまいます。未来に役立ててもらうためには、きちんとした標本の形で残していくことが重要です。国立科学博物館にはげんざい500万点以上の標本がしゅうぞうされていて、ぼくたんとうするにゅうるいの標本は約8万6千点です(2024年7月時点)。その大半は茨城県つくば市にある「国立科学博物館 つく研究せつ」にかんされており、ぼくだんはそこできんしています。
朝は7時30分にしゅっきんして、研究室でえ、最近はぞうされたカモシカの頭を標本にする作業を週2~4回ほど、午前中に行っていますが、週によっては他の用事で作業できないこともあります。博物館のてんしつでよく見るような、生きている姿すがたせた形の標本もありますが、だんぼくが作成するのは、ほねだけの標本や、皮をはいで中に綿わためた「かりはくせい」という形の標本がメインです。昼食後はしゅうぞうでいろいろな標本の整理やデータの登録を行います。標本は作るだけでなくきちんと登録をすることも重要で、1つ1つ分類をして標本番号を書き、ラベルを書いて、それらのじょうほうをデータベースに登録します。退たいきんはだいたい17時30分か18時くらいです。
ときどき動物園などから「動物がぼうした」というれんらくが来ることがあり、そうなると必要な道具を持ち、すぐげんに向かいます。つうじょう、動物の死体は、公用車に積みこんで、つくばの研究所に運びます。ただ、ゾウやサイ、キリンなど、公用車に乗らないサイズの大きな動物の場合は、急いでトラックを手配して、げんに向かいます。げんに着くと、まずは、けんを行う動物園のじゅうさんのかいぼうを手伝います。大きな動物をかいたいするのはかなり大変ですが、ぼくたちのような、動物の身体こうぞうしきがありかいたいれている人間がげんに行くと、じょうに早くかいたいが進みますし、コストをおさえることにもつながります。けんが終わったら死体を運べるようにかいたいし、手配したトラックに死体を積み、ぼくの立ち会いのもと、つくばの研究所に運びます。そこから道具のかたけなどを行い、たくは深夜になることもあります。この作業は、年に1回あるかどうかのとてもいそがしいイベントです。

標本にしなければいけない動物の死体が休みなくやってくる

標本にしなければいけない動物の死体が休みなくやってくる

実は今、標本にしなくてはいけないものをたくさんかかえているため、それが大変なことの1つです。なかでも多いのが、天然記念物であるアマミノクロウサギです。鹿児島県のあまおおしまとくしまにしか生息していないアマミノクロウサギはぜつめつしゅで、げんの交通などでぼうしたたいを送ってもらい、こちらで標本にしています。ぼくがこの標本作りを始めたころは、アマミノクロウサギは人間が島にんだねこや犬、マングースなどてんてきえいきょうで数がかなりってしまい、全体で5千たいくらいではといわれていました。げんざい活動でそれらのてんてきはいじょしていったため(あまおおしまのマングースについては、こんぜつしたというせんげんが2024年9月にかんきょうしょうから出されました)、2万たいくらいまで数はかいふくしています。しかし、数がえた分、人間が運転する車にひかれるたいえてしまい、今は1か月に20体以上のペースでこちらに送られてきます。なかには大きなきずがついているものや、見ていると心がいたむもの、いたんでしまっていて標本にする作業が大変なものもあります。それでも、この死体をにするわけにはいきません。「あきらめない、弱音をかない」というのはいつもしきしています。アマミノクロウサギの標本は、今、千点をえています。
標本作りにも体力が必要ですが、そもそも動物学者というのは屋外で研究たいしょうの動物をつかまえたり観察したりといったフィールドワークが多く、とても体力が必要な仕事です。また、動物がぼうして急に動物園からばれ、はるばる長崎県まで行ったこともあります。だからこそ最近は、休日はしっかりと休んで、家族とごすことを大切にしています。

多くの標本を集めれば集めるほど達成感もえる

多くの標本を集めれば集めるほど達成感も増える

標本作りは体力的には大変ですが、それでも数がたくさん集まると達成感があります。ぼくはもともと昔から何かを集めるのが好きなせいかくで、「パズルのピースが1つ足りなくて完成しない」ということがものすごくくやしいしょうぶんです。だからとにかく標本をたくさん作ったり集めたりしているのも、自分のせいかくに合っているんだと思います。
また、仕事には、国立科学博物館でのてんかくかんしゅうすることもふくまれます。2024年には、同じ動物研究部のじま綿さんとぼくとでかんしゅうした『だいにゅうるいてん3―わけてつなげて大行進』というてんが行われ、多くの方に足を運んでいただきました。そういうかくてんこうひょうなことはもちろんうれしいですが、それよりもさらに、「これらの標本がもっと役立ってほしい」という思いのほうが強いです。自分が生きている間には、今、博物館にある標本のことを全部知りつくすことはできません。だからこそ博物館でじょうたいよくかんされ、えいきゅうに利用され続けてほしい、と願っています。学生のころによく言われたのが「生きているうちにひょうされようなんて思うな」という言葉です。研究が進められるのも、先人たちの残してくれた多くの標本のおかげです。ぼくが2005年に国立科学博物館にしゅうしょくして標本管理をいだとき、標本番号は3万3千番台でした。それが今や8万6千番台にまでえました。先人たちからいだものに加えて自分が標本をやして、これだけの数を未来におくることができた、という達成感がうれしいですね。

クラウドファンディングで改めて実感したやくわり

クラウドファンディングで改めて実感した役割

2023年8月に、国立科学博物館はコレクションのしゅうしゅうぜんようのためにクラウドファンディングを行いました。標本は作ったり集めたりするだけでなく、温度や湿しつてきせつたもったしゅうぞうの中できちんとかんすることが重要です。しかし、しんがたコロナウイルスの流行で入館料のしゅうにゅうったこと、ぶっだかしゅうぞうけんちくようがかさんだこと、世界じょうせいえいきょうによるこうねつこうとうなどがげんいんで、当時はうんえいじょうきびしいじょうきょうになっていました。
目標がくは当初「1億円」としていて、始める前、ぼくたちは「ぜったいに無理じゃない?」と話していましたが、開始してみると想定をはるかにえたスピードでご協力していただき、3か月足らずで、最終的に、約5.7万人のみなさまから約9.2億円ものきんがくが集まりました。この結果には、ぼくたちがいちばんおどろきました。
2024年の3月には、返礼品の1つだった「にゅうるいはくせい作り体験」を、ぼくこうをしてじっし、しゅっしてくださった方々に体験していただきました。クリハラリスをかりはくせいにする、という体験をしていただくもので、果たしてよろこんでくださるのか、かいさいするまで不安ではありましたが、みなさんとてもこうしんおうせいに楽しんでくださいました。多くの方の「知的こうしんを満たす」というのもぼくたち博物館の大きなやくわりだなと、改めて実感しています。

子どものころのゆめこんちゅう学者

子どものころの夢は昆虫学者

子どものころのゆめこんちゅう学者でした。とにかく虫が好きで、小学生のころは野山をまわって虫りばかりしていました。特にめずらしい虫が多いわけでもありませんでしたが、生まれ育った岡山県のちょうは、自然ゆたかな場所です。父親はヨットマンで、「山に連れて行って」とお願いしても、めったに連れて行ってくれませんでした。そのくやしい気持ちが、ぎゃくに虫りにる原動力になったのかもしれません。
中学生になると虫りはこっそり行うようになり、高校生のころにはチョウのようちゅうなどをつかまえていくしたり、こんちゅうに関するせんもんしょなどを読んだりするようになっていました。大学進学も、どこか国立大学の理学部生物学科に入ればこんちゅうの研究ができると思っていました。勉強はあまりしていなかったものですから、大学入試のセンター試験(当時。げんざいの大学入学共通テスト)ではあまりいい点数が取れず、それでも運良くごうかくしたのがひろさき大学の理学部でした。

ヒミズとの出会いからモグラの研究者に

ヒミズとの出会いからモグラの研究者に

ひろさき大学では4年生になると研究室にはいぞくになり、研究テーマがあたえられます。しかし、ぼくあたえられた研究テーマは「ネズミかイノシシかコウモリ」で、こんちゅうの研究はできませんでした。結局ネズミを選びましたが、研究を進めるなかで「ヒミズ」というモグラの仲間に出会ったことをきっかけに、大学院進学のときにヒミズを研究テーマに決めました。こうはモグラの研究者として活動していくことになります。
しかし、大学院しゅうていいそがしさはそうぞう以上でつかれてしまったことと、当時はインターネットなどもきゅうしておらず、どこでモグラの研究を続けられるかのじょうほうもなかったことから、しゅうていを卒業した後は地元の岡山にもどり、家業のクリーニング店を手伝いながら自分で勉強を続けていました。そんなとき、科学ざっNatureネイチャー』にけいさいされていたろんぶんしょうげきを受けました。アフリカにぶんする「キンモグラ」という、モグラの仲間と思われていた動物が、でんぶんせきをすると、モグラよりゾウやジュゴンなどに近い仲間だとわかったというのです。「生き物の世界はまだまだわからないことだらけで、おもしろい!」と思いました。他に北海道大学で行われたせんしょくたい学会に参加したこと、広島県しょうばらでの「モグラサミット」のかいさいを新聞記事で知って参加し、自分とはちがてんからのモグラの研究に数多くれてげきを受けたこと、という、この「3つのけん」がきっかけとなり、ふたたびモグラ研究の世界で生きていくことを決めました。
そこからえんがつながっていき、大学農学部の先生のもとでモグラの研究を続けることになりました。その後、ロシア科学アカデミーへりゅうがくし、博物館は強力な標本しゅうぞうせつであり、博物館にしょぞうされているぼうだいな数の標本が、研究をサポートしてくれるということを学びました。帰国後は5年くらい標本作りにぼっとうした後、たまたま国立科学博物館で研究員のしゅうが出ることを知りました。そのこうおうし、2005年から国立科学博物館で働いています。

つらくても続けられるほど熱中するものを見つけてほしい

つらくても続けられるほど熱中するものを見つけてほしい

みなさんにお伝えしたいのは、何か熱中できるものを見つけるなど、そういう心を育んでほしいということです。ぼくにも子どもがいますが、最近エレキギターにちゅうなようです。どんな人でも、熱中してしっかりそれに時間をけば、研究者にだってなれるし、プロのギタリストにでもなれます。ぼくはそう思っています。
もし「研究者になりたい」という人がいるなら、ぼくは研究者になるためのしつは体力と「びんぼうえられるか」だと思っています。研究というのは長い時間がかかり、結果が出ないことや、努力が花開かないこともあります。そういうことを想定したうえで、それでも負けずに続けられるということが、あなたの「本当にやりたいこと」なんだと思います。ぜひ、そういったものを見つけてください。

ファンすべてを見る

(千葉県 中1)
(神奈川県 中1)
(茨城県 小6)
(静岡県 小6)
(東京都 小6)
(茨城県 小3)
※ファン登録時の学年を表示しています

私のおすすめ本

手塚治虫
高校生のときに初めて読んだのですが、大きな衝撃を受けました。宗教や哲学、自分がどのように生きていくのか……。そういうことを初めて考えさせられたような気がします。
川田 伸一郎
展示室のイメージが強い博物館において、標本というのはどういうものか、博物館の役割とはなにか、そこに勤めている人たちはどういうことをしているのか……ということをわかりやすく、バカ話もたくさん入れて書いた作品です。自信作ですし、読みやすいと思うので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

もっと知りたいこの仕事人

取材・原稿作成:川口 有紀(フリート)・東京書籍株式会社