仕事人

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東京都に関連のある仕事人
1981年 生まれ 出身地 石川県
岡田おかだ 朋子ともこ
子供の頃の夢: 宇宙飛行士
クラブ活動(中学校): 卓球部
仕事内容
すてきなけんちくデザインをていきょうできるよう,つねに考え続ける。
自己紹介
真面目でこうしんおうせい。やる気モードとのんびりモードが周期的にやってくるタイプです。コツコツやるよりも追いこまれてからのほうががんれるんですが,そういうやり方はつかれるので直したいといつも思っています。お休みの日は国内外に一人旅をするのが好きです。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2018年10月30日)時点のものです

建物の内外をデザインする

建物の内外をデザインする

わたしかぶしきがいしゃたけなかこうてんせっけいで,せっけいの仕事をしています。わたしたんとうしているのは,せっけいの中でも「しょうデザイン」という分野で,建物を建てたい人や会社から,ようの要望を聞きながら,建物の内外をデザインしていく仕事です。これまでに,12階建ての商業ビルや,オフィスビルの上階部分に作られた,400人がまれる宿しゅくはくせつなどを手がけてきました。
せっけいという仕事は大きく3つに分かれています。建物の“こっかく”を決める「こうぞうデザイナー」は,どこに柱やかべを作り,どんなざいを使えば,作りたい大きさや形で,しんにもえられる強度を持った建物をじつげんできるかを計算していきます。建物のおおわくのデザインや表面の部分を作っていくのはわたしたち「しょうデザイナー」。そして建物内部の空調・電気・きゅうはいすいなどの計画をするのが「せつデザイナー」です。
わたしたちしょうデザイナーは,発注者が求めるデザインやよう,使いやすさを考え,こうぞうせつのデザイナーと相談しながらせっけいをしていきます。しきをどう使い,どういう建物を建てるかを発注者と最初に相談して決めるのはわたしたちしょうデザイナーの仕事です。そしてあるていおおわくが決まったらこうぞうデザイナー,せつデザイナーといっしょせっけいしていく,という流れになります。

建物のようにより,求められるデザインはさまざま

建物の用途により,求められるデザインはさまざま

1日のうち2~3時間はこうぞうデザイナーやせつデザイナー,外部の業者さんなどと打ち合わせをし,その他はデザインをけんとうする時間です。どんな建物にするか,スケッチをいたり,図面をいたり,CGで3Dのモデルを作ったりもします。3Dプリンターなどを使ってじっさいけいを作ることもありますが,最終的には図面の形にしていきます。
図面ができてじゅんみ,けんせつが始まると,作業をしているしょくにんさんからは,図面ではよくわからない部分についてのしつもんが出てきます。そのため,わたしけんせつげんに行って,そのもんを聞いて説明したり,よりわかりやすくなるよう,しょうさい部分のスケッチをいたり,時には図面をしゅうせいすることもあります。建物のにもよりますが,ビルや建物を初めから建てる場合は,計画から完成まで3年以上かかることも多くあります。わたしが初めて手がけたビルは,完成まで5年かかりました。
建物をどんなデザインにするかは,ようによって大きく変わってきます。例えばオフィスとしてすビルでは,いろいろなお客さまがその空間を使うことになるので,だれもが使いやすく,じゅうなんに使えるようなデザインを心がけます。一方,発注者がちょくせつけいえいするビルの場合は,「どういう目的で建てるのか,どんな人が使うのか」を聞き,建物全体をどんなイメージにするか,コンセプトからいっしょに考えていくこともあります。デザインのために,そのとき手がけている建物と同じような目的の建物を見に行ってみることもありますよ。

自分のせっけいした建物が使われる喜び

自分の設計した建物が使われる喜び

発注者と,デザイナーである自分のかんいっし,本当におたがいが「よいもの」だと思える案にたどり着いたときはうれしいです。ぎゃくに,いいアイデアがかばないときはつらいですね。たけなかこうてんでは,せっけいしゃ1人につき2つのプロジェクトをたんとうすることになっています。だから,1つのプロジェクトでいい案がかばないときは,別のプロジェクトのことを考えてみたりすると,気分てんかんにもなりますし,意外とアイデアがかんでくることもあります。
建物が完成したしゅんかんはもちろんうれしいのですが,せっけいしゃとしては「完成したあと,ユーザーがどう使ってくれるか」が心配になります。だから,オープンして最初に「人がそのビルを使い始めるしゅんかん」を見ると,何よりも幸せな気分になります。自分の手がけたビルは,使われ出してからもたまに見に行くこともあります。夜,近くを歩いていて,自分が手がけた建物に明かりがともっているのを見ると感無量です。建物は長く使われていくものですから,1年を通して,季節がうつわるたびに見に行ってみたりもしています。

ときには意見がぶつかることも

ときには意見がぶつかることも

ときには,こうぞうデザイナーやせつデザイナーなど,同じチームのメンバーと意見がぶつかることもあります。例えば,デザイン的にはここに柱を作りたくないけれど,こうぞう上は必要,といった場合があるんです。そういうときは,じゃあ他の方法ではできないのか,自分はなぜ「ここに柱を作りたくない」と思うのか,コミュニケーションをとりながら,チームメンバーと考えを共有していく作業が必要になります。わすれてはいけないのは,「自分たちが作りたい」だけではなく,お客さまにとっても「よいもの」をめていくことです。そのためのこうさくは大変ですが,だからこそ完成したときのかんがいは大きいです。
わかのころはわからないことだらけでした。入社して最初にたんとうした仕事が,ゆかめんせきが1万平方メートル以上もある大きな宿しゅくはくせつで,そこのせっけいを1人でまかされたときは特に大変でした。大学でせっけいは学びましたが,じっさいにどう仕事を進めていけばいいのか,どうやったらスムーズに仕事をこなせるのか,そういったことは,じっさいに働いてみないとわかりませんでした。わからないことはとにかくせんぱいたちに教えてもらいながら,なんとかえました。大変でしたが,このけいけんで成長できた部分は大きいです。

自分の思いをひょうげんしつつ,ひとりよがりにならないように

自分の思いを表現しつつ,独りよがりにならないように

「どんな建物にするか」を考えるときには,周辺のかんきょうがヒントになることが多いです。例えば建物がみっしゅうしている街なかのけんちくでは,周りにどんな建物があるのか,どちらにまどを向けたらかいてきか,などを考えます。ぎゃくに自然がゆたかな場所に建てる場合は,景色がいいほうにまどが向くようにせっけいしたりもします。もちろん,ほうりつ上のせいやくがあることもありますし,発注者からの要望もあるので,そういうさまざまなじょうけんを組み合わせてアイデアを考えていきます。
だれにでも作れるもの」ではない建物を作りたい,というせっけいしゃとしての思いはありますが,それがひとりよがりであってはいけません。時として,自分の案への思い入れが強すぎて,周りが見えなくなりそうになることもありますが,ひとりよがりや説明不足にならないように,いつも気を付けています。発注者の要望はもちろんかなえつつ,「自分の思い」も大切にして,最終的には,発注者も,自分自身もふくめて,“チーム”で作り上げたものになるようにしたいんです。

先生のひと言がきっかけで選んだけんちくの道

先生のひと言がきっかけで選んだ建築の道

高校生のときはアートや絵をくことが好きで,数学も物理も得意でした。最初はばくぜんと「アーティストになりたい」と思っていましたが,じゃあ油絵なのかグラフィックなのか,進路として考えると特にピンとくるものがありませんでした。そんな中,先生から「けんちくなんていいんじゃない?」とすすめられ,きょうを持ったんです。
大学は理工学部のけんちく学科に進学しました。大学ではこうぞうせつしょうはばひろく学ぶんですが,じゅぎょうでの課題をこなしたり,大学院時代にはせっけいのコンペ(おうしてデザインのゆうれつきそう)に参加したりする中で,自分は建物のぞうけいを考えたり,どんな建物にするかというアイデアを発想することが得意だということに気づきました。そこからしょうせっけいおもしろさを感じ,また,仕事の中で学びながら,しょうがい続けていけるしょくぎょうだとも思い,しょうデザイナーの道を選びました。
今の会社をぼうした理由には,海外にてんがあり,海外での仕事もけいけんできるかもしれないということもありました。じっさいに,2014年から2年弱,シンガポールでのきんけいけんしました。オフィスや飲食せつないそうなどの仕事がメインでしたが,かべがみぬのなど日本では見かけないようのものがあったりしておもしろく,湿しつが高いのでじゅうたくゆかはタイルりにするなど,いきの気候に合わせたせっけいも必要でした。最初のころは言葉のかべもありましたし,げんしょくにんさんたちからもんが出たときは,「こういうふうにしてほしい」とくわしい図をいてわたすこともしょっちゅうでした。そんなこともありましたが,いいげんスタッフのサポートにもめぐまれて,楽しく仕事をすることができました。大変ではありましたが,日本をはなれて仕事をする中で人間として成長できたと思います。日本にいたときはとてもせっかちだったのですが,あたたかい国の人たちのかんようせいかくや考えが,実は自分にはとても合っていました。

子どものころに写真で見たガウディけんちくが今へつながる

子どものころに写真で見たガウディ建築が今へ繋がる

小さいころは,のんびりした子どもでした。勉強は得意でしたが運動は苦手,でも手先が器用で,図工は大好きでした。何もない田舎いなかで育ったのですが,放課後に家までまっすぐ帰ることがきらいで,いつもみちをしていましたね。民家の間の変なすき間とか,“変なもの”を見るとどうしても行ってたしかめたくなってしまう子どもでした。路地に入りこんだり,神社のえんしたを通ってみたり。帰りがおそくなって,よく親におこられていました。
10さいくらいのころ,家にあった本でスペインのけんちく・ガウディがせっけいした「サグラダ・ファミリア」という,スペインのバルセロナにある教会の写真を見たんです。その見たことのないデザインに,子どもながらぼうぜんとしたおくがはっきりとあります。高校生のとき,先生にけんちくの道をすすめられておもかんだのは,あのときの体験でした。ああ,そういえば建物が好きだったな,じゃあけんちくこころざしてみよう,そう決意したんです。
その本は今でもずっと持っていて,事あるごとにページを開いています。大学生のときにスペインに行き,じっさいにその教会を見たときは,あこがれのげいのうじんに対面したファンのように,思わず泣いてしまいました。

自分と向き合って努力すれば,不安はっていく

自分と向き合って努力すれば,不安は減っていく

自分が中学生だったころ,いまの自分は全くそうぞうできていませんでした。高校生のときはまだ何も決められておらず,大学に入ってやっと「けんちく」という道を見つけることができました。でも,好きなことに打ちこんでいたものの,自信がなかったり不安になったりすることはしょっちゅうでした。そんなときは友だちに相談したり,なやんだり……。そうこうする中で,うまく自分と向き合えるようになっていったように思います。自分に向き合った時間が長いほど,不安が少なくなっていった気がします。そのかえしの中で,少しずつ強くなっていったんでしょうね。だから,今不安をかかえている人にも,その時間は必要なものだし,時間はかかるかもしれないけれど,努力していけばいつか不安はなくなるよ,ということを伝えたいです。
人生,自分を使い切ってわたしは生きたいし,そうしたいと思う人に共感します。好きな道が見つかったら,全力で,まっすぐに努力してみてください。

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石川直樹
熱気球で太平洋を横断しようと計画する老冒険家と,それに同行した若い写真家のノンフィクションです。話がどうなるか全く予想ができず,自分も実際にその冒険に同行しているかのように引きこまれます。自然に対しての人間の力の小ささと,それを知っていながら突き進む人間の心を感じる本です。

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取材・原稿作成:東京書籍株式会社/協力:一般社団法人 日本建設業連合会,株式会社 竹中工務店