※このページに書いてある内容は取材日(2019年01月31日)時点のものです
食の文化を伝える仕事
私は愛媛県の愛南町で,「亀きち」という郷土料理の店を経営しています。愛南町は自然が豊かな土地で,漁業も農業もさかんです。また,旬のおいしさを引き出す伝統的な食べ方も,昔から今に伝えられています。そんな地域独特の料理を「郷土料理」といいます。たとえば,小魚のすり身を揚げた「じゃこ天」や,焼き魚の身をすりつぶして味噌と出汁でのばす「冷や汁」などがあります。私はこの土地ならではの郷土料理を多くの人に楽しんでもらい,次の世代にも伝えたいと思い,なるべく地元の旬の食材を使った料理をお客さんに提供しています。
私の店は,1階に調理場とカウンターと小さな座敷が2つ,大きな座敷が1つあり,2階は広い宴会場になっています。今は食材の仕入れから調理,接客,掃除,経理など経営の仕事まで,すべて自分ひとりでこなしています。だから毎日とても忙しいんです。
お店を開けるのは夕方から夜の11時ごろまでです。仕事を始めるのはお昼前からで,まず農林水産物の直売店やスーパー,魚市場などに出かけ,材料の買い出しをします。魚は魚市場の仲買人さんに注文しておいて,届けてもらうこともあります。買い出しの後は,客席の掃除と料理の下ごしらえなど開店の準備をします。営業を終えた閉店後には,調理場をきれいに掃除して帳簿をつけ,家に帰るのは真夜中になります。
私はお店の仕事のほかに,漁業の町ならではの「魚の食文化」を伝える活動もしています。調理師の有志の会の活動です。町内外のイベントで魚料理を食べてもらったり,愛南町の水産物をPRしたり,あるいは町内の保育園や小中学校で魚についての出前授業をしたりしていて,ほとんどボランティアで活動をしています。
新鮮なカツオを魚市場で選び抜く
愛南町でいちばん人気の旬の魚といえば,カツオです。4月から6月末ごろまでの初夏が旬です。この時期になると,私のお店にはカツオの刺身を食べにお客さんが来てくれます。カツオは,家庭で1匹丸ごと買うには大きすぎます。また,スーパーに並ぶ刺身は切ってから時間がたっているので,切りたての新鮮な刺身を楽しもうと私の店に来てくれるんです。
そんなお客さんの期待に応えられるよう,カツオは必ず愛南漁業協同組合(漁協)の魚市場に仕入れに行きます。魚市場に水揚げされるカツオは,この近くの海で早朝から昼にかけて釣られたものです。午後には魚市場に水揚げされ,午後3時からセリにかけられます。ピカピカ光る鮮度抜群の,愛南町の方言でいうと「びやびや」(とても新鮮)なカツオです。
旬の時期には大量のカツオが水揚げされますが,私はその中から「これぞ」という品質のカツオを選び抜きます。店に来てくれるお客さんの期待がかかっているので真剣です。見分けるにはコツがあります。丸々と太って美しいカツオを選び,尻尾のつけ根を握って逆さに持ち,振ってみるんです。カチコチではなくブルブルするのが「びやびや」なカツオです。死後硬直が進んでおらず,もちもちとした歯ごたえで,臭みもありません。
私はセリで魚を買う権利を持っていないので,「これぞ」と思ったカツオを仲買人にセリ落としてもらいます。漁港にあがったばかりの新鮮な魚を,自分の目で確かめて仕入れることができるのは,海辺の町だからこそです。朝とったカツオをその日の夜には提供できるのですから,料理人として恵まれているなと思いますね。
食には暮らしの知恵がぎっしり
各家庭で伝えられてきた伝統的な料理は,生活スタイルの変化とともに,あまり作られなくなっています。私の店には,家庭で料理するのは面倒だけれど,懐かしい味を食べたいというお客さんも来てくれます。たとえば,夏によく食べられる「冷や汁」という郷土料理があります。アジや白身の魚などを焼いて身をほぐし,すり鉢でよくすって味噌を加え,固めのペースト状にします。これをすり鉢の内側に薄くのばし,逆さに持って炭火で軽くあぶります。あぶると香ばしさが出るんです。
魚のアラでだし汁を作り,すり鉢に注いで魚と味噌のペーストを溶きます。冷蔵庫で冷やしておき,食べる前に細く切ったコンニャク,キュウリ,大葉,ミョウガなどを加えてご飯にかけて食べるんです。暑くて食の進まない夏に食べやすく,栄養もたっぷりで,よく考えられた料理です。食べ物には暮らしの知恵が詰まっていると思います。私の冷や汁は母から作り方を教えてもらった,わが家に代々伝わる直伝の味です。
食育のボランティア活動
「魚の食文化」を伝える活動は,仕事というよりは社会貢献活動として,自分自身が楽しみながら続けています。町内には40年も前から「魚食研究会」という調理師の有志の会があり,私は店を開いてから誘われて入会しました。
メンバーは調理師なので,魚をさばくのはお手の物ですし,魚の料理もいろいろと作れるプロ集団です。愛南町や愛南漁協と連携して,依頼があると町内だけでなく町外や県外のイベントにも出張します。愛南町でとれた魚や養殖した魚をお客さんの前でさばいて見せ,魚料理を食べてもらいます。愛南町の水産物のPRだけでなく,おいしくて体にいい魚をもっと食べてもらいたいという思いも込めてお客さんに接しています。
町内では,保育園や小中学校などの「食育」の出前授業にも呼んでもらっています。魚のさばき方を教え,魚の栄養のことや伝統的な食べ方についても話をします。子どもたちは反応や表現がストレートなので,とても楽しいですね。最初は「くさい」といって魚を遠ざけていたような子が,自分で魚をさばいたり話を聞いたりするうちに興味を持って,できあがった魚料理をおいしいといって食べてくれると,本当にうれしいです。
やりがいはお客さんを喜ばせること
この仕事の苦労は,これといって思い当たらないですね。修行時代も充実していましたし,直火や刃物を毎日扱いますが,大きなけがをしたこともありません。店の経営も繁盛するにこしたことはありませんが,都会と違って人口が少ないですからあまり欲を出さず,経営が続けられたらいいという気持ちでやっています。
目指しているのは,安くておいしくて田舎らしい人情があって「ここに来れば気持ちがほっとする」といってもらえるような,地元に愛されるお店です。いかにお客さんを喜ばせるかを,いつも考えています。たとえば宴会では,女性客なら彩りをあざやかにしたり,思いがけない食材の揚げ物などちょっとした驚きも仕掛けたり,また,年配の男性なら品数を減らして少し値の張る魚を出すなど,工夫します。
また珍しい食材の仕入れもしています。たとえば巻貝のハシリンド(マガキガイ)や岩につくカメノテなど,昔は各家庭でとって食べていましたが,今はとれる場所が少なくなりました。お客さんが懐かしいと喜ぶので,魚市場に出たらなるべく仕入れるようにしています。
こちらの「喜ばせたい」という気持ちが,うまくお客さんの好みに合って「おいしかった」といってもらえることが,最大のやりがいです。また,町外から仕事や釣りなどで愛南町に来た人を,地元のお客さんが紹介してくれたり,連れてきてくれたりするのも,本当にありがたいです。愛南町の自然の恵みと,この土地ならではの料理を楽しんでもらい「いい町だ」と感じてもらえたらと思います。食は,土地と人を結ぶつなぎ手ですから。
修行先に恵まれ26歳で独立
私の祖父はもともと漁師でしたが,売りに出ていた旅館を買って,宿泊業とうどん店を開きました。そして,祖母と一緒に宴会や法事の食事,弁当などを作る仕出し屋も始めました。そのころ愛南町では真珠の養殖がとてもさかんで,さまざまな関連産業の人たちが町外からやってきて,とてもにぎわっていたんです。
私は家の商売を継ぐことを当たり前のように思って育ちました。たまたま食べることが好きで料理にも興味があったので,高校を卒業してから大阪の調理師専門学校に進みました。専門学校は1年間のコースで,修了と同時に調理師免許を取りました。
その後,2年目の専門コースに進むことも考えましたが,働きながら修行を積もうと愛媛に戻り,知人に紹介された愛南町の和食店で1年,松山市の料理店で4年半ほど働きました。どちらの店も郷土料理を出す店で,店長やスタッフは親切で腕もよく,とてもいい修行になりました。魚のさばき方,野菜の切り方,味つけ,焼く・煮る・揚げるなどの調理法はもちろん,手際よく段取りをつける頭と体の使い方も,この2つの店で身につけました。
25歳で実家に戻り,最初は仕出し屋を手伝いました。でも真珠養殖にかつてほどの勢いはなくなって,商売の規模は小さくなっていました。自分は何か新しい仕事をしようかと考えていたら,祖母が営んでいた食堂を祖父が改築してくれるというので,思い切って自分の店を出すことにしたんです。それが今の店です。
子どものころは魚ぎらいだった
子どものころの遊びといったら,やはり海ですね。夏には友だちと一緒によく泳ぎに行ったし,中学生ぐらいまでは,家の近くの浜でハシリンドをとって食べたりもしていました。私は食べることが大好きで,ぽっちゃりした体形だったんです。小学校3年生のときにスポーツ少年団に入ってソフトボールを始め,練習で少し長い距離を走るようになったら,いつの間にかやせました。最初は,太っているから走るのが苦しくてたまらなかったんですが,チームで一緒に走るから仕方なくがんばりました。そのおかげで体力がついて,体もじょうぶになったんじゃないかと思っています。
じつは子どものころは魚が嫌いだったんですよ。魚より肉が好きでした。魚が好きになったのは,専門学校に入ったころからでしょうか。味覚が大人になったのかもしれませんが,いったん都会に出たことで,愛南町がいかに新鮮でおいしい食材に恵まれているか気づいたことも,魚を見直すきっかけになったのかもしれません。
恵みに感謝して食を味わってほしい
今の時代は,私が子どものころに比べたら,インターネットやスマートフォンができてとても便利になった反面,人と人の関係が複雑になって,子どもたちの世界も大変だろうと思います。でも,なるべく人とふれあってほしいなと思います。
また,食べ物は,その恵みに感謝して,じっくり味わってもらいたいなと思います。都会の人たちは特にそうだと思いますが,食卓の野菜や肉や魚がどんなところでどう作られているのか,見えにくくなっています。そのせいか,食べ物への感謝の気持ちが薄くなっているように感じます。その食べ物を生んだ自然,肉や魚などの命の恵みに感謝して,食べ物をじっくり味わってほしいなと思います。私自身,魚ぎらいの子どもだったので偉そうなことは言えませんが,当たり前にある恵みが「本当は当たり前ではなく,とても恵まれているんだ」ということに気づいて,感謝してもらえたらと思います。