仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
出身地 東京都
子供の頃の夢: 看護師
クラブ活動(中学校): バスケットボール部
仕事内容
東京2020オリンピック・パラリンピックきょう大会がしょうがいのに関わらず、すべての人にとってアクセシブルな大会となるようにかんきょうせいはかり、大会えんを行う。
自己紹介
元気で前向き。物づくりが好きで集中するとてつしてしまうことも。休みの日は、音楽かんしょうをしたり、近所をのんびり散歩したりしています。

※このページに書いてある内容は取材日(2021年07月27日)時点のものです

「選手やしょうがいのある方がこまらないようにする」のが仕事

「選手や障がいのある方が困らないようにする」のが仕事

わたしは今、しょぞくしているつうかぶしきがいしゃから出向し、「東京オリンピック・パラリンピックきょう大会しき委員会」で働いています(※)。「出向」というのは、しょぞくさきとのようけいやくしたまま、別のぎょうしきで働くことです。
わたししょぞくしているのは、「パラリンピックとうかつしつ」の「アクセシビリティ課」というところで、選手やしょうがいのある関係者がこまらないように、いろいろなことを考えてせつかんきょうを整えていくのが仕事です。特にパラリンピアンがどこかへどうするときや、食事をするとき、朝起きてからるまでの一日の生活の中で、なにかこまりごとはないか。会場へのどうのほか、会場内のどうで不便な部分はないか。そうしたことをかくにんして、かいてきごしてもらえるようにせいします。たとえば、会場内のこうしつにあるシャワーの位置が高いと、車いすの方はシャワーに手がとどかないため使いづらくなります。そういう場合は、シャワーの位置をあらかじめ低くして、タオルを置くための場所も低い位置にしたほうがいいのでは……といったことを一つ一つかくにんして、どうしたらいいかをけんとうしながらせいしていきます。
また、結局はしんがたコロナウイルスのえいきょうで、今回は無観客でのかいさいになってしまいましたが、つうじょうのオリンピック・パラリンピックでは、観客の方にもしょうがいのある方がいらっしゃいます。会場へ向かう道や、会場内で、しょうがいのある方々にとって不便なことはないかかくにんして、かんきょうを整えていくのもわたしの仕事です。そして、これらの仕事のないようを2024年にフランスのパリでかいさいされる予定の大会の関係者、そしてその次の大会の関係者にけいしょうしていくことも重要になってきます。

※取材は2021年7月27日に行いました。(EduTownあしたねへんしゅう

会場内の どうせんや、会場へのどうルートをかくにんし、整えていく

会場内の 動線や、会場への移動ルートを確認し、整えていく

わたしじんとしては、これまでは会場内のどうどうせんかくにんを主に行ってきました。たとえば、オリンピックでたいそうきょうの会場として使われたありあけたいそうきょうじょうは、パラリンピックでは「ボッチャ」というきょうの会場になります。ボッチャは重度のうせいまひ者、もしくはどうてい重度のうしょうがいしゃのために考案されたスポーツのため、アスリートの方はみなさん車いすを使用しています。しかし、会場内にはだんがあったり、機器やえいぞうちゅうけい機材のためにさまざまな配線があったりします。そういう場所でも車いすでスムーズにどうできるよう、事前に建物の図面や配線図をかくにんしながら、スロープや、ケーブル類の上にかぶせるプロテクターなどをじゅんし、ケーブルを守り、かつ車いすが通りやすくなるようにします。
また、けんじょうしゃの方はかいだんどうができても、しょうがいのある方はエレベーターやスロープがないとどうむずかしい場合もあります。そういう方が会場のり駅から会場まで行くことができる「アクセシブルルート」を、一つ一つの会場についてかくにんしてきました。これについては、こくさいパラリンピック委員会の方々が定期的に来日されていたので、じっさいいっしょに歩いてアクセシブルルートなどをかくにんし、必要があれば関係者にせいなどもお願いしてきました。実は今回の大会をけいに、これまで車いすでのどうが大変だった場所に、新たにスロープが付いた場所などがたくさんあります。また、会場のすべてのり駅に、オストメイトたいおうのトイレがせっされています。もしこれらの駅に行くことがあれば、こういうところもぜひ見ていただければと思います。

カナダの大学で気づいた「ようせい(ダイバーシティ)」の大切さ

カナダの大学で気づいた「多様性(ダイバーシティ)」の大切さ

今の仕事をするにあたっては、わたしのこれまでの人生の中でけいけんしたさまざまなことがつながってきています。
高校生のときに兄のえいきょうを受けてモーターレースのF1が好きになり、その理由から機械や電気にきょうを持ち始めてけいせんたくしました。入学してまもなくのころ、以前から知り合いだった今の夫がりゅうがくをすることになり、けっこんして、わたしいっしょにカナダのバンクーバーに行きました。そしてげんのサイモンフレーザー大学でちょうこうせいをしていたのですが、ここで、さまざまな人種はもちろん、さまざまなじょうきょうの人が学んでいるのをたりにしました。日本の大学では、学生はみな同じくらいのねんれいの人ばかりで、子どもがいる人はもちろん、けっこんしている人もあまりいません。でもこの大学では子育てをしながら学生をしている人もいれば、一度社会人になり、働きながら大学に通っている人もいる。日本の大学よりはるかにようせいがあり、しょうげきを受けました。
その後、日本へもどり、ざいがく中に第一子が生まれました。子育てをしながら大学院へ進学してしゅうしょく活動の時期になりましたが、ちょうど第二子をにんしんしており、しゅうしょく試験と第二子の出産が重なるようなじょうきょうでした。いくえんの関係で、当時、住んでいた家からすことはむずかしく、たくから通えて学んだしきも生かすことができる、そんなぎょうさがして、ここだと思って入社試験を受けたのが富士通株式会社でした。

出産間近で行ったしゅうしょく活動と、「ささえられた」けいけん

出産間近で行った就職活動と、「支えられた」経験

富士通のめんせつさい、正直にそのときのじょうきょうをお話ししました。日本では子どもがいるどころか、けっこんして大学に通っている人も少ないし、子持ちの新卒で入社試験を受けようとしているじょせいめずらしいのはわかっている、でも自分はのうかぎりがんばりたい……そう伝えたところ、当時のめんせつかんは「これからの時代、あなたのような人が必要です」と言ってくれました。まだ「ダイバーシティ」という言葉もいっぱんてきではない時代でしたが、その後、ごうかくの通知をもらったとき、「めんせつで話したわたしの思いが伝わったのかしら」という気持ちでとてもうれしくなったのを、今でもはっきり覚えています。
ただ、入社してからは本当に大変でした。最初は子どもがいることをけんしゅう中の同期に言っていなかったのですが、当時、0さいと2さいでしたから、熱を出しますし、病気でいくえんあずけることができなくなるたびに、たくでのかんびょうが必要でした。結局、しゅうの仲間に「実は子どもがいて……」というじょうを話したところ、同じく子どもを持つ同期の男子社員らが、出席できなかったけんしゅうのポイントを代わりに教えてくれたり、上司のおくさまはげましてくれたりと、周りの方のさまざまなはげましやささえをることができました。このときのありがたさというのは、今でもわすれることができません。いつか、こまっているじょうきょうの人がいたら、今度は自分から声をかけるようにしよう、そう思うようになったきっかけでした。

「自分の強み」をさがすために、会社の外に出ることを決意

「自分の強み」を探すために、会社の外に出ることを決意

その後、「知的ざいさん」といわれる、開発したじゅつけんとっきょなどをあつかしょきんしていましたが、2005年から夫がまたカナダに行くことになり、家族で1年ほどカナダにたいざいすることになりました。当時、長男は6さいだったのでげんの小学校に通っていたのですが、言葉のかべもあり最初は大変そうでした。しかしある日、とても楽しそうに帰ってきたんですね。「なぜだろう?」と思いある日、学校に様子を見に行ってみると、どうやらその学校では毎朝、児童を走らせているのですが、息子むすこはたまたま身体が大きく、走るのも速かったので、周りの子からも「足の速い◯◯君」というイメージで受け入れられるようになっていたようでした。そのとき、「自分のとくなこと」をきっかけにしゅうからみとめられることの大切さというのを実感し、わたし自身の「強み」は何だろう、というのを考えだすようになりました。
「自分自身の強み」を見つけるためには一度会社を出て、外からいろいろと考えることも必要では……そう思い、2013年から、グローバルな知的ざいさんあつかっている機関に約2年間、出向しました。それまで約10年間、働いていたしょではほんてきにはデスクワーク中心だったので、「もっといろいろな人とコミュニケーションをとり、話していく仕事がしてみたい」と思うようになっていたことも、出向のきっかけになりました。
さらに、自分がしゅうの人にささえられたけいけんからも、たとえこんなんかかえていても働くことができ、その人その人ののうりょくとくせいに合った働き方ができる、そんな社会がこれからは必要なのではないか、そういう社会を作るためのお手伝いをできる仕事ができないか……。出向先での仕事ではイギリスやベルギーなどさまざまな国をおとずれ、かつてカナダで感じた「ようせい」をより実感したということもあり、自分の「やりたいこと」がじょじょに固まっていきました。

「心のバリアフリー」教育をてオリンピック・パラリンピックへ

「心のバリアフリー」教育を経てオリンピック・パラリンピックへ

ちょうどその当時、2020年に東京でオリンピック・パラリンピックがかいさいされることが決定しました。パラリンピックこそ、わたしの「やりたい仕事」なのかもしれないとひらめきましたが、すぐにパラリンピックに関わることはできません。にんしてすぐの時期は、会社の「オリンピック・パラリンピック」のしょでエンブレムマークなどのけんを管理する仕事をたんとうしていました。そうするうちに声をかけていただいて、仕事のいっかんとして「オリンピック・パラリンピック等けいざいかい協議会」というしきの活動に加わるようになり、そこで行われている「心のバリアフリー教育」の活動にたずさわることになりました。
「心のバリアフリー」というのは、さまざまな心身のとくせいや考え方を持つすべての人々が、そうかいを深めようとコミュニケーションをとり、ささえ合うこと。たとえばかいだんがあり、車いすの人が向こう側に行くことができないのは、車いすの人に問題があるのではなく、社会がたいおうしていないことに問題があります。そういう事例を通して「バリアフリー」について学んでいくことができるよう、ぎょうや学校などでバリアフリー教育のしゅっちょうじゅぎょうを行ったり、しょうがいしゃスポーツを体験してもらったり、という仕事に関わりました。
さらに、けいざいかい協議会の活動のいっかんとして、2019年のラグビーワールドカップに向けて「バリアフリーマップ」という、会場と駅の間にどういうだんけいしゃがあるなどを調べて地図にしたマップを作成するなどの仕事にもたずさわりました。そういったけいけんから、東京オリンピック・パラリンピックのしき委員会での、今の仕事をすることになりました。

さまざまな立場の人がいるゆえの大変さ

さまざまな立場の人がいるゆえの大変さ

今の仕事で大変だと感じるのは、ぎょうせいサイドの方々をはじめ、本当にさまざまなバックグラウンドや意見を持った人たちが関わっているので、みんなの意見をまとめることがむずかしいという点でしょうか。たとえばぎょうだったら、トップダウンで物事が決まっていくことも多いと思います。しかししき委員会にはさまざまな立場や考え方の人が関わっていて、よりよい大会にするために、みなが意見を出し合っています。おたがいに考え方がちがっていても、「こちらが正しくてあちらがちがっている」ということではない、そういうことがたくさんあります。そのために話し合いを重ねていく、これは大変なのですが、大切なことだと思っています。
しんがたコロナウイルスの流行もあり、この一年は主にリモートワークで仕事をしていました。きんきゅうたいせんげんで子どもたちの学校もリモートじゅぎょうになり、家族がずっと家にいる中で、会場の細かい図面とにらめっこするのもなかなか大変でしたね。でも子どもたちも成長し、家族でごす時間が少なくなってきた中での出来事だったので、ある意味、ちょうな体験だったのかもしれない、とも思っています。

「人とちがう」ことをおそれないでほしい

「人と違う」ことを恐れないでほしい

これまでの人生で、わたし自身も「人とはちがう」立場の気持ちをけいけんしてきました。だからこそ思うのが、「人とちがう」ことをおそれないでほしいということ。これはたとえばしょうがいがあるということだけでなく、立場や人種、かんきょうなど、人にはさまざまな「ちがい」がありますし、人それぞれに、えなければいけないじょうがあるでしょう。もしかしたら最初はそうしたことがネック(しょうがい)になって、自信が持てないかもしれません。でも周りのサポートをながらでも、自分のやりたいことをつらぬく、がんばることの大切さというのをわたし自身、実感してきましたし、読者のみなさんにもそれを知ってほしいと思っています。
また、みんなとちがじょうきょうの中でがんばっていると、不安やつらさを感じることがあると思います。でも不思議なもので、その自分を見てくれている人は必ずだれか一人はいるんですね。わたしもそうやってささえられてきましたし、必ずその人にしかできないやくわりというのが人にはあると思っています。ただそこに「る」だけでもいいと思うのです。それを信じて、ぜひ自分のやりたいことをつらぬいてください。

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取材・原稿作成:川口 有紀(フリート)・東京書籍株式会社/協力:横浜銀行