仕事人

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千葉県に関連のある仕事人
1959年 生まれ 出身地 千葉県
大野おおの 和彦かずひこ
子供の頃の夢: プロ野球選手
クラブ活動(中学校): 野球部
仕事内容
ちゅうがたまきあみ漁のけいえいしゃあみもと)およびぎょろうちょうとして漁をし,とった魚のさいだいげんに引き出す努力をする。また水産おろしうりぎょういとなみ,とった魚のはんばいにもせきにんをもつ。
自己紹介
何ごとも,てっていてきにやらないと気のすまないせいかくです。魚とりだけでなく魚のはんばいにものめりみ,どちらも「てんしょく」だと感じています。しゅは読書とゴルフです。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2020年08月22日)時点のものです

まえの魚をとってはんばいし,船橋の漁業をげる

江戸前の魚をとって販売し,船橋の漁業を盛り上げる

わたしは,千葉県の船橋市をきょてんに,ちゅうがたまきあみ漁という漁をしているりょうです。漁場はとうきょうわんおくのほう半分ぐらいのかいいきで,大都会の海です。「まえ」という言葉がありますが,これは「の目の前の海」という意味です。わたしはまさに「まえの魚」をとっています。とれる魚は,夏はおもにスズキ,冬にはコノシロ,サワラなどです。
ちゅうがたまきあみ漁は,すうせきの漁船を使って行う大がかりな漁です。わたしはこの漁業をけいえいするあみもとです。また,15人の乗組員をまとめ,漁のをとるぎょろうちょうつとめています。あみを入れる場所やタイミングなどの重要なはんだんはもちろん,とった魚のせんたもつための細かいまで,船上のすべての作業のをしています。
漁業のほかに,30さいごろ水産おろしうりぎょうの会社「かいこうぶっさんかぶしきがいしゃ」を作り,魚を売る仕事も始めました。とった魚をひとまかせにせず自分で売ることで,魚のをとことん引き出したいと思ったからです。全国のおろしうりじょうに魚をはんばいするほか,スズキのせんたもふうをして千葉県を代表する魚としてにんていされるなど,地元の漁業をげる活動もしています。
最近,力を入れているのは,「持続のうな漁業」のこくさいにんしょうである「MSCにんしょう」をとることです。これは,とうきょうわんで100年後にも漁業が続けられるようにするための,とても大事な取り組みです。こくさいにんしょうに求められるレベルはとても高いのですが,毎日のぎょかくの細かい記録をつける地道な努力や,りょう仲間と海のげんを守るための勉強会を開くなどのじっせきを積み上げ,まもなくにんしょうに手がとどきそうなところまできています。

せんだんをとるぎょろうちょう

船団の指揮をとる漁労長

ちゅうがたまきあみ漁は,2せきあみぶねが長さ800mのあみを半分ずつもち,息を合わせて漁をします。魚の群れを見つけたら,群れをかこむようにあみぶねを走らせながらあみを海に入れ,群れごとあみめてとります。1回の漁は30分ぐらいですね。あみに入った魚は,うんぱんせんよううんぱんせんにすくい上げます。1回の漁が終わると,また群れをさがし,かえし漁をします。
漁のかんであるわたしは,その日どこで漁をするか,まず作戦を立てます。に魚がとれたポイントはGPSにちくせきしてありますが,風や水温をみて直感で決めることもあります。魚群たんなどで群れを見つけると,あみを入れるポイントとタイミングをします。わたしあみぶねの1せきかじにぎり,ちょうりゅうの向きと速さを考えながら,あみがふんわり広がって群れがおさまりやすくなるよう船の動きを調整し,相方のあみぶねにもを出します。群れをかこんだら,最後にあみすそに通してあるワイヤーをしぼって魚をめます。
ぎょろうちょうのうりょくがものをいうのは,あみの広げ方と,ワイヤーをしぼるタイミングのはんだんですね。はんだんあやまると魚はげてしまいます。見えない水中のあみの様子をそうぞうするには,それなりのけいけんかんが必要です。
とうきょうわんちゅうがたまきあみ漁では,5月から10月がしゅんの,スズキの漁が主力です。この時期,日中は暑いのでそうぎょうは夜中です。夜8時に出港し,漁を終えてもどるのは朝の7時ごろですね。夏場は働く時間が長くつかれはしますが,夜の海はすずしくて気持ちのいいものです。11月から4月はコノシロやサワラ,タチウオなどがしゅんで,この時期は朝6時から午後3時ごろまでの昼間の漁になります。港にもどってからは,魚をみずげして種類や大きさ別に選別する作業が1,2時間あります。

魚の本来のをとことん引き出す

魚の本来の価値をとことん引き出す

とった魚のせんたもつことも,りょうの大切な仕事です。同じ海で泳いでいた魚でも,船にあげてからのあつかいによってせんに差が出て,だんも大きくちがってきます。わたしは魚の命にむくいるためにも,せんたもつ努力をしてきました。
スズキはほんてきに,船のいけすで生かして港に運びます。港ではせんもんスタッフがかまえ,エラのつけ根のぼねを切って血をきます。こうするとなまぐさくならずせんたもたれますが,しんぞうが動いていないと血がけないので,生かして運ぶのです。次にびれ近くのぼねあっしゅく空気をおくみ,ぼねの中のしんけいを一気にします。しんけいくときんにくの動きが止まってうまみ成分がそこなわれず,おいしい期間も3倍ぐらいにのびます。歯ごたえも味わいも,本当にすばらしいです。
このしょは10秒足らずのはやわざで,わたしは「しゅんじめすずき」と名づけ,商標登録もしました。箱に目立つステッカーをって,各地のおろしうりじょうえいぎょうに行きました。すっかりえいぎょうマンですね。おかげでみとめてもらい,今では市場だけでなく飲食店からも注文をいただいています。また,全国漁業協同組合連合会の「プライドフィッシュ」に,千葉県を代表する魚としてにんていされました。とうきょうわんりょくの発信に役立つことができ,うれしいです。
もちろん,あみにかかった魚はすべて少しでも高く売れるよう,市場を選びます。これはおろしうりがいしゃのほうの仕事になりますね。魚のだんは,にゅうじょうきょうなどによって市場ごと,日ごとに変わります。各地の市場のじょうほうたんとう社員が集めてくれるので,どの市場にどれくらいの量の魚を送れば高く売れるか,そのはんだんをするのがわたしやくわりになっています。

「持続のうな漁業」のこくさいにんしょうにチャレンジ

「持続可能な漁業」の国際認証にチャレンジ

わたしは今,スズキをたいしょうに「持続のうな漁業」のこくさいにんしょうに取り組んでいます。きっかけは東京オリンピックでした。世界中から東京にやってくる選手に「まえの魚」を食べてもらおうと思ったのですが,にんしょうがないと魚をていきょうできないということがわかりました。
おうべいではにんしょうが進んでいますが,日本はこれからのところで,わたしも初耳でした。選手村のまえ寿のスズキはドイツ産,ネタの多くがヨーロッパ産になると聞き,「とんでもない!」と思いましたね。「何としてもにんしょうをとるぞ」というじょうねつが,めらめらがりました。
さっそく,こくさいにんしょうである「MSCにんしょう」のしんを受けたのが2016年の春。しかし,思った以上にひょうは低いものでした。にんしょうの大きなげんそくは,魚などの水産げんらさないよう管理していること,海のせいたいけいや生物ようせいをこわさないようはいりょして漁をしていること,国内外のせいを守る仕組みがあること,の3つです。
むずかしいのは,国や県,漁業協同組合(漁協)などとれんけいしないとクリアできないげんそくがあることです。たとえば「水産げんらさないよう管理する」ためには,とうきょうわんにいるスズキの量と毎年のかた,とってもいい量などを調べる必要があります。しかし調ちょうは行われていませんでした。また「海のせいたいけいや生物ようせいをこわさないようはいりょして漁をする」ためには,さんらんの魚やようぎょをとらないルールをとうきょうわん全体で決めて守る必要がありますが,まだルールがありません。わたしの会社だけが努力しても,にんしょうをとるのはむずかしいのです。
でも,わたしはあきらめませんでした。やれることから一歩ずつと,にんしょうしゅとくえんする会社に相談し,5年かけてにんしょうをとる漁業かいぜん計画(FIP)をスタートさせました。

地道な日々の記録から

地道な日々の記録から

最初の一歩は,日々の漁の記録です。あみを入れた場所と時間,とれたスズキのサイズと量,スズキ以外の魚の種類や量などを調べます。わたしとうきょうわんのスズキのおよそ1わりをとっていますが,けいぞくして記録することで,自分の漁がげんらしていないかかくにんできるのです。また,海鳥やウミガメなどがあみにかかって死んでいないかもかくにんします。データはこくさい機関にほうこくし,サイトに公開されます。仕事がえて乗組員にはたんですが,ありがたいことにわたしの考えをかいしてくれました。
世界で持続のうな漁業への関心が高まる中,日本せいげん調ちょうほんごしを入れ,2020年度からはスズキが調ちょうたいしょう魚種に追加されました。わたしにんしょうしゅとくには追い風です。
漁のせいについても努力をしています。わたしは11月から2月のさんらんにはスズキをとらず,漁期でも25cm以下のわかい魚は海に放しています。しかしとうきょうわん全体のルールはまだありません。そこで「とうきょうわんの水産げんの未来を考える会」を作り,りょう仲間の勉強会を定期的に開くことにしました。少しずつかいを広げ,ルールを作るためのふうです。
2018年に,「マリン・エコラベル・ジャパン(MEL)」をしゅとくし,このにんしょうでも選手村に食材をていきょうできることになったので,当初のゆめはかないました。しかし,あくまで目標は「MSCにんしょう」です。あと少しで手がとどきそうなところにきています。
きっかけは東京オリンピックでしたが,取り組むうちに「これは海のげんかんきょうを守り,とうきょうわんで100年後も漁業を続けるための努力だ」と気づかされました。わたしりょう人生の大きなてんかんてんとなりました。チャレンジするが十分にあると思っています。

自然のげんたよる漁業の宿命

自然の資源に頼る漁業の宿命

りょうの仕事の苦労といえば,“ここに魚がいる”と思ったのに読みがはずれたときかな。わたしはんだんに乗組員の生活がかかっているので,いつもせきにんを感じています。でも,もっと広いでみると,最大の苦労はとうきょうわんに魚がいなくなっていることです。平成に入るころまでは,とうきょうわんはイワシのほうだったんですよ。当時,ちゅうがたまきあみ漁のおもなものはイワシで,とくにどきのイワシは大きくてあぶらがのってごくじょうなんです。わたしおろしうりがいしゃは,全国の市場にイワシを大量に送っていたので,市場から「イワシ屋」とばれるほどでした。
しかし,げんいんははっきりしませんが,とつぜんイワシが消え,その結果,わたしたちはおもにスズキをとるようになったんです。船橋にはそこびきあみ漁という海底の魚をとる漁法もあるんですが,カレイなど海底にすむ魚もいなくなってしまい,今ではスズキをとっています。
つまりとうきょうわんにはもう,そこそことれる魚はスズキしかいないわけです。だからたんじゅんに,大漁で満足とはいかない。スズキをとりすぎたら,とうきょうわんりょうぜつめつするしかないのです。それを食い止めようと,今,わたしたちは「とらない努力」をして,売り方でしゅうにゅうをカバーしようとがんばっています。しかし「持続のうな漁業」は,げん調ちょうなどの労力やにんしょうしんのコストなどのたんもかかります。魚が高く売れる仕組みを作らないと,りょうの努力は続きません。今後は魚を食べる人たちにもとうきょうわんげんじょうを伝える必要があると感じています。そこで,まずは魚市場,スーパーや魚屋さん,レストランなどにわたしたちの取り組みを説明して共感してもらい,しょうしゃに伝えられるよう働きかけているところです。

次の世代にゆたかな海をわたしたい

次の世代に豊かな海を手渡したい

しゅんじめ」などのふうはんばいの仕事,それから今は「持続のうな漁業」のこくさいにんしょうをとることなど,漁業に関するさまざまなチャレンジをしてきたおかげで,わたしは人との出会いにめぐまれましたね。かえってみると,それがわたしの何よりのざいさんになり,仕事へのやりがいや次のステップへのやる気につながっていったのかなと思います。
とくにこくさいにんしょうしゅとくへの取り組みを通じて,会社にわかりょうえたことがとてもうれしいです。うちの乗組員は20代30代が多く,わかいんですよ。わかものが「とうきょうわんの漁業なんか,もうだめだ」と思うのではなく,「とうきょうわんの漁業は,世界に通用する持続のうな漁業でかっこいい」とほこりや希望をもってくれたら,何よりうれしいです。
次の世代に漁業のじゅつだけではなく,漁を続けられる海のかんきょうわたせたら,わたしやくわりは果たせたことになるのかなと思っています。

の教えをきもめいじて

祖父の教えを肝に銘じて

りょう初代のが残した言葉が,今のわたしの生き方の根っこになっています。その言葉とは,「よいりょうとは,少なくとってそれをかせぎにするのがうまい者のことだ」。わかいころには意味がわかりませんでした。人よりたくさん魚をとるのがすぐれたりょうだと思い,人に負けないよう「いっかくせんきんいちもうじん」と,ふんとうしていましたから。
しかし,たくさんとれば市場に魚があふれてだんは安くなります。しかも魚のあつかいがざつになるのでせんが落ち,かくは下がります。それでは魚の命にもうわけない。しかも魚がってきた今では,根こそぎとったらりょうの首をめることになってしまいます。少しだけとって,多くとったのと同じかそれ以上のかせぎを上げること,それが今のわたしのモットーです。100年も前に漁業をしていたの言葉は,本当に深いと思います。わたしも100年後のりょうにこの言葉を伝えたいですね。
また,はよく「何事にもたましいめろ」とも,言っていました。魚の命と海のかんきょうけいをはらうこと,これが「漁にたましいめる」ことではないか。そう気づいてから「りょうこん」という言葉をわたしは自分の仕事のキャッチフレーズとしてかかげています。

商社マンのゆめててりょう

商社マンの夢を捨てて漁師に

わたしあみもとの長男に生まれ,あとぎとして育てられました。小学校に上がる前から父といっしょに海に出て,船のせんかいむねおどらせたり,魚がはねるあみの中で泳いだり,漁も船も大好きな子どもでしたね。
しかしとうきょうわんてやせんが進み,やがて漁業の先行きはあやしくなりました。そこでわたしは大学に入り,卒業後は商社マンになると決めていたんです。ところがわたしが大学に入ったころから,とうきょうわんかんきょうがよくなって,またイワシがとれるようになりました。そして,病気のに手をにぎられ「父ちゃんの力になってやってくれ」と言われたのが,決定的でした。そう言われたらりょうにならないわけにはいかず,わたしは商社マンへの道をあきらめ,大学を卒業してすぐ家のまきあみ漁船に乗ることになりました。
当時は父がぎょろうちょうでした。わたしは3年目から父のどうあみぶねかじにぎらせてもらい,ぎょろうちょうしゅぎょうを始めました。ぎょろうちょうになったのは,やっと31さいの時です。でも,その後しばらくが,本当に苦しかった。うでのいい父にくらべると,わたしはんだんじゅくでさっぱり魚がとれないんです。かせぎが上がらないので,乗組員が何人もやめていきました。歯を食いしばってえ続け,他の漁船みにとれるようになるまで,3年ぐらいかかりましたね。

日々のらしにつながる海のかんきょう

日々の暮らしにつながる海の環境

海のかんきょうのことを,自分の生活にひきつけて考えてほしいな,と思います。たとえばプラスチックのレジぶくろが有料化されましたが,なぜでしょう。海のプラスチックごみの問題につながることを日々のらしで感じてほしいです。
ふだんあまり考えることがないかもしれませんが,海は生命がたんじょうした命のみなもとで,地球かんきょうに海が果たしているやくわりもとても重要です。魚やかいそう,貝などが食べられなくなったら,どうですか? げきてきですよね。らしの中のささいなことでもいいですから,海のかんきょうのことを考えて自分ができることに取り組んでいただけるとうれしいです。

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取材・原稿作成:大浦 佳代・東京書籍株式会社/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク