※このページに書いてある内容は取材日(2020年02月07日)時点のものです
畳をきれいにしたり,新しい畳を作ったりする畳職人
私は東京都足立区にある大倉畳店で畳職人をしています。大倉畳店は私の父が始めた店で,現在は私と妻の2人で経営しています。
畳職人は主に,新しい畳を作る仕事と,既に敷かれている畳を修理してきれいな状態にする仕事をしています。前者は「新畳」といい,後者は「裏返し」「表替え」という2種類に分かれます。
まず「新畳」では,わらを圧縮して作った「畳床」という長方形の土台の上に,イグサという植物を編んで作った「畳表(ござ)」を縫い付け,長辺を「畳縁」で覆うことで畳を作ります。最近ではわらやイグサだけではなく,木材を細かく砕いて固めて作った畳床や,和紙でできた畳表など,さまざまな素材が使われるようになりました。
畳は敷かれてから時間が経つと,畳表に傷や汚れがついてしまいます。そうした畳をきれいに修理するため,畳床から畳表をいったんはがして畳表をひっくり返し,きれいな面を表にして張りなおすのが「裏返し」。畳床自体はそのままで,畳表だけを新しいものに取り換えるのが「表替え」です。
さらに,既に敷かれている畳を修理のために床からはがしたり,製造・修理した畳を敷きこんだりする工事も畳職人が行います。
依頼を受けて,工事を行う
私の仕事は,依頼をくれたお客さまのもとを訪れて,「新畳」「裏返し」「表替え」の中からどの作業を行うかを提案するところから始まります。例えば「古い畳をきれいにしたい」という依頼の場合は,敷かれている畳の状態を確認し,「畳表が裏面まで汚れてしまっているので,表替えが必要」というように,適切な作業内容を考えたり,お客さまの要望を聞いて,畳表の素材や模様を提案したりしながら,見積もりを作成します。
作業内容が決定したら,実際に作業を行います。「裏返し」「表替え」の場合は,敷かれている畳をはがして,お店の作業場へと運び,修理を行います。「新畳」の場合は,畳を敷く部屋の大きさを計測し,スペース内にきちんと収まるように畳床の大きさを調節しながら畳を作っていきます。こうしてでき上がった畳を,部屋に敷きこめば仕事は完了です。作業期間は「裏返し」「表替え」であれば1日,「新畳」であればおよそ1週間です。
私はこのほかにも,修理が必要なころになったらお客さまに連絡したり,お店の宣伝のためのパンフレットを作ったりする仕事もしています。
畳職人には体力と提案力が必要
畳の工事は体力を使う仕事ですが,中でもいちばん大変なのは,畳を運ぶことです。畳床がわらでできた畳は一枚25~35㎏あり,エレベーターのない古い団地などで工事を行うときは,畳を持って階段を何往復もしなければいけないこともあります。20代のころは筋力トレーニングだと思って楽しく運んでいましたが,だんだんと疲れを感じることも出てきました。それでも仕事中は気合いが後押しとなって,畳を運べています。
また,洋風の部屋が増えて年々,畳の需要が減ってきたため,畳職人やイグサの農家さんが仕事を続けることが難しくなってきました。しかし,最近では新築の家を建てるときに,畳を敷いた小さなスペースを作ることが少しずつ増えており,特にフチなしの畳など,新しいデザインの畳が使われるようになってきています。私は自分たちも農家さんたちも仕事を続けられるよう,店の宣伝に力を入れるほか,畳の素材やデザイン,敷き方などの点でお客さまにさまざまな提案をしていくことに力を注いでいます。
お客さまからの感謝の言葉がやりがい
畳職人の仕事のやりがいは,なんといっても工事の後にお客さまの喜んだ顔が見られることです。大倉畳店では畳を張り替えるほかにも,工事のときに家具を無料で移動させたり,畳をはがすときに部屋の汚れを掃除したりするサービスを行っているのですが,そうしたサービスもお客さまに非常に喜んでもらえます。
最近は工事が終わった後に,工事の感想などを書いてもらうアンケートを取るようにしました。アンケートはもともと,畳表を扱う問屋さんが主催する畳職人の勉強会で「最近は他の人の口コミやレビューを見て商品を買う人が多い」ということを聞いて始めたんです。アンケート結果をお店のホームページに掲載して,他のお客さんに見てもらいます。文章として改めて感謝の言葉をもらうと,「今やっていることは間違いではないんだ」「もっと喜んでもらえるように,努力していこう」と,やる気にもつながります。
また,このアンケートなど,自分のアイデア次第でさまざまな企画ができることは,仕事の中で楽しいポイントの一つです。
農家さんの苦労を知り,「いい商売」の継続に努める
私が仕事の中で大切にしているのは,江戸時代に全国で商売していた近江(現在の滋賀県)の商人が残した「三方よし」という考え方です。この「三方」は「売り手」「買い手」「世間」を指し,「三方よし」とは,「売り手であるお店と,買い手であるお客さんがともに満足し,さらに世間の人たちにも貢献できる商売がいい商売である」ということを意味しています。
私は,イグサ農家さんが作る畳表を仕入れて畳の製造や修理を行っているので,農家さんがいなくては仕事を続けられないのですが,仕事を始めてすぐのころは,品質よりも安さ優先で畳表を仕入れ,お客さまに安く提供することだけを考えていました。しかし,あるとき他の畳職人さんと一緒にイグサ農家さんを訪れて,農家さんがイグサや畳表を作るのにどれだけ苦労しているかを知り,「いい畳表をきちんとした値段で仕入れ,お客さまに提供することが大切だ」と気づいたんです。安い畳ばかりを売っていると,畳屋も農家さんも儲からなくなってしまいますし,安い素材の畳だけではお客さまにも満足してもらえません。私も農家さんも商売を続けていくために,品質のいい畳表をきちんとした値段で仕入れて,それをお客さまに提案し,満足してもらうことに力を入れています。
小さいころから畳職人の仕事に触れていた
私が小さいころは,ザリガニ釣りや木の枝を使ってチャンバラをするなど,活発な子どもでした。自転車でスピードを出して転んだり,道路に飛び出してトラックと衝突しそうになったりするなど,危ない経験もたくさんしましたね。中学生のころはテレビゲームに夢中になり,よく友達と集まって一緒に遊んでいました。
父が家で畳職人の仕事をしていたので,作業する様子を見ていたり,中学のころには一緒に畳を運んだりするなど,畳職人の仕事が身近にありました。高校は工業学校の電気科に通い,卒業後は電気会社で電気工事士として働いていました。そのころも会社が休みの日などは父の仕事を手伝っていたのですが,ある日「もし畳職人の仕事を継ぐのなら,3年以内に決めてほしい」と言われ,お客さまの喜ぶ顔が見られるなど,仕事の成果がすぐに得られることに魅力を感じ,大倉畳店を継ぐことを決めたんです。
最初のうちは父を手伝いつつ,「うちだけではなく,他の職人さんのやり方も学ぶといい」という父のアドバイスを受けて,畳製造の基礎を学ぶことができる学校に通い,技術を磨いていきました。
一人で仕事をするようになり,成長することができた
大倉畳店は,もともと私の父と母が経営していたお店で,私が入ってからは父と私とで工事を行っていました。働き始めた当時はお客さまとのやり取りなども父が行っていたので,私はその後ろをついていくというような,父に頼るような働き方をしていたと思います。
しかし,私が26歳のときに父が体調を崩してしまい,母のサポートはありましたが,ほとんど私一人で仕事をするようになったんです。一人で工事に行くと,お客さんからも「一人で大丈夫?」と言われることもありましたが,そこでニコニコしながら「大丈夫ですよ」とお伝えすることで,お客さまにも安心してもらえるよう努めました。また,技術力があることをお客さまにお伝えするために,1級畳技能士という資格も取得しています。
家具の移動や工事,トラブルがあったときも自分一人で対応していくのは,とても大変でしたが,繰り返していくうちにだんだん決断力や行動力が身についたと思います。
畳職人の仕事を始めてから30年近く経ちますが,始めたころよりも仕事に楽しさや,やりがいを感じています。技術を身につけてしまえば年をとっても続けられる仕事ですから,お客さまの笑顔のため,いつまでも続けていきたいですね。