紀州備長炭を作る
わしは,和歌山県みなべ町の清川で,紀州備長炭を作っとる。もともと,わしのお父さんも,おじいさんも,炭焼きをしとったから,わしで3代目や。備長炭ちゅうのは,ここ,紀州(昔の国名で,「紀伊の国」のこと。今の和歌山県全体と三重県の一部にあたる)で最初に生まれた炭や。せやけど,いまでは全国各地で作られとる。紀州で作る備長炭は,特別に「紀州備長炭」ちゅう名前で売り出しとる。
うちで作っとる備長炭は,紀州の方言では「はしかい」いうて,「気難しくて扱いが面倒」なのが特徴や。最初に,炭に火をつけるのには,時間がかかる。その代わり,火力が強くて,一度火を点けたら,なかなか火が消えん。普通の炭よりも,火が長持ちするんやな。お昼から夜まで営業する,うなぎ屋さんなんかで使われることが多い,最高級の炭や。あとは,炭が硬いから,形も崩れにくい。炭と炭を叩いてみると,「キーン」ちゅう,金属を叩いたみたいな音がする。それくらい硬いんやな。
山に入って,炭にする木を切ってくるところが,わしの仕事のはじまりや。木を切ってきて,窯で木を焼いて,できた炭を出荷するまで,全部わし一人で仕事をしとる。ときどき,お父さんが窯を見に来ることもあるけどな。炭にする原木には,ウバメガシの木を主に使っとる。紀州の炭焼きは,とにかく,山を大事にして,炭を作ることを心がけとる。それが紀州の炭焼きのやり方や。
紀州備長炭は「白炭」
炭には大きく分けて「黒炭」と「白炭」があって,窯の中の温度や消火のしかたが違う。紀州備長炭は「白炭」や。白炭は,窯から炭を取り出した後,土を燃やして作った「素灰」を炭に被せて,消火する。素灰は白くてよ,それが炭について,表面が白くなるから「白炭」って呼ばれるんや。
炭を作るためには,まず原料になる木を切ってくる。それで,窯の中に立てて入れられるように,まっすぐの形に整える。これが「木ごしらえ」や。それが終わったら,木を立てて窯の中に詰めていく「窯詰め」をする。
次は窯に火をつけて,数日かけて木を乾燥させる。これが「口焚き」や。その後,窯の中の温度が上がって,すっぱい匂いがしだしたら口を小さくふさいで,木を蒸し焼きにする「炭化」に入る。これが終わったら,ふさいでいた窯の口を開けて,徐々に窯の中の温度を上げて,炭を焼き締める。それが「精錬」ちゅう,一番大事な作業や。精錬が終わったら,窯から炭を取り出して,素灰を被せて消火の作業をするんやな。
炭焼きは“一年で400日働く”
昔から,「炭焼きは,一年で400日働く」と言われとる。一年には365日しかないのにそう言われるちゅうことは,炭を作るためには,やらないかん作業が,それだけいっぱいあるってことなんや。わしも,1年を通して,休みは盆と正月だけやな。
うちで作る炭は,だいたい7日から8日でできあがる。前に作った炭を出したばかりの窯は,まだ余熱で温かい。その余熱がなくならんうちに,次に炭にする木を,窯の中に詰める。ほいで,次の日から,窯に火をつけて,ゆっくり木を乾燥させる「口焚き」の作業に入る。それが,だいたい2日から3日はかかる。その間に,炭にする木の形を整える「木ごしらえ」と,できあがった炭の出荷作業もやっておく。
口焚きの次の「炭化」にも,だいたい3日かかる。ええ炭かどうかは,煙の匂いでわかるな。匂いで焼け具合を判断して,温度を微妙に調節するんよ。炭化するまでの間には山に入って,新しい木を切ってくる仕事をする。
炭化が終わったら,ふさいでいた窯の口を開けて,窯の中の温度を徐々に上げて「精錬」に入る。窯から炭を出す前の日は,窯に泊まりこんで,火の燃え具合に注意して,一晩中,窯を見張るんや。そんで窯から炭を出して消火が終わったら,余熱が残っているうちにまた次の窯詰めに入るわけや。
「米粒ひとつ分」だけ動かす微調整
炭焼きにとって,窯はとても大事なもんや。でも,人間が体調を崩すのといっしょで,窯にも,なかなか原因のわからん不具合が出ることがある。この間も,「なんか調子がおかしいなあ」と思って,窯を調べたんやけど,窯の中に「弘法穴」ちゅう,空気を通すために開けてある穴があってな。その下に,空気の通りを調整する「桁石」ちゅうのを置いてるんやけど,その取り付け方を,ちょっとだけ直したんや。そしたら,ようやく,いつも通りの窯の調子に戻ってくれた。桁石の周りの土が焼けて,ほんのちょっと,角度が変わっていたのが原因やったんやな。
たとえ話やなくて,ほんまに,米粒ひとつ分だけ動かすくらいの,細かい微調整なんや。それでコロッと直りよった。昔から「窯に使われたらあかん。窯を使わなあかん」と言われてきとる。でもな,いつでも窯を最高の状態に保つというのは,ベテランの炭焼きにとっても,至難のわざや。
毎回,同じ品質を保てるのが炭焼きの腕
炭の原料の木ちゅうのは,一つひとつ,まったく特徴が違う。さらに,季節によって,気温や湿度が変われば,木の状態も変わる。特に,春の新芽が出る時期が一番難しいな。木の中の水分が多いと,木が柔らかくて,硬い炭になりにくい。ほんまに木ちゅうのは,とてもデリケートなもんで,炭作りは難しい。せやから,窯から炭を出したときに,うまくできとったら「よっしゃあ!」ってなることもあるわな。
でも,目指すのは,毎回,100点満点ちゅうわけやない。70点から80点の炭を毎回焼けることが,プロとして一番大切なことや。「前回は100点満点の炭が焼けたけど,今回は20点の炭になってまった」では,職人として認められん。「レベル低いなぁ」と思うかもしれへんけど,80点の炭をいつでも作れるちゅうのは,それはもう名人級なんや。木の状態とか,気候や窯の状態とか,すべてを調整して,どんなときでも炭が同じ品質になるように作るのが,炭焼きの腕の見せどころや。
“択伐”で山の循環利用
「炭焼きは山に始まって,山に終わる」ちゅう言葉がある。山の仕事ができんかったら,一人前の炭焼きにはなれんちゅうことや。そういうふうに,お父さんからも,おじいさんからも,教わってきたな。山がなかったら,炭焼きは生活できへん。木がたくさんあれば,炭も多く焼ける。せやから,山が大事なんや。
紀州の炭焼きが大事にしてる山の仕事が「択伐」や。択伐ちゅうのは,炭の原料になる木を切るときに,太い木だけを切ってきて,細い木は,次に成長するまで残しておく方法や。ほかの地域だと,山にある木を全部切ってくる「皆伐」をする人が多い。皆伐をすると,また山にウバメガシが生えてくるまで,40年以上もかかかってまう。でも,択伐なら,15年くらいでまた木を切りにいけるんや。自然を壊さず,山の再生を見守って,炭を作り続けることができる。つまり,究極の「山の循環利用」なんや。
択伐は,江戸時代から続く,紀州の文化や。だからわしは,山を守っていくために,紀州の炭焼きを集めて,「やまづくり塾」ちゅうところで,択伐の勉強会もやっとるんよ。
炭焼きは奥が深い仕事
自分が子どものころは,将来,一番やりたくない仕事が炭焼きやった。「あんなキツい仕事,絶対イヤや」と思っとった。自分の両親が炭焼きをやっていて,仕事を一番近くで見ていたからな。だから,最初は,中学を卒業して,専門学校に入って,理容師になったんや。でもな,理容師の仕事では一人前になれないと感じて,仕事を辞めたんや。ちょうどそのとき,結婚して,子どももできとったから,遊んでいるわけにもいかんかった。「次の仕事を見つけるまで,実家の手伝いでもしようかな」と思ってはじめたんが,炭焼きになったきっかけや。
炭焼きをはじめてみたらはじめたでな,「これは面白いぞ」ってなってきたんや。炭焼きの面白いところは,「答え」が見つからんところ。やってもやっても,「これでええわ」「もうええわ」というふうには,絶対にならへん。次々に「もっとああしてみよう」「こうしたら,もっとうまくいくんちゃうか」ちゅうのが出てくるんやな。奥が深い仕事や。だから「炭焼き一生」と昔から言われとる。「もうこれでええやろ」と数年で答えが出ていたら,理容師に戻るなりして,炭焼きは辞めとるやろな。もう炭焼きになって,26年も経ってしもたわ。
昔から手先が器用だった
炭焼きの子どもは,山が遊び場になる。昔の炭焼きは,普通,夫婦で仕事をしとったから,子どもたちもみんな,山の中に連れてこられるわけや。せやから,山の中で夏は川遊びしたり,魚を捕ったりするか,冬はツグミみたいな小鳥を捕るか,そんな毎日やったな。性格は,おとなしいほうやったと思う。あと,わりと手先が器用やったな。ツグミを捕るための仕掛けも,自分で作っとった。
小さいころから両親の手伝いをしとったから、そうするうちに、自然と自分で何かを作ることを覚えていったような気がする。木を削って,コマを作ったり,ミニカーを作ったりもしたで。いまでも,窯から炭を出すときに使う道具とか,仕事道具は自分で作るから,手先が器用なのは役に立っとるかな。
なくすのは簡単,取り戻すのは難しい
自然相手の仕事をしていて思うのは,山とか自然がなくなってしまうのは,ほんまにちょっとの間なんやなってこと。山を復活させるのには,山をなくす時間の,10倍も20倍もかかるんよ。山でも,川でも,海でも,放っておいたら,自然は確実に消えていきよるで。せやから,山とか自然を,ほんまに大事にしてほしい。みんなも紀州みたいな,自然の豊かなところに,一度は来てみたらええわ。こんなに素晴らしい自然があるゆうのが,家にこもってゲームばっかりしとったら,わからんやろ。もうちょっと,そういうところにも目を向けて,自然を見たってくれよと思うわな。
自然だけやなくて,友達とか家族を大事に思う気持ちも,忘れたらダメや。自分が小さいころにも,それはよう言われとった。自然も,友達からの信用でも,何でも,なくすのは簡単や。でも,それを取り戻すのは大変なこと。それはほんまに,忘れんとってほしいな。