• 東京都に関連のある仕事人
  • 1966年 生まれ

    出身地 東京都

皮革・袋物製造販売

前川まえかわ 典央のりお

  • 仕事内容

    皮革(ひかく)製品(せいひん)を作って売る。

  • 自己紹介

    性格(せいかく)は負けず(ぎら)い。オフの日はランニングをしていて,大会に出たりもしています。山に登ることもあります。

  • 出身高校

    東京都立上野高等学校

  • 【このページに書いてある内容は取材日(2016年10月11日)時点のものです】

前川 典央


仕事人記事

浅草の町で伝統(でんとう)を受け()

浅草の町で<ruby><rb>伝統</rb><rp>(</rp><rt>でんとう</rt><rp>)</rp></ruby>を受け<ruby><rb>継</rb><rp>(</rp><rt>つ</rt><rp>)</rp></ruby>ぐ

(わたし)は日本の伝統(でんとう)工芸「印伝(いんでん)」の職人(しょくにん)です。東京・浅草で兄弟とともに「前川印傳(いんでん)」という印伝(いんでん)専門(せんもん)のお店を開いています。会社としては「前川皮革(ひかく)工芸」という名前で,東京都の足立区青井に本社(けん)工房(こうぼう)(かま)え,(わたし)が社長を(つと)めています。
印伝(いんでん)」とは,鹿(しか)の皮に(うるし)の加工を(ほどこ)してつくる工芸品のことです。みなさんは(うるし)というものをご(ぞん)じでしょうか?ウルシ科の木から()れる樹脂(じゅし)を使った特殊(とくしゅ)塗料(とりょう)で,日本でも古くから使われているものです。美しい光沢(こうたく)特徴(とくちょう)で,みなさんの身近にも漆塗(うるしぬ)りのお(わん)(はし)があると思います。
印伝(いんでん)をつくる(さい)は,皮の上に,模様(もよう)()られた伊勢(いせ)型紙という(はん)を置き,そこに(うるし)をつけていきます。(うるし)は水分がないと(かわ)かない性質(せいしつ)があるため,サウナのように湿度(しつど)を高くした「(むろ)」という部屋で乾燥(かんそう)させます。そうしてできた印伝(いんでん)(かわ)を使って,財布(さいふ)やハンドバッグをつくり,販売(はんばい)しているのです。
動物の皮を使った洋服や小物はいろいろありますが,印伝(いんでん)では鹿(しか)の皮を使います。鹿(しか)の皮は毛穴(けあな)のキメがとても細かく,印伝(いんでん)に一番(てき)しているからです。牛やヤギ,羊の皮の上に(うるし)(ほどこ)すと簡単(かんたん)にはがれてしまうのですが,鹿(しか)の皮であれば,細かい毛穴(けあな)(うるし)をしっかりと吸収(きゅうしゅう)し,木が根っこを()るように定着させることができます。

社長の一日

社長の一日

普段(ふだん)は足立区青井の本社(けん)工房(こうぼう)で,社長としての仕事をしています。商品の企画(きかく)や開発,職人(しょくにん)さんの手配などをしています。鹿(しか)の皮に(うるし)(ほどこ)工程(こうてい)専門(せんもん)職人(しょくにん)さんにお願いしており,新しい商品をつくるときは,職人(しょくにん)さんと話し合いながら,色や(がら)などの仕上がりについて詳細(しょうさい)に決めていきます。また,工房(こうぼう)では実際(じっさい)に商品を制作(せいさく)することもあります。うちのお店は,職人(しょくにん)がものをつくっている様子をお客さんが見られるようになっていて,(わたし)も店頭で作業することがあります。
朝の9時ごろから社長としてのさまざまな業務(ぎょうむ)をする一方で,毎日16時過(じす)ぎには浅草のお店に向かい,レジを()める作業などをして19時ごろに一日の仕事を終えます。社長の仕事は,商品の企画(きかく)からお店の運営(うんえい)まで多岐(たき)にわたるので,日によってやることが変わってきますね。

新しいものに挑戦(ちょうせん)する

新しいものに<ruby><rb>挑戦</rb><rp>(</rp><rt>ちょうせん</rt><rp>)</rp></ruby>する

社長という立場は,ただ良いものをつくるだけではなく,会社の経営(けいえい)も考えなければいけません。印伝(いんでん)というと高齢(こうれい)の方が買われるイメージが強いのですが,客層(きゃくそう)を広げていくために,カードケースや携帯(けいたい)ケースといった,(わか)い人向けの商品も開発しています。また,赤や黒といった昔ながらの(うるし)の色に加えて,新たに緑やピンクの(うるし)を生み出したのは(わたし)たちが最初でした。(さくら)模様(もよう)の商品をつくっていたとき「せっかくだからピンク色にしよう」という話になったのです。でも,(うるし)は絵の具とは(ちが)い,顔料との相性(あいしょう)があるので,思った色をすぐに出せるわけではありません。試行錯誤(さくご)を重ね,苦労の末にようやくできあがりました。
また,浅草は日本でも有数のお祭りどころでもあります。三社祭(さんじゃまつり)のときには全国各地から(わか)い人たちが神輿(みこし)(かつ)ぎに来ます。そういった人たちのニーズに合わせ,(こし)に下げて使う合切袋(がっさいぶくろ)という巾着(きんちゃく)なども印伝(いんでん)でつくっています。

お客さんの「生の声」が一番の原動力

お客さんの「生の声」が一番の原動力

一般(いっぱん)的に職人(しょくにん)といえば,品物をつくるだけの印象ですが,(わたし)たちは店頭に立って販売(はんばい)もしています。世の中でどういうものが売れているのか。そういった動向は,お客さんの反応(はんのう)を見て,直接(ちょくせつ)聞かなければ分かりません。「こういうものをつくってみました」とお客さんにおすすめすることもあれば,反対にリクエストを受けることもあります。ちょっとした会話から得た情報(じょうほう)を,自分たちの技術(ぎじゅつ)で商品につくりあげ,「()しいもの」を提供(ていきょう)できたときは,お客さんに本当に喜んでいただけます。職人(しょくにん)冥利(みょうり)()きる瞬間(しゅんかん)です。
伝統(でんとう)的な印伝(いんでん)だけではなく,オリジナルの新商品にも挑戦(ちょうせん)しています。特注品のオーダーをいただくことがあるのですが,そのお客さんからの意見を別の商品にもフィードバックさせることで,他のお客さんからも好評(こうひょう)をいただくという好循環(こうじゅんかん)が生まれます。各地の百貨店に出店する機会も多いのですが,前川印傳(いんでん)のファンで,毎年足を運んでくださる方もいらっしゃいます。そういった長年のお客さんにも,いつも同じラインナップではなく,新しいものを手に取る楽しみを提供(ていきょう)したい。そんな思いで,日々(ひび)さまざまな商品の開発に取り組んでいます。

江戸(えど)っ子の意地

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絶対(ぜったい)(しつ)を下げない」,これが前川印傳(いんでん)のポリシーです。商品をつくるだけではなく,販売(はんばい)するところまでが(わたし)たちの仕事なので,お店での接客(せっきゃく)態度(たいど)にも注意を(はら)っていますが,やはり商品の(しつ)こそ,(わたし)たちが最も大切にしているところです。
印伝(いんでん)はもともと山梨(やまなし)県の名産です。全国的にも「甲州(こうしゅう)印伝(いんでん)」が有名で(※「甲州(こうしゅう)」とは,かつての山梨(やまなし)県の()び名のこと),印伝(いんでん)のシェアの約9(わり)()めています。(わたし)たちは東京で印伝の店を(かま)えるにあたり,当初から「甲州(こうしゅう)印伝(いんでん)にはないもの」をつくろうと強く意識(いしき)してきました。今までにない新しい色のほかに,印伝(いんでん)をパッチワークにしたバッグの開発なども行いました。パッチワークという発想は,(わたし)たちがもともと袋物(ふくろもの)を加工する職人(しょくにん)だったからこそ生まれたもので,お客さんからも大変好評(こうひょう)をいただき,飛ぶように売れていきました。
他の人がやっていないことに挑戦(ちょうせん)し,「前川印傳(いんでん)」というブランドを浸透(しんとう)させていくこと。これが,甲州(こうしゅう)印伝(いんでん)対抗(たいこう)していくために(わたし)たちが守ってきた信念です。

父親の背中(せなか)から学んだ職人技(しょくにんわざ)

父親の<ruby><rb>背中</rb><rp>(</rp><rt>せなか</rt><rp>)</rp></ruby>から学んだ<ruby><rb>職人技</rb><rp>(</rp><rt>しょくにんわざ</rt><rp>)</rp></ruby>

(わたし)の父は,まず袋物(ふくろもの)をつくる職人(しょくにん)として修行(しゅぎょう)を始めました。その後独立(どくりつ)し,前川皮革(ひかく)工芸を創業(そうぎょう)しました。今から50年以上前のことです。(わたし)は20代の(ころ),大学を途中(とちゅう)で辞め,父の店と付き合いのあった呉服屋(ごふくや)さんで販売(はんばい)修行(しゅぎょう)()ねて働いていました。しかし,次第に父の仕事が(いそが)しくなって,25(さい)のときに(わたし)も手伝いに入るようになり,その後,店を()ぐことになったのです。
父から何かを教わった記憶(きおく)はほとんどありません。「あれをやれ」「これをやれ」と言われたことも,まずありませんでした。父の世代の職人(しょくにん)は「見て(ぬす)む」という学び方を信条(しんじょう)とし,物を教えないんです。一緒(いっしょ)に仕事をする中で,見よう見まねで技術(ぎじゅつ)を習得し,どうしても分からないことは自分から聞かなければいけませんでした。
今度は,(わたし)たちが後を()ぐ人材を考える番です。技術(ぎじゅつ)を引き()ぐために次の世代を育てていかなければならない。新卒の人を(むか)えることも考えはじめています。

目立ちたがり屋だった子ども時代

目立ちたがり屋だった子ども時代

(おさな)いときはとても活発な子どもでした。男ばかりの4人兄弟なので,自分からアピールして,意見をはっきり言わないと(みと)めてもらえなかったんです。そんな環境(かんきょう)で育ったことが影響(えいきょう)してか,何にでも一生懸命(いっしょうけんめい)取り組みました。成績(せいせき)優秀(ゆうしゅう)なほうで,部活はバスケットボールと水泳をやっていました。学級委員もやっていましたね。職人(しょくにん)の父は,(つね)納期(のうき)のある仕事を(かか)えていたので,土日も休めないような(いそが)しさで,運動会や授業(じゅぎょう)参観に来た記憶(きおく)もありません。勉強やスポーツを頑張(がんば)って結果を出せたときが,父に自分を見てもらえる唯一(ゆいいつ)の機会でした。
リーダーシップがあって目立ちたがり屋の性格(せいかく)が,現在(げんざい)の,他ではつくれない新しいものをつくっていこうとする心構(こころがま)えにもつながっていると言えるかもしれません。

自分の強みをいち早く見つけよう

自分の強みをいち早く見つけよう

自分の好きなことを仕事にすることができれば,とても幸せだと思います。それが,仕事を長く続けていく秘訣(ひけつ)でもあるでしょう。
好きなことを仕事にするためには,自分の強みをいち早く見つけることです。(わたし)の場合は,負けず(ぎら)いなところだと思います。この仕事を始めてから「甲州(こうしゅう)印伝(いんでん)には負けないぞ」と決意して,さまざまな取り組みをしてきました。自分の店で売るようになって,現場(げんば)直接(ちょくせつ)見ることで,自分の強みを見つけ,業績(ぎょうせき)も上がっていきました。
今の時代,職人(しょくにん)の世界もただ技術(ぎじゅつ)(すぐ)れているだけでは生き残ることができません。自分で商品を開発して,お客さんと直接(ちょくせつ)話して,求められているものを把握(はあく)する。そんな過程(かてい)を大切にしながら,ものづくりをしなければならない。この仕事に(かぎ)ったことではありませんが,視野(しや)を広く持つことが必要になってきていると思います。

  • 取材・原稿作成:東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫

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