※このページに書いてある内容は取材日(2019年08月14日)時点のものです
東京港の安全を守る
私は,東京消防庁の消防官です。現在は臨港消防署に勤務し,大型消防救助艇「おおえど」の船長として働いています。消防艇の船長は艇の最高責任者で,乗組員に指示を出して統括する乗組員のリーダー(船長)であり,災害現場で消火や救助を行うときには消防隊のリーダー(隊長)として隊を指揮します。
臨港消防署は東京の湾岸エリアにあり,東京港の海上を管轄しています。まさにウォーターフロントの消防署です。東京消防庁は消防艇を10艇所有していますが,そのうち6艇が臨港消防署に配備されています。
東京港は,大消費地を支える日本最大の海の物流拠点です。港内の海上は,原油や液化ガスなどの危険物を積んだ大型船を含め,毎日多くの船で混み合い,細い水路や運河もあります。また沿岸にはオイルタンクや発電所,大型倉庫なども立ち並んでいます。
私たちは,このような東京港の安全を守るため,火災の警戒などの活動を行うほか,さまざまな条件下での火災を想定し,日々,訓練にはげんでいます。そして,いざ火災などの災害が発生した場合は,いち早く消防艇でかけつけ,消火活動や人命救助を行います。
日本初のタグボート型消防艇
私が船長として乗船している「おおえど」は,2018年に日本の消防署では初めて配備されたタグボート型の大型消防救助艇です。馬力が大きくスピーディーな動きができ,360度旋回式のプロペラを2基備えているため,その場での回頭(コマのように同じ場所でぐるぐる回転すること)もできます。
この俊敏な運動性能を生かして,火災や事故などで航行できなくなった被災船を押したり,ロープで曳いたりして,従来の消防艇ではできなかったような消防活動も行えます。被災船を安全な場所に移動させたり,被災船の向きを変えて風下への延焼を防いだり,岸壁から離して港湾施設への延焼を防いだりすることもできます。
消火設備としては,放水銃や放水砲と呼ばれる消防ポンプ車約15台分の大量放水が可能な放水設備のほか,海上約15mの高さから放水できる折りたたみ式の放水塔があるのが特徴です。大型船は海面からの高さがあり,7階建てのビルに相当する船もあります。「おおえど」の放水塔からは,このような大型船への放水や,被災船から距離をおいての放水も可能です。
また,放水塔の先には人が乗れるバスケットがついていて,海上から甲板まで10m以上もある大型の被災船に消防隊員が乗り込むことができます。バスケットで消火のための道具なども運べますし,船から救助した人を乗せることもできます。さらに,消防艇は海水を使用して放水を行うため,大地震等により断水が起きたとしても長時間にわたり放水を行うことができる強みも持っています。
船の乗組員と消防隊員という2つの顔
私たち消防艇の隊員は,船の乗組員と消防隊員という2つの顔をもつ特殊な部隊なんです。船長は,その両方のリーダーです。船舶火災などの災害が発生したら,消防艇で災害現場に向かう間,私は船長で,隊員は機関長や甲板員などの乗組員です。しかしいったん災害現場に到着すると,私は隊長になり,他の乗組員は消防隊員として消火活動に当たります。
東京消防庁では消防艇や消防車両に乗務するのはおもに交替制勤務の職員です。交替制勤務は当番・非番・日勤等のローテーションです。消防艇に乗務するのは当番の日で,勤務は朝8時30分から翌日の8時40分まで。ただし合間に休憩や仮眠をはさみ,実働は16時間となっています。「おおえど」では,1班6名のチームで活動しており,船長は私を含めて3人います。
ふだんは訓練が中心
私たちのふだんの仕事は,船や装備の保守点検と訓練が中心です。当番の日は,交替の際の申し送りなどが終わったら,午前中は船や装備の保守と点検業務を行います。必ず船のエンジンをかけ,エンジンやプロペラが正常に作動するか確認し,さまざまな計器類の確認や,消防資器材の点検も行います。
午後はおもに訓練です。私たちには,船の乗組員と消防隊員という2つの仕事があるため,日ごろの訓練は,操船と消火活動のどちらも必要になります。訓練の内容を考え,計画を立てるのは,船長であり隊長でもある私の仕事です。
実際に船を海に出す操船の訓練は,タグボートの機能を使う訓練が多く,被災船の向きを変える訓練,曳航のためのロープを繰り出す訓練などが主となります。
消防隊員としての消火の訓練は,おもに署内の訓練施設を使い,たとえば,熱気と煙で視界がきかない中,障害物がたくさんある狭い場所で人を救助する,というような設定をして行います。腰ぐらいの高さにビニールひもを張って,それより上は高熱だという設定にし,隊員たちには目隠しをさせ,ビニールひもの高さを越えないよう,這うように進ませます。目が見えないため,隊員たちは進む方向を見失ったり,姿勢が高くなりビニールひもに引っかかったりして,なかなかクリアできません。こうした訓練を繰り返すことによって体の動かし方,方向感覚,危険察知能力,隊員同士の連携力を高めることができます。
私は船長そして隊長として,訓練や日常の業務を通して隊員のチームワークを強め,隊全体の能力を上げていくことを心がけています。
シミュレーターで操船技術をマスター
「おおえど」はタグボート型の消防艇で,他の消防艇とは操船の方法がまったく違います。ふつうの船は舵の操作だけで針路を定めますが,タグボートは360度旋回式の2つのプロペラを操舵席のレバーで操作して,細かい動きを実現します。こんな船の操作は初めてで,とても楽しみでしたが,操船技術のマスターには苦労もしました。
「おおえど」の船長に着任したのは,船の運用が始まる7か月ほど前で,「おおえど」はまだ建造中でした。兵庫県芦屋市の海技大学校にタグボートのシミュレーターがあり,私はここで船の動かし方を一から学びました。「おおえど」を建造している造船所にも行きましたね。実物を見てスケール感を肌で感じ,頭の中でこの船を動かすイメージを描きながら,シミュレーターでの訓練を重ねました。
乗組員も,何から何まで初めてです。実際にプロペラのレバーや舵を握る操舵員もシミュレーターで技術を学んでいます。また,操船だけでなく,被災船を押したり曳いたりというこれまでの消防艇とは違う動きがあるので,甲板での作業も特殊になります。
私は「おおえど」の他の2人の船長たちとも意見交換しながら,操船技術,曳航装置の取り扱い,消火の各種機器の取り扱いなど,あらゆる作業についての訓練内容もゼロから作り上げてきました。
多いのは油漏れの事故での出動
最近では実際に大きな船舶火災が起こるのは,何年かに1度です。2018年は,管轄内では3件の船舶火災がありましたが,幸い大きく延焼はしませんでした。「おおえど」の運用が始まって何度も出動していますが,多いのは水面での油の流出事故です。中でも印象に残っているのは,お台場の目の前の品川埠頭沖での油漏れの事故でした。港で船に燃料を給油する移動式ガソリンスタンドのような“給油船”から,油が海に流出したんです。
引火することはありませんでしたが,長さ1.5km,幅500m以上にわたり油が海面に広がってしまいました。このときは,海上保安庁,東京都港湾局と東京消防庁が連携しました。大型艇が横並びに隊列を組み,海面に放水することで油を拡散して薄め,無事に収束できました。日頃の訓練が生かされ,海上保安庁などとの連携もスムーズで,理想的な活動ができたと思います。
災害に想定外はない
今の仕事には,東京港の安全を守っているんだという実感があり,そのことを誇りに思っています。東京消防庁には多くの消防官がいますが,隊長になれる階級で海技士免許をもち,大型消防艇の船長になれる資格がある人は,ごくわずかです。私は,自分が望んだ大型消防艇の船長になれましたし,なおかつ日本で初めて配備された最新鋭の消防艇の船長に任命されたことは,とても光栄なことだと思っています。
その反面,船長は非常に重い責任も背負っています。その任務を全うするため,「気になったことを,気になったままにしない」ことを,いつも自分に言い聞かせています。火災や事故は,いつどんな状況で起こるか誰にもわかりません。「まさかこんなことは起きないだろう」と,勝手に決めつけてしまってはダメなんです。「もしここでこんなことが起こったら?」と,あらゆる想定をしてみて,気になったことは徹底的に頭の中でシミュレートして突き詰めるのが,考え方のくせというか習慣になっています。
私がいろいろな状況を想定して新たな訓練を行うのを,隊員たちは,「今日の訓練はどんな想定でくるんだろう」と楽しみに待ち受けているようです。あらゆる想定で訓練をしておくと,実際の現場で対応する力がつきます。「ありえない」と決めつけず,頭を柔軟にして豊かな発想ができるよう,ありたいものですね。
水難救助隊にひかれ,消防隊員,そして消防艇船長に
私は水泳が好きで,大学時代にはスポーツクラブで水泳のインストラクターのアルバイトをしていました。このクラブに就職するか,もっと違う世界に出ていくかと悩んでいたとき,友人の父親が築地の消防署で働いていると聞き,魚市場と消防署の取り合わせが面白くて興味をもちました(※魚市場は,2018年に築地から豊洲に移転)。東京消防庁のパンフレットを取り寄せて見ると,水難救助隊があるし,体力を生かせる仕事で「自分には向いている!」と,ほとんど確信したんです。
それから猛勉強して東京消防庁の採用試験に合格し,入庁することができました。消防学校で学んだ後,配属先の調布消防署で,水難救助の資格の研修を受け,念願だった水難救助隊員になりました。調布消防署にいた10年の間には,事故や災害の捜索などで,多摩川や奥多摩湖など,さまざまな淡水に潜りました。
その後は水難救助隊がある海辺の消防署をいくつか経験し,日本橋消防署で初めて消防艇に乗務する水難救助隊員となりました。その後,臨港消防署で水難救助隊長として8年間,消防艇に乗務することで,六級海技士(航海)の免許がとれる乗船日数に達し,大型消防艇を動かしてみたいと思って,国家試験に挑戦して海技士の免許を取得したんです。
初めて船長になったのは,「ありあけ」という消防艇です。船長は重い責務を負う仕事ですが,夢がかなって大型消防艇の船長として仕事ができ,とてもうれしかったです。今「おおえど」に乗っていることも,私の人生の大きな喜びです。
経験が多彩なほど能力は高くなる
将来やりたい仕事や職業が決まっていても,決まっていなくても,子どものうちからいろいろなことに挑戦することはいいことだと思います。興味のあることなら,勉強でも遊びでも何でもいいでしょう。
私は子どものころによく,家族に海や山に遊びに連れて行ってもらいました。家の周辺も当時はまだ川や野原など自然が残っていて,私は外での遊びが大好きでした。こうして自然の中でたくさん遊んだことで,天気や風の強さや変化を感覚的に察知する力がいつのまにか養われたように思います。これは,海の上で働く今の仕事にとても役に立っています。
もちろん,自然の中の遊びでなくても,興味をもったことなら何でもいいんです。いろんなことに挑戦して経験を積むと,引き出しが増えます。そうすると,物事に対応する能力が上がります。たくさんある引き出しから,必要なものを出せるからです。
災害現場では,突発的にいろいろなことが起こります。そんな中で,危険を察知し柔軟に対応する能力が高いのは,人生経験がより多彩な隊員だと私は感じています。消防の仕事にかぎらず,経験を多く積んだ人のほうが,多面的な発想や対応ができると思います。
人生にむだな経験はありません。今のうちから,ぜひいろいろなことに挑戦してみてください。