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島根県に関連のある仕事人
1939年 生まれ 出身地 島根県
天野あまの 勝則かつのり
子供の頃の夢:
クラブ活動(中学校):
仕事内容
川でアユをとる漁と,アユの加工をする。
自己紹介
何ごとも,「なぜそうなのか」という理由をてっていてきに考えなくては気がすまないせいかくです。60さいぎてからすいさいを始め,漁のオフシーズンに楽しんでいます。今は失われてしまった川の風景や川漁の様子,くなった友人たちの顔などを思い出しながらいています。

※このページに書いてある内容は取材日(2018年10月13日)時点のものです

中国地方最大の川でアユをとる

中国地方最大の川でアユをとる

わたしは,中国地方ではいちばんりゅういきが広いごうがわごうかわ)で,川漁のせんぎょうりょうをしています。ごうがわすいげんは中国山地で,こうは日本海です。わたしの家はこうから15kmほど,がわというりゅうごうがわに合流するところにあります。水温やかんきょうことなる2つの川にめぐまれ,川漁をするにはもってこいの場所です。この合流点を中心とした4キロメートルほどのかわすじわたしの漁場です。
漁の対象はアユです。20年ほど前まではモクズガニやウナギもとりましたが,だんだん数がり,わたしも年をとったので今ではアユ漁一本です。船で川に出て,一度にたくさんのアユがとれる「あみ漁」をしています。川の中にあみをカーテンのように広げて,アユをからませてとる漁法です。漁はおもに夜中から明け方にかけて行います。暗くてアユに船やあみが見えにくいのと,夜中のアユはないぞうが空っぽでくさみがないからです。
アユは寿じゅみょうがたった1年の魚です。冬に川でふ化したアユの子は,川よりも水が温かくプランクトンなどの食べ物が多い海に流れ下ります。やがて春になるとぎょは海から川にのぼってきて,6月1日からアユ漁がかいきんになります。
かいきんのころのわかアユは10センチメートルほどですが,石についたを食べてどんどん育ちます。けから8月のおぼんのころまでが,味もだんもいい時期です。秋になってさんらんむかえると,アユは上流から下流のさんらん場所に下ってくるので「落ちアユ」とばれます。さんらんに向けてたまごしらせいそう)が大きくなると,身の味は落ちてきます。わたしは9月に入ったら生アユはもう売らず,焼きアユとないぞうしおからに加工してはんばいします。
ごうがわではアユの漁期は10月15日まで。あとの半年は,新しいあみを仕立てたり,しゅすいさいいたり,60さいを過ぎてからはのんびりと過ごしています。

夜中のあみ

夜中の刺し網漁

あみにも種類がありますが,わたしあみきやおもりなどを買ってきて,すべて自分で仕立てています。わたしあみは具合がいいからと,人にたのまれて仕立てることもありますよ。
け前のまだアユが小さなうちは,手にあみを持って浅い流れの中を歩いて漁をします。が明けて魚体が大きくなると,いよいよ船を使ったほんかくてきあみ漁が始まります。ふうや親子など二人で行うことが多い漁ですが,わたしは一人で漁をしています。家を出るのは夜中の12時ごろ。船でその日の最初の漁場に向かい,漁を始めるのは午前1時ごろです。それから明け方までひとばんじゅう,4キロメートルのかわすじのあちこちで,アユがいそうな場所にあみを入れては上げ,入れては上げをかえします。
アユは昼の間は川底の石についたを食べていますが,暗くなるとこうせいのナマズなどのてんてきが活動を始めるので,いったん深みにかくれます。やがて真夜中になると,見通しのいい遠浅できれいな水が流れる場所に出て休みます。川りょうはそこにあみを入れるんです。
あみたけが1メートル,長さが70メートルくらいです。上部にき,下部にチェーンのおもりがつけてあって,水中にまくるような形になります。船が下流に流されるのに合わせてあみを水の中に落としていきますが,アユに気づかれないよう静かにすばやくあみを入れるのがコツ。アユは深いほうへげるしゅうせいがあるので,あさから深くなりかけるところにあみを入れるのも定法です。その場にアユがいればすぐあみにかかるので,長く待つことはなくあみを上げます。船の上であみにかかったアユを外してクーラーボックスに入れ,次の場所へとどうします。
同じ場所にいつもアユがいるわけではなく,川の水量,時間帯やお天気,月夜かやみかなどによって,アユの行動はちがってきます。例えば,かいきんから月日がたち秋になると,アユの動きもにぶくなりあみにかかりにくくなってきますので,2回も3回も明かりをともしてあみった中を行ったり来たりします。読みがうまく当たって,クーラーボックスが重くて持ち上げられないくらいたくさんとれた日は,本当にうれしいものです。

注文におうじて生アユや加工品をはんばい

注文に応じて生アユや加工品を販売

昔はとったアユを魚市場や漁協に出していましたが,今では注文におうじてれいぞうで発送しています。じんきゃくからの注文がほとんどですね。アユが1キロ入るはっぽうスチロール箱を箱屋さんに特注して使っています。季節を追うごとに成長し,1箱に入る匹数がっていくのは,アユならではのおもしろさです。
9月に入ると,焼きアユと,ないぞうしおから「うるか」を加工してはんばいします。毎年楽しみにしてくれるお客さんがいて,加工品も大切な商品です。秋の落ちアユは,焼きしにすると深い味わいが出るんですよ。めんるいやお正月のおぞうに最高ですし,すき焼きにしても,わたしは牛肉よりおいしいと思うほどです。
焼きアユづくりはまずないぞうのぞき,くししで1時間,さらにくしいてあみならべて2時間,炭火であぶります。このあと遠火の炭火でじっくり2,3日かけて焼きしていきます。はつけず水分をくイメージで,うまが出てぞんもきくようになります。わたし姿すがたの美しさにもこだわって,アユが口をじて体が真っすぐになるよう仕上げます。
ないぞうしおからの「うるか」は高級ちんで,わたしたまごしらの「子うるか」,ないぞうの「苦うるか」を作っています。加えるのは塩だけなので,ざいが味を決めます。とくに腸は空っぽでないとどろくさくなります。夜中から明け方のアユは腸が空っぽなうえ,味わいのある苦味のもとになるたんのうが大きいんです。そのため,苦うるかは,夜中から明け方にかけてとったアユのないぞうだけで作ります。

漁は魚と人のくら

漁は魚と人の知恵比べ

川漁を始めた最初のうちは,とったアユはごうがわ漁協にしゅっしていました。けれど,漁協での買い取りかくいちりつです。そこで,きのなかがいにんひんしつおうじてだんをつけるはまの魚市場に,自分でアユをんでみました。するとわたしのアユはしつがいいとみとめられて,高いだんがつくようになりました。漁協で1キロ2500円の日に1万円で売れたのが最高記録です。
しつのいいアユをたくさんとれるのは,何ごとも「なぜそうなのか」という理由をきつめ,ふうと努力をしたからです。じつは,あみぎょぎょうけんを手に入れてすぐあみを買ってきて漁をしたのですが,まったくとれませんでした。アユはいる場所なのに不思議に思って,川にもぐってあみの様子を見てみました。するとあみと川底の間にすき間があったり,流れにあみぼうじょうかれたりしていて,川のじょうたいに合わせたあみが必要だとわかったんです。それで自分で何パターンもあみを仕立ててためした結果,アユがとれるようになりました。
川は生き物のようにたえず変化していますし,漁は魚と人のくらべです。川の変化を読み取り,アユの観察から行動の理由までげて考えることで,川はわたしにアユをとらせてくれるんです。

のうせいこうりつを上げるふうと努力

機能性と効率を上げる工夫と努力

漁のこうりつを上げるために,てっていして道具のかいぞうを重ねました。最大の漁具は船です。最初は木の船をかいぞうしていましたが,自由に形を作れるグラスファイバーに出会ってから,手づくりするようになりました。手足のようにざいあやつれる船にしようと,こうさくしながらなんそうもつくってきました。今の船も手づくりです。以前は音が静かな電動船外機もつけていましたが,今は外して船を軽くし,竿さおとパドルでどうできるはんで漁をしています。
そうにもふうをしています。まず,船の上であみるせるよう,あみたけよりやや長いポールの先によこぼうをつけたものをせっしました。ふつうあみは船のゆかかせて積み,船べりから手であみを持ち上げて出し入れするので,からみやすく,出し入れに力も必要です。でもこのよこぼうあみるせばあみの投入には力がいらず,引き上げたあみよこぼうに整然とるすので,アユをあみから外す作業も楽になります。また,100メートルもあるいかりのロープも,手作業ではなくモーターのげ式にしました。おかげでとれたアユを外してクーラーボックスに入れるまでの時間が短くてすみ,せんがよくなります。1回の漁にかかる時間は少なくなり,ひとばんあみを入れる回数をおおはばやせました。
でんとうてきな川漁からくらべると,“あましき”の船は不思議な姿すがたで「ちんどん屋」と冷やかされましたが,あみげるぼうなど,わたしのまねをする人も出てきました。今ではあみ漁をするための道具のように考えているようです。80さい近い今でもあみ漁を続けていられるのは,こうりつふうのおかげだと思います。

自然をく漁の楽しさ

自然を読み解く漁の楽しさ

自然界のいろいろなしくみの発見やかいめいが一番のやりがいです。自然のげんしょうの理由をげて考えて,そくしたことが的中すると「あー,やはりそうだったのか!」と心の底から楽しくなります。ほんかくてきに川漁を始めたときからわたしは「いつ,どこでとれる」という他人のじょうほうはいったんして,自分で考えることをつらぬいてきました。
たとえば,ふくりゅうすいとアユの行動の関係に気づいたのもそうです。ふくりゅうすいは川底にく水で,夏は冷たく冬には温かく,さんほうです。アユの行動をよく見ていたら,夏の夕方やぞうすいで水がにごったときなどにアユがよく集まる場所があるんです。なぜだろうとよくげて考えてみたら,「夏には暑さをしのぎ,ぞうすいのときにはさんを求めて集まるんだ,つまりふくりゅうすいいているんだ」と気づきました。だから,今はあそこにいるぞとそくしてあみを入れてみて,思ったとおりにたくさんアユがとれると,ぞくぞくするほどうれしくなりますね。これがわたしにとっての漁のやりがいです。

社会けいけんを積んできょうの川にもど

社会経験を積んで故郷の川に戻る

小学校1年生のときとつぜん,父がくなりました。きょうだいは3人で,母は畑をたがやして何とか生計を立てていましたが,わたしも10さいごろからは畑を手伝い,アユやウナギをとって売ったりして,いっしょうけんめいに母を助けました。
中学校を卒業してからは林業や土木の仕事もしましたが,いつまでもやとい仕事では仕方ないと思って19さいで陸上えいたいに入隊しました。しかししょうぶんに合わず5年足らずでめた後,「よし,35さいまではいろんな仕事をけいけんしてやろう」と決めました。おおさかで電機工場やざっの問屋などいろいろなしょくを体験し,30さいごろに実家にもどりました。大好きな川のそばにもどりたいという気持ちが強かったように思います。
もどってから,ごうのスーパーでざっの仕入れたんとうとして働くようになりました。せいせきも給料もよかったのですが,40さいになる前にめました。そのころ幸運にもアユのあみ漁のけんゆずってもらえたんです。一度にたくさんの魚がとれるあみ漁は,げんと漁のちつじょを守るために漁協がぎょぎょうけんきょすうを決めています。それからはつとめることはなく,半年は川りょう,あとの半年はイノシシのわなりょうじんでの家具のおろしはんばいないそうの仕事などもしながら,むす3人を育て上げました。60さいからはだんだん川漁だけになり,69さいから6年間はごうがわ漁協の組合長としていきのために働くこともできました。
人間の社会や商売にはねたみやだまし合いがある。でも川は正直で,ふうや努力がそのままむくわれます。40年もせんぎょうの川りょうを続けてきたのは,もちろん川や漁が大好きだからですが,正直でうそのない川という自然にりょうされたことがいちばん大きな理由じゃないかなと思いますね。

川で育った子ども時代

川で育った子ども時代

わたしは川で育ったようなものです。昔はごうがわがわも水がきれいで,バケツで川の水を家に運んで飲み水にしていました。もちろん,魚や川の生き物も本当にゆたかでした。夏休みには午前中は家の仕事をして,昼からは川です。くうふくたおれそうになるまで川で遊びました。小学1年生ごろからミミズで小魚釣りを始め,少し大きくなると竹でけを作ってウナギをとりました。近所に子どもから魚を買う人がいて,ウナギはいいお金になりました。うちは生活が苦しかったので,母の喜ぶ顔を見たさにがんばったものです。
アユをとり始めたのは中学生になってからです。水中めがねで川の中を見ながら,はりにアユを引っかける手軽な「ちょんがけ」から始めました。でもこの漁法はほうなんです。だから登校前の朝早くかゆうれ時にこっそりやって,とったアユをお金にしていました。
中学を卒業すると,生活のために夜中に「ちゃぐり漁」を始めました。これは糸にはりを6,7本つけた竿さおで川底を引き回してアユを引っかける漁法です。体力勝負ですが,高い漁具も船も買えないわたしにはこれしかできませんでした。ところが最初は全然とれないんです。そこで上手な人にお願いして,水中にはらばいになって,アユが引っかかる様子を見せてもらいました。おかげでわたしけは軽すぎるんだと気づいて改良したら,その後はたくさんとれるようになりました。
15さいの夏に,川で死にかけたことがあります。ある日,船で日中にちゃぐり漁をする人から,船をすから夜に漁をしながら漁場をキープしてくれとさそわれ,喜んで引き受けました。たしかにいい場所で,大きなアユがとれました。ところが雨がってぞうすいして,明け方にうとうとしたら流され,あっという間にてんぷくしました。ちょうどそこは,うずかれて7日間出られないといわれるなんしょの「なのぶち」でした。必死でもがいて運よく命拾いしましたが,とんでもない15さいだいぼうけんでした。

たくさんのけいけんと,物まね以上のそうふう

たくさんの経験と,物まね以上の創意工夫を

わたしは25さいごろに「35さいまではいろいろなしょくぎょうけいけんしてやろう」と決めましたが,すべてがその後の人生に役立ちました。わかいうちになるべく広い世界を見て多くのけいけんを積むことは,その人を強くするのではないかなと思います。いろいろなけいけんがあれば,何かにつまずいても「別の道があるさ」とえることができます。じっさいわたししょくになっても何もこわくありませんでした。これは自分への自信といってもいいと思います。
でも,ただけいけんを積むだけではだめなんです。もうひとつ大事なことは,人の物まねではなく,自分の頭で考えて,物まね以上の成果を生むそうふうかいぜんをすること。アユ漁も自分なりのふうをしなかったらしつのいいアユをたくさんとることはできず,川りょうとして生活できなかったはずです。何より漁の楽しさを今ほど感じることがなかったでしょう。物まねから一歩んだときに,人生はもっとかがやくはずです。

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20代になってから哲学書を読むようになりました。カントの哲学には,「なぜこれはこうなのだろう」という物ごとの道理を解くヒントがあります。私は「こうしたい」と思うことがあると,自分が何をすればいいのか分析し,ゴールへの道筋の段階を組み立てて考えます。それは,哲学から教えてもらった考え方です。

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取材・原稿作成:大浦 佳代/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク