仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1977年 生まれ 出身地 東京都
伊藤いとう 秀隆ひでたか
子供の頃の夢: 映画監督
クラブ活動(中学校): 映画部
仕事内容
にちじょうかがやかせるための楽しみをつくる。
自己紹介
海外の大学でえいの勉強をしたり、えいたいに加えイベントかくけたりと、つねちょうせんし、やってみないと見えない景色を見に行きます!毎日が文化祭のかくづくりやせいさくのような仕事をしているので、これといったしゅがないのがなやみです。
出身高校
出身大学・専門学校
南カリフォルニア大学(USC)映画学部

※このページに書いてある内容は取材日(2022年09月15日)時点のものです

人を楽しませるためのかくを考えて、じつげんする

人を楽しませるための企画を考えて、実現する

わたしえいかんとくたいえんしゅつ、プロデューサー などはばひろい仕事をしています。仕事ないようをひとことで言うと、「楽しいことを考え、それをかたちにしてお客さまに伝えること」です。その方法は、えいたい、イベントなどさまざまです。今後は、地方の博物館などをもっと楽しくできるような、いきを元気にするえんしゅつもやってみたいと考えており、ひょうげん方法にこだわらず作品づくりをしたいと考えています。
わたしの仕事は、文化祭のかくづくりに近いかもしれません。みなさんの中にも「今年はクラスで何をやろうか」と、お化けしきえんげきなどのかくを考えたことがある人もいるのではないでしょうか。わたしは、人を楽しませるためのかくを考えてじつげんすることが好きなので、この仕事を続けています。
大学時代にPlanet Kidsというりゅうがくせいえいせいさくサークルをスタートさせ、帰国後、約12年前にPlanet Kids Entertainment(プラネット キッズ エンターテインメント)という会社をせつりつしました。代表とりしまりやくつとめています。最初はわたし1人の会社でしたが、6年前ころからの大きなたいけるようになったため、1人ではたいおうむずかしくなり、社員もさいようし始めました。げんざいは6人の社員がいます。また、えいではさつえいへんしゅう部門、たいでは照明やおんきょうたんとうなど、全体で70人から時には100人をえるほどの外部スタッフと取引があり、協力しながらエンターテインメント作品をつくっています。

かくからスタッフ決めやげんでの出しまで、さまざまなじゅんを重ねて本番にいど

企画からスタッフ決めや現場での指示出しまで、さまざまな準備を重ねて本番に挑む

仕事は、しゅっぱんしゃこうこくだいてんから「こういうイベントをじっしたい」とらいされることもあれば、自分たちからかくていあんすることもあります。どちらの場合もわたしかくを立てるところから始まることが多いです。
例えば、今けている「とうそう中 THE STAGE」というたいの場合は、わたしたちからかくていあんしてじつげんしたものですが、「とうそう中 THE STAGE」ではまず、ちょさくけん(作品を使用するけん)を持っているテレビ局とこうしょうし、たいしてこうえんするけんしゅとくしました。たいの場合は、かいえんの1年前にはげきじょうかくしておく必要があるため、こうえんないようが決まっていなくても先にげきじょうを予約しておきます。そしてきゃくほん(セリフや動きがさいされたえいたいせっけいやくわりになうもの)は、3か月前には完成させます。きゃくほんらいすることもありますが、今回はわたしが書きました。そこからじゅつなどのせんもん部隊との打ち合わせを開始します。しゅつえんする役者を決めて、けいを開始するのは1か月前ごろからです。その後、役者にえんどうをしながらけいを重ね、こうえん本番に向けてじゅんを進めていきます。
また、えいかんとくとしては、全体のをとり、役者やスタッフにを出すのが主な仕事です。例えばさつえいげんでは、まず動きやセリフをかくにんする「だんり」というこうていで、役者と話をしながらどうえんじてもらうかを決めます。それが決まったら役者はメイクをしたり、気持ちをつくったりするじゅんに入ります。その間にわたしはカメラマンとどの角度からるかを決めたり、照明と光の入れ方を決めたりしてじゅんを整えます。役者のメイクなどがかんりょうしたら「ヨーイ、スタート!」と、本番のさつえいが始まる流れです。

えいかんとくあるいはたいえんしゅつとプロデューサーの仕事をけんにん

映画監督あるいは舞台演出とプロデューサーの仕事を兼任

えいかんとくたいえんしゅつ、プロデューサーの仕事には、それぞれのやくわりちがいがあります。
えいかんとくは、作品のほうこうせいを決めることが重要なやくわりです。「こんなえいぞうりたい」「この場面ではハラハラさせたい」といったねらいを役者やスタッフに伝え、思った通りにれているかかくにんします。ほうこうせいしめすためには、自分の中にめいかくなビジョンが見えている必要があります。目的は何なのか、このえいを作って何をしたいのか、お客さまにどう伝えたいかをしっかり考えることを大切にしています。
たいえんしゅつは、かくをどうたいにするのかを考えることが主なやくわりです。例えば「とうそう中」のようなおにごっこゲームを、どうえんげきとしむのかを考えます。えんしゅつプラン(計画)を立てて、役者を決めるためのオーデションをしたり、じゅつ、照明、おんきょうについて各スタッフと話し合ったりして具体的に決めていきます。
プロデューサーのやくわりは、かくを考え、お金を集め、そのかくじつげんさせるためのチームを組み、お客さまにとどけることです。そしてかくじつげんすることでえきを出すこともプロデューサーのやくわりになります。また、トラブルが起こったときにたいおうさくを考え、はんだんするせきにんも負います。
えいかんとく、あるいはたいえんしゅつとプロデューサーの仕事をけんにんする人は日本では少ないのですが、海外ではよく見られるスタイルです。けんにんすると仕事量が多くなるため、時間的にはいそがしくなります。しかし、プロデューサーもやることで予算配分なども自分でコントロールできるので、わたしは両方の仕事をけんにんすることが多いです。

トラブル時に「続けるか、中止するか」をはんだんする

トラブル時に「続けるか、中止するか」を判断する

仕事の中で一番大変なことは、トラブルたいおうです。たいえいせいさく中にだれかがけがをしたり、体調をくずしたりしたときに、「続けるか、中止するか」のはんだんをしなければなりません。コロナになり、そのはんだんをするためのめいかくじゅんしめされていないこともあるので、特にむずかしくなったと感じています。役者やスタッフ、お客さまの安全が第一であることは当然ですが、中止すれば、数百万円、時には数千万円のそんがいが出てしまいます。さらに「とうそう中 THE STAGE」のように他社から作品を借りてじょうえいしている場合は、作品自体のイメージを守る必要があります。安全としゅうえき、作品イメージの3つのバランスを考えながらはんだんするのには、苦労しています。
また、えんげきでは70人、えいでも30~40人ぐらいのスタッフが動くので、何かしら問題が起きます。何かが足りなかったり、伝達ミスが起きていたりするのです。そういったトラブルは、コミュニケーション不足がげんいんで起きることが多いと思います。そのため、5分10分でも時間を作り、しっかりコミュニケーションを取ることを心がけています。それから、スムーズに仕事を進めるためには、ごろからていねいで親しみを感じられるたいおうをすることも大切です。特にメールでのコミュニケーションの場合は、冷たく感じられてしまうこともあるので、かたい感じのビジネスメールではなく、親しみやすい文章で送るようにスタッフにもどうしています。

やりがいを感じるしゅんかんは、人の心にとどいたとき

やりがいを感じる瞬間は、人の心に届いたとき

わたしが仕事の中でやりがいを感じるしゅんかんは、お客さまにてもらい、た人の心に伝わったことが感じられたときです。げきじょうで感動して泣いたり、おどろいたり、笑ったりしている人を見たときに、やってよかったと思います。いつも人の心に何かをとどけたいと思いながら作品をつくっています。
とうそう中 THE STAGE」は、子どもたちに、つねにスピード感とハラハラ感を持っててもらうことをしきしてきゃくほんを書きました。本作で特に考えたのは、「えんげきを初めてる子もいる」ということです。初めてのたいがつまらなければ、えんげききらいになってしまいます。終わってからまねして遊んでいる子どもたちを見たときは、楽しんでもらえたことが伝わってきて、本当にうれしかったです。
それから、インターネット上で「このたいがあるから仕事をがんれる」というコメントを見かけることがよくあります。そういうコメントを見たときに、その作品のファンが、心から楽しみに待ってくれていることを感じます。みなさんも夏休みのお出かけの日などをカレンダーにんで、あと何日と心待ちにすることがあるのではないでしょうか。えんげきえいなどでにちじょうからして、にちじょうに行くことでまたにちじょうの中でがんれる。わたしたちの仕事は、そういったにちじょうかがやかせるための楽しみをつくる仕事だと考えています。

小学4年生のころに、あこがれのえいかんとくと同じ海外の大学に行くことを決意

小学4年生のころに、憧れの映画監督と同じ海外の大学に行くことを決意

わたしえいぞうり始めたのは、父がゴルフの景品でビデオカメラをもらってきたことがきっかけでした。当時、わたしは小学4年生でしたが、父はビデオカメラにきょうがなかったので、もらうことができたのです。わたしはもともとえいぞうることにきょうがありましたが、こうがくなビデオカメラを入手することは無理だとあきらめていました。そのため、ビデオカメラをもらえるとおおよろこびして、友達を集めてすぐにさつえいを始めました。初めてった作品は、かいに行くファンタジーけいのストーリーだったと思います。じっさいにやってみると楽しくて、えいかんとくになることがゆめになりました。
そのころ、たまたま落ちていたえいざっの付録を発見し、そこにっていた有名なえいかんとくけいれきをすべて暗記しました。出身大学を見ると、南カリフォルニア大学やニューヨーク大学が多かったので、「りゅうがくして同じ大学でえいの勉強をする」と決めたのです。しかし、英語が苦手だったので、まずは海外の語学学校に入学しました。次に日本の短大にあたるコミュニティーカレッジに入学します。そこから大学にへんにゅうできるせいがあったので、へんにゅう試験を受けて、ついに南カリフォルニア大学のえい学部に入学しました。大学では、有名かんとくのスティーヴン・スピルバーグやロバート・ゼメキスがこうをしてくれたのをよく覚えています。また、キャンパスで「スター・ウォーズ」などのえい音楽で知られるジョン・ウィリアムズが学生オーケストラのをしていたこともありました。その光景を見たときは、とても感動しましたね。
りゅうがく中も大学に通いながら自主えいり続けていました。そのころはせいさくがなかったため、一番苦労したかもしれません。大学のしょくどうで、自分で作ったカレーライスを売ったりしながら、きんを集めていました。そして帰国前になると、日本のいろんなえいぞうプロダクションや有名プロデューサーに作品を送りました。日本で仕事をするためにえいぎょうをしたのです。そこからえいせいさくているメイキングの仕事をもらい、フリーで仕事をするようになりました。完成作品を見せて自分をみながら少しずつ仕事のはばを広げ、げんざいのようにさまざまな仕事をするようになりました。

たくさんくやしい思いをしても、好きだから続けられた

たくさん悔しい思いをしても、好きだから続けられた

ようえんのころはヒーローショーやえんげきなどに連れて行ってもらい、家でまねして遊んでいるような子どもでした。小学校の高学年になると、放課後は友達といっしょえいぞうって遊ぶようになります。そのころから勉強や運動は苦手で、えいぞうることが大好きでした。中学や高校になると、テスト前は「終わったらまたえいぞうれる」と思って勉強をしていました。また、文化祭で、自分がったえいぞう作品をじょうえいするようになります。ないようは、ホラーけいやSFえいの「ターミネーター」のようなストーリーなど、当時流行していたドラマやえいえいきょうを受けたものが多かったです。文化祭の前は、てつへんしゅうをして、よくじつの午前中は学校を休んでしまうこともあったのですが、親からも特に注意はされませんでした。小学生のころから「えいかんとくになる」と言っていたので、「えい作りのためならしょうがない」と思っていたのかもしれません。文化祭でじょうえいした作品は、当然のことながらきびしい意見ももらうこともありくやしい思いをたくさんしました。また大学時代は有名プロデューサーにメールでこくひょういただいたこともあり、空港のトイレで泣いたのを覚えています。それでもずっと続けているのは、えいぞうることが本当に好きだからだと思います。

やりたいことがあったら、今すぐにやってみたほうがいい

やりたいことがあったら、今すぐにやってみたほうがいい

わたしがみなさんに伝えたいのは、「やりたいことがあったら、今すぐにやってみたほうがいい」ということです。例えば、しょうらいユーチューバーになりたいと思っているのなら、しょうらいではなく、今すぐにやってみればいいと思います。
わたしえいりたいと思ったときに、すぐにり始めました。やってみると、楽しいことやくやしいことがたくさん出てきます。そして、「今度はこうしよう」と、出てきた課題を次の作品に生かすことができるようになっていきます。「やってみること」の一番のこうは、げんじつ感が出て、次の景色が見えてくることです。じっさいにやってみて、社会に向けて公表するというのはめられるだけではなく、こくひょうもされるということです。そのつらさはじっさいに体験してみないと分かりません。やりたいことがあれば、すぐに動いてみて、きびしいげんじつを受け入れ、それでも続けるかくをすぐにでも持つことが大切です。
大人になるほど失敗することがこわくなり、ちょうせんしにくくなってしまうので、みなさんにはわかいうちにぜひ、失敗や成功の体験をたくさんしてほしいと思っています。

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私のおすすめ本

アレックス・バナヤン
目標を達成するための裏道(3番目の扉)を探していくうちに、普通なら出会えない人と出会ったり、新しい道が開けたりするという内容を著者が実践していく過程が面白い。私も留学時代に映画製作の費用をつくるために自分で作ったカレーライスをアメリカの大学で売ったり、お金を出してほしいというメールを100社の企業に送ったり、いろいろやったことを思い出しました。
クリストファー・ハード
「ターミネーター」や「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督の人生について書かれた本。この本に限らず、10代のころ、スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなどの映画監督の経歴や創作に対する姿勢などが描かれた本を読み漁っていました。ほかにも、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどビジネス以上のイノベーションを起こした人の本をよく読んでいました。

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取材・原稿作成:國分 唯未(Playce)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫