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千葉県に関連のある仕事人
1936年 生まれ 出身地 千葉県

渕辺(ふちべ) とし(とし)
子供の頃の夢:
クラブ活動(中学校): バスケットボール部
仕事内容
海に潜もぐって貝をとったり,磯いそで海かい藻そうをとったりする。
自己紹介
海に行ったり畑をやったり,体を動かして働くことが大好きです。ものをつくることも根気よくていねいだと思います。

※このページに書いてある内容は取材日(2018年11月27日)時点のものです

南みなみ房ぼう総そうで昔からさかんな海あ女ま

南房総で昔からさかんな海女

私わたしは千ち葉ば県けん南みなみ房ぼう総そう市し白しら浜はまの名な倉ぐら地ち区くで海あ女ま漁と農業をしています。半農半漁ですね。海あ女ま漁は時期が決まっていて,5月1日から9月10日までは潜もぐってアワビなど貝類をとり,12月1日から2月中は磯いそでハバノリや青ノリなどの海かい藻そうを摘つみます。農業は海あ女ま漁の合間にしていて,畑が2反たん(20アール)あります。つくっているのは,房ぼう総そうで栽さい培ばいがさかんなキンセンカなどの花,ソラマメや落花生で,農協に出しゅっ荷かしています。ほかに自家用の野菜も少し育てていますね。トラクターで耕たがやして畝うねを立てる作業は人に頼たのみますが,あとは何とか1人でやっています。
海あ女ま歴はかれこれ70年近くになります。南みなみ房ぼう総そうの磯いそは,岩が多い地形です。岩場には海かい藻そうがよくしげって,海かい藻そうを食べるアワビやトコブシ,サザエなどの貝類も多いんです。だから,昔から素す潜もぐりで貝や海かい藻そうをとる漁がさかんでした。私わたしが若わかいころには,地元の名な倉ぐら集落では女じょ性せいの8割わりが海あ女まをしていましたね。房ぼう総そう半島では男の人も素す潜もぐり漁をしていて,男のあまは「海かい士し」と呼よぶこともあります。

海あ女まにもいろいろある

海女にもいろいろある

海あ女まには,海に潜もぐってアワビなど貝類をとる「けぇ(貝)海あ女ま」と,潜もぐらずに浅い岩場でテングサをとる「テングサ海あ女ま」とがあり,稼かせぎがいい「けぇ海あ女ま」のほうがやや多かったですね。テングサは,寒天やところてんの原料になる海かい藻そうです。海に潜もぐるのが苦手な人がテングサ漁をしましたが,輸ゆ入にゅう品ひんが増ふえたため,今は専せん門もんにとる海あ女まはいません。
「けぇ海あ女ま」の中でも,船で沖おきに出る海あ女まを「船ふな海あ女ま」といいます。4,5人で船頭さんを雇やとって船を出してもらうんです。船を使えば早く漁場に着くし,やや深くてアワビの多い漁場で潜もぐれます。体はきついですが,浜はまから歩いて行くよりも稼かせぎはいいんです。とくに腕うでのいい海あ女まは「大おお海あ女ま」と呼よばれて,尊そん敬けいされたものです。
昔は私わたしが住む名な倉ぐらの集落だけで60人も海あ女まがいましたが,今では隣となりの地区と合わせても10人ほどです。寂さびしくなりました。10人のうち4人が海かい士しで6人が海あ女まです。いちばん年下の海あ女まで60歳さい代。3人が80歳さい以上で,82歳さいの私わたしより1歳さい上の人が最さい高こう齢れいです。

海あ女まの“制せい服ふく”と道具類

海女の“制服”と道具類

着き替がえや休きゅう憩けいのための“海あ女ま小屋”が海あ女まの基き地ちです。名な倉ぐら漁港の横に漁協が建ててくれた海あ女ま小屋を,今は5人が共同で使っています。座ざ敷しきには囲い炉ろ裏りがあって,漁のあとには夏でも薪まきを焚たいて温まるんです。
昔は上下とも白い木も綿めんの磯いそ着ぎでしたが,今は漁協が決めた“制せい服ふく”があります。まず水着の上に,上下が分かれたゴムのウェットスーツを着ます。この上に漁協で販はん売ばいしている,オレンジ色の長なが袖そで長ズボンのジャージを着ます。ゴムの帽ぼう子しもオレンジか黄色。このジャージと帽ぼう子しが海あ女まの制せい服ふくで,これをつけないと違い反はんになります。密みつ漁りょうを見分けるためでしょうね。靴くつ下したをはき,潜もぐりやすいよう錘おもりをつけたベルトを巻まきます。これに手て袋ぶくろで完成です。
今は海あ女ま小屋の前の磯いそで潜もぐるので,背せ負おいかごに道具を入れて浜はまに歩いて行きます。海あ女まの道具で大事なのは,まず「曲げ樽だる」。杉すぎでできた樽たるで,漁のときに浮うき輪わみたいにつかまって休みます。貝などをとる道具は「磯いそカネ」といって,木の柄えがついた大きなドライバーみたいなものです。磯いそカネは鍛か冶じ屋やさんに打ってもらいます。先がマイナスドライバーみたいな形をしたものと,フック状じょうのものとがあり,この磯いそカネを使って,アワビを岩からはがしてとります。とっていい大きさが決められていて,小さいものは逃にがします。
水中眼め鏡がねは,釣つり具ぐ屋さんで売っているのを使っています。ガラスの曇くもり止めには,ヨモギの生葉をこすりつけるのがきくんです。足ヒレを使うようになったのは20,30年前ですね。足ヒレのおかげですごく潜もぐりやすくなりました。

アワビを見つける目を養う

アワビを見つける目を養う

貝の漁期は5月1日から9月10日ですが,海が穏おだやかで漁ができるのは,よくて50日ぐらい。今年は台風が多くて海が荒あれたから,30日ほどでしたね。その日,漁に出られるかどうかは,集落の海あ女ま組合の役員である海あ女ま頭がしらが決めて漁港に目印の旗を揚あげます。漁が許ゆるされる時間は9時半から14時半の間。船ふな海あ女まはその時間内に1時間ずつ2回海に行くけれど,私わたしは仲間と浜はまから泳いでいくから,早くて10時半ごろ海に行って1時間半くらいで戻もどります。
私わたしたちが潜もぐる磯いそは,浜はまから100メートルほどのところです。潜もぐる深さは3,4メートルくらい。船ふな海あ女まだったころは,8メートル以上も深く潜もぐったんですけどね。
海の中はカジメという海かい藻そうがしげっていて薄うす暗ぐらいんですよ。カジメをかき分けて,岩と岩のすき間にいるアワビを探さがしますが,暗いうえにアワビは岩にそっくり。まあまあ見えてくるまでたっぷり2,3年はかかります。目が慣なれると形から何となく「アワビだな」とわかります。殻からの穴あなの列の側に磯いそカネを入れて,すばやく岩からはがします。一度はがすのに失敗すると,しっかり岩にはりついて,もう簡かん単たんにはとれません。すばやく,でも傷きずつけないように注意してはがします。
今はアワビが10枚まいとれたら大漁ですね。房ぼう総そうのアワビは,黒(クロアワビ),赤(メガイアワビ),マダカ(マダカアワビ)の3種類あります。マダカは沖おきの深いところにいて,数が少なく,めったにとれません。値ねがいいのは黒です。海からあがったら,着き替がえて,漁協の集しゅう荷か所に納のう品ひんに行きます。貝の種類や傷きずのあるなしで分けて重さを量って伝票をもらったら,海あ女ま小屋に戻もどります。
海あ女ま小屋では火にあたって温まりながら,持ってきたお弁べん当とうを食べて,仲間とおしゃべりして,夕方までのんびり体を休めます。こうやって真夏でも火で温まって体を休めるから,次の日にも出られるんです。ちゃんと休まないと体がもたないですよ。

海が好きだから続けられる

海が好きだから続けられる

アワビがとれなかった日はつらいですね。生活のために海あ女まをしてきましたからね。私わたしは子どもを5人産みましたけれど,妊にん娠しん中も8か月くらいまでは潜もぐっていました。つわりもなかったですし,むしろ体を動かしていたほうが体調はよかったみたいです。
潜もぐっていて危あぶない目にあったことはありませんが,ヒヤッとすることはたまにあります。浮うかび上あがろうとするときに磯いそカネのひもがカジメにからんでしまったり,水中眼め鏡がねがひっかかってはずれそうになったりね。海の生き物では,ナマダ(ウツボ)が怖こわいですよ。歯が鋭するどいから。でもこっちから手出しをしなければ,かまれることはないです。
息づかいは大事ですね。習い始めのときから,先せん輩ぱいの海あ女まさんたちに「無理をしてはだめ」とよくいわれました。息を使いすぎないように,浮うかび上あがるための息を残しておくようにと。「海あ女まの磯いそ笛ぶえ」も先せん輩ぱいに教わりました。水面に浮うかび上あがったとき,口笛みたいに口をすぼめてヒューッと一気に息をはくと,そのあとに息を吸すい込こみやすくなります。いったん肺はいがからっぽになるせいですかね。
海あ女まのやりがいは,もちろん稼かせぎ。それに雇やとわれではないから,自分しだいで自由に働けて気楽です。家に近くて漁の時間帯が決まっているから,家事や畑仕事のやりくりがしやすいのも助かります。でもこの歳としまで続けているのは,やっぱり海が好きだからでしょうね。慣なれてしまって,わくわくするということはないけれど,毎日でも海には行きたい。健康で海に潜もぐれることには本当に感かん謝しゃしています。

海に感かん謝しゃし,守る気持ちを大切に

海に感謝し,守る気持ちを大切に

神様にも感かん謝しゃしています。海あ女ま小屋の前に海の神様の小さなお社やしろがあって,海に出るときには必ず手を合わせて拝おがみます。海あ女まの神様は集落の中のお稲いな荷り様で,5月1日の開かい口こう(漁の解かい禁きん)の前には「どうぞ無事にすごさせてください」とお願いをして,その後も通りがかりや気の向いたときにお参りをしています。
アワビなどをとりつくさないための決まりはたくさんあるんです。海あ女まや海かい士しになれるのは,集落に住民票があって2年以上住んでいて,漁協の組合員であること。地元に住んでいて目の前の海を大切に守ろうという気持ちが大事なんです。
アワビを増ふやす努力もしています。漁協では県が育てたアワビの稚ち貝がいを買って放流していますし,自然の繁はん殖しょくを保ほ護ごするための禁きん漁りょう区くもあります。禁きん漁りょう区くは3区画に仕切られていて,1区画ずつ3年ごとに1日か2日だけ日を決めて漁をします。この水みず揚あげの中から,稚ち貝がいを買うお金をいくらか漁協に納おさめています。こうやって海を守っているのに密みつ漁りょうされては台無しです。「夜よ番ばん」といって,夜の密みつ漁りょうの見回りもするんですよ。海あ女まが2人1組で,潮しおが引く大おお潮しおの夜に1時間ぐらい浜はまを見回るんです。海岸の清せい掃そうも海あ女まのみんなでやっています。海水浴シーズンとか台風の後とかに。海から恵めぐみをもらうだけではなく,守ることや,感かん謝しゃしてきれいにすることも心がけているんです。

海遊びと畑仕事でじょうぶな体に

海遊びと畑仕事でじょうぶな体に

父は建けん築ちく関係の職しょく人にんで,母が農業とテングサ海あ女まをしていました。畑仕事も海も好きでしたから,私わたしは中学卒業後に家で母を手伝うことにしました。母がテングサ海あ女まだったので,私わたしも15歳さいのときから母に習ってテングサ海あ女まになりました。そのあと2,3年してから同級生に誘さそわれて,潜もぐってアワビをとる「けぇ海あ女ま」になりました。
結けっ婚こんは20歳さいのときです。夫の家にも畑があったので,私わたしは結けっ婚こんしてからも農業や海あ女まをしていました。夫の祖そ父ふがたまたま船ふな海あ女まの船頭で,27,28歳さいごろだったかな,祖そ父ふに「船に乗っていくか?」といわれて船ふな海あ女まになったんです。
私わたしは小さいころから“おてんば”でした。駆かけっこが得意で小学校の運動会では紅こう白はく戦せんの選手に選ばれたし,中学生のときには走はしり高たか跳とびで県大会に出たんですよ。体がじょうぶなのは,海で泳いだり,畑仕事を手伝ったりしたからです。当時の畑仕事は機械ではなく鍬くわで耕たがやして,稲いねや麦の脱だっ穀こくだって足あし踏ぶみ式しきでした。肥ひ料りょうもカジメを海で拾ってきて畑に入れてね。里さと芋いもなんかによく効ききましたね。とにかくよく体を使いました。
子どものころの遊び場といえば,とにかく海。波に乗ったり,潮しおだまりで磯いそ玉だま(小さな巻まき貝がい)をとったり,1年中友だちと海で遊んでいました。磯いそ玉だまにはいろんな種類があって,どれも食べられます。ピリッと辛からいカラエンボウ,甘あまいアマエンボウ,サザエみたいなふたのデクノボウ,先がとがったシリタカ,貝かい殻がらを両手ではさんで転がすと音が鳴るペーチョコチョコ(アマオブネガイ)。貝にまじっているヤドカリも食べましたよ。
小学生のころ,大おお潮しおの干かん潮ちょうの磯いそでトコブシなどをとっていい日がありました。漁協が5月に2日くらい日を決めていて,とった貝は買ってくれました。おこづかいを稼かせげたし,海でものをとる海あ女まの練習にもなっていたのかもしれません。楽しい思い出です。

生きているからには働くべき

生きているからには働くべき

子どものときに家の仕事を手伝うことは,とってもいいことだと思います。体は動かすことでじょうぶになりますから。私わたしは子どものころ,遊びに行きたくて畑の手伝いがいやだと思うこともあったけれど,畑仕事のおかげで体がじょうぶになりました。母には感かん謝しゃしています。どんな人でも何なん歳さいでも,人間は生きているからには働くべきだと思いますね。
それから私わたしは海あ女ま小屋で休むときなどに,人のうわさ話をしないよう気をつけています。うわさ話や悪口は聞きづらいですね。海あ女まは仲間の姿すがたが見えるところで潜もぐって,互たがいに安全を見守り合っています。仲間どうしの横のつながりはとっても大切なんです。みなさんも友だちとは仲よくしてほしいと思います。

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取材・原稿作成:大浦 佳代/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク