仕事人

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東京都に関連のある仕事人
1958年 生まれ 出身地 東京都

坂下(さかした) 雅世(まさよ)
子供の頃の夢: 保育士
クラブ活動(中学校): 卓球部
仕事内容
病院や介かい護ご施し設せつを清せい掃そうし、安心・安全な環かん境きょうを提てい供きょうする。
自己紹介
好こう奇き心しん旺おう盛せいで楽しい事が大好きです。休みの日は映えい画が鑑かん賞しょう、散歩、旅行をします。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2022年10月21日)時点のものです

病院と介かい護ご施し設せつの清せい掃そうでは気をつけるべきことがたくさん

病院と介護施設の清掃では気をつけるべきことがたくさん

私わたしたちの仕事は、清せい掃そう業ぎょう、わかりやすく言うと「さまざまな場所を掃そう除じすること」です。一言で清せい掃そう業ぎょうといっても、会社によって清せい掃そうする場所は違ちがっていて、私わたしたちは、病院と介かい護ご施し設せつの清せい掃そうをしています。
「その場所をきれいにする」という意味ではどの清せい掃そう業ぎょう者も同じですが、病院や介かい護ご施し設せつは、他の場所と大きく違ちがうところがあります。例えば、病院は「病気やけがを治ち療りょう中の方がいる場所」ですし、介かい護ご施し設せつは「高こう齢れいの方が生活をしている場所」です。どちらも、感かん染せん症しょうや少しのけがが深しん刻こくな状じょう況きょうへとつながる人が多くいらっしゃいます。そのため、他の場所を清せい掃そうするのに比くらべて、注意しなくてはいけないことが増ふえてきます。例えば、感かん染せん症しょうへの対たい策さくもその一つ。私わたしたち自身が入院・入にゅう居きょしている人たちにうつさないことはもちろんですが、入院している人の中には、すでに感かん染せん症しょうにかかってしまっている方もいますので、その部屋の清せい掃そうをするときには、私わたしたちが移い動どうすることで施し設せつに感かん染せんを広げてしまうことがないように、部屋ごとに道具を変える、ゴミや汚よごれたものの処しょ分ぶんに気をつける、手て洗あらいをしっかりするなど、さまざまな部分に気を配っています。

「人がいる状じょう態たいで清せい掃そうする」というのが最大の特とく徴ちょう

「人がいる状態で清掃する」というのが最大の特徴

感かん染せん症しょうの他にも気を付けることはあります。清せい掃そうに使った水がこぼれていたら、高こう齢れいの方が滑すべって転び、骨こっ折せつをしてしまうかもしれません。また、それをきっかけに寝ねたきりになってしまうかもしれません。その場所で生活される方の健康や安全を守るためにも、いろいろと気をつけなければいけないことが多い仕事です。
また、商業ビルやマンションなどの清せい掃そうを担たん当とうする業者の場合、その施し設せつを訪おとずれる人がいない夜間や休業日時間帯に清せい掃そうすることが多いですが、私わたしたちが担たん当とうしている介かい護ごや病院施し設せつでは、「その場所で入院している、生活している」方々の目の前で清せい掃そうする、というのも特とく徴ちょうです。そのため、きちんとノックをして部屋に入る、入院・入にゅう居きょされている方に挨あい拶さつをするといったマナーも心がけています。また、研けん修しゅうではベッドに寝ねている方からどう見えるか、入院・入にゅう居きょされている方のストレスにならないように清せい掃そうするときに気をつけることも学びます。そのため、この仕事は、掃そう除じや片かた付づけが好きなのはもちろんですが、アドバイスされたことをきちんと守れる「素す直なおな人」、そして「人に喜よろこばれることをするのが好きな人」に向いている仕事だと思います。

診しん察さつに使う場所は開始前に清せい掃そう、その後に患かん者じゃさんのお部屋へ

診察に使う場所は開始前に清掃、その後に患者さんのお部屋へ

勤きん務む時間は担たん当とうする場所によって違ちがいます。病院からは「診しん察さつ室しつは診しん療りょうが始まる前に掃そう除じをして欲ほしい」と頼たのまれる事が多いので、朝の7時くらいから病院に入って清せい掃そうをします。診しん察さつ室しつや処しょ置ち室、待合室やロビーなどが終わると、今度は患かん者じゃさんが入院している部屋を、1部屋ずつ清せい掃そうしていきます。入院設せつ備びのある大きな病院の場合、途と中ちゅうに休きゅう憩けいをはさみ、終しゅう了りょうは15時くらい、入院設せつ備びがない小さな病院の場合はもっと短時間で清せい掃そうが終わります。 清せい掃そうを担たん当とうするスタッフは自じ宅たくから直ちょく接せつ清せい掃そうの現げん場ばに向かい、そこから帰き宅たくするという働き方になります。本社に勤きん務むするスタッフもいて、新しく入った方への研けん修しゅうなどを担たん当とうします。私わたし自身は、会社経けい営えい者しゃでもあるので、会社の経けい営えい面めんをチェックしたり、スタッフが働きやすい環かん境きょうを考えたり、スタッフの声を聞いたりと業ぎょう務むは多た岐きにわたります。

表には出ないけれど、医い療りょうや介かい護ごの現げん場ばを支ささえる大切な仕事

表には出ないけれど、医療や介護の現場を支える大切な仕事

新しん型がたコロナウイルスが流行したことで、病院や介かい護ご施し設せつでの感かん染せん対たい策さくには、これまで以上に気をつける必要が出てきました。ただ、これまでも、感かん染せん症しょうの予よ防ぼうや、手て洗あらいに関する研けん修しゅうは徹てっ底ていして行ってきたので、結果として、私わたしたち自身の身を守ることにもつながりました。
もちろん、病院や介かい護ご施し設せつという場所で働く以上、病気になる可か能のう性せいは高まります。実じっ際さい、働いているスタッフの中にも、家族から「病院で勤きん務むするのは危あぶないのでは」と言われた人もいたようです。しかし、そのスタッフは「病院で医い師しや看かん護ご師しの方が一いっ生しょう懸けん命めい働いている中、ここを離はなれるわけにはいかない」と、勤きん務むを続けてくれました。
病気を治ち療りょうするのは医い師しですし、そのサポートをするのは看かん護ご師しですが、私わたしたちは清せい掃そうを通して彼かれらが安心、快かい適てきに働くことができる環かん境きょうを整え、支ささえる仕事です。表に立つ、目立つような仕事ではないかもしれませんが、人々を支ささえる大切な仕事をしているという責せき任にん感かんは感じています。それだけに、患かん者じゃさんや入にゅう居きょ者しゃさんから「ありがとう」とお礼の言葉をいただいたときの喜よろこびも大きいです。

大変な現げん場ばでも「笑え顔がおで働く」ことを心がける

大変な現場でも「笑顔で働く」ことを心がける

私わたしたちの会社では、「ABCD+E の行動指し針しん」というものを掲かかげています。「A=あたりまえのことを」「B=バカにしないで」「C=ちゃんと」「D=できる」、それにプラスして「E=笑え顔がおで」。この「笑え顔がお」というのがとても重要だと思います。とくに私わたしたちは病気やけがの治ち療りょうをしていたり、高こう齢れいで体が思うように動かなかったりと、さまざまな状じょう況きょうにある人たちと接せっする仕事ですから、みなさんと気持ちよく接せっすることができるよう、「笑え顔がおでいること」を心がけるようスタッフには伝えています。 また、「嫌いやな仕事ほど笑え顔がおでやろう」というのも心がけています。医い療りょうや介かい護ご現げん場ばでは、清せい掃そうが大変な現げん場ばも多いです。例えば認にん知ち症しょうを患わずらう方の中には、自分の排はい泄せつ物ぶつを触さわってしまったり、部屋を汚よごしてしまったりする方もいます。私わたしも実じっ際さいにそうした部屋の清せい掃そうを担たん当とうしたことがありますが、臭においや汚よごれもひどく、体力的にも精せい神しん的てきにもとても大変です。しかし、そんな状じょう況きょうでも笑え顔がおを絶たやさず、一いっ生しょう懸けん命めい清せい掃そうを担たん当とうしてくれるスタッフたちには、本当に頭が下がります。

夫の急死から会社を引ひき継つぐことに

夫の急死から会社を引き継ぐことに

この会社は、私わたしの亡なき夫が立ち上げました。夫が急死したことで、私わたしが経けい営えい者しゃを引ひき継つぐことになりました。 私わたし自身は、栄えい養よう士しの学校を出たあと、病院で栄えい養よう士しとして働いていました。しかし、病院での勤きん務むですから「死を目まの当あたりにする」ことは避さけられません。若わかかったこともあり、それがつらくなった私わたしは退たい職しょくしました。その後、母の友人が務つとめている証しょう券けん会社に転てん職しょくし、経けい理り部ぶに配はい属ぞくされましたが何か違ちがうと思い、2年で退たい職しょく。今度はダイビング仲間の友人に誘さそわれ、シーツや制せい服ふくなど、医い療りょう関係のリネン類のリースを取とり扱あつかう会社に転てん職しょくしました。そこでは営えい業ぎょう部ぶに配はい属ぞくされ、その後、資し材ざい部ぶ創そう設せつに伴ともない移い動どうし、会社で扱あつかう品物の仕入れの仕事をしていました。その会社で同どう僚りょうだった夫と結けっ婚こんし、子育てをしながら勤きん務むを続けていました。 1990年に夫はこの会社を立ち上げて独どく立りつ、しばらく私わたしは元の会社に勤つとめていましたが、会社も少しずつ大きくなってきたので、3年ほどあとに経けい理りとして夫の会社に入社し、手伝うことになりました。 夫が亡なくなったのは2003年のこと。この先どうするか途と方ほうに暮くれましたが、夫が作ったこの会社には、働いてくれているスタッフがたくさんいる。その人たちを守らなくてはいけない……その一心で経けい営えいを引ひき継つぐことにしました。

人と接せっすること、喜よろこばせることが好きな子どもでした

人と接すること、喜ばせることが好きな子どもでした

小さいころは、自分で言うのもおかしいかもしれませんが「しっかりした」子どもだったと思います。両親が会社を経けい営えいしていたのですが、会社は板橋区の大山に、自じ宅たくは埼玉県の朝あさ霞か市しと、かなり離はなれた場所にありました。そのため私わたしは大山の小学校に通うことに。朝は両親と一いっ緒しょに車で移い動どうし、会社の近くにある小学校に通い、学校が終わったら6駅先にある保ほ育いく園えんに通っていた弟を小学生だった私わたしが電車に乗って迎むかえに行く。そして両親の仕事が終わったら両親と弟と一いっ緒しょに帰る……という生活でした。 そんな毎日でしたが、学校では友達も多く、小学生のころには友達が電車に乗って、私わたしの家まで遊びに来たこともありました。とても楽しかったのを今でも覚えています。人と接せっすることが好きなこと、周りの人を楽しませることが好きだという点は今も変わっていないですし、仕事をする上でも役に立っているのではと思います。

全力で向き合えば、どんなことも無む駄だにはならない

全力で向き合えば、どんなことも無駄にはならない

私わたしがみなさんに伝えたいことは「どんなことでも無む駄だにはならない」ということです。ただ、無む駄だにしないためには、自分で選んだことにちゃんと全力で向かうということが重要なのではないでしょうか。
もしも「学校に行きたくない」と思う子がいるなら、それは自分で決めた"選せん択たく"です。でも逆ぎゃくに「学校に行く」と決めたなら、それもまた自分で決めた"選せん択たく"なのだと思います。勉強でもいい、部活でもいい、友達との関係でもいい。自分で「やる」と決めたことを全力でやったなら、その経けい験けんは必ず無む駄だにならないはずです。仕事に関しても同じで「これをやりたい」と思ったなら、それに向かって全力で進んでみてください。たとえ最初に思った職しょく業ぎょうに就つくことはできなくても、あなたがやりたいと思った本ほん質しつの部分は、どんな仕事にもつながってくるものだと思います。

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取材・原稿作成:川口 有紀(フリート)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫