仕事人

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東京都に関連のある仕事人
1961年 生まれ 出身地 東京都
さっきょくかだいがくきょういん作曲家・大学教員
松井まつい 孝夫たかお
子供の頃の夢: 切手博士
クラブ活動(中学校): ブラスバンド部
仕事内容
音楽おんがく社会貢献しゃかいこうけんできる学生をそだてる
自己紹介
教職きょうしょく仕事しごととリンクして合唱曲等がっしょうきょくなど創作そうさくを「ライフワーク」としてんでいます。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2016年04月12日)時点のものです

音楽おんがくの先生をそだてる仕事しごと

音楽の先生を育てる仕事

わたし千葉県松戸市ちばけんまつどしにある聖徳大学せいとくだいがくで,「音楽おんがくの先生」を目指めざす学生を指導しどうしています。授業じゅぎょうしゅう6~8コマ程度ていどですが,授業時間以外じゅぎょうじかんいがいに学生の個別指導こべつしどうおこないます。たとえば,教育実習きょういくじっしゅう(学生が中学校や高校こうこう授業じゅぎょう実際じっさいにする)にく学生の指導案しどうあん授業じゅぎょう計画けいかく)を見ます。また,音楽おんがくの先生になるためには「うたい」といって,ピアノをきながらうた実技試験じつぎしけんがあるのですが,その対策たいさくもします。あるいは,「初見演奏しょけんえんそう」といって,はじめて見た楽譜がくふ演奏えんそうをする実技試験じつぎしけん対策たいさくなども,学生からの要望ようぼうがあればおこないます。
大学での仕事しごと合間あいまって,合唱曲がっしょうきょく作詞さくし作曲さっきょくをしています。ながさにもよりますが,1きょく1,2時間じかんあればけてしまうのですが,構想こうそうかべてからはじめるまでにはそれ相応そうおう時間じかんようすることもあります。今年ことしは大学の新入生しんにゅうせいけて「たいせつに・・・」というみじか合唱曲がっしょうきょくつくり,授業じゅぎょう一緒いっしょうたいました。

指導しどうした学生が教壇きょうだんに立つ姿すがた感動かんどう

指導した学生が教壇に立つ姿に感動

大学の授業じゅぎょうがある日は,830ふんごろには出勤しゅっきんし,授業じゅぎょう準備じゅんびをして,90ぷん授業じゅぎょうをします。こちらが知識ちしきつたえるだけではなく,学生がふかかんがえられるような授業じゅぎょうをしています。「リアクションペーパー」に,授業じゅぎょうかんがえたことや気づいたこと,疑問点ぎもんてんなどをいてもらうこともかせません。人数にんずうおお授業じゅぎょうでも,一人ひとりの個性こせいやさまざまな意見いけんき出せるよう,こころがけています。
わたし勤務きんむする大学は小中高しょうちゅうこう同様どうよう担任制たんにんせいがあり,一昨年おととしは40数名すうめいの学生たちの担任たんにんとして卒業生そつぎょうせいおくり出しました。学生は積極的せっきょくてきに,さまざまなことを相談そうだんしにきてくれます。そうして指導しどうした学生が,音楽おんがくの先生になっておしえている姿すがたを見るのは,とてもうれしいことです。「音楽おんがくつうじて社会しゃかい貢献こうけんする」というおなおもいをった教育者きょういくしゃえることもまた,うれしいことです。教師きょうしわたしにとって天職てんしょくであり,人をそだてることのよろこびはとても大きいです。
一方いっぽう,いろいろなことがかさなって大変たいへんなときもあります。授業じゅぎょう研究けんきゅう,学生の募集ぼしゅうなど大学内だいがくないでのさまざまな仕事しごとかさなり,身動みうごきがとれないとかんじてしまうこともあり,そういった苦労くろうとき心悩こころなやませることがあります。

卒業生そつぎょうせいつく合唱曲がっしょうきょく

卒業生と作る合唱曲

以前いぜんわたしは中学校でおしえていました。卒業そつぎょう時期じきには卒業生そつぎょうせい作詞さくししてもらい,そのきょくをつけ,毎年まいとしプレゼントしていました。そのきょくはレコーディングもおこない,CDにすることもありました。学校生活がっこうせいかつにはいろいろな場面ばめんがありますが,わかれの時期じきがやはり,きょくもっとおおく生まれるのではないかとかんじます。そこで中学生のおもいをかんり,一つの合唱曲がっしょうきょくにまとめ,うたいでいく伝統でんとうつくれたことは,とてもおもい出です。
そして,作詞作曲さくしさっきょくする上でわたしもっと重要じゅうようだとかんがえていることは,「つたえたいメッセージはなにかんがえること」です。感謝かんしゃ気持きもち,友情ゆうじょう大切たいせつさ,そういったものを音にせてどうつたえるかかんがえることが作曲さっきょくする上でとても大切だとかんがえています。メッセージが一番いちばんよくつたえられるようにきょくをあれこれかんがえて,一曲いっきょく仕上しあげます。が先にできることもあれば,きょくが先にできることもあります。きょくするようにつくっていくうちに,まよいがでてくることもあります。そういうときは「これでまり」とめてしまうこともあれば,じっくりかせて,あらためてかえしてみることもあります。その結果けっか,大きくえてしまうこともあります。

「マイバラード」が生まれるまで

「マイバラード」が生まれるまで

24さいのころでした。地域ちいきのボランティアサークルに参加さんかし,しょうがいのある人たちとかかわっていました。当時とうじすでに音楽おんがく教師きょうしをしていて,合奏用がっそうよう楽器がっき一式届いっしきとどいたとき,楽器演奏がっきえんそう指導しどうしてほしいとたのまれました。だんだんレパートリーもえ,発表会はっぴょうかいに出ることになりました。発表会はっぴょうかいに出るにあたって,「サークルのテーマソングがほしい」とわれ,急遽きゅうきょ1きょくつくることになりました。ぽっぽというサークル名でしたから,「ぽっぽのバラード」という曲名きょくめいにしました。
その,学校の音楽おんがく授業じゅぎょううたうようになりました。生徒せいとからは「きょくですね」と評判ひょうばんがよかったです。学校外がっこうがい授業研究会じゅぎょうけんきゅうかいがあったのですが,そこで発声練習はっせいれんしゅううたったところ,有名ゆうめい合唱がっしょうの先生から「このきょくだれきょくですか」とこえをかけられました。「きょくだから,ぜひ混声三部こんせいさんぶ合唱曲がっしょうきょくにしてください」とたのまれ,編曲へんきょくしました。そこから,このきょくは「マイバラード」として,またたくひろがっていきました。
いまでは,映画えいがやドラマなどでもうたってもらっています。わたし作曲家さっきょくかとしての原点げんてんともえる1きょくです。

うたいやすく,したしみやすいきょく目指めざして

歌いやすく,親しみやすい曲を目指して

最近さいきん校歌こうか作曲さっきょくたのまれることがおおく,20きょくほどつくりました。群馬県ぐんまけん鹿児島県かごしまけん千葉県ちばけん茨城県いばらきけん東京都とうきょうとなどいろいろな学校の校歌こうかつくりました。その学校を象徴しょうちょうし,今後何十年こんごなんじゅうねんにわたってうたがれるきょくですから,プレッシャーは大きいですが,大変光栄たいへんこうえいなことです。依頼いらいけると,実際じっさいにその学校や地域ちいきに足をはこび,人やまち様子ようすをよく観察かんさつし,きょくのイメージをふくらませます。また,学校の子どもたちから,校歌こうかにどんな言葉ことばやフレーズが入っていたらいかを集約しゅうやくし,作詞さくし材料ざいりょうにします。
校歌こうかのほかにも,地域ちいきのための合唱曲がっしょうきょくつくって欲しいという依頼いらいけます。どの合唱曲がっしょうきょくつくときにもこころがけているのですが,うたいやすさとしたしみやすさが,わたしつくきょく共通点きょうつうてんです。老若男女ろうにゃくなんにょしょうがいの有無うむ関係かんけいなく,どんな人でも気軽きがるに口ずさめるきょくつくりたいとおもっています。そして,「いままでよりもっときょくができる」と,向上心こうじょうしんわすれません。「もういいや」と満足まんぞくすることはないので,こういう気持きもちがつぎの1きょくつくる大きなエネルギーになります。

音楽おんがくかかわる仕事しごとくために

音楽に関わる仕事に就くために

音楽おんがくきでしたので,音楽おんがくかかわることができる仕事しごととくに,目のまえにいる人と音楽おんがくつうじた「感動かんどう共有きょうゆう」できる仕事しごと。そして,「お金」よりも「やりがい」を追求ついきゅうしたい。こういった視点してん仕事しごとえらぼうとおもっていました。中学ではブラスバンドに入って,クラリネットやギター,バイオリンなどいろいろな楽器がっき挑戦ちょうせんしました。中でもバイオリンには熱中ねっちゅうしました。テレビ番組ばんぐみのオーディションをけて合格ごうかくし,番組ばんぐみに出演していた時期じきもありました。一流いちりゅう音楽家おんがくかを目のたりにして,目のまえ本物ほんもの音楽おんがくくことができ,このとき「この先も音楽おんがくとずっとかかわりたい」とつよおもうようになりました。
そこで一念発起いちねんほっきして,高校こうこうのとき,いえにピアノをってもらいました。特定とくてい楽器がっき専攻せんこうするのではなく,「和声わせい」(音楽おんがくのルール)などを勉強べんきょうして,作曲さっきょく専攻せんこうができる大学に入ることにめ,入学できました。大学ではオーケストラに入り,バイオリンをいていました。機会きかいすくないですが,いまでもオーケストラにわり,人のまえ演奏えんそうすることもあります。

やんちゃで好奇心旺盛こうきしんおうせいだった

やんちゃで好奇心旺盛だった

東京とうきょうの下町でそだち,やんちゃで好奇心旺盛こうきしんおうせいな子どもでした。野球やきゅう缶蹴かんけり,かくれんぼなどをして,友達ともだちとよくそとあそんでいました。蔵前国技館くらまえこくぎかんちかかったので,相撲すもうを見にくこともよくありましたね。小学生のころにちちくしていたので,「うちの家族かぞくはこの先どうなるのだろう」と不安ふあんだった時期じきもありました。
今思いまおもかえすと,子どものころから作曲さっきょくのようなことはしていたとおもいます。飼っていたとりんでしまったとき,リコーダーで「ピーコちゃんのうた」をつくったのが最初さいしょだったとおもいます。中学生のころ,人前ひとまえ披露ひろうしませんでしたが,ギターで「ボルケーノ」というきょくつくった記憶きおくがあります。わたしにとって音楽おんがくは,いつもちかくにあって,空気みたいな存在そんざいだったのかなとおもいます。

可能性かのうせい無限大むげんだい

可能性は無限大

みなさんは無限むげん可能性かのうせいっていますし,不可能ふかのうなことはないとしんじて何事なにごとにも挑戦ちょうせんしてみてください。そして,ゆめった人は,そのゆめをお友達ともだち親御おやごさん,先生,まわりの人にかたってみましょう。ゆめは,かたることで実現じつげん一歩近いっぽちかづくものです。とおおもえる目標もくひょうゆめも,それを言葉ことばかたってみることが,実現じつげんへの最初さいしょ一歩いっぽとなりますよ。

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取材・原稿作成:東京書籍株式会社