仕事人

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岐阜県に関連のある仕事人
1971年 生まれ 出身地 岐阜県
杉山すぎやま 秀二しゅうじ
子供の頃の夢: 鵜匠
クラブ活動(中学校): サッカー部
仕事内容
という鳥を用いるでんとうてきな漁法“かい”で,なががわのアユをる。
自己紹介
体を動かすのが大好きで,時間があるときにはゴルフなどを楽しんでいます。そのためか,体がじょうで病気はほとんどしません。子どもとせっすることも好きなので,自分の子どもが通う小学校でPTA役員をして,イベントなどのときに子どもたちとふれ合っています。
出身高校

※このページに書いてある内容は取材日(2018年10月26日)時点のものです

でんとうてきな漁法・かい

伝統的な漁法・鵜飼を受け継ぐ

わたしは,けんを流れるなががわで“かい”という漁をする“しょう”の仕事をしています。かいは,という水鳥をあやつって,川にいるアユなどの魚をる漁法で,なががわでは1300年以上前から行われてきました。明治時代になると,なががわかいれたアユをてんのうけんじょうするようになり,それからなががわかいをするしょうは,ないちょうしきに関するしょくを行う“ないちょうしきしょく”になっています。げんざいかいは全国12か所で行われていますが,“ないちょうしきしょくしょう”ににんめいされているのは,全国で,ぎふなががわかいの6名とかいけんせき)の3名の,合計9名のみです。
ぎふなががわかいしょうは,代々しょうぐ家に生まれただんせいひとりだけがなれるという,しゅうせいをとっています。そのため,ぎふなががわかいは,昔から6人のしょうで行われています。しょうは,漁で用いるたくで世話し,365日,いっしょに生活をします。
ぎふなががわかいが行われるのは,5月11日から10月15日の夜です。その間,しょうは大雨で川がぞうすいしたときなど特別な場合をのぞいて,毎日休まずかいをします。7月から9月の土曜日には,1日に2回,いっぱんの人がかんらんせんに乗ってかいを見ることができる“のうりょうかい”が行われます。またシーズン中に8回だけ,こうしつおさめるアユをる“りょうかい”も行います。かいシーズン以外の時期は,次のシーズンに向けて道具の手入れやじゅうをしたり,の世話をしたりします。

あやつり,アユを

鵜を操り,アユを獲る

かいのシーズン中は,朝からふねや道具のチェックを行い,にエサをあたえたり小屋のせいそうをしたりします。午後3時くらいからかいぶねの船頭さんが,道具を運んでじゅんを始めます。しょうは,その日の漁に連れていくを選び,休ませるにはエサをやって休ませ,連れていくにはエサをやらずにかごへ入れておきます。早めに夕飯をませ,午後6時にはふねに乗って川の上流へ向かいます。
漁が始まると,上流から川を下りながらあやつり,がアユを飲みこんだところで引き上げて,アユをかせます。おなかかせたは,くらやみの中で最も光をはんしゃするアユを見つけて,いっしゅんで飲みこみます。の首の付け根にはひもが付けられていて,小さな魚は首を通ってが食べられるように,大きな魚は首のところで止まるようになっています。しょうは,それぞれのをつないだ“なわ”を左手ににぎり,の動きに合わせてからまないようにさばきながら,漁をします。ふねには松の木をやした“かがり”がかけられていて,しょうあやつりながら,その火が消えないように,まきを足す作業もします。
上流から下流までふねで下りながら漁をする“くだり”が終わると,ふたたび上流へ行き,6せきふねかわはばいっぱいにならんでいっせいにアユをあさむ“総がらみ”を行います。これを最後に,漁は夜9時ごろに終わります。ふねに積んだ道具を引き上げ,どこもどしてよくじつそなえます。

とともに生活し,しんらい関係をきず

鵜とともに生活し,信頼関係を築く

かいでは,1回の漁に10から12を使います。わたしの家にはげんざい,16らしています。毎日,朝一番で,どこかごから1ずつ小屋へ出し,昼間のうちはのんびりとごさせて,漁のつかれをかいふくさせます。その間に,それぞれの体の大きさに合わせてエサをやり,小屋の中をそうします。毎日,とふれ合っていると,体の重さや羽根のしぐさ,くちばしの形などで,それぞれのせいが分かるようになります。
かいに使われるのは,の中でもいちばん体がじょうで大きい,ウミウという種類です。漁をするとき,川底で体をこすってきずができてもひとばんでふさがり,大きな病気もほとんどしません。また,気の合うもの同士でペアを決めると,死ぬまでいっしょごすようになります。そのため,どことなるかごいっしょにし,漁に連れていくときにもそのペアで使うようにしています。ペアをちがえるとケンカをしてしまうので,十分に注意をはらいます。
ウミウのせいたいはほとんどかいめいされておらず,何年っていてもたまごを産むことはありません。そこでかいに使うウミウが新たに必要な場合は,せんもんの方にお願いし,いばらけんたちの海でかくされた野生のウミウを送ってもらいます。はとてもせんさいせいかくで,かんきょうが変わると死んでしまうこともあります。そのため,新しく入ったが人との生活にれるまでは,細心の注意をはらって世話をします。そのまま小屋に入れると,他のにいじめられてしまうので,1か月ほどかけてゆっくりと小屋にらし,一方で川で水浴びをさせながら,なががわの水にもなじんでもらいます。

つねのことを第一に考える

常に鵜のことを第一に考える

とは毎日生活をともにしていても,言葉が通じないので,分からないことがたくさんあります。ある日には多くの魚をったが,次の日にはまったくれないこともあり,体調が悪いのか,エサの量がちがっていたのかなど,つねなやみながらせっしています。しんらい関係をきずくためには,とふれ合うことが一番です。のくちばしはするどいため,ときどきまれてケガをすることもありますが,人の手やわたしのことを覚えさせるために,毎日ふれ合うようにしています。
漁に出たときにも,たんがかからないようにすることがいちばん大切です。しょうを始めたころは,なかなかうまくなわをさばくことができず,手からなわけてがしてしまったこともあります。また,せっかくがアユを飲みこんだのに,そのタイミングがつかめず,アユをかせられないこともありました。かいは,いっしょに漁をするによってやり方もちがうため,先代からちょくせつ言葉でどうしてもらうことも,他のしょうにやり方を教わることもありません。とふれ合ってそれぞれのクセをあくしたり,じっさいにやってみながら感覚やコツをつかんだりするしかないため,そこにむずかしさがあります。

たくさんのアユをれるように

たくさんのアユを獲れるように

かいは漁ですから,一番の目的は魚をることです。かいでは,6せきふねが出発する順番を毎日くじで決めるため,その順番や川の様子によってもちがいますが,ひとばんの漁で,1せきあたり,多くて50ぴきくらいのアユがれます。やはりたくさんのアユがれると,やりがいも大きいです。ったアユは,いっしゅんで死ぬので,せんがよくおいしいと言われます。いっぱんの店にならぶことはほとんどありません。うちのアユはなががわはんの旅館やホテルが買い取ってくれ,そこでていきょうされています。
以前,わたしの父がかいシーズン中に病気になり,代わって漁をしたことがありましたが,父と同じを使っているのに,そのシーズン中はまったくアユがれませんでした。苦い思い出です。父に相談すると,「それはだれでも通る道だから,仕方がない。しょうが変わったことをよく知っていて,まだお前はみとめられていないんだ」と言われました。そこで,これまで以上にせっするようにし,じょじょにアユがれるようになったときには,とてもうれしく感じました。
1シーズンに8回だけ行われるりょうかいでは,こうしつとどけるアユをるために,だんは入ることができないきんりょうで漁をすることができます。このときは,ふねがいつもの倍のきょを下るため,多いときで1せきあたり200ぴきほどれることもあります。

シーズン中は毎日,かいを行う

シーズン中は毎日,鵜飼を行う

かいのシーズン中である158日間は,ほとんど休みがないため,しょうは体調をくずさないように心がける必要があります。先代の父は,よくわたしに「体調が悪いからといっていいげんに漁をすると,かしこいからよく分かる」と言っていました。わたしは体がじょうなほうですが,それでもシーズン中は病気やケガをしないよう,注意しています。
川がぞうすいしてれたときは,漁をしてもアユがれず,かんらんせんも出すことができないため,かいは中止となりますが,それ以外は雨の日も風が強い日も,かいは行われます。風が強いと,ふねを動かすだけでもじょうに苦労をします。かがりは一度つくと火持ちがいい松の木を使っていますが,雨の中でも消えてしまわないように,いつもより気を配ります。かがりに使う松の木は,1月から3月にかけて,1シーズンに必要な量を仕入れて,自分が火にくべやすい好みの太さにってかわかしておきます。
ぎふなががわかいには,毎年約10万人の人がおとずれ,かんらんせんに乗って漁を楽しみます。近年は,昔よりも1回のかんらんせんの数を少なくし,ゆったりと見られるようにふうしたことで,より間近ではくりょくあるシーンを見ることができます。かんらんせんのお客さんが声をかけてくれると,とてもうれしく,はげみになります。来てくれるお客さんのためにも,毎日いい漁ができるように努めています。

おさないころから仕事を覚え,船頭をしょう

幼いころから仕事を覚え,船頭を経て鵜匠に

わたしは小学生のころから父の仕事を少しずつ手伝い始め,高校を卒業後に船頭として父の下で働き始めました。船頭は,しょうにいちばん近い場所で漁の様子を見ることができるため,最初はしゅぎょうとして船頭をしながら,しょうの仕事を覚えます。船頭の仕事のほかに,の世話や冬場に行う道具の手入れなどを少しずつまかせてもらい,じょじょに父の代わりにできるようになっていきました。
ぎふなががわかいしょうは,一つの家に一人しかなれず,先代がくなるかいん退たいをすると,その息子むすこあとぎます。わたしの場合,29さいのときに父がくなり,しょうぐことになりました。しょうは,80さいでもげんえきかつやくする人もいるので,次の代のしょうが40さいえてデビューするということも,めずらしくありません。わたしあといだとき,「自分には早すぎるのではないか」と思いましたが,今は早くから始めてよかったと思っています。
げんざいは,これからもぎふなががわかいになっていくわかしょうとして,もっとかいのことを知ってもらうための活動もしています。ようえんや小学生が見学に来たときや,かいかんらんせんに乗るお客さんが乗船する前などに,かいについて分かりやすく説明をするなど,PRをするやくわりも積極的にになっています。

いつもしょうの仕事を見てきた

いつも鵜や鵜匠の仕事を見てきた

小学校3年生くらいのころからは,父がわたしに仕事を見せるため,川へ連れて行くようになりました。夏の間は父が毎日仕事で,どこにも遊びに行けなかったわたしにとっては,川に行くのも遊びに連れて行ってもらうような感覚でした。毎日川で泳いでいたので,子どものころから泳ぎには自信があります。小学生のころからサッカーも続けていたので体力もあり,その点は今の仕事にも役立っています。
たくにはの小屋があり,りょうどなりしょうの家だったので,おさないときは「どの家にもがいるものだ」と思っていて,ペットと同じような感覚でした。小学校に入ったくらいから,周りからも「あとり」と言われるようになり,じょじょに父の仕事や自分の家のことを自覚していきました。中学生になると,あとぐのがいやだと思う気持ちもどこかで出てきました。父と一日中いっしょにいることに,反発心があったのだと思います。しかし高校生になり,じょじょに家をぐこと,そしてに根づくでんとうぐことの大切さを感じ,しょうぐ決意が固まっていきました。
今はわたしも,父がわたしにそうしたように,小学校6年生の息子むすこに少しずつ仕事を教えています。息子むすこも少しきょうを持ってきているようなので,じょじょわたしの代わりにの世話などができるようになってくれればと思っています。

自分のやりたいことを見つけて努力をしよう

自分のやりたいことを見つけて努力をしよう

わたしの場合,すでにしょうらいの仕事が決まっていて,ほかの仕事にあこがれることすらできなかったので,ぜひみなさんには,自分のやりたいことを見つけ,自分を信じて努力をしてほしいと思います。中には,わたしのように家業をぐ人もいると思います。家の仕事をぐということは,とても大変でせきにんをともなうことです。その仕事にきょうを持てない場合もあるかもしれませんが,わたしはせっかくあとぐのであれば,楽しんでやることが大切だと思います。家業をぐということは,自分で考えて,自分なりの方法にチャレンジしていける場があるということです。やったことは必ず成果として表れるので,ほかでは味わえない喜びもあると思います。
まだやりたいことが見つからない人は,ぜひいろいろなものを見てほしいと思います。その中でも,じょういただきに置いたきんざんをバックに,なががわの流れを感じながら,1300年伝わるでんとうを知ることができるぎふなががわかいは,見るだけで歴史の勉強もできるものです。まだ見たことのない人は,ぜひ一度はかんらんせんに乗り,はくりょくある漁を見てみてほしいと思います。

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取材・原稿作成:船戸 梨恵(クロスワード)・岐阜新聞社 /協力:株式会社 電算システム