仕事人

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岐阜県に関連のある仕事人
1969年 生まれ 出身地 福岡県
河本かわもと 麻記子まきこ
子供の頃の夢: 花屋
クラブ活動(中学校): コーラス部
仕事内容
新しい品種のバラを生み出す。
自己紹介
根気よく細かい作業をするのが得意。レースみやしゅうをするのが好きです。

※このページに書いてある内容は取材日(2018年09月18日)時点のものです

新たな品種のバラを生み出す

新たな品種のバラを生み出す

わたしけんの大野町でバラの育種家をしています。今あるバラを交配させて,新しい品種のバラを生み出すのがわたしの仕事です。まず,かけ合わせたいバラどうしを交配させて実がなるまで育て,実から種を取り出します。その種をまいて温室で育て,花をかせます。たくさんいた中から,かおりや美しさなど,つくりたいバラのイメージに合うものを選び,そのバラのえだを切ってだいばれる木につなぐ「」という方法でやしていきます。その後,温室から外の畑にえて,花の付き方や生育のじょうたい,病気に対する強さなどをかくにんします。
バラは,人間で例えると成人にあたるだんかいまで成長するのに,2~3年かかります。成長後にどのくらいかえし花がくのか,木はどんな形やサイズに成長するのかなど,さまざまな角度からバラの様子を見るため,4~10年ほどかけて試験さいばいを行い,その中からさらにいいバラを選び出して,世の中に出せる品種をつくっていきます。
プロとしてバラの育種家をやっている人は,日本でも数人しかいません。中でもじょせい育種家は,世界でもとても少なく,めずらしいそんざいです。その中でわたしは,ずっと育種家を続けてきたとともに,じょせいならではのてんを生かして,特にじょせいに好まれるバラづくりを目指しています。

りょうしつのバラをきわめる

良質のバラを見極める

育種の目標は,できたバラを新しい品種としてはんばいすることです。わたしたちの会社「かわもとバラ園」は,バラのなえを生産・育成しバラ農家や小売店にはんばいしているのですが,中でも新しい品種を開発する育種の仕事はわたしの2人だけで行っています。1年で市場に出せる新品種は,わたしでそれぞれ2種ほどです。わたしはこれまでに4品種を自分のブランドとして出すことができ,もうすぐ新たな2品種を発表する予定です。
バラの育種作業は,バラが成長するタイミングに合わせて行います。わたしの場合,バラがき始める春に,母親となるバラのめしべに他のバラの花粉を付ける交配を行い,ほかの時期には,でき上がった種をまいたり,畑で育てて試験さいばいをしています。交配させた花のせいしつから,あるていは予想しますが,たとえばピンクの花どうしをかけ合わせてもまったくちがう色の花がくこともあり,どんな花がくかは育ててみないと分かりません。いた花を見て良いと思ったものを選び,1つ1つ印をつけ,残すバラを決めるせんばつ作業をします。さらに,カタログやホームページ,なえに付けるラベルなどにせる写真をさつえいするのも,わたしの大切な仕事です。
また,育種のほかにも,アメリカ,イタリア,フランスをはじめ,海外でつくられるバラを見に行き,日本ではんばいできそうなものをきわめる仕事もしています。いいバラがあると,持って帰って何年か試験的にさいばいし,日本の気候や好みに合うかをかくにんして,はんばいしています。

バラの成長にいながら,作業を行う

バラの成長に寄り添いながら,作業を行う

バラの交配は,春にそのかぶで最初にく「いちばん」の季節が最もてきしています。交配してから実が付くまでには,最低3か月かかるので,秋までに種を実らせるためには,この機会をのがすことはできません。そのため5月前後になると,毎日,朝からばんまで交配作業が続きます。交配は細かい作業をえんえんかえし,とても根気のいる仕事です。秋から冬にかけては,できた種をしゅうかくし,種をまいて春に花がくのを待ちます。バラの成長に合わせて1年中やるべき作業があるため,まだ子どもが小さいときは,子育てや家事をしながら仕事をするのはとても大変でした。
せっかく種を付けるまで手間や時間をかけても,できた種を植えた土のじょうたいや天候によってうまく発芽しなかったり,花は美しくても育ててみると病気に弱く,はんばいまでにいたらないこともあります。わたしにとっては,できたバラはすべて自分の子どものようにかわいいのですが,うまくいかないものはてていかなければならず,選別するさいはとてもつらいです。

自分がつくったバラのシリーズをはんばい

自分がつくったバラのシリーズを販売

育種家を始めて7年目となった2016年に,わたしは初めて自分がつくったバラをはんばいしました。自分のつくったバラには,イメージに合った名前を付けるのですが,わたしは子どものころから手芸が好きだったので,「手芸屋さんのバラ」という意味を持つ「ローズ・ドゥ・メルスリー」というシリーズを立ち上げ,細かな花びらが重なる「クロッシェ(レース)」や,あざやかなグラデーションがとくちょうの「ブロドリー(しゅう)」など,数種類のバラをはんばいすることにしました。
はんばいを始めたときには,多くのじょせいに関心を持ってもらえるよう,かわいらしいデザインのパンフレットをつくり,てんかいでバラを発表したときには,お客さんにイメージを伝えられるよう,しゅうほどこした小物を手作りしてバラといっしょわたしました。最近は,インターネットのSNSなどを通じて,お客さんの声を聞くことができ,バラを生活に取りこんで幸せやいやしを感じてくれている方の声を聞くこともできます。お客さんがわたしのつくったバラを楽しんでくれることが,一番の喜びです。

多くの人に好まれる,育てやすいバラをつくりたい

多くの人に好まれる,育てやすいバラをつくりたい

新しい品種をつくるときには,1年で約2万つぶの種をまき,いた花を見ながら最終的に2~3品種までしぼりこんでいきます。どのバラを選ぶかは,育種家のかんせいにかかっているため,新しい品種には自然と育種家のせいが表れます。また,今育てている品種は,4~10年間の試験さいばいて発表されるものなので,はんばいが始まる5~10年先に好まれるだろうと思われるバラをつくるためには,これまでのけいこうからこれからの世の中の流れや人々の好みなどまで考えながら,選ぶ必要があります。
海外では1色であざやかな花をかせるバラが好まれますが,日本の育種家がつくるバラは,花の形にこだわりのあるものや,花びらにグラデーションがついたせんさいな色合いのものが多いです。特にじょせいには,ベージュやピンクがざったものが好まれます。またわたしは色や形だけでなく,気軽にさいばいができるバラをつくることを目標にしています。試験さいばいのときに様子を観察して,育てやすい品種かどうかをたしかめ,手間のかからない品種を選ぶようにしたいと思っています。
バラは,育てるのに多少の農薬は必要です。しかし最近,ヨーロッパなど海外を中心に,農薬を使わないものも研究されています。より良い花をつくるために,世界各地のバラ園を見て回ったり,育種家とじょうほうこうかんをしたりしながら,勉強を続けています。

1本のバラにひとれして育種家に

1本のバラに一目惚れして育種家に

わたしは,日本で一番バラなえの生産がさかんなけん大野町にあるバラ園にとつぎ,会計など,の仕事をしていました。わたしたちの会社では,もともと,主に切り花用のバラなえはんばいしていましたが,10年ほど前からガーデニングがブームになり,多くの人が庭でバラを育てて楽しむようになりました。そこでは,特にじょせいに好まれるガーデニング用のバラの育種にちょうせんし始めたんです。
昔からバラの育種はだんせいが手がけることが多く,当時は開いた花びらの先がけんのようにとがったけいじょうになる「けんべんき」という,美しい形のバラが主流でした。しかしは,花びらがフリルのように波打つ「じょうべん」のバラをつくり始めました。あるときわたしは,母がつくったある花を見て,その花にひとれしてしまいました。うすいピンクの花びらがなんまいも重なり合う様子は,まるでウェディングドレスをまとったはなよめのようで,すぐに「ラ・マリエ(はなよめ)」という名前がかび,その名を付けさせてもらいました。そして初めて「わたしも育種家になりたい」と心から思い,について勉強を始めました。40さいのときでした。

手芸と花の楽しみを教えてくれた母と

手芸と花の楽しみを教えてくれた母と祖母

わたしの母やは,わたしが物心つくころから家にかんたんだんをつくっていて,そこにはいつも季節の花が植えられていました。母やは,よくわたしをいろいろな公園に連れて行き,黒いチューリップや緑色にさくらなど,めずらしい花を見せてくれました。その思い出は,今も心に残っています。わたしも母やについて,近所にある大きな園芸店に行くのが好きでした。育種家になってから,その店でバラについて話すこうえんかいを開いてもらう機会があり,おさないころに買い物に来ていた店に,わたしがつくったバラが置かれているのを見て,とてもうれしい気持ちになりました。
手芸も母とえいきょうで小さいころから始め,小学生のときにはフェルトのマスコットを作ったり,しゅうを教えてもらったりしていました。リリアンなど1つの作業に集中して,コツコツと手作業で何かを作ることが大好きでした。また,作ったものを人におくって喜んでもらうことに幸せを感じていたので,自分の作品は友達や家族にあげてしまい,ほとんど手元に残っていませんでした。このころから,今のバラのように「コツコツと自分が作ったもので人を喜ばせたい」という思いが,強かったんだと思います。

いつからでもゆめはかなえられる

いつからでも夢はかなえられる

わたしは40さいから育種を学び始め,育種家になりました。それまでは自分のやりたいことに出会ったことがなかったのですが,この仕事を始めて,ねんれいに関係なく,いくつになっても,やりたいことは見つかるものだと実感しています。だから,みなさんも,今はやりたいことが見つからなくても,あせることはありません。また,後からゆめが見つかっても,おそいことはありません。やる気だいで,勉強はいくつからでも始められると思います。
好きなこと,きょうがあることが見つかったら,ぜひちょうせんし,追求してみてください。ちゅうで変わることがあってもだいじょうです。ちょうせんしたことは,すべてになることはありません。わたしの場合も,好きだった手芸はちょくせつ仕事になることはありませんでしたが,手芸からイメージをふくらませたシリーズをかくし,育種家として初めてつくったバラとしてはんばいすることができました。今も,かんせいを育てるために,美しいものを見たりじゅつかんに行ったりするなど,アンテナを広げていろんなことにきょうを持つようにしています。好きなことは必ず何かにつながると思うので,みなさんも好きなことは大切にしてください。

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私のおすすめ本

木村 卓功
注目されている育種家さんが書いた本です。バラの栽培は手間がかかって難しいと言われますが,それを初心者にも分かりやすく,気軽にバラを楽しむ方法を教えてくれます。バラの魅力を感じられる本ですし,バラを育てたい人には持っていると役立つ一冊です。

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取材・原稿作成:船戸 梨恵(クロスワード)・岐阜新聞社 /協力:株式会社 電算システム