仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

沖縄県に関連のある仕事人
1969年 生まれ 出身地 沖縄県
りゅうきゅうさんしんせいさく琉球三線製作
岸本きしもと 尚登なおと
子供の頃の夢: 物づくりをする仕事
クラブ活動(中学校): バレーボール部
仕事内容
琉球三線の製作や修理などをする。
自己紹介
世界中にいるウチナンチュ(沖縄の人)が平和で暮らし,いつでもウチナー(沖縄)に来て,いろんな文化と交流できたらと楽しいと思っています。

黄金 言葉くがに くとぅば:ぬちぃるたから(沖縄県の方言)
訳:命は宝

※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月07日)時点のものです

りゅうきゅうさんしん作りは一つひとつていねい

琉球三線作りは一つひとつ丁寧に

わたしは,りゅうきゅうさんしんせいさくをしたり小売店へさんしんさおの部分をおろしたり,さんしんしゅうをしたりする仕事をしています。みなさんは,さんしんれたことはありますか。さんしんさおどう,カラクイといわれるいときから成り立っています。わたしは主にさんしんさおの部分をつくることが多く,年間200本ほどのさおを天然ざいの材木を使用してせいさくしています。天然ざいのため,かんの時期には,材木は水分を出して木がまり,雨季の時期には水分をうためふくらんだり,湿しつが低いと完成したときのさんしんの音にえいきょうが出たりします。そのため,せいさくするさいは気候や湿しつなどにも気を配らないといけません。気を配らないとせいさく中に材木が,曲がったりれたりすることが多く,材木のじょうたいを見ながら急がずにていねいに作業を行っています。さんしんの数え方は1本,2本ではなく,1丁,2丁と数えるのですが,1丁のさんしんを作るのに約3か月の時間をかけています。材木が気候や湿しつえいきょうを受けるため,一つひとつていねいに材料のじょうたいを見ながら作業をしないといけないため,長い時間がかかるんですよ。また,しゅうらいとして多いのは,カラクイが折れたときやそううるしりなおすといったことが多いですね。その他にも,さんしん以外のりゅうきゅう楽器であるきゅうや笛などのせいさくも行っています。

さんしんができるまでのこうてい

三線ができるまでの工程

りゅうきゅうさんしんには,でんとうてきな7つの型があります。7つの型は,さおの太さや長さなどさおけいじょうによって,南風原(フェーバル)型,知念大工(チニンデーク)型,久場春殿(クバシュンドゥン)型,久葉の骨(クバヌフニー)型,真壁(カマビ)型,平仲知念(ヒラナカチニン)型,与那城(ユナグシク)型の7つに決まります。7つの型には,りゅうきゅう王国時代の名工の名前がつけられているんです。その7つの型におうじてさんしんつくっていきます。完成するまでには,10~20ぐらいのこうていがあるんですよ。まずは型を決め,材木のすんぽうさいだん,ヤスリがけ,うるしり,どうの部分をつくったり,へび皮をったりなど,一つひとつの作業に時間をかけ,材料のじょうたいにも気をつけながらせいさくしています。わたしせいさくこうていの中で一番大変だと思っているのは,皮りですね。ヘビの皮は,おしり側が一番よくびるので皮りにてきしています。また,皮を仕入れたら,なるべく皮がしんせんなうちに作業をします。そうすると皮がよくびるので作業がしやすいです。3~4メートルぐらいの皮で,4丁分のさんしんがつくれますよ。

うたを助けるための楽器

唄を助けるための楽器

さんしんの材料である材木は主に「黒木」,「いすの木」,「くわの木」などを使っていますが,それぞれ木によって音色がちがってくるんですよ。しかもさんしんの音色とは,さおで決まると言われているんです。また,さおどうのバランスがとれていないと音色も変わってきます。はじめはさんしんの方も音のちがいに気づきませんが,耳が音にれてくると一つひとつのさんしんの音のちがいに気づいてきます。おきなわでは,「うたさんしん」と言われていて,うたがメインで大切であり,さんしんは「うたを助けるための楽器」です。人それぞれ声のトーンはちがうので,材料などで音色がちがっているさんしんの中から,の方が自分の声に合ったさんしんを選ぶことができたらいいですよね。ですが,音色のちがいや自分の声に合ったさんしんを選ぶのはむずかしく,多くの人がさんしん選びで苦労しています。またりゅうきゅうさんしんは,おきなわの気候に合わせた材料でせいさくしているので,おきなわの風土にあった楽器なんです。りゅうきゅうさんしんを県外へ持っていくと,気候や湿しつなどがちがうので,おきなわいた音色と県外でいた音色では,同じさんしんでもちがって聞こえますね。やはりりゅうきゅうさんしんおきなわくのがおすすめですよ。

遊ぶ道具は自分でつくる

遊ぶ道具は自分でつくる

わたしの子どものときは,今のみなさんが遊んでいるようなゲーム機などなかった時代でしたので,友だちと木登りをしたり,遊び道具を自分たちでつくったりしていました。さかなりをするときも道具をすべて自分でつくり,友達ときそったりして遊んでいましたね。遊ぶ道具がなかったからだと思いますが,いろいろなおもちゃを自分で作るのは楽しかったですし,子どものころゆめは「いろいろな物づくり」がしたいと思っていました。また,昔はさんしんせいさくせんぎょうとするしょくにんはあまりいなくて,わたしも大工のかたわらでしゅとしてさんしんを作っていました。その後,わたしの父親がさんしんこうぼうおこし,わたしも子どものころから父親の手伝いをしていました。そのときのわたしの主な手伝いは,さんしんどうりつけるヘビの皮のうらにヘビのにくへんが残っていましたので,それをはぐのがわたしの手伝いでした。今は業者からきれいなじょうたいの皮を仕入れていますので,にくへんをはぐ作業はあまりありませんよ。子どものときから遊び道具を作って,父親のさんしんづくりの手伝いをしていたことが今の仕事には役立っていますね。

さんしんづくりのしゅぎょうの日々

三線づくりの修行の日々

はじめはさんしんづくりの仕事をしようとは思っていませんでした。それよりもお金をかせぎたくて,高校卒業後はおきなわよりもちんぎんが高かった東京へ行きました。そのときは,ちょうどバブル時代といわれる好景気で,特にけんせつぎょうが一番お金のかせげるしょくぎょうでしたので,東京ではけんせつの仕事をしながら生活していました。数年後,景気のかげりを感じあらためて自分のしょうらいについて考えることが多くなりました。そのときおきなわではさんしんがブームになっているときでもあったため,おきなわもどろうと決心しました。おきなわもどってきたらさんしんづくりのしゅぎょうを始めましたが,父親のもとでは身近ぎてしんけんに学べないと思い,知り合いのさんしん店で働きながらしゅぎょうをしていましたよ。そのときのしゅぎょう先は10数か所ぐらいだったと思います。子どものころからの知り合いのところでしたので,みんなこころよく受け入れてくれ,さんしんづくりのじゅつを教えてもらったり,せんぱいがたの作業を見ながら覚えたりと自分自身のスキルを日々みがいていきました。ただ,見習いということもあり,自分が作ったさんしんを商品として売ることはできず,はほとんど給料もありませんでした。東京に出て働いていたときの貯金でなんとか生活していたのですが,しゅぎょうの日々は大変でしたね。

しょくにんによってちがう道具

職人によって違う道具

さんしんせいさくの道具は,さおの角度をはかじょうややすりなどさまざまな道具があります。角度をはかじょうも角度のちがじょうがたくさんあるんです。また,しょくにんによって道具の形がちがっていて,さんしんづくりを行うしょくにんは,積み重ねてきたけいけんから自分に合った使いやすい道具づくりから始めるんです。わたしも自分に合った使いやすい道具を持っていて,長年使っている道具もありますね。自分のお店で作業するときは,自分に合った道具があるので作業がしやすいのですが,他のお店で作業するときもあるんです。そのときは,その場所にある道具を使えうようにしていますよ。また,昔の古い道具も使えるようにしています。今は,機械なども発達していて便利になっていますが,何かアクシデントがあったときにたいおうするには,昔ながらの道具が一番いいのです。さんしんしょくにんは,せいさくしていくために,材料である木のざいしつによって作業の道具を変えたり,曲がったりれたりする材料もあるため,こうていの順番を変えたりして,その時々に合わせて,「どうしたら作業がうまく進むのか。どの道具が使えるのか」などいろいろなことを考えながら作業にあたっているんですよ。

いでほしい!

受け継いでほしい!

りゅうきゅう王国時代は,氏族などお金持ちしかさんしんを持っていませんでした。そのため,とてもこうなものだったんですよ。また,戦争前のさんしんはあまり残っていなくて,今とは材料もちがいます。戦争前に海外へさんしんを持ってわたった方もいるため,海外に戦争前のさんしんが残っていたりもしますね。みなさんのおじいさん,おばあさんがさんしんを持っていたら,そのさんしんはいいものだと思いますよ。昔でいえば,3か月分の給料ぐらいのあるものだったと思います。じっさいに昔のさんしんは20万円以上で売り買いされるものが多いですね。ですので,たくにあるのならば,いだ方がいいと思います。わたしの店にしゅうにきているお客様の中にも,数世代にわたってさんしんいでいる方もいますよ。世代にわたっていでいくのは,せんの歴史や思い出がさんしんまっているのだと感じ,しゅうの作業は,大切にていねいに行うようこころけていますね。しょくにんの仕事は,さんしんなどの楽器をつくるまでで,その楽器をよりよい楽器にするには,持ち主が大切に使うことだと思っています。歴史あるさんしんを大切にいでいってほしいですね。

失敗は成長につながる

失敗は成長につながる

わたしさんしんせいさくをするさいに失敗をすることもありますし,いまだに満足いくさんしんをつくれません。だからこそ,失敗を積み重ね,次へ生かすための成長のかてとして日々さんしんに向き合っています。わたしは,「失敗は生きていく中での大切なざいさん」だと思っています。わたし自身,さんしんづくりの中で,何回も失敗することにより,次は方法を変えようと考え,この材木は曲がるのか曲がらないかをきわめられるのも,たくさん失敗して学んできたからです。みなさんも失敗をおそれずに,まずは行動してやってみることが大事だと思います。何も行動しなければ,そこから学ぶことができません。みなさんの周りにいる親や親せき,近所の方でもかまいません。いろいろな人生けいけんのある人の成功の話ではなく,失敗の話を聞いて自分だったらどうするのか考えながら,自分がやりたいことをやってみてください。失敗してしまってもいいのです。そこから,いろいろなことを学んで,次へ生かす努力をしていくことでみなさんの成長につながると思います。

ファンすべてを見る

(埼玉県 小5)
(大阪府 小5)
(沖縄県 中2)
(東京都 小6)
(福岡県 小4)
(神奈川県 中1)
※ファン登録時の学年を表示しています

私のおすすめ本

太宰 治
人間を信用する大切さが伝わるので,いい本だと思う。

もっと知りたいこの仕事人

岸本吉雄三線店(尚工房)
沖縄県三線製作事業協同組合
取材・原稿作成:一般社団法人グッジョブおきなわプロジェクト/協力:株式会社学友館