仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

大阪府に関連のある仕事人
1981年 生まれ 出身地 大阪府
福井ふくい 謙一けんいち
子供の頃の夢: サッカー選手
クラブ活動(中学校): サッカー部
仕事内容
ぎょうなどのぎょうかいぜんを助けるITシステムを開発する。
自己紹介
だんの生活では大ざっぱなところがありますが、仕事に対しては真面目です。休日は、スマートフォンの位置じょうほうを使ったRPGゲームをしていて、車いすで20キロメートルほどのきょを歩き回っています。

※このページに書いてある内容は取材日(2023年12月05日)時点のものです

ぎょうぎょうをサポートするITシステムを作る

企業の業務をサポートするITシステムを作る

わたしは「ゆうげんがいしゃおくしんシステム」という会社で、プログラマーけんシステムエンジニアとして働いています。おくしんシステムでは、ぎょうぎょうかいぜんしたりサポートしたりするためのITシステムの開発や、ホームページのせいさくなどを行っています。
おくしんシステムの大きなとくちょうは、働く人の多くに何らかのしょうがいがあることです。全12名中、10名に身体もしくはせいしんしょうがいがあり、わたし自身にも、けいずいそんしょうという身体しょうがいがあります。せきずいの一部がきずついており、しんけいが切れているむねから下を動かすことができないため、車いすで生活をしています。仕事はデスクワークですが、うでばしたり指を使ったりすることがむずかしく、パソコンはマウスの代わりにトラックボールを使ったり、ぶくろと手の間にはさんだペンを使ってキーボードをそうして文字を入力したりしています。そのほかにも、車いすでどうしなくてむよう、外部との会議はオンラインで行うなど、さまざまなふうをしながら、日々、仕事をしています。

じゅつのプロジェクトリーダーとして、チームをまとめる

技術部のプロジェクトリーダーとして、チームをまとめる

わたしおくしんシステムに初めて入った社員として20年近く働いており、げんざいじゅつのプロジェクトリーダーをつとめています。プロジェクトリーダーとしての主なぎょうは、お客さまとやりとりをしたり、社内のチームをまとめたりすることです。お客さまとやりとりしてシステムのせっけいを作り、それを社内で共有して、スタッフが作ってきたものをテストした後、お客さまへのうひんするところまでを行っています。
わたしたちの会社が主に手がけているのは、お客さまがぎょうをよりスムーズに進めたり、こうりつ良く行ったりするためのITシステムです。たとえばには、見積もりをかんたんに作成できるシステムや、ショッピングサイトなどを作りました。これらはすべてお客さまの要望にこたえて作るオリジナルのシステムで、せっけいだんかいからお客さまと相談しながらいっしょに取り組みます。またわたしは、プロジェクトリーダーとして仕事をする一方で、プログラマーとして実作業をすることも多くあります。
ぎょう時間は8時半から17時半までです。オフィスには車いすで、電車をいで1時間20分ほどかけてつうきんしているため、体力的に大変だと感じることもあります。でもげんざいは、オフィスへしゅっきんするのは週2日で、週3日はざいたくきんをしているため、体のつかれをそこまでめずに働くことができています。

スタッフみなと協力しながら、それぞれが働きやすいかんきょうをつくる

スタッフみなと協力しながら、それぞれが働きやすい環境をつくる

わたしおくしんシステムの一人目の社員なので、入社して以来、社長のおくわきと相談しながら「どうしたら働きやすくなるか」を考え、じっせんしてきました。たとえば、オフィスはバリアフリーになっており、デスクもオーダーメイドで作ってもらった、車いすでも使いやすい、高さがあるものを使用しています。また、わたししょうがいのえいきょうあせをかくことができず、体内に熱がこもって体温が上がってしまいます。そうなるとボーッとして頭が働かなくなるため、自分のデスクにせんぷうせっしてもらい、体温調整ができるかんきょうも整えてもらいました。
またわたしには、仕事以外の面で自分にできないことがあります。たとえば、お昼ごはんを電子レンジで温めたり、上着をしたりすることです。サポートのうな他のスタッフが入社する前は社長に手伝ってもらっていて、社長がしゅっちょうなどでいないときにはざいたくきんえていました。今は、じゅつのスタッフたちがとうばんせいでサポートをしてくれています。当番が決まっていると、こちらとしてもたのみやすくなり、とても助かりました。
おくしんシステムにはさまざまなしょうがいやとくせいのある人たちがいるので、それぞれが働きやすくなるようにこうさくしながら、社内のみなが協力し合って、かんきょうを整えたり仕組みづくりをしたりしています。

一人一人のとくせいに合わせたコミュニケーションをしき

一人一人の特性に合わせたコミュニケーションを意識

発達しょうがいのほか、パニックしょうがい、うつ病といったせいしんしょうがいのあるスタッフもいるため、一人一人のとくせいに合わせてコミュニケーションを取ることを心がけています。たとえば、せいしんてきに落ちこみやすいスタッフに対して何かをてきするときには、直球で言うのではなく、やんわり伝えるようにしたり、りをプレッシャーに感じてしまうスタッフには、はっきりしたのうを伝えないようはいりょしたりしています。また、プログラムの組み方にスタッフのくせが出てしまうことがあるのですが、人によって差が出ると後からメンテナンスなどがしづらくなるため、スタッフに調整をらいすることがあります。そのさいにも相手の気持ちをよく考えながら、“ていされた”とスタッフが感じてしまわないように話すことをしきしています。
また、当社として大きめのプロジェクトの場合は、3、4人でチームを組んでいますが、メンバーに仕事をるのはわたしやくわりです。じゅつのリーダーをつとめるもう一人のスタッフとも相談しながら、メンバーのだれかが同時にたくさんの仕事をかかえてしまわないように調整したり、だれにどの仕事をたのむのがてきせつなのかを考えたりして、社内でうまく仕事が回るようにふうしています。

「働けること」が仕事を続ける大きなモチベーションに

「働けること」が仕事を続ける大きなモチベーションに

わたしが働く上で大切にしているのは、とにかくお客さまによろこんでもらう仕事をすることです。そのため、自分たちが作ったシステムに対して、お客さまから「助かった」「使いやすい」という言葉をちょくせついただけたときには、大きなやりがいを感じます。
しかしわたしは、この仕事が自分に向いているのかどうか、今でもわかりません。わたしは高等せんもん学校(こうせん)時代にってしょうがいを負ったのですが、外に出て働きたい気持ちが強くあり、しょくぎょう訓練校に通っていました。そこでさまざまなことを学んでいるうちに、スピードも求められるのような仕事は、体を思うように動かすことがむずかしい自分にはどうしてもげんかいがあると感じ、プログラミングを学んで仕事にしようと決めました。そのため、今の仕事をしようと思わなければ、パソコンをさわることすらなかったかもしれません。
わたしにとってプログラマーやシステムエンジニアの仕事は、しょうがいがある体で戦っていくためにはどうすれば良いのかを考えた結果、選んだ道です。それでも20年近く仕事を続け、けいけんを重ねてきた今、お客さまによろこんでもらえることが何よりのやりがいになっています。そして「働けていること」自体が、自分が仕事を続けていく上で大きなモチベーションになっているのだと思います。

しょくぎょう訓練校で社長と出会って入社

職業訓練校で社長と出会って入社

わたしおくしんシステムで働くことになったのは、しょくぎょう訓練校でプログラミングを学んでいたときに、先生が社長のおくわきしょうかいしてくれたことがきっかけでした。社長は当時、システムエンジニアとしてののうりょくがあっても、時間や場所のしばりがあると働くことができないような人材をさがしていました。その中で声をかけていた場所の一つに、しょくぎょう訓練校があったようです。
実習をて、社長とめんせつをさせてもらった結果、入社することになりました。働き始めたのは24さいのときで、会社といっても、最初はしょもありませんでした。社長の知り合いの会社に場所を借りて2、3週間に1回だけしゅっきんし、そのほかの日はざいたくで仕事をしていました。しかし、よくねんにもう一人社員が入ってきたことを機にしょかまえることになり、その後は少しずつ社員がえて、げんざいは12名になっています。今はちゅうさいようのスタッフばかりですが、今後は新卒さいようもしたいという話が出ていて、わたしわかいスタッフとせっしたり教えたりすることが今以上にえ、新しいチャレンジをする機会も出てくるかもしれません。
これからも働き続けられたらと思う一方で、けいずいそんしょうのある自分の体にげんかいも感じ始めています。おくりょくが低下したり長時間すわるのがつらかったりと体のおとろえるスピードはけんじょうしゃよりもはやく、とこずれができやすいなどのリスクもかかえています。たくで家族のサポートをずっと受け続けることもむずかしいのうせいがあり、今後は働ける時間などもかぎられてくるかもしれません。それでも、社長と相談しながら仕事を続ける方法をさくしていけたらと思っています。

ってぜつぼうしていたとき、こうせんの先生が世間にもどしてくれた

事故に遭って絶望していたとき、高専の先生が世間に引き戻してくれた

小学生のころは、家に帰ってランドセルを置いたらすぐに公園に行き、友達とサッカーや野球をして遊んでいました。中学でもサッカー部に入るなど、活発な子ども時代を送っていたと思います。
高校は、地元で通える学校の中に自分の学力にちょうど合うところが見つからなかったこともあり、高等せんもん学校(こうせん)に入学しました。そこでは化学を学んでいたのですが、化学科の卒業生は工場などで働く人が多く、「自分もそのような仕事にくのだろう」とばくぜんと考えていました。ところがざいがく中、プールに飛びこんだしょうげきけいずいそんしょうし、しょうがいを負いました。医者から「一生たきりになる」とせんこくされたときには、本当にぜつぼうを味わいました。その後、1年くらい入院し、こうせんにはもどらないつもりでいたのですが、たんにんの先生が校内にスロープをつけるようこうしょうしてくれるなど、わたしが「もどりません」と言えなくなるくらい熱心に手をくしてくれました。最初は正直、しゅうにどう思われるか気になっていたのですが、先生がさまざまなはいりょをして、多少ごういんにでも世間にもどしてくれたことは、本当にありがたかったです。こうせんの先生も、その後に出会ったおくしんシステムの社長も、わたしは人との出会いには本当にめぐまれてきたと感じます。

ほこりを持って働く、身近な大人の姿すがたを見てほしい

誇りを持って働く、身近な大人の姿を見てほしい

わたしが働き始めて感じたのは、世の中には自分の希望通りの仕事ができている人はそう多くないということです。大人になるにつれて、自分の「やりたいこと」と「できること」との間にみぞができてしまうのは、自然なことだと思います。しかし、自分の「やりたいこと」を仕事にできている人が全員幸せかというと、そうともかぎりません。ぎゃくに「できること」を仕事に選んだとしても、自分の仕事にほこりややりがいを持っている人や、家族のためにって働いている人がたくさんいます。みなさんには、そうした大人たちの姿すがたを見てほしいです。ゆめを持つことはもちろん大切ですが、家族をはじめ身近に働いている大人たちのなかも見ながら、成長していってもらえたらと思います。
何かしらのハンディキャップやとくせいがあっても、少しのはいりょがあれば働ける人はたくさんいます。わたしが今の会社と運良く出会って働けているように、しょうがいがある方々には、ちょっとした出会いを大切にしてほしいです。そしてもし働けるチャンスがつかめたら、ぜひチャレンジしてみてほしいと思います。

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私のおすすめ本

スティーブン・R・コヴィー
奥進システムで働く上での必読書として入社時に渡されました。「自分の力ではどうしようもないことも、自分の考え方次第でどうにでもなる」というようなことが書かれていて、物事がうまくいくようにするにはどうすればよいのか、気づきを与えてくれました。

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取材・原稿作成:渡部 彩香(Playce)・土居 りさ子(Playce)・東京書籍株式会社/撮影:合田 慎二