仕事人

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岐阜県に関連のある仕事人
出身地 東京都
きし 健幸たけゆき
子供の頃の夢: サッカー選手
クラブ活動(中学校): 水泳部
仕事内容
の特産物である,えだまめをさいばいする。
自己紹介
楽天家で,考えるより先に動いてしまいます。新しいことも「なんとかなる」と思ってまずはやってみて,動き始めてからどうするかを考えます。ものを作ることが好きで,休日は時々,つまに代わって料理をすることもあります。
出身高校
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2018年09月30日)時点のものです

長い期間にわたってしゅっできるように,えだまめを育てる

長い期間にわたって出荷できるように,えだまめを育てる

わたしけんに一ちょうたん(約1万5千平方メートル)の畑を持ち,ビニールハウスなどを使わずてんの畑で行う“さいばい”で,えだまめをさいばいしています。えだまめは,2月じゅんに最初の種をまき始め,8月じゅんまで,時期に合わせた品種の種を順番にまいていきます。まだ寒いころに種をまいたら,土を温めるために種をまいた上からビニールシートをかぶせ,春に気温が上がってくると,ビニールを外します。土の温度管理は,えだまめさいばいでとても重要なポイントです。
種をまいた後は,えだまめの成長に合わせてりょうをやったり,れた葉やざっそうのぞいたりします。6月ごろになると,虫がたくさん出るようになるため,虫が入ってこないようにあみの細かなぼうちゅうネットをなえ全体にかけます。気温が低いときだと種をまいてから3か月くらい,あたたかくなると70日くらいで実がふくらんできます。早いものだと5月じゅんから,一番おそいもので11月じょうじゅんまでの約半年間,しゅうかくすることができます。他の産地では,えだまめが最も育てやすい5~6月にさいばいし,7~8月でしゅっが終わりますが,このように長い間にわたってしゅうかくしゅっができるようにするのは,ならではのさいばいほうです。

ひんしつのいい「えだまめ」を作る

品質のいい「岐阜えだまめ」を作る

けんは西日本では最大のえだまめ産地として,全国に多くのえだまめをしゅっしています。特に,ないを流れるなががわりゅういきには,川によって流れて積み重なった,水はけのいい土が多く,えだまめのさいばいてきしています。ここで育てられるえだまめは,「えだまめ」とばれ,実がふっくらとおおつぶあまみがあるのがとくちょうです。
えだまめはせんが命なので,しゅうかくは気温の低い早朝から始めます。しゅうかく後は,機械でえだからさやをもぎ取り,大きさ別に分けた後,みずあらいしてれいぞうひとばんかせます。これを「れい」と言い,一気に温度を下げることで,変色やいたみをふせぎ,しんせんさをたもつことができます。その後,さらにきずあなのあるえだまめやぶつをていねいにのぞいて,しゅっじょうへと運びます。しゅっじょうでも選別やチェックが行われ,きびしいけんをくぐりけたえだまめだけが,えだまめとしてしゅっされていきます。
えだまめのさいばいが終わる11月から,次の種まきが始まる2月までの間には,えだまめを作り終えた畑を整えて,約4千平方メートルの畑でほうれん草を育てています。

自然を相手にするむずかしさと,自分でふうできるおもしろさ

自然を相手にする難しさと,自分で工夫できるおもしろさ

年によって気象じょうけんちがうため,作物は,毎年同じようにはできません。夏になると,えだまめさいばいは虫との戦いになります。また,雨がってえだまめのさやにどろがつくと,どろいっしょざっきんがついて,さやのつやが悪くなったりあなが開いたりします。そのほかにも,えだまめが病気にかかったり,台風でえだたおれてしまったり,自然の中で起こるさまざまな問題に,たいしょしていかなければいけません。何年やっていても,毎日の天気を見ながら自分でその日の作業を決めていくことには,むずかしさを感じています。
しかしその反面,すべてを自分のペース,自分の考えで進められるところが,農業のりょくです。わたしは「大変だからこそおもしろい」と,いつも思っています。また,大変な分,自分のたんらす新しい働き方を考えて,取り入れています。たとえば,えだまめはしゅうかくした後,虫食いやきずがないかを見ながら,ひんしつのいいものを選別していくのですが,しゅうかく後にわたしつまの2人でこの選別作業を行うのは,とても大変です。そこでわたしは2年目から,その作業を,しょうがいをもつ人たちが働くせつにお願いすることにしました。今は選別作業のほとんどをお願いし,えだまめのれない時期には,ほうれん草のふくろめをやってもらっています。そのほかにも,種をまく機械をレンタルし,より早くこうりつてきに作業ができるようにふうもしています。

のえだまめを世界中の人に知ってほしい

岐阜のえだまめを世界中の人に知ってほしい

のえだまめ農家は,6月ごろに多くなる害虫のがいふせぐため,ぼうちゅうネットをかけてえだまめを守ります。すべての畑にぼうちゅうネットをかけるのは,とても手間のかかる作業ですが,ぼうちゅうネットを使うことで,虫をじょする農薬の使用回数をらすことができ,より安心して食べてもらえる,安全なえだまめを育てることができます。ぼうちゅうネットを使わない場合は3~4回の農薬をさんしますが,うちはぼうちゅうネットのおかげで,1回のさんんでいます。のえだまめ農家は,ほとんどが農薬をできるかぎらして作物を育てる「ぎふクリーン農業」に取り組んでいます。しゅうかくしたえだまめも,きびしく選定されたりょうしつなものだけが店頭にならびます。
農家にとって一番の喜びは,たくさんの人に買ってもらい,「おいしい」と思ってもらうことです。わたしは,こんなに手間をかけて育てられるのえだまめを,日本中,そして世界中の人に食べてもらいたいと思っています。えだまめは英語でも“edamame”と言われるくらい,海外でもポピュラーな野菜です。海外のレストランで自分が作ったえだまめが出されたら,とてもおもしろいと思います。たくさんの人に食べてもらうためには,まずはのえだまめを知ってもらうことが大切ですから,わたしはSNSなどを活用して,のえだまめ農家のことやさいばい方法を発信しています。とう稿こうすると,いっぱんの方はもちろん,他の産地のえだまめ農家さんや海外の人たちからもはんきょうがあり,とてもうれしいです。

多くの人がりょくを感じられる農業を目指して

多くの人が魅力を感じられる農業を目指して

わたしは農業を始めてから,これから農業にとって一番大切なのは,作物を作る生産者も,はんばいする人も,それを買う消費者も,すべての人が喜べる産業にすることではないかと感じています。農家の人たちは,大変な手間と時間をかけて,安全な作物を作れるように日々,努力しています。農業のになが不足していると言われますが,毎日苦労して育てたみとめられて,労働に見合ったかくで作物が売れないと,新たに農業をしたいと思う人もえていきません。作る人もなっとくできるかくはんばいし,買う人もそのを感じて安心して買ってもらえることが大切です。そのためにも,生産者もどうやって作物を作っているのか,多くの人に伝えていく必要があると思っています。
また,新しく農業をしたいと思っている人に対しても,農業の楽しさを伝え,相談にのるようにしています。で農業を始めたい人が集まる勉強会で自分のけいけんを話したり,えだまめ農家を目指す人を受け入れるけんしゅうさきとなって,えだまめさいばいを教えたりしています。最近では,わたしの話を聞いて農業にちょうせんし始めたわかい人や,自分で農業をしたいというしゅの方も出てきました。これからも農業をになう人が1人でもえるように,サポートしていきたいです。

東日本だいしんさいで,農業のひつようせいを実感

東日本大震災で,農業の必要性を実感

わたしは東京で生まれ育ち,大学を卒業後,テレビやインターネットで流れるCMをせいさくする仕事をしていました。その中で農家の方を題材にしたCMをせいさくする機会があり,農家を回って取材やさつえいをしているときに,農業に少しきょうを持つようになりました。そんなとき,2011年に東日本だいしんさいが起こり,東京でも大きなれを感じました。それから数日間,スーパーやコンビニに行っても,食べるものがどんどんなくなっていく様子を見て,「これからは,食べるものを作る仕事が必要なのでは」と考えるようになりました。そこで,以前からきょうを持っていた農業を始めることにしたんです。
わたしには,けんおおがきに住んでいるがいて,子どものころから,遊びに行くと「自然がゆたかで,水がとてもきれい」だと感じていたおくがありました。また,けんは本州の真ん中に位置し,季節を問わず農業ができると思い,2012年4月にけんじゅうしました。それから農業を教えてくれる農家をさがし,最初の1年間はトマト農家で働きながら,農業を学びました。しかし,ビニールハウスで育てるトマトは,せつを整えるのにたくさんのきんが必要なので,わたしは,より少ないきんで始められるさいばいを学ぼうと考えました。けんでは新たに農業を始める人をえんしてくれるせいがあることを知り,農林しょやJAぎふへ相談に行ったところ,えだまめとほうれん草を育てる農家をけんしゅうさきとしてしょうかいしてくれました。わたしはその農家で1年間,さいばいしきじゅつを学び,41さいのときに自分の畑を持って,えだまめ農家を始めました。

子どものころからの自然と食にかれていた

子どものころから岐阜の自然と食に惹かれていた

わたしおさないころ,毎年,にあるの家へ遊びに行くのが楽しみでした。東京生まれ東京育ちのわたしには,山や川などのゆたかな自然に囲まれたの風景が,とても美しく感じられました。特にが住んでいたおおがきは,昔から「すい」とばれるほど水がきれいな場所だったので,子どもながらにそのイメージが強く心に残っていて,農業を始めたいと思ったときも,農業に欠かせない水がほうな土地として,真っ先におもかびました。へ遊びに行ったときの思い出で,今も覚えているのは,が作ってくれた,し大根が入った赤だしのみそしるです。白みそがいっぱんてきな東京では食べたことのない味でしたが,わたしにはとてもおいしく感じられました。今思うと,このころからの食にきょうがあり,したにも合っていたのかもしれません。
ゆたかな自然があるが好きだったわたしですが,一方で子どものころから虫が苦手でした。大人になってCMをつくる仕事をしていたときも,取材で農家に行ったさい,何がいるか分からない田んぼの中に足を入れることができないほどでした。今は毎日,畑で土にれているため,少しは平気になりましたが,足の多いムカデなどはまだまだ苦手です。わたしのように虫ぎらいでも農業はできるので,虫が苦手な人もあきらめず農業にチャレンジしてほしいです。

考えすぎず,こんなんを受け流せる強さが大切

考えすぎず,困難を受け流せる強さが大切

わたしは新しいことを始めるとき,あまり先のことを考えすぎず,「なんとかなる」という気持ちでちょうせんするようにしています。かべにぶつかっても落ちこんでも,すぐに「仕方がない」と立ち直って,次へ進みます。実はこの打たれ強さが,農業には特に必要だと思っています。農業は自然が相手の仕事なので,ときには大雨や台風などの自然さいがいで,畑がだいげきを受けることがあります。わたしも農業を始めて1~2年の間は,自然から受けるがいにどうたいしょしたらいいか分からず,育てた作物のほとんどをはいしなければいけないこともありました。農業をしていると,人ができることは本当にかぎられていて,自然にはかなわないということをつうかんします。そんなとき,わたしはいつまでもくよくよせず,「仕方ない」と水に流して次にできることを考えることも,大切だと思っています。こうしたけいけんを生かして,わたしは新しく農業を始める人にも,すべてをだんりよく進めなければいけないと思いすぎず,いい意味で“いいげん”であることが大事だと話しています。
農業だけでなく日々のらしの中でも,考えても答えが出ないことはたくさんあります。そうしたとき,考えこんでも答えが出ることは少ないように思います。かべにぶつかったら,その問題にこだわりすぎず,少し気持ちを楽にして「だったら他のことをがんばろう」と別の道を見つけるのも,ひとつの方法です。いやなことや大変なことも考え方だいなので,やりたいと思ったことにはおそれずちょうせんし,こんなんに出会ったときにも次の一歩をせる強さを持ってほしいと思います。

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取材・原稿作成:船戸 梨恵(クロスワード)・岐阜新聞社 /協力:株式会社 電算システム