仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1942年 生まれ 出身地 長野県

高梨(たかなし) 正信(しょうしん)
子供の頃の夢: シェフ・調理師
クラブ活動(中学校):
仕事内容
西洋料理を日本人が食べやすい味付けにアレンジ。ボリューム満点の料理を低てい価か格かくで提てい供きょうする。
自己紹介
料理人の仕事が大好きです。じっとしているより,常つねに動いていたいタイプ。趣しゅ味みは海外旅行で,世界遺い産さんなどを見に行くのが好きです。

※このページに書いてある内容は取材日(2021年07月02日)時点のものです

力りき道どう山ざんの「リキレストラン」元総そう料りょう理り長ちょう。西洋料理を日本人の味覚に合う味に

力道山の「リキレストラン」元総料理長。西洋料理を日本人の味覚に合う味に

私わたしは,東とう京きょう都と新しん宿じゅく区く西にし落おち合あいにある洋食店,「レストラン香ほん港こん」で料理人をしています。店のスタッフは私わたしと妻つま,次男夫ふう婦ふ,娘むすめの5人で,家族で経けい営えいしています。25歳さいで自分の店を持つ前は,力りき道どう山ざんという昭しょう和わの有名なプロレスラーが経けい営えいする「リキレストラン」の総そう料りょう理り長ちょうをしていました。プロレス関係者との縁えんが深く,プロモーター(試合の主しゅ催さい者しゃ)の経けい験けんも持つ,めずらしい料理人です。特にプロレス団だん体たいの新しん日に本ほんプロレスとは,アントニオ猪いの木きが団だん体たいを立ち上げたときからの長い付き合いで,多くのプロレスラーを支し援えんしてきました。
仕事内ない容ようは,ハンバーグやポークソテー,ステーキなどの西洋料理を日本人の味覚に合う味付けにして提てい供きょうすることです。デミグラスソースなどのソースに醤しょう油ゆやみりん,味み噌そなどを加え,メニューごとに味を変えています。人気のメニューはてっぺんの平らなトルコの帽ぼう子しの形をイメージして作ったトルコライスで,ケチャップライスの上にカレーをかけ,さらにトンカツをのせた料理です。どの料理もボリューム満点なうえに,手ごろな価か格かくなので,お客さまに喜よろこんでいただいています。メニューやレシピ,提てい供きょうする価か格かくもすべて自分で考えています。
高こう齢れいになったので今はもうやっていませんが,以前は出しゅっ張ちょう料理も受け付けており,中ちゅう華かや和食,寿す司しまで作り,500名の宴えん会かいまで対たい応おうしていました。

食材を安く仕入れ,ボリューム満点の料理を低てい価か格かくで提てい供きょうする

食材を安く仕入れ,ボリューム満点の料理を低価格で提供する

私わたしは,店の2階に住んでいるため,毎朝5時に起き床しょうし,すぐに買い出しや仕し込こみ(料理の下した準じゅん備び)を始めます。買い出しは主に都内の豊とよ洲す市し場じょうへ行っていますが,土曜日は店を休みにして,埼さい玉たま県けんにある精せい肉にく店てんなどを複ふく数すうまわって,安くてよい食材を集めています。だからボリューム満点の料理を,他の店では考えられないような低てい価か格かくで提てい供きょうすることができるのです。
付け合わせの野菜を準じゅん備びしたり,ハンバーグを煮に込こんだりといった仕し込こみをして,11時30分からお昼の営えい業ぎょうが始まります。注文が入ったら,分ぶん担たんして料理の準じゅん備びをしますが,焼く,揚あげる,煮に込こむといった最後の仕上げは私わたしの仕事です。私わたしの店はお客さまをお待たせしないことも特とく徴ちょうで,早いスピードで仕上げて提てい供きょうしています。それでも,店の外に行列ができていることがしばしばあります。
営えい業ぎょうが終わったら,翌よく日じつのための仕し込こみと,清せい掃そうなどの後あと片かた付づけをします。飲食店なので,清せい潔けつな環かん境きょうで料理することはとても重要です。厨ちゅう房ぼうの綺き麗れいさは,どの店にも負けないと自信を持っています。21時過すぎに一日の業ぎょう務むが終わり,就しゅう寝しん時間は24時ごろになることが多いです。

修しゅ行ぎょう中は誰だれよりも早く厨ちゅう房ぼうに行き,ソースの研究をしていた

修行中は誰よりも早く厨房に行き,ソースの研究をしていた

料理人の仕事が好きなので,苦労だと感じることは特にありません。立ち仕事で,体力的に大変だと思われるかもしれませんが,仕事をする中で体力がついて,丈じょう夫ぶな体になっていきました。しかし,コックになったころはこんなに長く仕事を続けられるとは思っておらず,50歳さいを過すぎるころにはアパート経けい営えいで暮くらしていこうと考えていました。実じっ際さいにアパートを購こう入にゅうし,部屋を貸かしているため,家や賃ちん収しゅう入にゅうも得えることができています。
また,睡すい眠みん時間は短いほうかもしれません。以前,新しん日に本ほんプロレスのイベントが一週間続けてあった時期などは,お弁べん当とうを作るために徹てつ夜やで仕事をすることもありました。修しゅ行ぎょう時代は今より働いていて,誰だれよりも早く厨ちゅう房ぼうへ行き,夜よる遅おそくまで働いていたので,睡すい眠みん時間は平へい均きん4時間ぐらいだったと思います。
朝早く厨ちゅう房ぼうで何をしていたかというと,色々な食材を組み合わせて調理して,食べてみたりしていました。「上うえ野のタカラホテル」で肉料理の担たん当とうになった19歳さいのころは,朝,誰だれもいない厨ちゅう房ぼうでソースの研究をしていました。そのときの料理長は,他店とは違ちがうものを,日本人の食べやすい味で,価か格かくもできるだけ安く提てい供きょうしようと考えている方でした。そのため,醤しょう油ゆやみりん,味み噌そなどで味を調整した,しつこさのない私わたしのソースを面おも白しろいといって,よく採さい用ようしてくださいました。
実は私わたしはコショウやカイエンペッパー(唐とう辛がら子し)などの香こう辛しん料りょうが体たい質しつ的てきに苦手で,ソースの味見を頻ひん繁ぱんにすることができないのですが,修しゅ行ぎょう時代の研究のおかげでおいしいソースを作ることができています。

オリンピック選手に料理を提てい供きょうしたことも

オリンピック選手に料理を提供したことも

仕事をしていて一番やりがいを感じるのは,お客さまにおいしいと喜よろこんでもらえることです。また,料理をおいしくするための工く夫ふうなど,新しいことを考えるのも好きです。例えばハンバーグは,早く提てい供きょうするためと,味を染しみ込こませるために,一度焼いてから,デミグラスソースを薄うすく伸のばしたスープで煮に込こんでいます。ハンバーグには牛肉と豚ぶた肉にくを使う店が多いのですが,それだと煮に込こむときに崩くずれやすいので,当店では鶏とり肉にくを加えています。鶏とり肉にくはコラーゲンが多いので,加えることでハンバーグがキュッと締しまって崩くずれません。どの料理にもそういった工く夫ふうをしています。
仕事をしてきた中で,最も思い出深いのは,1964年の東とう京きょうオリンピックに出場する選手たちに料理を食べてもらったことです。力りき道どう山ざんが「リキ・スポーツパレス」という,道場やトレーニングルーム,私わたしが総そう料りょう理り長ちょうを務つとめていた「リキレストラン」などがある施し設せつにレスリングなどのオリンピック選手たちを招まねき,スタミナをつけてほしいと料理をふるまいました。力りき道どう山ざんはオリンピック前に亡なくなってしまいましたが,その選手たちはオリンピックで金,銀,銅どう合わせていくつかのメダルを獲かく得とくしました。活かつ躍やくに貢こう献けんできたような気がして,うれしかったですね。

おいしいものをお腹なかいっぱい食べてもらいたい

おいしいものをお腹いっぱい食べてもらいたい

私わたしのこだわりは,お客さまの立場に立って料理をすることです。私わたしは戦時中に生まれて,幼よう少しょう期きは食べるものが少なく,お腹なかいっぱい食べることができませんでした。中学生になるころにやっとどうにか食べられるようになったのです。しかしまだ満足に食べられる状じょう況きょうではなく,お祭りのときに同級生の家で作るおはぎをもらって食べることが一番の幸せでした。その記き憶おくがあるので,私わたしの料理はボリューム満点です。お客さまにおいしいものを手ごろな価か格かくで,お腹なかいっぱい食べてほしいと思っています。
それから,注文を受けてからできるだけ早く料理を提てい供きょうするようにしています。他のコックさん3人分にも負けないぐらいの,驚おどろくようなスピードで作っています。待ち時間は他の店の半分ぐらいではないでしょうか。長年続けてきたせいで手がフライパンを持つ形に変形してしまいましたが,そんなことは気になりません。店の評ひょう判ばんを聞いて遠方からもお客さまが来てくれるので,期待に応こたえたいと考えながら料理をしています。

力りき道どう山ざんからのスカウトで「リキレストラン」へ

力道山からのスカウトで「リキレストラン」へ

私わたしが料理の道に進んだのも,料理店に勤つとめれば,お腹なかいっぱい食べられると思ったからです。中学校卒業後,両親ともに教きょう師しだったため,高校への進学を勧すすめられましたが,料理人になりたかったので,自分で就しゅう職しょく先さきを探さがして就しゅう職しょくしました。
最初に就しゅう職しょくしたのは「新しん宿じゅく食しょく品ひん」という惣そう菜ざい店てんです。その後,日本料理レストラン「銀ぎん座ざ大だい増ます」や「上うえ野のタカラホテル」などで修しゅ業ぎょうしました。そこから引ひき抜ぬかれて20歳さいのときにある銀行の,重役の会合などに使われるレストランの料理長になりました。そして,そこで私わたしの料理を食べた力りき道どう山ざんに「ぜひ,うちに来てくれないか」と誘さそっていただき,「リキレストラン」の総そう料りょう理り長ちょうになりました。しかし,残念ながら力りき道どう山ざんが亡なくなり,「リキレストラン」も倒とう産さんしてしまったのです。そのため25歳さいで「香ほん港こん」という中ちゅう華か料理店を買い取り,自分の店を持つことにしました。

手と足がうまく動かせなかったけれど,暗算だけは誰だれにも負けなかった

手と足がうまく動かせなかったけれど,暗算だけは誰にも負けなかった

私わたしは子どものころ,手と足が悪かったので,うまく歩くことができず,ノートを取ることもできませんでした。東とう京きょうの大きな病院で診みてもらいましたが,結局原げん因いんがわからず,治らなかったのです。しかし,仕事をするうちに筋きん肉にくがついたせいかよくなっていき,自分の店を持つころには,治っていました。子どものころはそろばんも使えず,宿題も字が書けないので出していませんでしたが,その代わり暗算は誰だれにも負けませんでした。得とく意いになったのは,掛かけ算ざんの九九が歌のようで,覚えるのが楽しかったからだと思います。暗記力もいいほうでした。
「銀ぎん座ざ大だい増ます」での修しゅ業ぎょう時代に,尺しゃっ貫かん法ほうという日本の単位の測はかり方かたからメートル法に変わるタイミングがあったのですが,仕入れる肉の分量などをキログラムに変へん換かんする際さいに,私わたしの暗算能のう力りょくが役に立ちました。この暗算能のう力りょくのおかげで,親方のそばに置いていただき,近くで仕事を見ることができました。
また,洋食店を経けい営えいしていくためには,家や賃ちんや光こう熱ねつ費ひ,材ざい料りょう費ひなどの必要な経けい費ひを算出し,1日いくら売り上げれば利り益えきを出すことができるのかを計算する必要があります。そういった計算もそろばんや電でん卓たくを使わずにすべて暗算でできるので,店の経けい営えいにも役立っています。

家族が作ってくれる家庭料理が一番すばらしい

家族が作ってくれる家庭料理が一番すばらしい

料理を食べて「この料理は本物だ」などと言う人がいますが,私わたしは料理に本物も偽にせ物ものもないと考えています。味と値ね段だんが違ちがうだけで,どの料理も本物ですし,すばらしいものだと思います。中でも一番すばらしいのが,家族のために親が作ってくれる家庭料理です。限かぎられた予算内で栄養を考えて,家族の人数分の料理を作ってくれているのですから。そのことへの感かん謝しゃを忘わすれずにいてほしいと思います。
それから,スポーツ選手や先生,医者など,なんでもいいのですが,やりたいと思ったことがあれば,その仕事をするための勉強をしっかりすることが大切です。私わたしは自分の子どもたちには,高校以い降こうの学がく費ひは自分のアルバイト代で払はらうように言いました。お金がなかったからではなく,自分で働いたお金で学がく費ひを支し払はらうほうが,本気で勉強すると考えたからです。スマートフォンなどのゲームは負けたら簡かん単たんにリセットできますが,世の中に出てからの人生はリセットできません。そのためみなさんも,自分の目指すものに向かって真しん剣けんに学んでいってほしいと思います。

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取材・原稿作成:國分 唯未(Playce)・ 関 香里(Playce)/協力:城北信用金庫