仕事人

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大分県に関連のある仕事人
1948年 生まれ 出身地 大分県

桑原(くわはら) 政子(まさこ)
子供の頃の夢:
クラブ活動(中学校):
仕事内容
地元産の魚を郷きょう土どの調味料「ごまだし」に加工し,びん詰づめにして販はん売ばいする。合同会社の代表として,経けい営えいの仕事や首しゅ都と圏けんの小売店などへの営えい業ぎょうも行う。
自己紹介
考え方が前向きすぎるほどで,思いついたらすぐ行動し,走りながら考えるタイプです。息むす子こがラグビーをやっていたので,昔からラグビーファン。ワールドカップ2019日本大会では,大おお分いたのスタジアムに4回も観戦に行きました。

※このページに書いてある内容は取材日(2019年10月17日)時点のものです

水産加工業の社長として

水産加工業の社長として

私わたしは大おお分いた県けん佐さ伯いき市しの鶴つる見みで,水産加工業の合同会社「漁ぎょ村そん女じょ性せいグループ めばる」の代表をしています。私わたしたちは,地元でとれた魚から「ごまだし」という調味料を作り,びん詰づめにして販はん売ばいしています。私わたしの夫と息むす子こは巻まき網あみ漁を営いとなむ漁りょう師しで,ごまだしの原料の魚の7割わりは息むす子こたちがとってきたアジです。
社名からわかるように,この会社は,鶴つる見みの漁村に住む女じょ性せいたちを誘さそって作った会社です。現げん在ざい,社員は私わたしを入れて4人です。加工所と事じ務む所しょは,わが家の巻まき網あみ漁の作業場の一角に建てました。加工の作業は週に4日,9時から15時半ごろまで行っています。
私わたしはごまだしを作る作業だけでなく,会社の代表として,経けい費ひと利り益えきの帳ちょう簿ぼを管理して,社員の給料を決めたり,加工の機械などへの設せつ備び投とう資しの計画を立てたり,税ぜい務む署しょに申しん告こくしたりといった,経けい営えい全ぜん般ぱんの仕事もしています。また,商品を小売店に売うり込こむ営えい業ぎょうもしています。首しゅ都と圏けんでの商談会や見本市に積極的に参加し,全国の逸いっ品ぴんを集めて売る東とう京きょうのお店や,高級食料品チェーンのディーン・アンド・デルーカ,無む印じるし良りょう品ひんといったショップで扱あつかってもらうなど,少しずつ販はん路ろを広げてきました。
おかげさまで,ごまだしの生産は,昨年(2018年)は3万本でしたが,今年(2019年)は5万本に届とどきそうです。売り先は,東とう京きょうの小売店がおよそ半分,大おお分いた県けん内ないが2割わり,インターネットの販はん売ばい会社を通した通つう販はんが3割わりです。

豊ぶん後ご水すい道どうの恵めぐみが生んだ家庭の味

豊後水道の恵みが生んだ家庭の味

ごまだしは,大おお分いた県けん南部の家庭で作られてきた郷きょう土どの味です。白身の魚を焼いて身をすりつぶし,しょうゆやみりんを入れ,すりごまをたっぷり加えます。地元では,丼どんぶりにゆでたうどんを入れてお湯を注ぎ,ごまだしを乗せて溶とかしながら食べる「ごまだしうどん」が一いっ般ぱん的てきです。そのほかにも,ごまだしは,いろいろな料理に合うので,私わたしたちは“万ばん能のう調味料”として売っています。
ごまだしの味は,原料の魚の新しん鮮せんさが決め手です。私わたしたちが使うのは,目の前の海でとれたばかりの新しん鮮せんな魚です。現げん在ざい,アジ,タイ,エソの3種類のごまだしを作っていますが,主力はアジで,全体の約7割わりを占しめます。
アジは,私わたしの家の巻まき網あみ漁でとったものです。巻まき網あみ漁は,アジやイワシ,サバなど群むれをつくる魚を,群むれごと網あみで囲んでとる漁法です。役やく割わりが違ちがう5隻せきの漁船が船せん団だんになり,夜中に漁灯で魚を集めて漁をしますが,大漁だと一ひと晩ばんで40トンもとれることがあります。大おお分いた県けんと愛え媛ひめ県けんの間の豊ぶん後ご水すい道どうはアジやイワシなどの好漁場で,豊ぶん後ご水すい道どうに面した鶴つる見みは,昔から巻まき網あみ漁がさかんなんです。ですから,ふんだんにとれるアジのごまだしが,各家庭で作られてきたんですね。

手間ひまかけた,ていねいな手仕事

手間ひまかけた,ていねいな手仕事

魚は,加工所から車で10分の距きょ離りにある鶴つる見み漁港の魚市場で仕入れ,まず頭と尾おを落として内ない臓ぞうを取とり除のぞきます。黙もく々もくとひたすら包丁をふるう作業です。次に魚を焼きます。自動で一度にたくさん焼ける業ぎょう務む用ようの機械を使っています。魚がふんわりと焼けたら,一いっ匹ぴきずつ手作業で皮と骨ほねを取とり除のぞきます。これは,すごく手間のかかる作業です。ピンセットのような道具で根気よく骨ほねを抜ぬいていきます。
身だけになった魚は,家庭だとすり鉢ばちですりますが,私わたしたちは大量に作りますし,骨ほねの取り残しがあるといけないので,ミキサーにかけています。これをびん詰づめ150本分が作れる大おお鍋なべに入れ,しょうゆとみりん,きび砂ざ糖とうを加えて火にかけます。焦こげないよう木べらでかき回しながら20分ほど煮にて,最後に,フードカッターで細かくした白ごまをどっさり投入します。よくかき混まぜて全体が均きん一いつになったら,ごまの風味がとばないうちに火を止めます。かき混まぜる作業は重労働なので,近々,かくはん機を入れる予定です。
できあがったら熱々のものをびん詰づめします。びんにふたをして,100℃で10分蒸むして殺さっ菌きん。びんにラベルを貼はり,紙のカバーをふたにかぶせ,麻あさひもでしばれば完成です。
漁や市場が休みの日もあり,また作業効こう率りつの都合もあるため,この一連の作業を一日で行うことはありません。原料を仕入れた日は魚をさばいて焼く作業,今日は煮にてびんに詰つめる作業,といったように,冷れい凍とう庫こを活用しつつ,作業工こう程ていを分ぶん割かつしています。私わたしは,注文に合わせて出しゅっ荷か計画を立て,魚の仕入れ量と日々の作業内ない容ようを決めています。

首しゅ都と圏けんをターゲットに

首都圏をターゲットに

物づくりは,コツコツやれば誰だれにでもできます。むずかしいのは「いかに売るか」なんです。家庭料理のごまだしは,私わたしたちが売り出すまで商品化されていませんでした。でも,ごまだしは香こうばしくておいしく,栄養もたっぷりです。販はん路ろさえ見つかれば売れるのではないかと思いました。最初は大おお分いた県けん内ないで販はん売ばいしていましたが,鶴つる見みの漁業を発信するためにも,市場の規き模ぼの点からも,地元だけではなく首しゅ都と圏けんで売りたいと考えました。
ごまだしは他の地方にはない魚の加工食品です。オンリーワンの強みはあるものの,食べ方がわからないという欠点もあります。そこで,ごまだしを「万ばん能のう調味料」として売ることを思いつきました。調味料なら食べ方がイメージしやすいからです。これは,料理教室の先生をしている長女のアドバイスでした。
さらに,都会の人はどんな商品に魅み力りょくを感じるだろう,と考えました。新しん鮮せんな魚を使った「漁村のお母さんの手づくりの味」に都会の人はひかれるのではと思い,それを強くアピールする包ほう装そうのデザインにも知ち恵えを絞しぼりました。漁村の素そ朴ぼくさと手仕事をイメージさせるシンプルなラベルと麻あさひもは,大成功だったと思います。
商品を首しゅ都と圏けんの百貨店や食料品店などのお店に置いてもらうには,仕入れ担たん当とうのバイヤーの目にとまらなくてはなりません。多くのバイヤーに見てもらえるチャンスが商談会です。私わたしは,機会を見つけて積極的に商談会に出しゅっ展てんしてきました。その成果が出て,だんだん取引先が増ふえてきています。

営えい業ぎょうも人と人のつながりが大切

営業も人と人のつながりが大切

いったん取引ができたら,その関係は大切にしています。東とう京きょうの取引先には,上京したら必ず立たち寄よってあいさつをして,ついでにちょっとした買い物もしますね。また,注文が少なくなった取引先には,ときどき電話して様子を聞いてみます。お店の陳ちん列れつ棚だなには,お客さんの目につきやすい場所とそうでない場所があります。どこに商品を並ならべるかは,バイヤーや店長の気持ちしだいです。こまめに顔を出したり電話したりすると「がんばっている」と評ひょう価かされて,棚たなの場所も配はい慮りょしてもらえるように思うんです。
何ごともそうだと思いますが,営えい業ぎょうも人と人のつながりが何より大切です。先日もバイヤーさんがテレビ番組に私わたしたちのことを紹しょう介かいしてくれて,おかげで注文が増ふえてありがたかったです。ごまだしを作り始めてから,人の縁えんに感かん謝しゃすることばかりです。

当初は価か格かく設せっ定ていに失敗

当初は価格設定に失敗

加工の仕事でむずかしいのは,いつも同じ品ひん質しつの商品を作ることです。原料の魚は,季節やサイズによって脂し肪ぼうや水分の量が違ちがうんです。生き物ですから,当然のことですね。脂あぶらが多すぎないほうがごまだしには向いているので,仕入れであるていど魚を選びますが,最終的に身み質しつの違ちがいは,ごまの量で調整しています。大おお鍋なべで煮にるときに,脂あぶらの多い魚はドロっとするのでごまを少なくし,水分の多い魚は反対にサラサラするのでごまを増ふやして固さを調整します。この判はん断だんは,ほぼ経けい験けんに頼たよっていますね。
これまでで最大の失敗は,当初の価か格かくの設せっ定ていです。本来,商品の価か格かくは,原材料費や人じん件けん費ひなどの原げん価かに利り益えきを足して設せっ定ていしますが,主しゅ婦ふのしろうと感覚で「この値ね段だんなら買ってくれるかな」と,原げん価かを考えずに安い値ね段だんにしてしまったんです。のちに東とう京きょうで売るようになってから価か格かくを上げましたが,それまでは利り益えきが薄うすくて後こう悔かいしました。
今,困こまっているのは,私わたしを含ふくめた社員の高こう齢れい化かと人手不足です。地方ではどこでも人口減げん少しょうと高こう齢れい化かが進んでいます。鶴つる見みも例外ではなく,「めばる」の社員は以前より減へっています。人手が減へった分は,機械を入れることでカバーしてきましたが,テレビ番組などで紹しょう介かいされて注文が殺さっ到とうしても,人手を増ふやして対たい応おうすることができないのがもどかしいです。また最近は,この仕事を継ついでくれる後こう継けい者しゃを探さがすことが常つねに頭にあります。次の世代に手て渡わたして初めて,この事業は成功したといえると思います。

鶴つる見みの漁業と町を元気づける正直な物づくり

鶴見の漁業と町を元気づける正直な物づくり

私わたしにとって,この仕事のやりがいはお金だけではありません。むしろ,鶴つる見みの漁業や郷きょう土どの味を全国に発信しているという達成感が,お金以上に大きいように思います。もともと「めばる」の活動は,鶴つる見みの漁業と町を元気づけることが目的のひとつでした。この思いは,商品のラベルに記した「豊ぶん後ご水すい道どう鶴つる見み港こう」の大きな文字でも表しています。ごまだしを食べながら「鶴つる見みの漁村ってどんなところだろう,豊ぶん後ご水すい道どうの魚はおいしいんだな」と思っていただけたら,うれしいですね。
実じっ際さいに原料のエソは,「めばるが買うようになってから,市場での値ね段だんが上がった」といわれています。ささやかですが,漁りょう師しの収しゅう入にゅうが増ふえることになるのでありがたいです。
一方で,鶴つる見みを代表する製せい造ぞう業ぎょうという看かん板ばんを背せ負おった責せき任にんの重さも痛つう切せつに感じています。この看かん板ばんに恥はじないよう,嘘うそも裏うらもない正直な物づくりをすること,これが私わたしたちの決意です。漁村でなければ手に入らない新しん鮮せんな魚を使い,根気よくコツコツと,手間を惜おしまずていねいに作業するということは,いくら忙いそがしくても決してゆるがせにできないことです。
さらに,子どもが安心して食べられる食品であることも,私わたしたちが大切にしていることです。食品添てん加か物ぶつも使いたくないので,コストは少し割わり高だかになりますが,原料には大おお分いた県けん産さんの無む添てん加かの本ほん醸じょう造ぞうしょうゆと,ミネラルが豊ほう富ふなきび砂ざ糖とうを使っています。
このような信念を,一級品を見み極きわめる目め利ききのバイヤーの人たち,そして消費者の人たちに認みとめていただいていることは,大きな励はげみになっています。

浜はまのかあさんから会社の代表に

浜のかあさんから会社の代表に

私わたしは20歳さいで結けっ婚こんしました。夫は巻まき網あみ漁を兄弟で営いとなみ,水みず揚あげされた魚の選別などは女じょ性せいたちの仕事でした。夫たちの船が魚をたくさんとって港に戻もどってくると,ウキウキして幸せな気分になるんです。私わたしは,カッパズボンをはいて,漁港で働くのが大好きでした。
15年ほど前,農家の女じょ性せいたちの農産物加工に目がとまりました。利り益えきは小さいのにすごく楽しそうで「お金儲もうけではない何か」,おそらく物を作って売る喜びや刺し激げきがあるんだなと思いました。そこで,まずは「魚を売って漁業を盛もり上あげよう!」と,仲間を誘さそって活魚を売り始めたのですが,これは売れなくて失敗。それならと加工に切きり替かえ,2007年にごまだしを試作して大おお分いた県けんが主しゅ催さいしたコンテストに出したら,みごと優ゆう勝しょうしたんです。これで自信がついて,大おお分いた市しのデパートなど県内のお店で売り始めました。自分が作ったものが世に出ることには,想そう像ぞう以上に大きな感動がありましたね。
大きな動きがあったのは2012年です。日本野菜ソムリエ協会の調味料選せん手しゅ権けんに出品したら,日本一に輝かがやいたんです。自分でもびっくりしました。これで東とう京きょうでの営えい業ぎょうがしやすくなりました。また,地元商工会に連なって商談会にも積極的に参加しはじめ,3年前からは漁村女じょ性せいの全国ネットワークの縁えんで,日本最大の水産物の見本市にも出しゅっ展てんしています。
マスコミの反はん響きょうも大きいですね。先日,全国放送のテレビ番組での紹しょう介かいが2つ重なり,おかげで注文が殺さっ到とうして,このところてんてこ舞まいです。漁村の女じょ性せいたちの小さな会社ですが,全国に私わたしたちの商品のファンがいるなんて,本当にうれしいです。

ハイジになりたかった子どものころ

ハイジになりたかった子どものころ

私わたしは好こう奇き心しんが強く,興きょう味みを持ったことは何でもやってみる子どもでした。「豆とう乳にゅうで髪かみを洗あらうとつやつやになる」と姉に聞き,さっそくやってみたら頭が大豆のかすだらけになって家族に大笑いされたとか,そんな笑い話がたくさんあります。
勉強はあまり得意ではなく,自然の中で遊ぶのが大好きでした。アルプスの少女ハイジには,あこがれましたね。ペーターを連れて,スイスのあんな大自然の中をかけまわりたいと思ったものです。アルプスのような風景ではないですが,鶴つる見みは山も海も自然がたっぷりです。兄たちと一いっ緒しょによく山に薪まき拾いに行きましたし,夏は毎日海で遊んでアサリや巻まき貝がいをとりました。今でも干かん潮ちょうのときに家や加工所の前の海に降おりて,アサリを掘ほったりカキをとったりしています。三つ子の魂たましい百まで,ですね。

生きるために何より大切なのは食

生きるために何より大切なのは食

私わたしたちが生きて命をつなぐ上で,食べることは何よりも大切です。漁業や農業といった第一次産業は,食べ物をとったり作ったりする,とても重要な仕事です。漁りょう師しは今,若わかい人のなり手が少なくて高こう齢れい化かが進み,急速に人数も減へってきています。みなさんに漁りょう師しになってくださいとはいいませんが,自分の大切な食を支ささえている第一次産業のことは,いつも頭の片かた隅すみで気にしていただけるとありがたいです。
食への関心は,生きること,命への関心です。バランスよくたくさん食べて健康な体を作り,力強く未来を作っていってほしいと思います。

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田口 佳史
孫子は古代中国の戦略家ですが,会社の経営や販売の仕事に役立つ教えがたくさんあります。たとえば「勝つのではなく,負けないようにする」という教えから,商売を一気に広げるのではなく地道な営業を心がけ,少しずつ販売量を伸ばすことで経営を安定させています。

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取材・原稿作成:大浦 佳代・東京書籍株式会社/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク