仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

埼玉県に関連のある仕事人
1968年 生まれ 出身地 大分県

川﨑(かわさき) 晶平(あきひら)
子供の頃の夢: 天文学者,昆虫学者
クラブ活動(中学校):
仕事内容
日本の伝でん統とう工芸品であり美び術じゅつ品ひんでもある日本刀を作る。
自己紹介
講こう演えんなど人前で話す仕事もしていますが,本来は人見知りです。一人旅をしたり,映えい画が館かんや仕事場に一人でこもったりする時間は幸せです。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2019年05月27日)時点のものです

日本人にとって刀は神しん聖せいなお守り

日本人にとって刀は神聖なお守り

私わたしは,埼さい玉たま県けん美み里さと町まちの自じ宅たくにある工こう房ぼうで,日本刀を作る刀かたな鍛か冶じの仕事をしています。現げん在ざい,日本刀は伝でん統とう工芸品および美び術じゅつ品ひんとして扱あつかわれています。日本刀を作る技ぎ術じゅつや道具類は千年もの昔から受うけ継つがれてきたもので,材料の鉄も日本古来の製せい法ほうで作られたものを使います。また,日本刀を作って売るには,文ぶん化か庁ちょうの「作さく刀とう承しょう認にん」という許きょ可かが必要です。現げん在ざい,作さく刀とう承しょう認にんをもつ人は全国に200人余あまりいます。ただ,私わたしのように刀を作ることだけで生計を立てている専せん業ぎょうの刀かたな鍛か冶じは,30人程てい度どだと思います。
私わたしは基き本ほん的てきにお客さまから注文をいただき,日本刀を作ります。お客さまの中には美び術じゅつ愛好家や収しゅう集しゅう家かもいますが,多くは一いっ般ぱんの方です。ご本人やご家族,さらには子孫までをも災わざわいから守る「お守り刀」として,注文していただいています。
日本刀は,平安時代後半に完成し,武ぶ士しの時代になった鎌かま倉くら時代から多く作られるようになり,実じっ際さいに武ぶ器きとして使われました。しかし古こ事じ記きの神話のころから,日本人は単なる武ぶ器き以上の力を刀に感じてきました。それは,魔ま物ものや災わざわいを追いはらう神しん聖せいな力です。
戦国時代になると,工芸品として優すぐれた刀は,戦いくさの手て柄がらとして領りょう土どのかわりに与あたえられました。名刀は家か宝ほうとして大切にされたため今の時代にまで伝わり,国こく宝ほうに指定されている刀もたくさんあります。みなさんもぜひ博物館に足を運んで,日本刀の美しさにふれ,日本人が刀にこめた思いを感じてみてください。

「刀は鉄の生まれから」

「刀は鉄の生まれから」

日本刀の特とく性せいは,「折れず,曲がらず,よく切れる」ことだといわれます。しかし,硬かたくてよく切れる鋼はがねは折れやすく,柔やわらかい鉄は曲がりやすいんです。この矛む盾じゅんする性せい質しつをあわせもつ刃は物ものが日本刀で,世界でも他に類がないそうです。
日本の刀かたな鍛か冶じは,この特とく性せいをかなえる技ぎ術じゅつを3つ発明しました。1つは,材料の鉄に炭たん素そを化合させる技ぎ術じゅつです。2つ目は,硬かたさが違ちがう鉄を組み合わせる技ぎ術じゅつ。そして3つ目は,「焼やき入いれ」という工こう程ていで化学変化を起こす技ぎ術じゅつです。
まず1つ目の,材料の鉄に炭たん素そを化合させる技ぎ術じゅつですが,「刀は鉄の生まれから」という言葉があります。材料がいいと優すぐれた刀ができるという意味です。日本刀の材料は純じゅん粋すいな鉄ではなく,1%前後の炭たん素そを含ふくむ鋼はがねです。炭たん素そを含ふくむことで鉄は硬かたくなるんです。日本刀に使われるのは,日本古来の「たたら製せい鉄てつ」という製せい鉄てつ法ほうによる和わ鋼こうです。たたら製せい鉄てつは,熱した土の炉ろに砂さ鉄てつと木炭を入れ,砂さ鉄てつを溶とかして木炭の炭たん素そを化合させる製せい鉄てつ法ほうです。19世紀末に近代製せい鉄てつが始まり,たたら製せい鉄てつは一度姿すがたを消しましたが,文ぶん化か庁ちょうが島しま根ね県けんにたたら製せい鉄てつの施し設せつを復ふく元げんし,刀かたな鍛か冶じのために年間4,5トンの和わ鋼こうを生産しています。
けれど砂さ鉄てつの集め方が昔とは違ちがうせいか,私わたしは現げん代だいの和わ鋼こうでは満足できず,なるべく古い時代の和わ鋼こうを集めてブレンドしています。刀かたな鍛か冶じはみな和わ鋼こうを集めていますので,工こう房ぼうをたたむ人がいると聞くと飛んで行って譲ゆずってもらうなど,情じょう報ほうには耳をすませています。
日本刀作りでは,集めた和わ鋼こうのブレンドが最初の課題です。たたら製せい鉄てつで作られるのは1トンもある鋼はがねの塊かたまりです。しかし成分は均きん一いつではありません。小さく砕くだかれて流通しますが,不ふ純じゅん物ぶつが多い部分もあれば,炭たん素その含がん有ゆう量りょうもまちまちです。
鋼はがねは,炭たん素その含がん有ゆう量りょうによって硬かたさが違ちがってきます。私わたしは,鋼はがねの色や輝かがやき,触しょっ感かんなどから炭たん素そ量りょうを予よ測そくし,刀に適てきした炭たん素そ量りょうになるようブレンドします。経けい験けんや勘かんにも頼たよりますが,ブレンドした鋼はがねから小さな刀を試ためしに作ってみてできを見ながら,ブレンドの具合を調整しています。

硬かたさの違ちがう鋼はがねを組み合わせる

硬さの違う鋼を組み合わせる

ブレンドが決まったら,「折り返し鍛たん錬れん」を始めます。鍛か冶じ場ばの中心は,火ほ床どです。燃ねん料りょうは火力が強い松の炭で,ふいごの風で酸さん素そを送って燃ねん焼しょうを助けます。ふいごは木の箱で,タヌキの冬毛の皮を張はったピストンで風を送ります。
折り返し鍛たん錬れんでは,まず鋼はがねを火ほ床どで1400度に熱し,金かな床とこの上に置いて槌つちで叩たたいて伸のばします。これを2つ折りにして,また火ほ床どで熱し,叩たたいて伸のばして2つ折りにして,という作業を何日も繰くり返かえします。今は電動ハンマーがあるので昔より楽ですが,火ほ床どの前は熱く,火花が散るのでやけどは当たり前ですし,着ている作さ務む衣えは穴あなだらけになります。
やがて鋼はがねは,数多くの薄うすい層そうが積み重なった状じょう態たいになります。この鍛たん錬れんによって,鋼はがねに含ふくまれている不ふ純じゅん物ぶつや空気は取とり除のぞかれ,さらに全体の炭たん素そ量りょうが均きん一いつになるんです。最初は7,8kgあった鋼はがねは,最終的に刀が完成したときには1kg足らずになります。
この次に,「折れず,曲がらず,よく切れる」日本刀を作るための,2つ目の技ぎ術じゅつが登場します。硬かたさが違ちがう2つの鋼はがねを組み合わせることです。鋼はがねのブレンドの段だん階かいで,炭たん素そ量りょうがやや多くて硬かたい鋼はがねと,やや少なくて柔やわらかい鋼はがねの2種類を用意するんです。別々に折り返し鍛たん錬れんをしたら,炭たん素そ量りょうが多めのほうの「皮かわ鉄がね」で,少なめの「心しん鉄がね」を包みます。
これを小こ槌づちで叩たたきながら刀の形に伸のばしていくのですが,刀の根元から先せん端たんまで,皮かわ鉄がねの中に心しん鉄がねが通るよう,皮かわ鉄がねと心しん鉄がねを組み合わせます。そうすることで,心しん鉄がねはスプリングの役やく割わりをして衝しょう撃げきを吸きゅう収しゅうし,刀を折れにくくします。また皮かわ鉄がねは硬かたいので,腰こしのある曲がりにくい刀ができるわけです。

化学変化が生みだす機き能のうと美しさ

化学変化が生みだす機能と美しさ

「折れず,曲がらず,よく切れる」日本刀を作るための技ぎ術じゅつの3つ目,最後の大きな工こう程ていが「焼入れ」です。焼入れは,熱した鋼はがねを水に浸つけて急速に冷やすことで化学変化を起こす,刀作りでもっとも重要な工こう程ていです。
まず,粘ねん土ど・砥と石いし・木炭を細かい粉にして混まぜ,水を加えて「焼やき刃ば土つち」を作ります。これを刀の形に仕上げた鋼はがねに塗ぬりますが,刃はに沿そった側には薄うすく,残り半分ほどの棟むね(峰みねともいう)の側には厚あつく塗ぬるのが大事なポイントです。
火ほ床どの中で,焼やき刃ば土つちを塗ぬった刀を熱します。焼入れの際さいの鋼はがねの温度は750~850℃だそうですが,刀かたな鍛か冶じの世界では「熟じゅくした柿かきの実が夕日に照らされた色」が適てき温おんだと言われています。刀かたな鍛か冶じの技ぎ術じゅつの多くは,データではなく,こうした言葉で伝えられてきたんです。この色を見み極きわめるため,焼入れの作業は必ず夜に行います。
十分な温度になったなと思ったら,鋼はがねを火ほ床どから出して水に浸ひたします。水すい蒸じょう気きがもうもうと上がり,ジュワッという大きな音がします。このとき,鋼はがねに化学変化が起こっているんです。鋼はがねが冷えたらすぐに表面を研といでみます。どんな仕上がりになったかと,胸むねがどきどきする瞬しゅん間かんです。
焼入れで起こる化学変化は,鉄や炭たん素その粒りゅう子しの並ならび方かたの変化です。土を薄うすく塗ぬった刃はの側は白色で硬かたく,土が厚あつい棟むね側は黒っぽくてしなやかに変化します。この化学変化によって,刃ははさらに硬かたく切れ味がよくなります。しなやかになった棟むねは,衝しょう撃げきをやわらげ刀を折れにくくします。
また,焼入れは刀の姿すがたも変えます。土が薄うすく,焼きが入った刃はの側は新しい組そ織しきができるため棟むね側より大きく膨ぼう張ちょうして,棟むねの側に反る現げん象しょうが起きます。日本刀の美しいカーブもまた,焼入れで生まれるんです。私わたしは,焼入れ前に刀の形を作るとき,反りも計算に入れてデザインを決めています。

予よ測そくしきれない奥おく深ぶかさ

予測しきれない奥深さ

焼やき刃ば土つちの薄うすいところと厚あついところの境さかい目めには,「刃は文もん」と呼よばれる白い筋すじが現あらわれます。これは目に見えるか見えないかの鋼はがねの粒りゅう子しの集まりで,粒りゅう子しは「錵にえ」「匂におい」などと呼よばれます。刃は文もんや錵にえは,美び術じゅつ品ひんとしての日本刀の見どころのひとつです。焼やき刃ば土つちの塗ぬり方かたや鋼はがねの温度の加か減げんで,ある程てい度どコントロールできますが,完全に予よ測そくすることはできません。
刀かたな鍛か冶じは,師し匠しょうの教えと自分の経けい験けんに頼たよるところが多い仕事です。素そ材ざいの成分や温度など,無数の組み合わせがあり,数すう値ち化かしきれないからです。ここが刀かたな鍛か冶じの仕事のむずかしさであり,奥おく深ぶかい魅み力りょくでもあると思います。
私わたしは年間に10本以上の刀を作っていますが,経けい験けんを積み,最近では完全な失敗作というのはなくなりました。けれども5本に1本ぐらいは刃は文もんのできに満足できず,つぶしてしまいます。しかしその反対に,思いもよらなかった美しい刃は文もんができて息をのむこともあります。自然が生みだす美で,これが仕事の励はげみになっているように思います。
刀かたな鍛か冶じが作るのは刀身だけです。研とぎは研とぎ師しにお願いし,鞘さやや柄つかなど「刀とう装そう」と呼よばれる附ふ属ぞく品ひんは,それぞれ専せん門もんの技ぎ術じゅつを持つ人が作ります。日本刀は伝でん統とう工芸の総そう合ごう芸げい術じゅつなんです。刀かたな鍛か冶じを含ふくめた刀とう職しょく者たちは,それぞれの仕事で伝でん統とう文化を支ささえていることにも誇ほこりを感じています。

力のある刀を作るため,心も体も鍛きたえる

力のある刀を作るため,心も体も鍛える

私わたしは工こう房ぼうの入り口に「晶あき平ひら鍛たん刀とう道場」と書いた板を掲かかげています。刀を作ることを「刀を鍛きたえる」といいますが,よい刀を鍛きたえるために精せい神しんと肉体も鍛きたえるという決意をこめました。気持ちを真っすぐに保たもつよう心がけ,筋きん力りょくトレーニングも欠かしません。刀かたな鍛か冶じは,健康が第一です。災わざわいをはらう刀は,健康でないと作れません。そして千年先まで伝えられるような“力”のある刀を作ること,これが私わたしの最大の目標です。
手をきれいにしておくことも,信しん条じょうのひとつです。私わたしの手や腕うでは火花が飛んだやけどのあとがたくさんありますが,こまめに爪つめを切り清せい潔けつにしています。生活がきちんとしていること,心に余よ裕ゆうがあり穏おだやかであることなど,手には生き方が表れます。
人ときちんと話すことも,心がけてきたことのひとつです。私わたしはもともと人前で話すのが苦手でした。けれど,自分の考えや刀のことをきちんと話せなければ,刀かたな鍛か冶じとしても人間としても半人前です。そこで,落語を聞きに行ったり,本を音読したりして,話す練習をしたんです。
今では人前で講こう演えんすることもあり,日本刀の文化を広く知ってもらう活動にも力を入れています。近年,日本刀は海外からも注目されています。私わたしもスペインで開かい催さいされた「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展てん」のために刀を作ったり,現げん地ちで講こう演えんや実じつ演えんをしたりしました。また,駐ちゅう日にちポーランド大使とご縁えんをいただき,2016年にはお守り刀を作ってお納おさめしました。いつか海外で個こ展てんを開くことが,私わたしの夢ゆめです。

刀かたな鍛か冶じになる道は弟で子し入りのみ

刀鍛冶になる道は弟子入りのみ

母の実家に先せん祖ぞ伝来の刀や甲かっ冑ちゅうがあり,幼おさないころから刀には興きょう味みがありました。大学時代に刀を使う居い合あい道どうを始めましたが,ある日,東とう京きょう国こく立りつ博はく物ぶつ館かんで700年前に正まさ宗むねという名人が作った国こく宝ほうの刀に出会い,底知れない“力”に心を揺ゆさぶられました。大学を卒業後にいったんは化学工業の会社に就しゅう職しょくしたのですが,正まさ宗むねの感動が忘わすれられず「刀かたな鍛か冶じになる」と決めました。
刀かたな鍛か冶じになるには,師し匠しょうに弟で子し入りするしか道がありません。入門先を探さがすうち,正まさ宗むねの作風を受うけ継つぐ宮みや入いり小こ左ざ衛え門もん行ゆき平ひらという刀かたな鍛か冶じを知って,その作品にほれこみ,半年ぐらいお願いして弟で子しにしてもらいました。師し匠しょうの工こう房ぼうは長なが野の県けん坂さか城き町まちにあります。刀かたな鍛か冶じの修しゅ行ぎょうは住みこみで,最低5年が決まり。衣食住の面めん倒どうはみてくれますが給料はなく,休日もほとんどありません。師し匠しょうの家の雑ざつ用ようもします。修しゅ行ぎょうは「炭切り3年」といわれ,最初は炭を切りながら師し匠しょうの仕事を横で見ています。初めて鉄にかかわる作業をしたのは,入門して半年たってから。鍛たん錬れんの修しゅ行ぎょうが始まったのは,入門の2年後でした。
入門5年目に,文ぶん化か庁ちょうが開かい催さいする7泊はく8日の「美び術じゅつ刀とう剣けん刀とう匠しょう技ぎ術じゅつ保ほ存ぞん研けん修しゅう会かい」 に参加しました。これは実地の技ぎ術じゅつ検けん定ていのようなものです。私わたしは無事に合ごう格かくし,翌よく年ねん,文ぶん化か庁ちょうの「作さく刀とう承しょう認にん」を受けました。これでとうとう,一人前の刀かたな鍛か冶じになったわけです。さらにこの年は,初めて出品したコンクールで優ゆう秀しゅう賞しょうと新人賞を受賞し,とてもうれしい年となりました。
しかし,完全に独どく立りつするには,工こう房ぼうを作る資し金きんが必要です。私わたしはそれから4年,師し匠しょうの工こう房ぼうで弟おとうと弟で子しの指し導どうをしながら刀を作って資し金きんをため,縁えんあって今の場所に自じ宅たくと工こう房ぼうを構かまえたのは入門から10年目の2003年のことです。

昆こん虫ちゅう,カメラ,星空に夢む中ちゅうだった

昆虫,カメラ,星空に夢中だった

私わたしは,幼おさないころから昆こん虫ちゅう少年でした。とくにかっこいいカブトムシには夢む中ちゅうで,繁はん殖しょくさせて何世代も飼かうのが得意でした。小学校の高学年からは,カメラにのめりこみました。通学路にカメラ屋さんがあり,中古カメラを買って店の暗室で現げん像ぞうまでさせてもらっていました。
やがて星が好きなカメラ友だちの影えい響きょうで,こづかいをためて天体望遠鏡を買い,星空の写真を撮とるようになりました。カメラや天文が好きな仲間と一いっ緒しょに,校こう舎しゃの屋上で撮さつ影えいしたり,山に星空の撮さつ影えいキャンプに行ったり,楽しい思い出がたくさんあります。
あいにく数学が苦手で理り系けいには進みませんでしたが,夜明けまでのぞいていた望遠鏡の中に広がる銀ぎん河がが,刀の刃は文もんや錵にえに表ひょう現げんできたらと,いつも思っています。

日本の文化について知ってほしい

日本の文化について知ってほしい

みなさんには,いろいろな経けい験けんをすることをおすすめしたいです。私わたしは,昆こん虫ちゅう,カメラ,星,本,映えい画が,居い合あい道どうなど,いろいろなことに夢む中ちゅうになってきましたが,それらはすべて刀かたな鍛か冶じの今の仕事につながっていると,実感しています。
自然の中で遊ぶのもいいですね。自然が生みだしたデザインは完かん璧ぺきです。たとえば昆こん虫ちゅうのかっこよさ,カメムシの仲間のツノゼミのデザインのすごさといったらありません。ツノゼミに感動する感かん性せいが,刀のデザインを考えるのに役立っていると思います。
もうひとつ,日本の文化についてよく知り,話せる人になってほしいと思います。自分が属ぞくする地ち域いきや社会の文化を知ることは,自分自身を知ることにもなります。もしかしたら外国語を話せることよりも,日本の文化について話せることのほうが大事かもしれません。日本の文化のひとつである日本刀のことも,知っていただければうれしいです。

ファンすべてを見る

(福島県 小6)
(東京都 小6)
(東京都 小6)
(埼玉県 小6)
(沖縄県 小6)
(熊本県 小4)
※ファン登録時の学年を表示しています

私のおすすめ本

バーバラ・レオニ・ピカード
古代ギリシアの英雄の物語です。オデュッセイアは戦に勝って領地に帰る途中,さまざまな苦難にあいますが,それらを乗り越え,最後に領地を奪おうとする悪者と対決して勝ちます。とても面白い冒険物語です。私のふるさと大分にもよく似た「百合若大臣(ゆりわかだいじん)」という物語が伝わっています。

もっと知りたいこの仕事人

全日本刀匠会
晶平鍛刀道場
取材・原稿作成:大浦 佳代・東京書籍株式会社