※このページに書いてある内容は取材日(2018年09月09日)時点のものです
古くからの伝統を受け継ぐ美濃和紙
私は,美濃和紙の産地である岐阜県美濃市で,紙すき職人として働いています。紙すきとは,紙の原料となる木の皮から,手作業で紙をつくることを言います。紙の原料となる木には,コウゾやミツマタ,ガンピなどがありますが,私はその中でもコウゾを使用しています。 紙すきの作業にはきれいな水が多量に必要なため,長良川や板取川などの美しい川が流れる美濃市は,紙をつくるのに最適な場所です。美濃和紙は,全国にある紙の産地の中でも1300年以上の歴史をもち,日本最古の紙の1つとして,奈良の正倉院にも保管されています。昔から高級障子紙として評判が高く,ちょうちんや和傘,うちわなど,さまざまな工芸品や日用品に使われてきました。手すきならではの柔らかく温かい風合いをもちながら,強くて長持ちするのが特徴です。 また美濃和紙には,和紙に染料で色を付ける「染め」や,紙をすく途中で水をかけて小さな穴を開ける「落水」などの技法を施したものなど,とてもたくさんの種類があり,それぞれに専門の職人がいます。私はその中でも,障子紙を専門につくっています。職人が行う紙すきの技は,薄くて美しい紙をつくり上げます。その技術は世界にも認められ,2014年には美濃和紙の中でも「本美濃紙」という種類の和紙が,ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
コウゾの皮をほぐし,紙をすく
紙すきは,まず材料となるコウゾの皮を仕入れ,水に浸けた後,ソーダ灰(工業用無水炭酸ナトリウム)を入れたお湯で煮ていきます。私の工房でつくっている縦が約65cm,横が約97cmの紙を100枚すくのに,コウゾを約4kg使用します。皮が柔らかくなったら,流水の中で,紙すきに向かない硬い部分やゴミをていねいに取り除きます。ここまでに1週間ほどかかります。 その後,木づちでたたいたり機械にかけたりして,繊維をほぐします。細かくなったコウゾ,水,そしてトロロアオイという植物の根をすり潰してつくった粘り気のある「ねべし」という液体を,「漉き舟」という容器に入れて混ぜます。コウゾと水だけだとコウゾが下へ沈んでしまいますが,ねべしで水にとろみを付けることで,コウゾがまんべんなく水と混ざるようになります。紙をすくときは,この液をすくう「簀桁」という道具を使います。美濃和紙のすき方は,縦揺りにゆったりと横揺りを加える「流しすき」という方法です。均一に紙がすけたら,100枚ほど重ねて上から押し,水を絞ります。最後に1枚ずつ天日で乾燥させ,破れや傷がないか確認して完成です。 紙すきはとても工程が多く,昔は家族の分業で行っていました。私はすべての作業を1人で行っているため,一週間に100枚くらいの紙しかすけません。また,ねべしは熱に弱く,暑いとねばりがなくなってしまうため,夏よりも冬の方が紙すきに向いています。そのため,10月~3月が最も忙しい時期になります。
1つ1つの作業に心をこめることが大切
ベテランの紙すき職人は,「紙を見ただけで,すいた職人やその職人が紙をすいたときの心の状態が分かる」と言います。紙すきの仕事はほとんどが手作業のため,簀桁を揺らす動きが少し変わっただけでも,紙の表情や雰囲気が違ってくるからです。そのため紙をすくときは,いつも精神統一をして作業に集中し,1枚1枚に心をこめて行うようにしています。もちろん紙をすくときだけでなく,どこか1つの工程でも手を抜くと,後で必ず余計な手間がかかったり,不良品が出たりしてしまいます。すべての工程をていねいに行うことが必要です。 また紙すきの作業は,意外と重労働です。今は力に任せるのではなく,調子をとりながら水の波を扱うコツをつかんでいるので,1日に100枚という数の紙をすくことができていますが,慣れてくるまでは作業が辛く感じました。均一な薄さの紙をすくために,重たい簀桁を縦に横にと休むことなく揺らす作業がとても大変で,上半身には自然と筋肉がつきました。力仕事も多いですが,ねべしのように粘り強く,諦めずに続けていくことが,職人として大切だと感じています。
和紙を使って,良さを感じてほしい
私にとって和紙は作品ではなく,日常で使ってもらうものです。私がつくっているのは障子紙なので,お客さんは障子にするために購入される方が多いんです。紙を購入してくれたお客さんが「使いやすくていい紙だ」と言ってくれたときは,とてもうれしい気持ちになります。 また,最近は,和紙にあまりなじみがない若い世代の人にも使ってもらえるように,和紙でつくったクッションやバッグ,ピアスなどもつくっています。紙はすぐに破れてしまうと思われるかもしれませんが,手すきでつくった和紙は洋紙に比べると,薄くても強く,長持ちします。さらに,和紙の上にこんにゃくの粉末と水を混ぜたものを塗ると,防水効果が加わって,少しの水がついても破れることがありません。パルプを主原料にして,薬品で白く漂白された紙と違い,本物の和紙は日光が当たるとさらに美しく白さを増す性質もあります。 和紙は,細かくして水に溶かせば,「すき返し」といって何度もすき直してリサイクルできます。植物でできているので,いらなくなったら土に返すこともできる,とてもエコな素材です。和紙を暮らしの道具としてもっと身近に感じてもらうために,和紙を使ってお面やうちわをつくるワークショップなども積極的に開いています。
常により良い紙を求めて,腕を磨く
紙すきの仕事は,「できたと思ったら腕が落ちる」と言われるほど,常にいい紙づくりを目指して,一生勉強を続けていかなければいけない仕事です。私が紙すき職人を志したときに弟子入りした師匠も,もうすぐ90歳になりますが,いつも「毎日勉強,毎年1年生」と話し,これまでに最高のものができたと思ったことはないと言います。伝統工芸の職人は腕を磨き続けて,自分にとって最高のものを生涯追い求めていくものなのだと思います。私は,そうしたところにおもしろさを感じています。 手すき和紙の場合,紙の品質をそろえるのが難しいところです。和紙の材料は自然のもので,温度や湿度など,手すきをするときの環境によって状態が変化するため,同じように作業をしても1枚として同じものができることはありません。また,手すき和紙には,すいた人の性格やすいたときの状態まで紙の表情として表れます。私の場合は自然と硬い紙になってしまうことが多いのですが,そんな中で,できるだけ同じ品質の紙をすくために,基本となる技術をしっかりと身に付けて,1枚1枚をていねいにつくっていかなければいけないと思っています。
師匠に弟子入りし,工房を持った今も修行中
私は高校を卒業後,職業訓練校で建築設計を学び,設計の仕事に就きました。しかし,30歳のときにものづくりの仕事がしたいと思い,子どものころから好きだった“紙”をつくる職人を目指しました。全国にある紙の産地で紙をつくる工房を見て回った結果,美濃市にある「美濃和紙の里会館」に紙すきを学べるコースがあることを知り,そこで勉強をしながら,弟子入りできる師匠を探しました。 京都府などには紙すきを学べる学校もありますが,美濃では師匠のところへ弟子入りするのが一般的です。しかし,最近では職人が少なくなり,弟子を受け入れてくれる工房もなかなか見つからなくなってきています。私は32歳のときに今の師匠に出会い,5年間の修行を経て,2017年に自分の工房を持つことができました。 美濃和紙には,美濃機械すき和紙,美濃手すき和紙,そして大子那須コウゾを使い,伝統的な製法でつくられる本美濃紙があり,私は現在,美濃手すき和紙をつくっています。本美濃紙をすくためには,10年以上の修行が必要なため,私は独立をした今でも師匠のもとに通って,本美濃紙をすく技術を習っています。
紙を集めること,ものを生み出すことが好きだった
私は小学校くらいのころから,紙を集めるのが大好きでした。そのときは和紙に限らず,便箋やおりがみ,きれいな柄の紙など自分が気に入ったものを集めていて,それらを使ってものをつくることも好きでした。そのため,30歳でものづくりの仕事を目指したときにも,自分がやりたいことは何かと考えた際に,すぐ頭に浮かんだのが紙に関わる仕事だったんです。子どものころから自分が集めて大切にしていたものを,大人になった自分がつくっているというのはとても不思議な感じがしますが,今は自分が欲しいと思う紙をつくれることが何より楽しいです。 また,やはり子どものときからひとりで黙々と何かを生み出すことが好きで,建物をつくる建築家や,お話を書く小説家などに憧れていました。中学校のときは写真部に所属し,自分の好きなものを撮影することを楽しんでいました。幼いころからコツコツとものをつくるのが好きだったからこそ,今の仕事でもあまりストレスを感じることなく,続けていられるんだと思います。
気になることは,まず体験してみよう
職人の仕事は,“自分に合うか合わないか”よりも,“好きかどうか”という観点の方が大切なように感じます。好きなものであれば,「よりいいものをつくろう」という気持ちが芽生えます。義務感だけではなかなか続かない仕事なので,その気持ちはとても大切です。もし自分の好きなことや気になることを仕事にしたいと思ったら,まずは直接その仕事を見たり,話を聞いたりすることが必要だと思います。その仕事が自分の思いに合っているかどうかは,やってみないと分かりません。行動あるのみだと思います。 紙すきの仕事でいえば,私が美濃和紙を最初に学んだ「美濃和紙の里会館」では,初心者でも紙すきを体験することができます。私の工房でも,「自分の作品に美濃和紙を使いたい」「紙すきを体験したい」という海外のアーティストを受け入れていて,日本の伝統工芸を知ってもらう取り組みも行っています。最近,美濃にも若手が増えてきているので,和紙に興味がある人は,ぜひ体験してみるところから始めてみてください。