仕事人

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愛媛県に関連のある仕事人
1976年 生まれ 出身地 愛媛県

寺岡(てらおか) 孝吉(たかよし)
子供の頃の夢: シェフ・調理師
クラブ活動(中学校): 野球部
仕事内容
地元の食材を生かした郷きょう土ど料理などを作り,お店で提てい供きょうする。
自己紹介
淡たん々たんとした性せい格かくだと思います。わりといつも平へい常じょう心しんで,かーっと熱くなるようなことはありません。高校の野球部ではキャプテンに選ばれましたが,情じょう熱ねつや統とう率そつ力りょくよりも,この平へい常じょう心しんが評ひょう価かされたのだと思っています。

※このページに書いてある内容は取材日(2019年01月31日)時点のものです

食の文化を伝える仕事

食の文化を伝える仕事

私わたしは愛え媛ひめ県けんの愛あい南なん町ちょうで,「亀かめきち」という郷きょう土ど料理の店を経けい営えいしています。愛あい南なん町ちょうは自然が豊ゆたかな土地で,漁業も農業もさかんです。また,旬しゅんのおいしさを引き出す伝でん統とう的てきな食べ方も,昔から今に伝えられています。そんな地ち域いき独どく特とくの料理を「郷きょう土ど料理」といいます。たとえば,小魚のすり身を揚あげた「じゃこ天」や,焼き魚の身をすりつぶして味み噌そと出だ汁しでのばす「冷ひや汁しる」などがあります。私わたしはこの土地ならではの郷きょう土ど料理を多くの人に楽しんでもらい,次の世代にも伝えたいと思い,なるべく地元の旬しゅんの食材を使った料理をお客さんに提てい供きょうしています。
私わたしの店は,1階に調理場とカウンターと小さな座ざ敷しきが2つ,大きな座ざ敷しきが1つあり,2階は広い宴えん会かい場じょうになっています。今は食材の仕入れから調理,接せっ客きゃく,掃そう除じ,経けい理りなど経けい営えいの仕事まで,すべて自分ひとりでこなしています。だから毎日とても忙いそがしいんです。
お店を開けるのは夕方から夜の11時ごろまでです。仕事を始めるのはお昼前からで,まず農林水産物の直売店やスーパー,魚市場などに出かけ,材料の買い出しをします。魚は魚市場の仲なか買がい人にんさんに注文しておいて,届とどけてもらうこともあります。買い出しの後は,客席の掃そう除じと料理の下ごしらえなど開店の準じゅん備びをします。営えい業ぎょうを終えた閉へい店てん後には,調理場をきれいに掃そう除じして帳ちょう簿ぼをつけ,家に帰るのは真夜中になります。
私わたしはお店の仕事のほかに,漁業の町ならではの「魚の食文化」を伝える活動もしています。調ちょう理り師しの有ゆう志しの会の活動です。町内外のイベントで魚料理を食べてもらったり,愛あい南なん町ちょうの水産物をPRしたり,あるいは町内の保ほ育いく園えんや小中学校で魚についての出前授じゅ業ぎょうをしたりしていて,ほとんどボランティアで活動をしています。

新しん鮮せんなカツオを魚市場で選えらび抜ぬく

新鮮なカツオを魚市場で選び抜く

愛あい南なん町ちょうでいちばん人気の旬しゅんの魚といえば,カツオです。4月から6月末ごろまでの初夏が旬しゅんです。この時期になると,私わたしのお店にはカツオの刺さし身みを食べにお客さんが来てくれます。カツオは,家庭で1匹ぴき丸ごと買うには大きすぎます。また,スーパーに並ならぶ刺さし身みは切ってから時間がたっているので,切りたての新しん鮮せんな刺さし身みを楽しもうと私わたしの店に来てくれるんです。
そんなお客さんの期待に応こたえられるよう,カツオは必ず愛あい南なん漁業協同組合(漁協)の魚市場に仕入れに行きます。魚市場に水みず揚あげされるカツオは,この近くの海で早朝から昼にかけて釣つられたものです。午後には魚市場に水みず揚あげされ,午後3時からセリにかけられます。ピカピカ光る鮮せん度ど抜ばつ群ぐんの,愛あい南なん町ちょうの方言でいうと「びやびや」(とても新しん鮮せん)なカツオです。
旬しゅんの時期には大量のカツオが水みず揚あげされますが,私わたしはその中から「これぞ」という品ひん質しつのカツオを選えらび抜ぬきます。店に来てくれるお客さんの期待がかかっているので真しん剣けんです。見分けるにはコツがあります。丸々と太って美しいカツオを選び,尻しっ尾ぽのつけ根を握にぎって逆さかさに持ち,振ふってみるんです。カチコチではなくブルブルするのが「びやびや」なカツオです。死後硬こう直ちょくが進んでおらず,もちもちとした歯ごたえで,臭くさみもありません。
私わたしはセリで魚を買う権けん利りを持っていないので,「これぞ」と思ったカツオを仲なか買がい人にんにセリ落としてもらいます。漁港にあがったばかりの新しん鮮せんな魚を,自分の目で確たしかめて仕入れることができるのは,海辺の町だからこそです。朝とったカツオをその日の夜には提てい供きょうできるのですから,料理人として恵めぐまれているなと思いますね。

食には暮くらしの知ち恵えがぎっしり

食には暮らしの知恵がぎっしり

各家庭で伝えられてきた伝でん統とう的てきな料理は,生活スタイルの変化とともに,あまり作られなくなっています。私わたしの店には,家庭で料理するのは面めん倒どうだけれど,懐なつかしい味を食べたいというお客さんも来てくれます。たとえば,夏によく食べられる「冷ひや汁しる」という郷きょう土ど料理があります。アジや白身の魚などを焼いて身をほぐし,すり鉢ばちでよくすって味み噌そを加え,固めのペースト状じょうにします。これをすり鉢ばちの内側に薄うすくのばし,逆さかさに持って炭火で軽くあぶります。あぶると香こうばしさが出るんです。
魚のアラでだし汁じるを作り,すり鉢ばちに注いで魚と味み噌そのペーストを溶ときます。冷れい蔵ぞう庫こで冷やしておき,食べる前に細く切ったコンニャク,キュウリ,大葉,ミョウガなどを加えてご飯にかけて食べるんです。暑くて食の進まない夏に食べやすく,栄養もたっぷりで,よく考えられた料理です。食べ物には暮くらしの知ち恵えが詰つまっていると思います。私わたしの冷ひや汁しるは母から作り方を教えてもらった,わが家に代々伝わる直伝の味です。

食育のボランティア活動

食育のボランティア活動

「魚の食文化」を伝える活動は,仕事というよりは社会貢こう献けん活動として,自分自身が楽しみながら続けています。町内には40年も前から「魚食研究会」という調ちょう理り師しの有ゆう志しの会があり,私わたしは店を開いてから誘さそわれて入会しました。
メンバーは調ちょう理り師しなので,魚をさばくのはお手の物ですし,魚の料理もいろいろと作れるプロ集しゅう団だんです。愛あい南なん町ちょうや愛あい南なん漁協と連れん携けいして,依い頼らいがあると町内だけでなく町外や県外のイベントにも出しゅっ張ちょうします。愛あい南なん町ちょうでとれた魚や養よう殖しょくした魚をお客さんの前でさばいて見せ,魚料理を食べてもらいます。愛あい南なん町ちょうの水産物のPRだけでなく,おいしくて体にいい魚をもっと食べてもらいたいという思いも込こめてお客さんに接せっしています。
町内では,保ほ育いく園えんや小中学校などの「食育」の出前授じゅ業ぎょうにも呼よんでもらっています。魚のさばき方を教え,魚の栄養のことや伝でん統とう的てきな食べ方についても話をします。子どもたちは反はん応のうや表ひょう現げんがストレートなので,とても楽しいですね。最初は「くさい」といって魚を遠ざけていたような子が,自分で魚をさばいたり話を聞いたりするうちに興きょう味みを持って,できあがった魚料理をおいしいといって食べてくれると,本当にうれしいです。

やりがいはお客さんを喜ばせること

やりがいはお客さんを喜ばせること

この仕事の苦労は,これといって思い当たらないですね。修しゅ行ぎょう時代も充じゅう実じつしていましたし,直じか火びや刃は物ものを毎日扱あつかいますが,大きなけがをしたこともありません。店の経けい営えいも繁はん盛じょうするにこしたことはありませんが,都会と違ちがって人口が少ないですからあまり欲よくを出さず,経けい営えいが続けられたらいいという気持ちでやっています。
目指しているのは,安くておいしくて田舎いなからしい人にん情じょうがあって「ここに来れば気持ちがほっとする」といってもらえるような,地元に愛されるお店です。いかにお客さんを喜ばせるかを,いつも考えています。たとえば宴えん会かいでは,女じょ性せい客きゃくなら彩いろどりをあざやかにしたり,思いがけない食材の揚あげ物ものなどちょっとした驚おどろきも仕し掛かけたり,また,年配の男だん性せいなら品数を減へらして少し値ねの張はる魚を出すなど,工く夫ふうします。
また珍めずらしい食材の仕入れもしています。たとえば巻まき貝がいのハシリンド(マガキガイ)や岩につくカメノテなど,昔は各家庭でとって食べていましたが,今はとれる場所が少なくなりました。お客さんが懐なつかしいと喜ぶので,魚市場に出たらなるべく仕入れるようにしています。
こちらの「喜ばせたい」という気持ちが,うまくお客さんの好みに合って「おいしかった」といってもらえることが,最大のやりがいです。また,町外から仕事や釣つりなどで愛あい南なん町ちょうに来た人を,地元のお客さんが紹しょう介かいしてくれたり,連れてきてくれたりするのも,本当にありがたいです。愛あい南なん町ちょうの自然の恵めぐみと,この土地ならではの料理を楽しんでもらい「いい町だ」と感じてもらえたらと思います。食は,土地と人を結ぶつなぎ手ですから。

修しゅ行ぎょう先に恵めぐまれ26歳さいで独どく立りつ

修行先に恵まれ26歳で独立

私わたしの祖そ父ふはもともと漁りょう師しでしたが,売りに出ていた旅館を買って,宿しゅく泊はく業とうどん店を開きました。そして,祖そ母ぼと一いっ緒しょに宴えん会かいや法事の食事,弁べん当とうなどを作る仕出し屋も始めました。そのころ愛あい南なん町ちょうでは真しん珠じゅの養よう殖しょくがとてもさかんで,さまざまな関連産業の人たちが町外からやってきて,とてもにぎわっていたんです。
私わたしは家の商売を継つぐことを当たり前のように思って育ちました。たまたま食べることが好きで料理にも興きょう味みがあったので,高校を卒業してから大おお阪さかの調ちょう理り師し専せん門もん学校に進みました。専せん門もん学校は1年間のコースで,修しゅう了りょうと同時に調ちょう理り師し免めん許きょを取りました。
その後,2年目の専せん門もんコースに進むことも考えましたが,働きながら修しゅ行ぎょうを積もうと愛え媛ひめに戻もどり,知人に紹しょう介かいされた愛あい南なん町ちょうの和食店で1年,松まつ山やま市の料理店で4年半ほど働きました。どちらの店も郷きょう土ど料理を出す店で,店長やスタッフは親切で腕うでもよく,とてもいい修しゅ行ぎょうになりました。魚のさばき方,野菜の切り方,味つけ,焼く・煮にる・揚あげるなどの調理法はもちろん,手て際ぎわよく段だん取どりをつける頭と体の使い方も,この2つの店で身につけました。
25歳さいで実家に戻もどり,最初は仕出し屋を手伝いました。でも真しん珠じゅ養よう殖しょくにかつてほどの勢いきおいはなくなって,商売の規き模ぼは小さくなっていました。自分は何か新しい仕事をしようかと考えていたら,祖そ母ぼが営いとなんでいた食堂を祖そ父ふが改かい築ちくしてくれるというので,思い切って自分の店を出すことにしたんです。それが今の店です。

子どものころは魚ぎらいだった

子どものころは魚ぎらいだった

子どものころの遊びといったら,やはり海ですね。夏には友だちと一いっ緒しょによく泳ぎに行ったし,中学生ぐらいまでは,家の近くの浜はまでハシリンドをとって食べたりもしていました。私わたしは食べることが大好きで,ぽっちゃりした体形だったんです。小学校3年生のときにスポーツ少しょう年ねん団だんに入ってソフトボールを始め,練習で少し長い距きょ離りを走るようになったら,いつの間にかやせました。最初は,太っているから走るのが苦しくてたまらなかったんですが,チームで一いっ緒しょに走るから仕方なくがんばりました。そのおかげで体力がついて,体もじょうぶになったんじゃないかと思っています。
じつは子どものころは魚が嫌きらいだったんですよ。魚より肉が好きでした。魚が好きになったのは,専せん門もん学校に入ったころからでしょうか。味覚が大人になったのかもしれませんが,いったん都会に出たことで,愛あい南なん町ちょうがいかに新しん鮮せんでおいしい食材に恵めぐまれているか気づいたことも,魚を見直すきっかけになったのかもしれません。

恵めぐみに感かん謝しゃして食を味わってほしい

恵みに感謝して食を味わってほしい

今の時代は,私わたしが子どものころに比くらべたら,インターネットやスマートフォンができてとても便利になった反面,人と人の関係が複ふく雑ざつになって,子どもたちの世界も大変だろうと思います。でも,なるべく人とふれあってほしいなと思います。
また,食べ物は,その恵めぐみに感かん謝しゃして,じっくり味わってもらいたいなと思います。都会の人たちは特にそうだと思いますが,食しょく卓たくの野菜や肉や魚がどんなところでどう作られているのか,見えにくくなっています。そのせいか,食べ物への感かん謝しゃの気持ちが薄うすくなっているように感じます。その食べ物を生んだ自然,肉や魚などの命の恵めぐみに感かん謝しゃして,食べ物をじっくり味わってほしいなと思います。私わたし自身,魚ぎらいの子どもだったので偉えらそうなことは言えませんが,当たり前にある恵めぐみが「本当は当たり前ではなく,とても恵めぐまれているんだ」ということに気づいて,感かん謝しゃしてもらえたらと思います。

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取材・原稿作成:大浦 佳代/協力:公益財団法人 日本財団,NPO法人 共存の森ネットワーク