仕事人

社会にはいろいろな仕事があるよ。気になる仕事や仕事人をたくさん見つけよう!

東京都に関連のある仕事人
1977年 生まれ 出身地 大阪府

上田(うえだ) 勝臣(まさおみ)
子供の頃の夢: プロ野球選手
クラブ活動(中学校): 野球部
仕事内容
多た業ぎょう態たいの飲食店を経けい営えいして「おいしい」と「ありがとう」をお客さまに届とどけ、スタッフが安心して働ける環かん境きょうをつくる。
自己紹介
元気で、おしゃべりです。好きなことは、野球と旅行と投とう資しです。休みの日は草野球をプレーしつつ、子どもたちとも遊びます。
出身大学・専門学校

※このページに書いてある内容は取材日(2025年11月18日)時点のものです

たこ焼き居い酒ざか屋やと焼鳥屋、ハンバーガー店を経けい営えい

たこ焼き居酒屋と焼鳥屋、ハンバーガー店を経営

私わたしは東京にある「株かぶ式しき会社 Upper Wood Promotion(アッパーウッドプロモーション)」という会社で社長を務つとめています。現げん在ざい、たこ焼き居い酒ざか屋やを大おお塚つか店(豊と島しま区く)、町まち屋や店(荒あら川かわ区く)、梅うめ島じま店(足あ立だち区く)の3店てん舗ぽ、焼鳥屋を足あ立だち区くで1店てん舗ぽ、ハンバーガー店を荒あら川かわ区くで1店てん舗ぽ、経けい営えいしています。全ぜん店てん舗ぽ合わせると、アルバイトも含ふくめてスタッフは約35人で、そのうち社員は7、8人くらいです。このほか、分社化して別会社になりましたが、「タコヤキ引ひっ越こしセンター」という引ひっ越こし屋やも経けい営えいしています。また、その引ひっ越こし屋やから派は生せいして、電気工事やハウスクリーニングなど、引ひっ越こしに関連する業種も展てん開かいしています。
私わたし自身が店てん舗ぽに立つのはたこ焼き居い酒ざか屋やのみで、週に2、3日、合間に休きゅう憩けいを挟はさみながら朝10〜11時くらいから夜の23時くらいまで働いています。平日は17〜18時くらいからたこ焼きをテイクアウトするお客さまが増ふえ、18〜19時には店内で食べるお客さまが来ます。その後、21〜22時以い降こうはほかのお店でお酒を飲んだあと、二軒けん目、三軒げん目として来るお客さまが増ふえます。土日や祝日は朝からずっとお持ち帰りと店内のお客さまでいっぱいになります。町まち屋や店、梅うめ島じま店は客席は多くはありませんが、お客さまの回転がとてもよく、常つねに席が埋うまっている状じょう態たいになることが多いです。

忙いそがしい毎日の中で家族と過すごす時間も

忙しい毎日の中で家族と過ごす時間も

店てん舗ぽに出ていない日は、経けい理りや仕入れなどの業ぎょう務むをこなしています。仕入れは週に1回行います。バックヤードが狭せまくて在ざい庫こが置けない店てん舗ぽが多いこと、こまごました材料の仕入れが多いことから、私わたしが必要なものを取りまとめてスーパーなどに買い出しに行き、比ひ較かく的てきバックヤードが大きな梅うめ島じま店に一度集め、そこから各店てん舗ぽに車で配送する形で行っています。
また、5店てん舗ぽあるので、仕入れの領りょう収しゅう書しょの量も膨ぼう大だいになり、経けい理りの作業が大変です。私わたしが仕入れを担たん当とうするようになったのは、経けい理りをシンプルにするためという理由もあります。そのほかに、給きゅう与よ計算やアルバイトの面めん接せつ、シフト作成など、人事的なこともやっています。各店てん舗ぽには店長がいて、シフト作成などは彼かれらも手伝ってくれます。
焼鳥屋とハンバーガー店は自分ではお店に出ないので、スタッフと月に1回ミーティングをして、お店の状じょう況きょうを把は握あくしています。丸一日休むのは月に2日くらいですが、仕入れと配送をした日は夕方16時くらいには仕事が終わり家に帰れるので、以い降こうは子どもたちとキャッチボールをしたり宿題を見たりして、家族とコミュニケーションを取る時間にしています。

「成長を見守る」ことの大切さ

「成長を見守る」ことの大切さ

自分にとって一番大変なのは、「我が慢まんする」ということです。アルバイトや新しい社員が入ってくると、つい「なんでそんなことがわからないの?」と思ってしまうこともありますが、それを言ってはいけないなと思っています。
この仕事を始めた当初は、アルバイトにもとても厳きびしくしていました。しかし厳きびしくすると人が辞やめてしまい、そうすると人が足りなくて自分たちがつらくなる、という悪あく循じゅん環かんでした。しかしあるとき、大学生の女じょ性せいがアルバイトで入ってきたことがあり、「若わかい女じょ性せいだしな……」と厳きびしく叱しかるのをためらったことがありました。やる気もあまりなさそうだし、仕事中に携けい帯たいもいじるし、どうしよう、と思っていたのですが、その人が数年、働くうちに、どんどん仕事ができるようになり、私わたしが何も言わなくてもいろいろなことを自分からやってくれるようになりました。
そこで学んだのは、「成長を見守る」ということの重要さです。何か言いたいことがあっても、ぐっと耐たえてその人が成長していくことを見守る。難むずかしいなと思うときもありますが、大切なことだと実感しています。

お客さまの「たこパ」を手伝う仕事

お客さまの「たこパ」を手伝う仕事

この仕事をしていて一番うれしいのは、やはり「おいしい」とか「ありがとう」というふうに、お客さまからのフィードバックがもらえるときです。また、常じょう連れんのお客さまの顔といつもの注文を覚えて、「いつものこれでいいですか?」と言えるとうれしくなります。いろいろな人がお店に来られますし、そういったお客さまと会話をすることで、さまざまな業種の方の話を聞くことができるのもいいところです。お店にはカウンター席もあるので、時にはお客さまが愚ぐ痴ちをこぼしたりすることもあります。いろいろな人生を垣かい間ま見みることができるのは、本当に面おも白しろいです。
今は店てん舗ぽも増ふえ、やらなくてはいけないことも増ふえましたが、実は自分にとって一番楽しくて楽なのは、たこ焼き居い酒ざか屋やの店てん舗ぽに立つことです。というのも、この仕事は「他人の“たこパ(たこ焼きパーティー)”をお手伝いする仕事」だと私わたしは思っているからです。もちろん、長時間お店に立っていることのつらさはありますが、基き本ほん的てきには楽しいことしかない仕事です。

「おいしく食べてほしい」の気持ちが一番大事

「おいしく食べてほしい」の気持ちが一番大事

実は、たこ焼きは奥おくが深く、おいしく焼くためには技ぎ術じゅつが必要ですし、焼く人によってかなり味の差が出ます。スタッフにはそういった技ぎ術じゅつ的てきなことはもちろん教えていますが、結局は「おいしく食べてほしい」という気持ちが一番大切だと思っているので、それも伝えています。お客さまからは「上田君が焼いたたこ焼きが一番おいしい」と言っていただくことがありますが、店のスタッフの誰だれが焼いても、みんなが同じようにお客さまに「おいしい」と思ってもらえるようになってほしいと思います。それが私わたしの目標です。
また、店に立つことは楽しいのですが、それと同時にいろいろな事業を成功させ、会社を大きくしていくことにもやりがい、楽しさを感じています。しかしそれはお店にいるときの楽しさとは別物で、会社の業ぎょう績せきを上げることでスタッフの給料を上げることができるからです。やはりせっかく関わってくれたのですから、みんなでよくなっていきたいと思っています。

俳はい優ゆう業ぎょうとの両立を目指して店を開いた

俳優業との両立を目指して店を開いた

高校卒業後はアメリカの大学に進学し、そこで4年間、野球をやっていました。卒業後は、あのロサンゼルス・ドジャースで半年ほど通つう訳やく兼けん付き人として働いていたこともあります。その後、姉がニューヨークで舞ぶ台たいの仕事をしていて、友達づくりのために、姉が通っていた演えん劇げき学校に行ってみたところ、とても楽しく、俳はい優ゆうを目指すことにしました。吉よし本もと興こう業ぎょうが劇げき団だんをつくるという話があり、そのオーディションを受けて合ごう格かくし、大阪で俳はい優ゆうとして活動をしていました。
2007年に俳はい優ゆうとしての活動を広げるために東京に出てきて、俳はい優ゆう仲間の先せん輩ぱいに頼たのまれて銀ぎん座ざのクラブでアルバイトを始めました。しかし、俳はい優ゆうの仕事がだんだんと増ふえてきたことでお店を突とつ然ぜん休むことも増ふえ、これではお店に迷めい惑わくがかかってしまうと思いました。そこで自分でお店をやろうと思い、一いっ緒しょに働いていた今の会社の共同経けい営えい者しゃである木村に声をかけ、たこ焼き屋を始めることにしました。1年ほど2人でほかのお店でアルバイトを経けい験けんし、2010年10月に最初のお店を開きました。もともと、お店は木村に任まかせて、私わたしは俳はい優ゆう業ぎょうをメインにと思っていたのですが、ほどなくして東ひがし日に本ほん大だい震しん災さいが発生して、お店の売り上げが急に落ちてしまい、私わたしもお店のほうを頑がん張ばることにしました。そこから店てん舗ぽを増ふやし、2017年に今の会社を立ち上げました。

「キャプテン」の気き質しつと経けい験けんは今の仕事に通じる

「キャプテン」の気質と経験は今の仕事に通じる

子どものころは、ずっと野球ばかりしていました。小学1年生のときに、近所の上級生に誘さそわれて野球を始めました。小学校ではピッチャーやキャッチャー、中学・高校・大学ではずっと外野手でした。中学校ではシニアリーグのチームのキャプテンを務つとめ、全国大会で準じゅん優ゆう勝しょうしたこともあります。そのため、高校進学のときは引く手あまたでしたが、当時の大阪の強きょう豪ごう校こうは練習が非ひ常じょうに厳きびしく、しごきなどもあったので避さけて、和歌山の新しん設せつの高校に行きました。中学校のときにキャプテンだったのは、おそらく、おしゃべりで仕切りたがる性せい格かくだったからだと思います。みんなで話し合っていて、何かものごとが決まらないと、どうしても話をまとめたくなってしまうんです。人と話すのは苦ではなく、友達も多かったので、「チームプレーが好き」という点では今も変わっていないかもしれません。

一いっ生しょう懸けん命めい過すごした時間は、絶ぜっ対たい無む駄だにはならない

一生懸命過ごした時間は、絶対無駄にはならない

今振ふり返かえると、私わたしは失敗ばかりしてきたなと思います。野球にしても、中学校の時点での能のう力りょく的てきには、頑がん張ばればプロ野球選手を目指すことができたかもしれないと思うのですが、高校進学のときに厳きびしい高校への進学を選せん択たくできなかった。そういう意味で自分を追おい込こめませんでした。また、役者になりたいという夢ゆめも、本当になりたいのであれば、空いた時間や休みの日に自分なりの勉強をしたり、何かほかの作品を見たりということをすればいいのに、やりませんでした。
でも、たこ焼き屋を始めたときは、お店の苦しい状じょう況きょうを解かい決けつしようと、何時間も何日も連続でお店に立ち続けました。実はその時間が、今の自信につながっています。しんどいことであっても、一いっ生しょう懸けん命めいであれば費ついやした時間は無む駄だにはならないと思いますし、その中に楽しさを見つけることもできると思います。諦あきらめることもあっていいとは思いますが、結果的には悔くいがないように人生を楽しむのが一番だと思うので、今、何かに打うち込こんでいる人は、ぜひ悔くいを残さないように頑がん張ばってください。

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取材・原稿作成:川口 有紀(フリート)・東京書籍株式会社/協力:城北信用金庫