※このページに書いてある内容は取材日(2017年06月19日)時点のものです
おいしい野菜を栽培する
私は福井県で専業農家をしており,福井生まれのブランドトマト「越のルビー」をはじめ,水菜やチンゲンサイなどの葉物野菜,ズッキーニ,スナップエンドウ,イチジクなど,約30種類の野菜や果物を育てています。自宅の隣にある10棟のビニールハウスと作業小屋が仕事場で,一緒に働いているのは,私と私の母親,パートさん3人の計5人です。
野菜の栽培にはとても手間がかかります。例えば「越のルビー」は,苗を植えてから収穫までの間,ビニールハウス内の温度管理や水やり,芽かき(必要ない芽を取り除く作業),吊り上げ(大きくなったトマトの枝を上からヒモで支える作業)などの世話をします。普通のトマトは実が青いうちに収穫をして追熟(収穫後に一定期間置くことで,甘さを増したり,果肉をやわらかくすること)させますが,「越のルビー」は実が真っ赤になってから収穫をします。その方が甘みも栄養も増して,おいしくなるんです。赤く色づく途中で実が割れたり,地面に落ちてしまわないように,毎日トマトの成長の様子をチェックします。
「行商スタイル」で新鮮な野菜を売り歩く
日が昇るのが早い夏の時期は,朝5時ごろに畑に行きます。まずは水やりをし,その日販売する分の野菜を1時間半ほどかけて収穫します。その後,収穫した野菜の袋詰め作業を1時間ほどおこない,その後は芽かきなど野菜の世話をします。午前中にここまでの作業を終わらせます。
通常の農家は,育てた野菜を農協へ出荷してスーパーなどで販売するのが一般的ですが,私の場合はその日の朝に収穫した野菜を自家用車に積んで,自分で直接お客さまの家や職場へ売りに行く「行商」が主な販売方法です。月曜から金曜までだいたい決まったルートを回り,一週間で約100か所のお客さまにお届けしています。注文を受けた野菜を届けるわけではなく,その日に獲れた野菜をその場で見てもらい買ってもらうので,それぞれの野菜の食べ方や特徴をしっかり案内し,販売するようにしています。また,「越のルビー」はインターネットや電話で注文を受け,日本全国への発送もしています。
この仕事に就いてから使っている「麻王伝兵衛」という名は,先祖代々伝わる麻王家の屋号(個人事業の名称やお店の名前などのこと)で,それをブランド名としています。「伝」の文字は,自分で野菜を届け,自分の口でおいしさを伝える私の商売にぴったりで,この名前に誇りをもっています。
自然の力にはかなわない
毎日きちんと世話をして野菜を育てていても,やはり自然の力にはかないません。以前,私が住んでいる地域を爆弾低気圧が襲ったことがありました。そのときはビニールハウスが風や雨の影響で破れてしまい,収穫間近の野菜がだめになってしまいました。ショックももちろんありましたが,いつまでもくよくよするのではなく,また一から育てることに気持ちを切り換えました。自然と上手に付き合うことも,農家の仕事のひとつですからね。
曜日ごとに販売ルートは決まっていますが,いつも買ってくれる人に会えなかったりして,その日収穫した分の野菜を売り切れないこともあります。「越のルビー」の場合は冷凍保存し,ドレッシングやトマトパウダーに加工しています。なるべく捨ててしまわないように工夫して,収穫した分の90%以上を商品として販売できるようにしています。せっかく育てた野菜をむだにしてしまっては,もったいないですし利益も出ませんからね。
「おいしかった」とほめてもらうために
仕事をする中で一番の喜びは,いつも配達するお客さまに,「この前の野菜,おいしかったよ」と言ってもらえることです。一生懸命育てた野菜の感想を直接聞けることが私の販売方法の魅力で,お客さまの声を聞くたびに,また頑張ろうと思えます。「越のルビー」の旬の時期には,野菜を入れた袋からトマトの赤色が見えた瞬間に,「待ってました!」とばかりにお客さまが笑顔になります。すると,私も自然と笑顔になってしまいますね。トマト嫌いのお子さんがいるお母さんから,「うちの子,麻王さんの『越のルビー』だけは食べるんだよ」と言われることもあります。野菜のおいしさを表すには,専用の機械で糖度を測るなどいろんな方法がありますが,本来はもっと単純なものだと思うんです。子どもがたくさん食べてくれたなら,それはおいしいという証拠。一流のシェフに味を認めてもらうことも,子どもたちが夢中で口に運んでくれることも,私にとっては同じくらい嬉しいことです。
人との繋がりを大切にして今がある
私の商売は,お客さまに支えられて成り立っています。配達先では,いつも野菜を買ってくださるお客さまが,別の人に「麻王さんの野菜はおいしいんだよ」とおすすめしてくれることが多いです。そうしてどんどんお客さまの輪が広がっています。以前,お客さまの紹介で,福井の老舗和菓子屋へ野菜を届けるようになったことがありました。そのお店のご主人が私の「越のルビー」の味を気に入ってくれて,その頃ちょうど開発中だったトマトゼリーの材料に使ってもらえることになりました。商品が完成したとき,「ゼリーの商品名は『伝兵衛』にするつもりだよ」と言われて,自分の名前をつけてもらえるなんてと驚くと同時に,とても嬉しかったです。そのゼリーはテレビで紹介されたのをきっかけに,毎シーズン売り切れるほどの人気になっています。人との縁でいろんな仕事にも恵まれて,感謝の思いでいっぱいです。これまで知り合った人とも,これから出会う人とも,繋がりを大切にしていきたいです。
自転車店での経験が「行商スタイル」につながった
大学を卒業した後,福井県の企業に営業担当として就職し,東京の支店に配属されました。2年半ほど勤めましたが,「このまま一生サラリーマンを続けるよりも,自分の興味のあることをしたい」と思うようになり,会社を辞めて,大学時代にお世話になっていた東京の自転車ショップで働き始めました。そのお店はセミオーダーの自転車を作るメーカーで,ショップも併設していました。お客さまに直接販売するスタイルは自転車メーカーとしては珍しく,このときの経験が,野菜を作って売り歩く,今の私の原点になっています。
7年ほどそのお店で働いた後,私が長男だったということもあり,福井県へ戻ることになりました。私の家はもともと米農家だったので,農作業に必要な道具が一通りそろっていました。その道具を使って,米よりももっと独自の個性が出せるものを作ろうと考え,野菜農家になる決意をしました。それから半年ほどは,福井県の農業者を育成する機関で,農業の勉強をしました。研修の一環で「越のルビー」を作る農家を訪れた際,おいしくて人気もあるブランドトマトを作る後継者が不足していることを知りました。きちんと育てれば売れるチャンスもあるし,福井生まれのブランドを守りたいという思いもあって,栽培することを決めました。
田んぼの手伝いは好きではなかった
私の父親は本業が公務員で,兼業で米農家をやっていました。小学校から高校まで,春休みは種まきや田植えの準備,ゴールデンウィークは田植えなど,長期休みのときにかぎって田んぼの手伝いをさせられていました。「友達は家族と遠くへ旅行に行ったりしているのに,どうして自分だけ田んぼの手伝いをしなくちゃいけないんだ!」と,当時は思っていましたね。当時は,自分が農家になるなんて考えてもいませんでした。今振り返ると,平日は公務員の仕事をこなし,休みの日に米を育てていた父親はすごかったんだなと感じます。
田んぼの手伝いはしぶしぶやっていましたが,体を動かすのは好きでしたね。中学と高校ではサッカーをやっていました。今でも毎日朝から夕方まで仕事で体を動かしているので,サッカーで培った体力は生かされていると思います。体力がなくてはなかなか続けられない仕事ですから。
打ち込めることを見つけよう
みなさんには,いろんなことに挑戦して,自分の好きなことを見つけてほしいです。将来どんな仕事をしようかなと考えるときでも,職業を意識して視野を狭めてしまうのではなく,「自分が打ち込めること」という基準を大切にしてください。世の中の流れはとても速いので,例えば今は「こんなことが仕事になるのかな」と思うようなことでも,みなさんが大人になるころには,世の中に必要とされている可能性もあります。流行に流されないで,自分が本当に興味のある仕事を見つけてください。
私としては,農業に興味をもつ人が増えてくれるとうれしいですね。機会があれば近くの農家の手伝いをして,自分が食べているものがどのように作られているのか学んでみてください。農業の苦労ややりがい,食べ物の大切さを体で感じてもらえるはずです。