• 福井県に関連のある仕事人
  • 1977年 生まれ

    出身地 福井県

ITベンチャー企業社長

松田まった 優一ゆういち

  • 子供の頃の夢

    大工か電機メーカーの商品開発部

  • クラブ活動(中学校)

    バレーボール部

  • 【このページに書いてある内容は取材日(2017年06月19日)時点のものです】

松田 優一


仕事人記事

システムやアプリを作る会社

システムやアプリを作る会社

わたしは,IT関連の会社「ナチュラルスタイル」を自分で起業し,けいえいしています。わたしの会社は,ホームページのシステムをより便利にするためのプログラムツールや,ぎょうなどで使うシステム,いっぱんの人たちが使うスマートフォン用のアプリなどを作ってはんばいしています。また,ウェブサイトを作ったり管理・うんえいするのもわたしたちの仕事ですね。社員はげんざい27名で,コンピューターのシステムをつくるプログラマーと,絵をくグラフィックデザイナー,作業をする人,えいぎょうをする人がいます。わたし自身もプログラマーとして働いています。
コンピューター上で動くシステムやスマートフォンのアプリなどは,「プログラミング」をして作ります。プログラミングというのは,「この順番でこう動いてほしい」という命令をコンピューターに伝えることです。プログラムは,英語と数式をぜたようなさまざまなコンピューター言語を入力して作っていきます。この作業をする人のことをプログラマーといいます。コンピューターは,人間が手や頭を使ってやるととても時間がかかる計算や作業でも,短時間で仕上げてくれます。みなさんは気づかずに生活しているかもしれませんが,世の中にはコンピューターがあふれていて,電化せいひんやテレビゲームなど,さまざまなものがプログラミングされた動きをしながら,みんなの仕事の手助けをしたり,生活をゆたかにしているんです。

自らプログラムを作るほか,プログラミング教室も

自らプログラムを作るほか,プログラミング教室も

わたしの会社では,主にぎょうから「こんなシステムを作ってほしい」というらいを受けて,それを作ることが多いです。作業はチームに分かれて行いますが,社長であるわたしが細かく口を出すことはほとんどなく,ほんてきにはそれぞれのチームリーダーに仕事のやり方などすべてをまかせています。わたしの仕事の多くは,「世の中にこんなものがあった方が便利だろう」と思うソフトやプログラムを,だれかからたのまれて作るのではなく,自分で考えて一人で作ることです。
ノートパソコンを使っているので,会社の中に特定のつくえはなく,空いた会議室で仕事をすることが多いです。また,会社にいなくても仕事ができるので,最近は会社の近くに,自分せんようの部屋を借りて,こもりっきりになって作業をしています。
2014年には,子どもたちがプログラミングについて学ぶ場をていきょうする「PCN(プログラミング・クラブ・ネットワーク)」というしきを立ち上げました。プログラムがこれだけ生活の一部になっているげんだいで,子どもたちがプログラミングのしかたを知らないまま大人になってしまうと,時代の流れにおくれてしまうのではないか,と感をいだいたことがほっそくのきっかけでした。その活動を通して,いろいろなところで子どもたちにプログラミングを体験してもらう教室を開いています。日本だけでなくベトナムやモンゴルなどの外国にもしゅっちょうに行って教えているんですよ。そのため,今は1か月に2日ほどしか休みがない,いそがしい毎日を送っています。

やりたいことがたくさんある

やりたいことがたくさんある

わたしの会社で作っているコンピューターソフトやホームページなどは,昼夜関係なく利用されるものがほとんどなので,24時間たいせいでトラブルにたいおうしています。わたしたちが作ったシステムに問題があった場合は,すぐにプログラム上の問題点を見つけてかいけつするようにします。さまざまな失敗や問題はないにしたことはないですが,もし起きてしまった場合も「この失敗を生かしてじゅつみがこう」と前向きにとらえるようにしています。
わたしが1人で作業をする場合,1つのシステムを作るのにだいたい2~3か月かかります。そのためには,あるていまとまった時間をかけて取り組まなければなりません。今,取り組んでみたいプログラムのアイデアがいくつかあるのですが,最近では子どもプログラミング体験の活動に力を入れぎていて,なかなかかれないのがなやみですね。今年の4月には,プログラミングの仕事があまりにもまっていたので,新しい予定はいっさい入れないように決めて,作業部屋に3週間ほど一人でこもりっきりになって作業をしました。やりたいことがいっぱいあるので,そうやって時間のやりくりをしなければならないのも大変ですね。

自分で考えて作ったものを世に出したかった

自分で考えて作ったものを世に出したかった

プログラムは計算式やコンピューターへの命令文で出来上がっていますが,それを組み上げるさいにはそれぞれのプログラマーのせいが強く出るんです。例えば「このボタンをすと絵が動く」という“ゴール”はいっしょなのですが,そこに行きつくまでの命令のしかたや使う計算式などは,人によってまったくちがいます。「スマートだな」とか「ごちゃごちゃしていて分かりにくいな」とか,打ちこまれたプログラムを見ると,プログラマーの考え方や力量が分かって楽しいんです。スマートなプログラムは,アプリやソフトを使うときに,コンピューターにかけるたんが小さくてサクサクけいかいに動くので,プログラマーはみんないかにスマートにするかをつねめていきます。わたしの場合は,朝9時にプログラミングを始めて,気がついたら夜8時になっていたりと,お昼ご飯を食べるのをわすれるくらいに,時間がつのがあっという間です。
わたしは29さいのときに前の会社からどくりつして起業しました。だれかからの注文を受ける仕事だけでなく,自分が考えて作ったものを世の中に出したかったからです。社長となった今では自分の好きなものを開発して,世の中に売り出していくことができます。だれきょも取ることなく自分の好きなものを作れる今の立場は,すごく楽しいです。もちろんその分のせきにんは重いんですけどね。

しょうらいになう子どもたちにプログラミングを

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わたしの会社の社員たちには,一つのことだけにとらわれてせばめることがないよう,いろいろなことにちょうせんしてほしいと思っています。だから,全員がお客さまからの問い合わせの電話にたいおうするし,売り上げの計算もしています。また,なるべく楽しいふんで仕事をしてほしいので,ぎょう以外にもユニークな取り組みをしています。例えば一年に一回,社内でミニよんの大会をかいさいしています。速いマシンを完成させるためにこうさくしながら,毎年ちゅうで取り組んでいますね。あと夏に一日だけ「クールビズ」をじっしています。すずしいかっこうではなく,かっこいい(クールな)かっこうをする日のことです。みんな和服で仕事をするんですよ。
わたしじんとしては,プログラミング教育にもっと力を入れたいと思っています。2014年にイギリスでプログラミング教育がひっしゅうもくになったのを皮切りに,アメリカや中国でもひっしゅうになりました。しかし日本でひっしゅうもくになるのは2020年から。つまり,他の国でプログラミング教育を受けた子どもたちが大人になって世界でかつやくするころに,ようやく日本の教育が始まるんです。これでは世界の中で日本が完全におくれを取ってしまいます。わたしの子どもが今ちょうど小学生なので,プログラミング教育をしっかり受けさせることは親のだとさえ思ったんです。そこで,プログラミングに関する必要さいていげんのうだけをそなえたてのひらサイズの機械「IchigoJam(イチゴジャム)」を使ったプログラミング教室を始めました。最初はじんから始めた教室がはんきょうんでどんどん大きくなり,今では会社全体で力を入れています。

13さいで出会ったプログラミング

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わたしが13さいのある日,父親が中古のコンピューターを買ってきたんです。当時のコンピューターには今の「Windows」のようなOS(オペレーティングシステム)がなく,でんげんを入れると黒い画面に白い文字が画面いっぱいにひょうされました。「ここに書かれている英語みたいなものは何だろう」と不思議でしかたありませんでした。本屋でコンピューターの本を読んで,その文字がコンピューター言語だと知りました。その本には「ブロックくずしゲーム」ができるプログラムもっていて,自分でゲームを作れることにしょうげきを受けました。さっそく本を買ってもらい,ちゅうになってコンピューター言語を入力しました。これがわたしの最初のプログラミング体験ですね。
その後,国立ふく高等せんもん学校に進学しました。せんこうは電気工学で,じゅぎょうでプログラミングを学んだのは半年間くらいでしたが,りょうの友達がプログラミングをしていたのを見て,教えてもらいながら,しゅかんたんなゲームを作るようになりました。
こうせん卒業後に大学へへんにゅうし,続く大学院時代にはプログラミングをするアルバイトをしていました。そこでは,インターネットで不動産じょうほうけんさくできるサイトを作っていました。わたしが大学院を卒業するころは,有名な大ぎょうがどんどんとうさんしていくようなきょうの時代でした。だから,しゅうしょくするのではなく,自分の力でお金をかせげるプログラミングを仕事にすることを決め,仲間といっしょに会社を作りました。そして,その5年後にどくりつして今の会社を立ち上げたんです。

外ではカブトムシり,家ではゲーム

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わたしが小学生のころは,習い事もしていなかったので,放課後はすべて自由時間でした。山の近くで育ったので,夏休みになるとカブトムシをりに出かけましたね。よくれる場所を3カ所ほど知っていたので,そこを自転車で回ってきもせずつかまえていました。友達と遊ぶときにはかんりですね。その一方で,家の中でテレビゲームをして遊ぶのも大好きだったんです。当時はファミコンが大流行していて,ロールプレイングゲームをよくやっていましたね。ファミコンの次はスーパーファミコン,そしてプレイステーションでも遊びました。
ゲームが好きだったからこそ,自分でゲームを作れるプログラミングのりょくにハマったんだと思います。たぶんみなさんも「プログラミングができれば,自分でゲームを作れるよ!」と言われたら,きょうがわくのではないでしょうか。それと同じような感覚ですね。

ちゅうになれるものをさがそう

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みなさんにはいろいろなことにチャレンジしてみて,たとえば,朝から始めて,気づいたら夜になっているくらいにちゅうになれることを見つけてほしいです。だれでもきっと見つかるはずです。わたしの場合は,中学のときに出会ったプログラミングがまさにそれでした。そして,中学生までにちゅうになれるものを見つけられれば,そのままずっと続けてほしいと思います。そうすればしょうらい,自分が心から楽しいと思える仕事にたどり着くのではないでしょうか。わたしはいつも「やれるところまでやってみよう。やってダメならまた考えよう」と思いながら,仕事に取り組んでいます。だからみなさんも,とりあえず一度チャレンジしてみてください。
そして,ぜひプログラミングをやってみてください。今,人間の使う言葉をかいしたり,ろんてきすいろんをしたり,けいけんから学習したりするコンピュータープログラムのAI(人工のう)の開発がどんどん進んでいます。近いしょうらい,世界中でAIをとうさいしたロボットが仕事をする時代が来ると思います。ロボットが仕事をするなら,人間は働かなくてもいいのではないかと思うかもしれません。しかし,AIを作るのはもちろん人間だし,それを使いこなしていく必要があるんです。もしみなさんがプログラミングを覚えてAIをより進化させれば,今までのうだったことも,どんどんできるようになるかもしれません。そういうのうせいをどんどん広げていってくれるプログラミングを,ぜひ体験してみてください。

  • 取材・原稿作成:株式会社 fuプロダクション /協力:三谷商事株式会社

私のおすすめ本

  • 木に学べ―法隆寺・薬師寺の美

    西岡 常一

    何百年もの伝統を受け継ぐ宮大工の棟梁が考える道具や建築,そしてそれに関わる人について書かれています。プログラミングも「ものづくり」のひとつだと思うので,その基礎を考えさせられる本でした。