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名人の仕事

  • 海・川の名人
  • 漁業(ビワマス漁等)

琵琶湖の恵みを追う沖島人

  • 西にし しょうきち(滋賀県近江八幡市)

    生年月日 昭和9年5月13日
    年齢 77歳
    職業 漁師
    略歴 琵琶湖湖上にある沖島に生まれ、物心ついた頃から父親の漁業を手伝い、結婚後は夫婦で漁船漁業を営む。ニゴロブナ、ゲンゴロウブナ、ホンモコロ、ビワマス、コアユ、セタシジミ、イケチョウガイ、スジエビなど琵琶湖ならではの様々な漁業を経験し卓越した技術を有する。漁業一筋に従事し、講演やボランティア活動を通じて琵琶湖漁業や琵琶湖の食文化の素晴らしさを伝え、将来の後継者育成に貢献している。
  • 杉山 希(奈良県立奈良高等学校1年)

第9回(2010年)参加作品

琵琶湖の漁師

  • 沖島の立ち並ぶ家々と歩く西居さん

わたしゃ、しょうきちちゅうの。昭和9年の5月13日に沖島で生まれたんや。わたしが長男で、妹がおったわ。ずっと、この沖島に住んどる。妻はひで。漁業は夫婦でやっててな、農業もしとる。家で食べてる野菜は、全部育ててるんやで。今は、子がおな2人、孫が女子1人と男子の3人、曾孫が女子2人や。子どもたちはみんな、近江八幡の方に出とる。正月には、家族全員が揃うんや。

いたずらっ子

  • 奥津島神社の紅葉とシイの実

昔はいたずらやったなぁ。先生泣かして、いたずらはするし、勉強が嫌いやった。勉強は何でも、夏休みの宿題なんかほったらかしにして、朝から晩まで泳いでな、表も裏も分からんほど真っ黒に日焼けして。今みたいにテレビ見たりできへんからよ、たらい持ってってたらい舟して競争したり。帰って来てもクーラーはないから家は暑いし、水の中浸かってたら涼しいやろ。ジャコ掴んだり、かくれんぼしたりしたわ。かくれんぼやと、水の中に潜って別の所に浮いたりよ、船があったら船の陰に隠れたりしてたわけや。夜になっても泳いでたわ、涼しいから。戦争の時は、山の上で竹を持って戦争ごっこ。ほて(そうして)、秋になったら、木に登って栗やシイを採ってたわ。早いもん勝ちや。アケビとかムベなんかも採ってたわ。

自分らが食べるもんは、自分らで稼いだわけ。昔は、ガムとかを売ってる店ちゅうもんがなかったからなんや。そういう事ばっかりしてたんで、勉強する間がなかったし、しようとも思わなんだ。夏休みの宿題なんか、ほとんど白紙で出したわ。 子どもの頃は絵描きに憧れてやな、東京に行きたかったわ。ただの憧れやったんや。どちらかというと、絵が上手いよりも好きやったんやな。一人前になろうとしたら弟子入りしやなあかんし、一人前になってもよ、生きていけるか分からへん。ほで、家が漁師やろ。親に「漁師せい」て言われん代りによ、いつの間にか船に乗ってたの。小学生の時から夏休みに手伝わされたんやけど、遊びみたいなもんやった。自然と体にしみ込んでたんや、漁師が。中学校は別に行かんでもええ思てたから、行ったり行かなんだり。海荒れて漁に行けないと、学校に行くんや。海が静かな日は、漁に出てた。行かないと、先生が呼びに来はんねや。脇目も振らずよ、漁師ちゅう道一本で今まで来たんや。

刺し網漁って知ってるか

漁は、夜の1時半から朝の7時頃まで。網は15mほどに沈めんねんけど、場合によっては自分らの経験を基に、10mに上げたり16mに下げたりするんや。その日の天候によって、魚の通る筋が変わるちゅうこと。

刺し網漁いうんは、こういう漁。網が1個ずつに分かれてて、2個ずつ並んでるんや。それを5つで1組とするのが普通やねん。昔は1つの場合もあったらしいけどな。5つずつ繋いでいくんや。この網、1輪ちゅう。1束とも。1輪に1つずつ、真ん中に浮きを付けるんやけど、これには印はしないの。代わりに、浮きに旗を立てるん。夜の12時から漁やから、旗の下のとこに夜光テープを巻く。まぁ、旗の頭に巻いていかはる人もおるぞ。旗の色は、わたしやと黒か赤や。人によって白い旗付けてかはる人も。浮きは人によって違うので、あれは○○のとこのやな、○○がここに来んのか、って誰がどの網をやってるのかよう分かるわけ。仮に他人のを揚げてたらよ、魚を盗む事になるんや。

この場所はこの人が優先ちゅうことはないわけや。その代わりに、自分でこうなるやろということは常識。大体は、東西より南北に向けてやる。引っ付いて網が破損する場合もあるから、自分らの経験で間隔をおいて並べてよ。数も色々で、30の人もいれば、20の人もいるの。体の丈夫な人やったら、1人で20やる人もおるわ。簡単やけども、天候による浮き沈みがあって難しい。8mくらいにしておこうと思うても、もっと沈んでる場合もあるし、暑い日とか涼しい日とかによって変わってくるわけや。ちなみに、爆発物・薬品・瓶付け・柳のめ・電気(集魚灯など)なんかで魚を獲ると、漁法としては違反や。集魚灯でいいのはイカ釣り漁。イカを寄せるために使ってもええ。刺し網漁許可も3年に1度、車検と一緒で更新するわけ。更新料はな、確か500円ぐらい。

ビワマスはねぇ

ビワマスはサケ科である。マスちゅうんは光が嫌いで、特に雷があかん。遠い所で稲光がしても、その日やったら2、3匹しかおらん。雷だけじゃなくって、お月さんもあかん。満月を中心に1週間前後はあんまり獲れないの。わたしゃね、このマスの目が好きやねん。ウとかタカの目みたい。ものすごい目しとる、鋭い目。目の周りと真ん中が黒色で、他は琥珀色で、魅力があるん。マスは、アユとかモロコとか、上等ないい魚を食べる。死んだ魚は絶対、弱った魚も食べない。

ビワマスは旬として、6月から9月30日まで。そっから11月30日までは禁漁期間、産卵の時期やから。この期間にビワマスを獲ったら、3年の懲役か200万円の罰金。今は産卵の時期やで、川を上る時岩にすれてガリガリになってよ、命を懸けてやな、自分の子孫をば残そうと必死なんや。琵琶湖じゃなくしてあんな大きな太平洋でよ、2、3年も経って一人前になって、さぁ産卵しよ、となったら自分の川にしか戻って来へん、いうんがマスの性質。

7、8月の暑い時が最盛期で、一番美味しい時期よ。というのは、浅い所にいた魚が沖の深いとこに集まってくんねん。なぜかっちゅうと、10、20mの所であれば水温が20°Cに上がるやろ、30m以下からはそんなに水温が変わらないの。10°Cぐらいの程度になってくる。マスとアユは冷水魚。養殖やと山からの水しか無理やの。琵琶湖の水では養殖できない。氷入れたかて持たないの。アユやとねぇ、雪融けの水やないと、地下水やと所によっては温泉が出るかも分からんやろ。15、16°Cの地下水が出る所やったら養殖できるけどね。話戻すとね、そういう浅いとこは水温が上がるわけ、太陽はそこまで通るので。そうすと、マスは生活できないので、70、80mのとこに移動してくるわけ。太陽が届かないからね。ちょうど、6月中頃なると水温が上がってくるやろ。それを目がけて、琵琶湖の真ん中辺に網を仕掛けるの。天候によってマスは浮き沈みが激しいて、マスほど獲りにくい魚は無いわ。夏のカンカン照りの日ほど、マスはよう動くんや。寝苦しいて寝られん夜とかがいいの。餌を求めて動くんやと、わたしは思うねんけど。北風で涼しいとね、マスは獲れん。

マスは、50、60も70匹も獲れる日もあるけど、やはり平均っていうと、先ほども言ったようによ、30日なら30日とも獲れるほど甘いもんでもない。気温や潮の流れも影響してくるしね。琵琶湖の水は、コップで汲んだようにじっとはしてないの。結構、流れがある。けど、琵琶湖にはねぇ、寒流とか暖流はないの。京都の方へ行く潮を“上り潮”、東京の方へ行く潮を“下り潮”ちゅう。電車の反対。今までで一番大きかったのは、53㎝のマスも獲れた。

島の組合から問屋さんへ出荷してる年もあったし、前はね、みんなが寄ってさばいてたんや。切り身にして、組合の−45°Cに下がる冷凍室で瞬間冷凍。明くる日に、真空パックに詰める。自分らには分からんけど、どっか給食センターに納めててん。給食やから、学校とか病院とかやろ。

マスの稚魚は、平成15年やと972千尾が放流されてるんや。稚魚は、春になると沖に向かって摂南して、秋から冬に産卵して、夏9月頃まで海で遊んだと思たらよ、また深いとこ行って餌を捕って大きくなって、これの繰り返し。

  • 西居さんが使っている網

網は破損しても修理できないの。海での操業用に仕立ててもらうか、時間があれば自分でしたり。3ヶ所ほどの漁網会社があって、集金に来はると、長さと色なんかを希望する。網の色は、自分の好みで決めるのです。どの色がよいかは未だに謎ですわ。赤色・黄色・青色があるけんど、どの色がいいという事は分かりません。仮に青なら、集中できるから青になるけど。網にはなかなか印できへんやろ。せやから、ようテープ巻いたり、マジックで印したりしはる人もいはるわ。網を見分ける時は、よう分かりよい。

潮の流れがゼロやと、網の目が広がって魚が刺さりやすくなるわ。逆に潮の流れが急やとよ、網が浮いて刺さりにくい。だから、いくらようけ魚がおっても、魚は獲れない。潮の流れは、10日なら10日、同しちゅうことはないんや。ポンと止まる時に偶然、魚が獲れるわけや。

ある日は“上り潮”でもよ、止まったら今度は逆向きに動くかもしれない。“上り”のいいところと“下り”のいいところの場所は違うわけ。それらは、その日の天候によって左右されるわけや。アユだけじゃなくてよ、プランクトンとかあらゆるものが集まってくるわけや。ほで、アユを追って、マスも寄ってくる。

魚は腐らんようにしてある

今は冷水器。エンジンでね、一気に1.8°Cまで下げてんねん。冷たいぞ。それ以上凍らすとパイプの中が凍るんでね、それまでに止める。水温が上がってくると、エンジンがつくようになってる。こんだけの分量まで水を入れようと思ったら、レバーをばまっすぐにすると、ポンプで入るわけや。レバーを切って冷水器に入れると、水が循環する。コンプレッサーで冷やして吸うと、循環するようになってんねん。汲むのは、ポンプでジャーと汲むだけや。んで、冷却水の1m50ほどのタンクに水を汲み上げるわけや。魚入れへんなら、いっぱいにしておけば。大体3分の1くらいに水を。ゴミ吸うたらコンプレッサーとエンジンが傷むので、ポンプに金網が付いてて、鱗とかゴミが入らんようにしてある。吸うた水は、コンプレッサーで冷やしてタンクに入れる。船底からタンクの3分の1の水を汲む時だけ、先ほど言うたレバーを倒すんや。ずっと入れ続けたら、このタンクいっぱいになってまう。3分の1、ある程度こんでええ思たらレバーを起こして、琵琶湖の水は汲まない。それで、この3分の1の水を金網から吸うてコンプレッサーで冷やすと、タンクの中が循環する。今やと17.5°Cぐらいで、15分ほどで1.8°Cぐらいにまで下がるんや。0°Cに近い。16°Cも差があるがな。20分ぐらいはかかるな。現場に行くまでには、ちゃんと0°C近くにまで下がってないとだめ。

生きた魚入れて塩入れるとね、鮮度はいいしね、堅いわけ。やはり17°C~20°C以下であったらね、4、5時間ほど経ったら魚がぐにゃーとしてね、鮮度が落ちて商品価値がなくなるん。けど、冷たいとこに放り込むとね、身が締まってくるわけ。もう一つ、冷却水のボタンがあるわけ。

魚を陸に揚げたらもう要らないので、この冷却水のボタンを切るわけ。せやなかったら、バッテリーは食うしね。コンプレッサーで回すやろ、2馬力ほど燃料を余計に食いよる。

おもしろいぞ、漁師って

  • 帰りの通船から見た漁船

おもしろいぞ、漁師って。やっぱり魚が一番。人間ちゅうんは、猿系統から進化したんかもしれへん。けど、何万年前かに、人魚で海から上がったかもわからん。

魚を損せず毎日獲れたらええけど、毎日は獲れないわ。昨日はようけ獲れたと思うて同じとこやっても、潮が逆やら嵐の具合、気圧で獲れなかったりする。気圧によって、魚は浮き沈みするわけや。魚は、気圧が高いと浮き沈みが激しい。例えば、昔は米を浜でとがはってん。そうすとね、高気圧の場合やと海全体が白くなるの。ほして、低気圧やと、海の底をつたうわけや。浮いて来やへん。マスみたいな40cmもある大きな魚がよ、たくさん獲れたらおもしろいし、また明日も獲れると思てても獲れへん日はあるわ。でも、また明日も獲れたら、と期待かけて行くわけや。そやけど、期待外れの場合があんのや。20kgおるわと思ってても、実は50kgかもしれない。

ほで、またやみつきになる。そういうところに、漁師の魅力があると思う。網が破損したり、獲れなかったり。これもいい経験になってると思う。いつも獲れたら儲かるけどよ、何にも魅力はないわ、かえって。けど、1、2匹しか獲れなかったら、往復の燃料代もかかるし損や。ほな、寝てる方がましやて。明日おると思うて行っても、同じことの繰り返しもある。もう、最後は嫌になるくらい。でも、それを乗り越えて、またおるちゅうて期待かけて行かんとよ。養殖ならば、今日20kg揚げよ思たら養殖の池で揚げてきたらよ、それは間違いないねん。けど、天然の人間が天然の琵琶湖で天然の魚を1匹でも多く獲ろう、ちゅうんが希望でもあり、金儲けでもあるでよ。それが第一やで、頑張って。網を破くこともあるし危険もあるけど、ようけ獲れるとおもしろいし、希望も湧いてくるしよ。ほでもう、大きい魚獲ったら忘れられんしよ。あぁ、何月何日ぐらいにどこら辺の沖でどれぐらい大きな魚を獲ったなぁ、ちゅうことは今でも思い出すしよ。漁師は自然が相手だから、おもしろいん。農業でも猟師でも、おもしろいと思う。猟師でも、撃ってこやな儲からへん。獲れない日は1日ぐらいあると思うわ。若返っていくんやなしに、どんどん年を取っていって振り出しに戻れないから、1日1日が勝負なんや。どこまで続くか分からないから。

広いやろ、琵琶湖って。気持ちがええど。夏、朝の暗い時から行ってね、暑いのにねぇ、8時ごろやったら暑い事知らず。涼しいで、太陽ないし。ここ沖島は不便やと思う。けど、案外不便ではないやろ。山奥の人が街に行くったって、何時間もかかる。せやけんど、ここは船があるしよ、割と便利やろ。スーパーにしても、駅にしても近い所にある。

心がけていること

出港する時から、水難事故には気つけてるわ、ようあるから。嵐とか突風に出会うこともあるわ。そして、エンジンが故障する場合もあるし。真夜中の12時やから、相手の船とぶつからないように気つけてる。それが一番。昔はGPSがなかったで、勘で行かんなあかんかったんや。山を目印に行ってたんやけど、霧の時は見えないんで苦労したんやど。どこも見えないし、迷うわけや。全然分からへん。

今やとよ、GPSがあるで、場所を記憶させたら間違いなく現場へ行ける。カーナビと同じことよ。琵琶湖には、昔に難破した船の跡とか岩の障害物があるんよ。そういうのに網を引っ掛けるとか、底引きなんかやって引っ掛けたら、もう網は上がって来ない。全く素人やと、これに掛けはる。水面は何も分からない、湖底まで知らな。ここやったら30m、ここやったら50m、ここやったら70mやと。なければ、一人前の漁師にはなれんちゅうこと。海は水平や。どこの山でも谷あるやろ、また谷あって、ほで丘があって。こうなったあんのが山の形や。そで、仮にそれが沈んだとしたら、海底もこういうようになったあるわけ。今は探知機で見るもんやから、深さなんちゅうもんは走ってたら分かるわけ。昔は、長さを尋で計ってたわ。ずーっとこの船に乗ってただけで、ここは何mや、て深さが分かんなくて当然や。

せやけど、わたしらは何十年経って経験があってよ、走っててここらまで来たら、ここらは50m、ここら70m、ここが80mやでここらに仕掛けよか、となるわけ。ボッカーンと浮いたあるとこもあんぞ。そこ向いて“良い潮”がもたれるわけや。そうすっと、プランクトンとか小魚、あらゆる魚がここにもたれてくるわけや。プランクトンとか小魚を食いに、大きい魚も来るわけや。ミジンコを食べに10cmの魚が来て、またそれを大きな魚が食べる、弱肉強食や。だから、こういうとこにゴリとかモロコが集まって来るんや。ほで、こういう所に網を沈めて、ここの魚を獲るとか。これを知るのが、素人とプロの違いや。あんたに船と網貸したんで行ってきぃ、言うたかて獲れへんやろ。自分で1人前やと思わんで、何十年経っても、まだまだ幼稚園やと思てる。何十年もしたら卒業やで、もうええ、って思たことはない。まだまだ卒業できない、勉強不足やなぁ。死ぬまでよ、これが1つの大きな勉強かいな、と思う。魚と共生してるわけよ。

漁師の“師”

  • 西居さんの漁船(左から2番目)

聖徳太子は“子”やろ。博士は“士”。けど、漁師も猟師も、“師”や。教師、医師、伝教大師、弘法大師も“師”と書く。同し字や。“師”は、尊敬する、あがめるちゅう意味やろ。学校の先生は恩“師”やろ。師匠の“師”、弟子を持てるわけや。漆師、彫刻師だって、みんなお弟子さん持っとる。漫才師でも講談師でもそうやど。わたしは、自然に恵まれて魚を追って、ずーっと生かされてるん。魚は、最初から切り身なんとちゃうかて、稚魚から大きなって、漁師が獲ってるんや。今の子がよく考えてるような、機械で切り身が出てくるわけでも、缶詰に入ってるような切り身で獲れるんでもない。わたしらは、自然を相手に自然の恵みを受けて、生活をさせてもろてる。琵琶湖の恩恵を受けてるちゅうことや。だから、天然の山の幸、海の幸を頂いて生活する。「わたしは漁師や」って言うとね、下品に思うかもしれんわ。漁師やったら、生臭いイメージをするかもしれん。女優の高橋恵子は、昔、家が個人で魚屋をしとって、大きなった時にいじめにうたんや。それがかなんで、お父さんは職を変えたんやったっけなぁ。それほど、生臭いのは嫌われんねん、米屋さんよりも。とにかく、自慢ではないけどよ、わたしは漁師を誇りに思ってるんや。魚が育ってくれるので、わたしらは買いたいもんが買えてるちゅう事に尽きるんで。漁師っていう誇りを持って、琵琶湖に恩返しをするようにしとる。やっぱり、大事にするようによ、みんなが1人ずつきれいにしようちゅう心があるだけでもよ、この歳になってもよ、わたしの励ましにもなるし、パワーが出て元気が出てよ。

漁師の後継者は...

エンジンかけるにしてもよ、昔は回してたんやけど、今は全部ボタン1つでつくから、こんな歳になってもまだ漁429に行ける。そやけど、少子老齢化(少子高齢化)で、後継者がないわけ。家も孫も2人出て行くやろ、息子も婿に行くやろ。そういう家ばっかりなんや。んで、困ったもんこれは、ここだけじゃなくてよ、日本中の漁村とか山村がそう。長靴履いたり、地下足袋履いたり、漁師とかそういうもんは、あんまり、今の若い子には受けられへんのやわ。やっぱり、安い月給でネクタイ締めてよ、革靴履いてシャッとして、電車に乗って...こういう感覚やね。結婚になると、魚屋さんや漁師とか真面目に反対される。せやろ? 難しいやろ。金儲けがいいとか悪いとか、そんなんじゃなくして、時代ね。食糧難の時は、そういう所へ嫁いだらええよ、となったわけや。しかし、今は食うもんは何でも物があるしね。あと、収入が不安定なのも原因かもしれない。1日や2日不安定なら辛抱できるけど、1ヶ月続く時もある。そしたら、どうやって食べていくの? それに比べて、サラリーマンやったら確実に入ってくるやん。そこらが、若者が漁師になりたくない原因で、残念やけど仕方ないかな。

思い出の魚

  • 西居さんが捕まえたナマズが新聞に載った

わたしの誕生日の日によ、1mもある大きなナマズを捕まえたんよ。ほんまに大事にね、傷いかしたらあかんやろ。百科事典引いてもね、こんなに大きいこと書いてなくってね、50㎝ぐらいとか書いたある。このナマズはねぇ、日本にしか生息してないらしい。

趣味

  • 西居さんが書いた沖島の歴史

興味のある新聞の記事は切り抜いて、読むだけじゃ忘れてしまうで、資料としておくんや。資料がないと、人に教えられへんで。あと、59歳の時、沖島の歴史を筆で書いたんやけど、おもしろいで。今年は喜寿やで、また別のもんを書いてんねん。それと、写真とかビデオを撮るのも好きや。

  • 取材を終えての感想

    西居さんの漁船の上で西居さん(右)とわたし

    電車とバスに揺られて2時間が経ち、すぐに堀切港から沖島への通船に乗り換え、10分後には沖島に着いた。港にはたくさんの人慣れした鳥が飛んでいた。沖島は思っていたよりも小さかったが、家々が密集していて広く感じた。車は走っていなくて、ほとんどが三輪自転車で移動していた。だから、わたしの住む街とは違って静かなんだ。2回目に訪れた時は、島猫と出くわして近づいたが逃げられた。やっぱり、子どもの声は少なかった。

    初めて沖島を訪れた時、小さな港にもかかわらずたくさんの人がいたので、どの人が西居さんなのか分からなかった。あぁ、この人だったのか。本当の西居さんは、プロフィールに載っていた写真とは一味違った、優しい面影で立っていた。わたしは、3回にわたって取材をさせてもらったが、我が誇れる職を話す西居さんの顔を見ると、少しだけ幸せになれた。名人のあの顔の輝きは、なかなか忘れられない。自分の人生を生き抜いているんだ、わたしはそんな雰囲気に圧倒された。1尋ねると、10返ってくる。76年間の人生で学んだ事が、たくさんあったからなんだろう。羨ましい。わたしはまだ16歳で、本当はよく分かっていないくせに、色んな事を知っているような顔をしている。知っているのは表面だけなのに。深く踏み込めば、どこまでだって深く行ける。今のわたしは、自分の身の上を誇らしく語る事ができないでいる。どんな些細な事でも、お茶を濁す事でしか他人に伝えられない。やっぱり経験があると違うな、同じ人間なのに...と、そう思った。

    「1日1日が勝負」確かにそうだな。何歳であっても、1日1日は自分との勝負だ。寝坊をするも、約束を守るも、全て自分次第。わたしは、自分に甘い時があるから、全然勝負になってないだろう。それは、まだ、わたしが人生16年の未熟な子どもだからだろうか。それは違うだろう。自分に対する意識が低いのだ。西居さんとお話していると、わたしには反省しないといけない事がたくさんあるんだ、と思い知らされた。

    帰りの通船で、船内から琵琶湖を眺めた。海みたい。だけど、潮の香りがしない。髪の毛もパサつかない。ただ、どこかの川の澄み切った水の香りがする。海にはいないはずのカモが泳いで、何かを食べている。通船を降りて、琵琶湖を覗いて実感した。琵琶湖の水は、きれいな川と同様澄んでいた。浅いところだと、湖底の様子がはっきりと見えた。きれい。そう思いはしたが、あまりにも澄んでいたので、沈んで拾われないままのゴミたちが眠っているのが見えた。やっぱり、そうでもないのかな。

    西居さんの話を聞いて気がついた。自然は“人間の母”なんだ。人間を生み出したのは自然。教え育てるも自然。そう思うと、自然破壊って、大切な“母”をいじめてるのと同じ事じゃないか。だとしたら、現実の母をいじめる事を考えられないのと同様に、“人間の母”をいじめる事も考えられないはず。なのに、平気でいじめてる人間を思うと、腹の底が沸々とするのを感じてしまう。きっと、自然が“人間の母”だなんて、毎日の一瞬一瞬で思ってないからなんだろう。意地悪する“母”じゃない。“子ども”である人間に恵みをもたらしてくれる、温かく世話をしてくれる“母”なのだ。裏切るなんて許せない。そう思った。

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

CONTENTS

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  • 名人の仕事
  • 聞き書き高校生の感想
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