戦争が終わった昭和 20年に3歳になるんだけど、戦争の記憶があるんだねぇ。
おばあさんにおんぶされて、軍隊の人がザッザッ、ザッザッと行進して行く場面とか、だっこされて防空壕に逃げていく場面とか、それはもうはっきり覚えてるねぇ。
うちの父親も戦争に行って、行っている間は、漁師も船宿もできなかった。
昭和 20年3月10日の東京大空襲の名残ねぇ。うん、爆弾は結構あちこちに落ちたんだけど、この辺はね、そんなに変わりはなかったね。
爆弾が落ちた所は小さな池になっちゃってね、そこに水が溜まって、魚なんか捕れたりしたねぇ。
空襲の名残というか、その、全部が元に戻ったなって感じがしたのは、そうだなぁ、高校卒業したあたりかなぁ。さっきも言ったとおり、幼い頃は爆弾が落ちた窪地がいっぱいあって、不発弾もいっぱい出てきたねぇ。中でも、焼夷弾ってやつはさ、筒の中に真っ黒な油みたいなのが入ってて、それを出して、火をつけて平気で遊んでたりしてたんだよね。危ないよね。
戦後の食糧難の時は、うーん......。母親の実家が農家だったから、米とか野菜とかをもらいに行ったね。だから、うちは働かなくても食いつなげたんだよね。
当時は、地方から都会へ米を隠して運んだりする行為を「闇米」といって、国は禁じていたから、それが電車の中とかで見つかってしまうと、警察に取り上げられ、捕まっちゃうこともあったんだよね。生活は大変だったね......。うん。
終戦で、父親も戦地から帰って来て、家には父親の弟も一緒に住んだから、みんなで漁を再開できたのね。男手が揃ったもんだから、魚捕りとかもすぐ行けるようになってね。うん、あの食糧難の時代、ほら食べるものがないでしょ。タンパク質とか特に。それで捕ってきた魚をご近所に毎日のように配ったの。すごく喜ばれてねぇ。
戦争に対しての感想? うーん......。 まぁ今になって考えると、日本も悪かったから仕方がないんだけど、家を燃やすための焼夷弾とか作って、無差別に関係ない市民に対して爆撃するってぇのはどうだかねぇ。家を焼かれるだけならまだいいけど、それでもって火災で死んでしまった人も大勢いるでしょ。何ていうんだか......その時は仕方なかったのかねぇ。