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名人の仕事

  • 海・川の名人
  • 漁師(カキ養殖、つぼ網漁)

自然を相手、海とともに生きる漁師

  • ざき すえひろ(岡山県瀬戸内市)

    生年月日 昭和22年1月1日
    年齢 67歳
    職業 牡蠣養殖、小型定置網漁
    略歴 岡山県瀬戸内市邑久町虫明で生まれ育つ。中学卒業後すぐ父親から漁師の仕事を受け継ぎ、6代目として牡蠣養殖と定置網漁業に勤しむ。2010 年から自ら獲ってきた海産物加工するという形で6次産業に挑戦。仕事に強い信念を持ち、今でもたくさんの人が牡蠣養殖の見学に訪れる。
  • 三﨑 崇史(香川県立笠田高等学校2年)

第12回(2013年)参加作品

名人自己紹介

  • 野崎 末廣さん

ざき すえひろです。昭和22年1月1日生まれ。岡山県瀬戸内市むしあげで育って年はもう66歳かな。家族は6人。おっつぁんの嫁さんとお袋、それから次男夫婦。長男はときどきひょこんと帰ってくるぐらい。

職業は漁師で瀬戸内海で養殖と小型定置網漁をやっとる。明治初期にご先祖様が漁師始めておっつぁんでもう6代目になる。牡蠣養殖始めたんは4代目。他にもうちでは獲った魚や牡蠣を自分たちで加工して売る、6次産業にも手を出しとります。

漁師を継ぐ理由

  • 牡蠣のいかだがたくさん浮かぶ虫明の海

勉強がもう嫌いやった。だから中学でてすぐ親父の後継いで漁師になった。中学でてすぐじゃから、もう50年近く漁師やっとることになるわなぁ。まあ4人兄弟の長男いうこともあったし、親父やお袋が一所懸命漁やりょん見て助けてやろうかなぁ思うたんもある。昔の漁師の人は今みたいな機械もないし、お金もないからみんな今より辛かった。漁の仕方は親父にしごかれて色々教えてもろたわな。

定置網漁に使う道具

網は自分でみんな全部購入じゃわなあ。網の目をすいたのが束でくるん。それを自分で網の目をいちいち数えて、網に仕立てるんじゃが。それで網を繋げていったりな。それするんがなかなか今頃の若いのはできんから定置網はここらじゃもうせんようなったわな。今はおっつぁんとこと2軒ほどかなぁ。そういや昔はいかりも木やったんで? 定置網のほうは木に綱付けて3、4人で泥の中へ差し込みよった。今でもおっつぁんと息子とで定置網を仕掛けるために何本か木を打っとる。そしたら潮で網が流されんから。

船も昔は木の船でな、エンジンゆうたら昔の農業用のエンジンみたいなのを親父やこがつけてしよったわな。パッスン、パッスンいわして、船がなかなか動かんしなぁ。木の船はひと月に1回は船の底をたでないかんし。いそに持っていって木の船の真ん中に丸太置いて潮が引いたら船がてんびんなるようにして、その船の底を火で炙る。焼き板いうてあろう? ああいうような感じ。そうせにゃ虫が入って船が1年もたんの。

朝の漁には感動がいっぱい

  • 朝の漁は外が真っ暗

定置網漁じゃと魚はもう入ってくれたら何でも獲れる。10月頃じゃったらセイが獲れるわな。まあスズキのことじゃわ。それからアジが多いけどアジは持って帰ったって値崩れするから大体逃がす。ママカリ、カマス、グチも獲れる。チヌとシラサエビも少し。ボラなんかも昔はおったけど今はもう...。

まあ漁してると魚目当てにカモメやシラサギがくるわ。それから珍しいスナメリクジラも。おっつぁんらはスナメリクジラのことナメオいうんじゃけど。ぬめってして尾があるからそういうんじゃろうなあ。そういう生き物たちに会えるのも楽しみの一つじゃわ。自然の相手はそんなときは楽しいわ。

あとはあけぼのさまじゃなぁ。曙様いうて太陽が下から昇るちょっとの間、海の水にうまいこと光が反射して、台の上に太陽が乗ってるように見えるんよ。色が赤色いうんか曙色じゃから、曙様いうんじゃ。年寄りゃあ朝早う出てきて水平線から出てくるときに手合わせて拝みょった。もう2、3分ぐらいだけどな。普通の太陽はお日様。曙様とは違う。あのたいらの 忠盛ただもりも「むしあげあけぼの見る折りぞみやこのことも忘れにけり」いう言葉残していったぐらい曙様はすごい綺麗なんよ。

  • 魚のおこぼれに群がるカモメ

  • 偶然拝めることのできた曙様

カップラーメンいち

でも魚獲ったって、今やもう魚離れいうんかな。20年ほど前まではよかったんじゃけどなあ。最近はなかがいする人も少なくなった。沖で魚獲ってぎょきょうの下でセリをするんじゃが、セリをして買って帰って、自分が売るとかスーパーへ卸すとか、そういう人たちがもうおらんわなぁ。だから今はもう虫明の人が魚獲ってきても市なんかでは「カップラーメン市じゃなあ」いうていう。もう3分ぐらいしたらいちが済むん。大きいスーパーや大きい会社は岡山のでかい市場とかで魚を買うようなったから、魚獲りに行く人が少ななったんじゃろな。魚も少ないからすぐ終わる。やっぱり儲けが少ないのに手間のいることしたりえらいことせんいう感じで。じゃからもう最近仲買の人がおらんから小さい市場は潰れるいうんか。そやけどおっつぁんらは定置網やっとんのを誇りに思うて、息子も後継いでくれてやりょるけどな。いつまで続くかな。魚が売れんようになったらもうな...。

金はあとからついてくる

  • スズキの燻製

魚も売れんようになってきたから牡蠣と一緒にうちの嫁さんが2010年頃から加工所をやりだした。魚も牡蠣も獲ったものを自分たちで加工して、皆にすぐ食べれるようにして買うてもろたらなあ、と思うて。そしたらやっぱり皆喜ぶし、おっつぁんらも嬉しいから。ゆくゆくは加工したものをインターネットで販売して、少しでも街のみんなに買ってもらえたらええなあ。

でも最初の頃は加工所も建ったってすぐは営業できんし、保健所の許可もいるし、製品ができたって細菌検査をせないけんから、それだけで1年ぐらいかかったわな。そうせにゃあ売り出しができん。ほいで2012年頃からようやくスズキのくんせいとか、のオリーブ漬けとかをぼつぼつ販売できるようになった。今ではてんさんとか、岡山のたかしまさんとかが取引きしてくれだして置いてくれとる。

でもまだまだ始めたばかりじゃから漁の収益の10分の1もいっとらん、赤字。加工所にパートさん来てもらよんじゃけどその人の日当がねえような感じ。それでも頑張ってやりょうりゃあな、金はあとからついてくるんじゃ。もうおっつぁんも爺さんや親父からきいとんがそうじゃからな。うちは代々そうやって小せえときから教えてもろとるからなあ。金はあとからついてくる、いうて。皆の世話してやったりして、喧嘩したり、そんなことをせずに頑張りょったら金はあとからついてくるんじゃいうて。

  • 牡蠣のオリーブオイル漬け

  • 瓶詰商品など

大雨は敵? 味方?

川は大雨が降ったらその後が弱るんじゃ。流木とか根のついた草がものすご流れてくる。そしたらそれが網へふれて網が破れるんじゃ。それが弱る。それを取るのに1日2日ぐらいかかるわな。そやけどいいこともあるんよ。そんなことがあったら今度はアユが獲れる。9月頃に大雨がきたらアユが獲れるんじゃ。

牡蠣の魅力

  • 牡蠣の収穫現場

牡蠣の魅力は年中仕事があること。魚だけであったらやっぱし食べていかれんわな、今頃。魚がもう売れ行きが悪くて弱りょうるから。昔は小さいスズキでも3000円じゃ5000円じゃ、大きいスズキやこじゃったら1万円とか売れよったけどな。今頃はもう大きなスズキが1000円じゃった...いう、そんな感じじゃからな。でも牡蠣じゃったらまあ安定しとるいう感じで。おっつぁんは牡蠣のつるをぶら下げるためのいかだを20台もっとって、蔓は1台で800本ぐらいあるからな。牡蠣は収穫期だと1日大体200kgぐらい剥いてるわな。年によって多少ばらつきはあるけど、大体蔓一つで4kgも5kgもなる。いい蔓じゃったら7kgぐらいにもなるからな。

収穫した牡蠣は昼の3時までに全部剥いて漁協へ集めて、そこで入札をして個々で値段が決まるん。そうじゃから綺麗に剥いとったら値段もいいし、牡蠣がめげたんがあったら値段が下がるし。虫明では71軒牡蠣をやっとるけど全部違う値段がつくんじゃ。

いい牡蠣は大きくて、甘みがあっておいしいわ。牡蠣は大きくなってから甘みが出てくるんじゃ。生で食べたらすぐわかる。おっつぁんらは牡蠣打ちょったって生で食べてみる。そしたらもう味が全然違う。虫明の牡蠣が一番おいしいんよ。うちのが大阪のほうの商談会行って「牡蠣じゃったらいつでも取引きしてあげる」いうてもろたらしい。虫明の牡蠣はおいしいってだんだん広まってきたわなぁ。そやけどここ最近なってよその産地が増えたもんじゃから、牡蠣の値段も下がってきて、まあ全体で見るとやりにくうはなってきたわな。それでもまあ食べていかれるだけ収入があるから。えれえ仕事じゃけえどなあ、あつうはあるし、波やこうがあったり、もう漁師の仕事は自然を相手じゃからなあ。人間が相手じゃったら相手も謝りゃこらえてくれるけど、自然だけは堪えてくれんからな。台風がきだした言うたらおっつぁんらは網をげえ行き、牡蠣の筏もいったん避難させてな、みんな一所懸命じゃわ。

  • 牡蠣の殻を剥く野崎さんとパートさん

  • 漁協へ集める直前の牡蠣

量より質がモットー

  • 野崎さん自慢の曙かき

大体の漁師は魚でも牡蠣でも悪いものやこうみんな市場へ持って帰ってちょっと傷みかけとったってみんな一緒に売ってしまうけどな。うちはそんなことせん、活きとる魚、いいもんだけしか出さん。せやからここら辺の店の人に聞いたら「あんたかたの魚買うたらもう安心して買える」「よその魚買うたら中へ悪いんが混じっとるから、それをとりょったら儲けにならん」いうてくれるんじゃ。うちは牡蠣でも魚でもそういうような感じでしょうるから。そやから加工所のほうもいいものを作って販売する、それをモットーにやっとる。値段は安ぅたってええ。量より質じゃが。それでみんな身がわるうたって牡蠣なんかでもいっかん1万円で売ったりするけど、うちのは5700円じゃ。牡蠣を詰めるんでも、牡蠣をいろうてみて叩いてみてきちんと検査する。
牡蠣の中へ泥がんどったり、身がちょっと悪かったら音でわかるんじゃ。もうあんたかたの買ったら安心しておれるいうて、今はだいぶ牡蠣買ってくれるお客さん増えたよ。自然が相手じゃから今年は身が悪かっていけなんだなぁ、いうときもあるわ。毎年いい身が獲れるいうことはねぇ、自然が相手じゃからなぁ。
でもなるべくええものを皆に食べてもろぅて喜んでもろぅたらなぁ。

牡蠣養殖で困ること

台風とか、夏がきてクラゲが大発生したりなぁ、そんなときが大変じゃわな。自然が相手じゃからおっつぁんらは天気予報毎日見るし、外出たらすぐ空見るん。星が出とるかなぁ、雲がきょうらんかなぁ、って。台風なんかくるんじゃったら雲のかたまりが朝の空をいったりきたりして飛んでるわ。それから日が照ってきたらその雲がねぇようになるんよ。まあまずは起きたら外へ出て空を一応眺めてそれから沖にいく。

牡蠣養殖を支える環境

牡蠣養殖にはな、山と川が必要なんじゃ。山だと木から落ちる落ち葉とか栄養なるものが大事になる。あと山からおりてくる水。山火事やこがいったらな、その年はものすご牡蠣がええんができる。山の栄養が灰やこと一緒に一気にバァーっと全部落ちてしまうんじゃが。だから火事やこがいったらそこへ目掛けておっつぁんらは何台か筏を置くんじゃ。その代わり、次の年から木が大きなる何年かは駄目じゃわ。そやから山は大事よ。

川のほうは最近はちょっと水が綺麗になったけど、一時はものすご汚れとったが。川からものすご色んなもんが流れてきてから一時は川の近くでは牡蠣はできなんだ。洗剤なんかまだいいほうじゃけど、薬品とかあるんじゃろうな。そのぶんはもう牡蠣も川の近くへやったら牡蠣が全滅しよった。最近は川がまた少しずつ綺麗になったから、川の近くの海の人が大きい牡蠣をつくりだしたわな。川の水に含まれるプランクトンは牡蠣と関係が深いんよ。プランクトンが多すぎたら急激に太って牡蠣の味が悪なる。人間でいうたら肥満児いう感じ。だから牡蠣は大きけりゃええってもんじゃないんよ。

筏の覚え方

  • 筏の上に赤文字で「邑-109」の番号札発見

自分の筏は自分で作って番号札も書いとるし、個々に番号をつけとる。
うちの番号札は「邑-109」。沖に自分で持っていった筏464Foxfire in Japan 12thの場所はもう忘れんわな。忘れたらもう駄目じゃわ。忘れるようなことじゃったらもう話にならん。夜なんかは電気をつけたら前が見えないから電気は後ろだけにして、前は真っ暗にして走るからな。そしたら山の位置や星の位置をよく見て、自分の行きたいところを確認してそこへ行く。漁師始めて 50 年経った今でも、毎回山の位置は確認して前をよく見て走る。おっつぁんらじゃったら真っ暗の中じゃっても山の位置で大体のとこはわかって走るんじゃ。それから霧なんかじゃったら太陽の位置を見て大体どこらへんかわかる。おっつぁんらやここらへんの漁師は船にナビがあんまりついてねぇからな。そやから自然にあるものを目印にして走る。

漁師は死ぬるまで

漁はもう動けんようなるまでおっつぁんは続ける気でおる。死ぬるまで。他の仕事しとる同級生なんかは 60 歳過ぎたら、「もう、仕事辞め!」っていってから遊びよる人もおるわなぁ。それでもおっつぁんらはやっぱし動けるうちはやるわな。漁師はそんなもんじゃろ。もう死ぬるまで、動ける間は漁師。60 歳過ぎたら足がもつれてなぁ、筏の上へあがってもつんばいになったりするわなぁ。それでもまだ負けん気でやりょぅるからな。後は若ぇしゅうやこがしおの流れとかがわからんからな。教えてやっとかないけんしな。

[取材日:2013年10月13~14日、11月24日]

【出典情報】
・ホームページ:岡山の漁師が大切に育てた牡蠣の通販 牡蠣の家しおかぜ http://www.kaki-shiokaze.jp/

  • 取材を終えての感想

    聞き書き甲子園に参加が決定してからは、自分にこの活動をやりきることができるのか不安でした。名人に電話するのはかなり緊張しましたが、話し始めてすぐに優しい人だとわかりとても安心したのを覚えています。実際お会いしたときにも、名人のほうから積極的に話しかけてくれてとても助かりました。またお土産もたくさん持たせて頂き、家に帰ってからも名人の優しさをひしひしと感じました。

    書き起こしやまとめ作業にはかなり苦戦し、なかなか作業が進みませんでした。方言やなまりをどう表せばいいのか、今まで直面したことのない問題だったのでとても悩みました。ですが、言葉と真剣に向き合うことによって物事の視野が広がったような気がします。また年上の方と直接会って、人生を通したお話を聞く機会もなかなかないので、とてもいい経験になったと感じております。

    聞き書き甲子園に携わる皆様方、これまで様々な形で支えていただき本当にありがとうございます。そして野崎さん御一家、取材をさせて頂いた上に、温かく迎え入れてくれて本当にありがとうございました。

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

CONTENTS

  • 名人とは
  • 名人の仕事
  • 聞き書き高校生の感想
  • 海・川の仕事人2020
  • 森の仕事人