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名人の仕事

  • 海・川の名人
  • 船大工

私の仕事は船大工

  • せいいち(岐阜県美濃市)

    生年月日 昭和6年7月21日
    年齢 75歳
    職業 船大工
    経験年数 60年(15歳~75歳)
    仕事内容 主に川漁用の船を手掛けており、鵜飼船も手掛けたりしている。他には風呂桶を作っている。今までに作った船は大小合わせて500艘以上になる。
  • 佐藤 広大(岐阜県立郡上高等学校三年)

第5回(2006年)参加作品

私が育った時代

名前は那須清一。昭和6年7月21日生まれで今は75歳やね。生まれは美濃市立花。生まれたときは武儀郡の洲原村立花。50年以上前の合併で美濃市になった。学校は立花国民学校へ入って、それから美濃市にある武義中学へ行って、卒業したんやね。中学へ入った頃は戦時中やったもんで、同じ軍人になるんなら上を目指せってゆう気持ちがあった。その頃はそんな船大工やるなんていう気持ちは更々なかったし、親もそれを考えておらんかったと思う。
昔から家の周りは山と川。家の近くに川があるもんで夏場5月から10月までは川の漁をやる人がわりと大勢おったね。女の人は小学校から高等科ぐらいを卒業すると、一ノ宮の紡績工場とか岐阜方面に働きに行った人が多かった。
その頃はとにかく食べ物もない時代やったもんで、食ってくために百姓をやったり、休日は時間があれば家の手伝いをした。日曜は山へ行ったり、夏場は川の鮎漁を昼間も夜もずっとやった。夜は川に網を横に張って、篝火をつけて、バッと鮎を網へ追い込む漁をやった。近所の大人と一緒になって、水が減っておって魚のおる時は毎晩くらい川へ行った。漁の次の日は眠いけど何とか起きて学校へ行ったんやね。そうゆうふうで成績は上がった経験はねぇ。

親父

親父は14歳の時から関市に船大工の弟子として住み込みでずーっと行っておって、28歳になって家へ帰って来て、船大工仕事を始めたんや。
親父は修行先が関市やったもんで鵜飼舟を専門に作っておった。作った船によって船頭が一生懸命船を漕いでも速い船と遅い船が出来る。そうやもんで、なるべく軽い、速い、使いやすい船を作れとゆうことで、結構しごかれたらしい。板の厚みをギリギリまで薄く削って、軽い使いやすい船を作って「あそこの船は軽くて丈夫で使いやすい」と言われるまで、努力をしたと言っておった。そのかわり船としては板が薄い分、耐久性は弱くなって寿命的に弱い分がある。
親父の体格は小柄やったけど、人には負けん大声が自慢やったね。あと、わがままで頑固な部分もあった。とにかく何事にも根性ってゆうか、人に負けるなって言っておった。何かにつけて競争意識は持っておったと思う。そんな親父からやれって言われて、船大工の仕事を受継いだんや。昭和25年に高校卒業してから船大工を仕事としてやってきたね。小中学校時代でも日曜とか夏休み、冬休みは船大工の親父の仕事をちょくちょく手伝っておった。カンナで削ったりノコギリで切ったりは幼い頃からして来た。そうゆう事も含めて船大工を受継いだんかもしれんね。

完璧なんてない

出来上がった船に完全も最高もないと思う。結局、仕事をしておっていつも絶えず不安と2人連れみたいな分がある。仕事をあと10年、15年、完全にもつんかってゆう考えも出てくるもんで、船ができあがっても完璧な満足とゆうことはない。でも、それなりによくできたとゆうことは、ちょくちょくある。
教科書通りに作業するんやなしに、勘とか慣れでやる分が多い。船作ってお客さんに良い材料でやったと、認めてもらえる方向へ持っていくのも、一つのやり方。いい材料を使って一生懸命やりゃあ、製品がいいのはわかるけども、二級品に近い材料を使って、製品は一級品に近い船に仕上げるとゆうのが一つのこだわりでもある。板の使い方、材料の使い方が結果に出てくる分が多い。どの板にしようが実質、50%ぐらいしか使わんかもしれんけども、努力次第で一本の木から板をなるべく無駄にせんように精いっぱいに使うやり方やある。計算通りにはいかんけども、木を調べて予定を立て想定に近い形に出来上がると、よかったかなぁ、ってゆう満足感は出てくる。
出来がいい時は、準備とか船を見る目とか、出来んかった時よりも違うし、出来たって感じもする。仕上げてみて、なんとかさまになったなあ、ってゆう気持ちは満足感より安堵感の方かもしれん。予想以上によく仕上がったとゆう満足感は味わえる。

船の材料

コウヤマキの木は水に強いもんで、この辺の木曽三川の船の材料は95%ぐらいはコウヤマキやね。あと、ヒノキを若干使う時もある。でも、コウヤマキは杉とかヒノキみたいな木のように市にしょっちゅう出てこんもんで、あらかじめ業者に頼んどいて、コウヤマキが入ったら連絡をもらうようにしておる。
船を作るのにはまず、船の材料を木材市場で買い集める。それから製材で挽いて板にする。自然の木を材料に使う関係で材料の乾燥が一番基本になる。今日、山から切り出して製材かけて板にして、それで作るわけにはいかんね。最低、外で1、2年は雨ざらしにして乾燥させて、それから中へ入れる。十分に乾燥させるには2、3年板を乾して、十分乾燥した状態で家の中へ入れて、もう雨がかかったり濡れたりせんようにする。なるべく乾燥に、完全な乾燥の状態で加工するってのが一つの基本。板の乾し方は板を組み合わせて乾燥させたり、一箇所バラバラっと置いて乾して乾燥させる。材料の仕入れは市へ材料が出る時期にするしか、仕方がないね。材料がほしいでって、市場を走り回って探してもないとなると、ほとんどほしい木がない時があるもんで、この先にどうゆう船を作るとゆう予測を立てて材料を仕入れて準備しておく。
材を選ぶ時は木の反り加減とか材の太さを見たりする。木には、反りとゆうか、曲がりがある。船に使う木は真っ直ぐより、ある程度反っておった方がいい木もある。あと、シラタとアカミの関係を見る。アカミは丸太の芯の方、シラタは丸太の外側の表面に近い所。アカミは船に使えるけど、シラタは使いもんにならん。丸太の真ん中の方でも、死節があったり、腐りが入っておると、使いもんにならん事もある。一本の丸太で船に使いもんになるのは半分くらいで、丸太が全部、船の板として使えるってことではないね。
いい材料で一生懸命、きっちり仕事しやあ、いいモノが出来ることは間違いない。でも、いい材料で丸太から板にして使える状態に乾燥させても、絶対的にどこへ出してもいいとゆう材料は50%中の何10%ぐらいしかないんやね。そうすると、少々悪い材料やけど、良心に痛みを感じん程度に使って行かなかんこともある。そうゆうのがないとは言い切れん。材料の良いとこばっかどんどん使っとったらコクばっか残ってまうし、金がたんとかかる。コクでも使いようによっては、使えるとゆうものがある。一般的にどんどん作る場合には、使えん所の方がいっぱいある。
お客さんで板を持って来てこれで船を作ってくれって言っても、まだ板の乾燥が不十分やで、もう少し先やなけな出来んってゆう話しをしたりする。結局、乾燥がまんだ未熟な状態でやった船はガタが来やすい。船を10年、15年使ってもらうのに、作るのを急いだがために悪い結果につながったりする。納得いく状態まで材料が乾燥してから加工するってのが一つのこだわりやし、今でも続けておる。

仕事

船を作るのには、大体船の大きさの指定しかないわね。船を使う本当の川をはっきり見ずに作ることがほとんどやね。
今は船を作る依頼は受けても契約はせんってゆう形でやっておる。例えば、こうゆう船作ってほしいって言えば、いつまでに作るってゆうことは約束できんってゆうふう。それでもよければ船を作らせてもらう。材料を一艘分の作る船の大きさ、長さ、幅に合わせた材料を乾し終わって準備の出来た板の中から選りだして、作業小屋へ持ってくる。下準備が終わった材料を使って船を作る。最初は船底を作って底が出来上がったら横腹を作る作業にかかる。小さい船やと、横腹を着ける前に底を削ってまう。小さい船は扱い易いけど、大きい船は板が厚いくて重いもんで扱いにくい。仕事がやりにくいときは作業の手順をちょっと変えてやるね。船を作る期間としては、屋形船を屋根まで作ると、2ヵ月ぐらいかかる。小さい船やと、一週間から10日で作れる。
仕事に使う道具で建築と違う道具はモジ。釘を打つ前に板に穴を開ける道具。他には板をすり合わせる時に使うノコギリで船大工ノコ。釘は船釘。あと、カスガイ。カンナは長台とアラ。
仕事では気持ち的な部分が大きい。こんな船はどうでもいいで格好だけ作って早いとこ渡して金貰えってゆう気にはならんね。どの船にしても仕上がりが完璧ではないにしても、自分なりに誠心誠意、一生懸命取組んで船を作ったとゆうことを何時でも言える状態でやることにしておる。逆にゆうと、作った船を粗末に扱う人がおると気持ちがよくないし、丁寧に扱ってはほしいと思う。自分の手掛けて生んだ船を雑な使い方はしてほしくない。昔は一艘の船を作ったら船が割れたり欠けたりしても、また修理してとことん使い切った。船を寿命いっぱい使うってゆうような使い方の漁師が多かったっんや。
若い頃は船の納期ギリギリになると、二晩、三晩は徹夜してやったこともあったけど。船を注文した人が喜んで仕事もやりええし、丈夫でええ船やって言ってくれるのが最高の喜びの類やね。あと、まだトラックに船を積むうちにお客さんが川で待っておるとゆうギリギリの状態も何回かあった。何とか川まで船を持ってってその場でお客さんに乗ってもらった。一つ間違ったら、首が吹っ飛んでまう所やった。でも、お客さんが頼って注文してくれる以上、依頼に応えんならんとゆうことや。
川で漁をやる船に乗る人の身長とか体重の差で浮かんどる船に人が乗った時のバランスが違う。川の流れの速さや乗る人、あとは川でやる仕事とかを考えて船を作る。川にも流れの具合とか川幅とか、いろいろあるもんで、なるべく船を使う人の仕事のやりやすいように使う人の立場になって、一番使い易い形の船を作りたいってゆうのが作る時の始めから終いまでの基本的な姿勢や。

水が入らんようになる

船は一枚で出来ておらんもんで板を合わせる場所は全部木殺しをして着ける。木殺しは板を着ける場合に板を合わせる所を叩いてへこませる。合わせる両方の板を木殺ししとくと、水が浸かった時に木殺ししてへこませた所が100%は戻らんけども、70%ぐらいは水で膨張して水が入ってこんようになる。木殺しした所が膨らむ力で水が入らんようになっておる。木殺しは1㎝ぐらいの幅で叩いて木殺ししてく。普通は板の両端をそれぞれ2回ずつ、真ん中を2回ずつ木殺しして、大体6回くらい叩くんやね。木殺しした所は水平よりちょっと窪んだ形になる。それが木殺し。木殺しは船に水が入らんようにする作業で一番仕事としては大事なことや。

欠かせない仕事

釘を打つ作業は親父から習った分と、覚えた分でやるんや。自分の手でやることしか確実にモノは言えんもんで。昔のベテランの船頭になると、釘打ちの音を聞いとって「釘の利きが悪いことないか、板が割れやしなんだか」って言ってかなり音を聞き分ける人がおった。
船作りの時期的には秋から冬、春がまあまあ良い時期。5月頃から入梅の時期になると、湿度が高こうなるもんで木自体も目には見えんけど結構膨らんでおる。入梅の時期に作った船は乾燥期になるとキッチリくっ着いておったはずの板が隙間が見えてくるもんで、入梅の時や湿度が高くて雨の降るような時は板を合わせる仕事はなるべくやらん。なるべく乾燥した時期に乾燥した材で船を作るとゆうのが基本。
板の厚さを基本に釘を打つんや。板が厚くなると釘も当然、太くて長い釘を打つ。でも、適当に釘を打ち込むと板が割れてまうもんで先にモジってゆう道具で穴を開けてから釘を打つ。釘を打つ所に節がある辺は特に割れ易い。そんで、割れ易い所はなるべく避けて釘を打つ。釘打ちは釘を打つ手応えと音を聞きながら釘がどの程度、利いてくかを加減しながら勘で打つ。始めに釘を打っておるうちは、釘を叩く音が軟らかいけども、最後に釘が行き止まりですって段階まで叩くと釘の頭にカチンとくる音がする。
釘が打ってあっても水に浸かると、水が入ってくる時もある。船の寿命で15年、20年は水が入ってこんように釘に力を持たせる釘の打ち方をしておる。それが釘を打つ仕事の中でも大事な分やね。

台風を乗り越えて

昭和の34年に伊勢湾台風があったんや。その頃は長良川水系でも、全部で船が100艘以上流れたんやないかなぁ。岐阜の鵜飼の遊船やなんかも、120艘ぐらいあったのが30艘ぐらい流れたし、自分の住んでおる須原地区だけでも船が30何艘あって半分位流れた。あの頃は流れた船の修理とか、船の穴埋めでめちゃくちゃ忙しかった。
最近は平成16年10月20日に強い台風が来て、増水で道具も板も殆ど流され、作業小屋も屋根と柱が残っただけやったもんで、もう辞めようかなと本当に思った。とにかく小屋の屋根が波でぶかぶかしておったのを小屋の上の畑で呆然と眺めておったね。何にも手を出せんし、道路も3m以上水があって最悪の状態やった。そうゆう台風があったもんで今でも雨が降ったり、台風が来るってゆうとかなりビクビクするね。
水害のときは船大工を辞めようと思ったけど、漁をやる人からどうでも船を作ってくれってゆう依頼もあったもんで、なんとかやる気になったんや。それはお客さんがほとんど二代目とかってゆうくらいの長い付き合いのお客さんやもんで、顔を見て頼まれりゃぁ断れんし、辞めたとも言えんもんで。あと、依頼を受けると頼りにしてもらうもんで、やっぱり嬉しいもんやしね。

伝統は今

伝統が途切れることは悲しいってゆうか、情けない分もある。自分の努力不足的な分もないとも言い切れんと思う。
やっぱり、地道にコツコツと積み上げて覚えてやるとゆう手仕事の類は今の時代にはあんまり合わんと思し、職人の世界ではどこでも共通したとこやないかと思う。例えば、現実に船がどんどん注文があってたくさん需要があるとなりゃぁ、船大工も増える可能性あるやろうね。けども仕事の量にムラが結構あるもんで、それも含めて今の若い世代の人に向く分は少ないなと思うし。なんとか定まった収入があるってゆう保障がありゃいいけど、それの分はかなり厳しいで。本人がやってよかったって思いにつながりゃあ良いと思うね。
伝統とか職人の技術を受け継ぐ人は船でも他の物品にしても、モノを作ることに楽しみや、気持ち、技術が伴った人がやって生活の手段が他にも得られりゃ、なんとか続くかもしれん。でも、いくら歯を食いしばって頑張ってやるぞって言っても、お客さんがなかったら仕事は成り立たん。
職業として船大工が成り立つか成り立ったんかって事になると、かなり厳しい部分があるもんで、若い人にこれから船大工やらんかってゆう薦め方はできん。

作業風景

  • 船の底板を木殺ししているところ

  • 船釘を打ち込んでおるところ

道具紹介

道具が使いやすいと、使いにくいとでは、能率的にも、うんと、違ってくるし、自分の手に合って、手に持った重さとか、柄の長さとか、いろいろ。なるべく自分に手に馴染むような道具を選んで手直しをしてから使う。

  • (上から順に) 船用の金槌、痛みにくい木槌

  • 3本の船大工ノコ・スリ合わせ用のノコ(スリ鋸)

  • (左から順に)3本のモジ、7本の船釘、2本のカスガイ
    モジ・・釘穴をあける カスガイ・・板を引き寄せて固定する

  • (左から順に)小丸、中丸、大丸。荒、中仕上、仕上用ともいう。次が長台カンナ。そして普通のカンナ。

  • (上から見た丸カンナ)左から小丸、中丸、大丸。丸いカンナは船底を丸く削るときに使う。長台カンナは木のデコボコを均す作用がある。

  • 船の設計図。船を作るのに図面持って来て、作ってくれって人はあんまりおらん。

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

CONTENTS

  • 名人とは
  • 名人の仕事
  • 聞き書き高校生の感想
  • 海・川の仕事人2020
  • 森の仕事人