私が育った時代
名前は那須清一。昭和6年7月21日生まれで今は75歳やね。生まれは美濃市立花。生まれたときは武儀郡の洲原村立花。50年以上前の合併で美濃市になった。学校は立花国民学校へ入って、それから美濃市にある武義中学へ行って、卒業したんやね。中学へ入った頃は戦時中やったもんで、同じ軍人になるんなら上を目指せってゆう気持ちがあった。その頃はそんな船大工やるなんていう気持ちは更々なかったし、親もそれを考えておらんかったと思う。
昔から家の周りは山と川。家の近くに川があるもんで夏場5月から10月までは川の漁をやる人がわりと大勢おったね。女の人は小学校から高等科ぐらいを卒業すると、一ノ宮の紡績工場とか岐阜方面に働きに行った人が多かった。
その頃はとにかく食べ物もない時代やったもんで、食ってくために百姓をやったり、休日は時間があれば家の手伝いをした。日曜は山へ行ったり、夏場は川の鮎漁を昼間も夜もずっとやった。夜は川に網を横に張って、篝火をつけて、バッと鮎を網へ追い込む漁をやった。近所の大人と一緒になって、水が減っておって魚のおる時は毎晩くらい川へ行った。漁の次の日は眠いけど何とか起きて学校へ行ったんやね。そうゆうふうで成績は上がった経験はねぇ。