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名人の仕事

  • 海・川の名人
  • 漁師(箱メガネ漁)

釜石の海に生きる

  • よろず ゆたか(岩手県釜石市)

    生年月日 昭和22年11月10日
    年齢 65歳
    職業 漁師(ウニ、アワビ等の箱メガネ漁・ホタテ、ワカメ、昆布等の養殖)
    略歴 身体が弱かった父の代わりに家計を支えるために、中学校卒業と同時に漁師となる。漁業に取り組みながら、高校は通信制で資格を取得する。地域の伝統的な漁法である箱メガネ漁では周囲から名人と認められる一方で、養殖等による様々な漁業に取り組んでいる。釡石東部漁業協同組合理事、岩手県指導漁業士として水産業の振興に貢献している。
  • 國井 可奈子(福島県立いわき翠の杜高等学校3年)

第12回(2013年)参加作品

自己紹介

名前は萬豊といいます。生年月日は昭和22年11月10日です。今年の11月来ると66歳です。家族は、かあちゃんと息子夫婦、孫2人。孫は男の子と女の子です。中学校1年生の男の子と小学校5年生の女の子。職業は漁業、漁師なんだね。漁師。

漁師の子として

小学校になってからかなぁ。うちの前、水を貯める水タンクあったんです。その水ん中アワビの殻をね沈めて、竿にかぎをつけて引っかける練習して。小学6年生より前は、アワビ獲り作業してる船に乗っけてもらって行ったことは何回かある。父と一緒にね。

最初海に出て、本物のアワビを獲ったのは小学校6年生からなんですよ。最初は体もちゃっこいから力もないしね。まあ、目がいいからアワビを見つけて引っかけるんだけど、今度は力がないからアワビを剥がせないわけですよ。吸いつくから。うん、それが最初だったね。そういう経験をして徐々に徐々に、アワビの獲り方も慣れてきたっつうかね。アワビに鉤を引っかけて、すぐ時間を置かないようにすると楽に獲れるような、このコツっつうのかね要領っつうのかね、それを覚えて獲ってきた。そのころから箱メガネ。俺たちの先輩先輩大先輩もそれでやってきたんだから、それこそ100年200年前頃かもわかんない。

漁師になったのは中学を卒業して間もなくだね。うちのね、父は身体弱くて、ちょうど受験のあたりだな。もう少しで受験だっつう時倒れて。昔、受験する生徒は補習授業ってあったんだよ。いったん家に帰って、それから受験生は習いにまた学校へ行く、復習するっていうのか教えられる間だったかなぁ。まぁ、その前からも体調は良ぐながったんだけど、やっぱり働けなくなって入院して。それで学校さ行ってらんねぇっつうことで。俺が稼がないど、どっからもお金入ってこないなぁって思って漁師になったのが始まり。

そんどきはぁ、漁師の仕事しかなかった。大体まだ中学校だし高校にも行けない。そうすっと、資格もとれないし就職すんのも無理かなぁって先生にも勧められて。うちの父もね、昔からの漁師なんだね。年とってたからね、それで俺に託したんだな。

漁師として生きる

俺の覚えてるところではね、漁師になってすぐの頃はウニ、アワビを獲った。親戚の人と出てみたり弟と一緒に出てみたり。機械なかったから一槽の船に2、3人乗っかって行って作業するような状態だったからね。それから、養殖ワカメをやっていったんだけどね。それで何とか生計立てて。

ウニやアワビ漁の期間でない時は、イカ釣りの船さ乗った。父の繋がりでイカ釣りに行ったんですよ。イカ釣りはねぇ、大きい船でね。夕方まだ明るいうちに沖へ出て。帰ってくんのは、まぁ漁しだいだけど、すっと明日の朝まで船の上にいなくちゃなんなくてね。それが船酔いがひどくて、酔って酔って仕事できないのが結構続いた。最初の頃は面白いっていうか楽しみっていう時もあるよ、それは。最終的には全然船に弱かったから、もう沖に行ってね仕事できなかったんですよ。

それで、それから陸上の方でいろいろ仕事はしたんだけど、サラリーマンっていうの。当時の給料は1、2万前後の記憶しかねえんだけど、その給料ではながなが家族全員を養っていけないってことがあったんだよね。それで、それ以上お金になんのにはどうしたらいいかってことを考えて、漁師はやりがだ次第では金になると、取れると思ったんだ。海だけで生計立つようになったのは、30歳前後のあたりかなぁ。

箱メガネ漁の道具

ここでは海に行って箱メガネを使って、水中10mから14、5mまでの所、竿を使って獲ってんの。箱メガネって中にガラスが入ってで覗いで、水中を見るやつ。紺色のこれが箱メガネ。

  • 箱メガネ(上部から)

  • 箱メガネ(側面から)

この竿がウニを獲る道具。これをねジョイントで何本もつなぐ。今、3本つないだんだけど、深い所で5本つなげでやんですよ。5本つなぐどね10mなんですよ。これね、この辺ではウニ用のつなぎ竿っていうんだ。昔は竹の竿だったし、今はプラスチックのつなげる竿とかって、変わってきてるね。竹だと竹屋さんに行って竹を買って来て火であぶって、まっすぐにするわけ。今はその時間が省けるわけね。だから便利っていえば便利。忙しいからね。

  • ウニ用のつなぎ竿(つなぐ前)

  • つなぎ竿を3本つないだところ(先端についているのがタモ)

タモは、竿さ付けてウニを一度に獲るやつ。深い所にね、いるウニ。竿の先のタモの中にウニを1個ずつ拾って入れなきゃいけないから、潮の速い時、タモを海の底のウニを狙って持っていくのが、技術を要するわけだよ。だからね、素人ではなかなか入れない。

タモ

これがギグ。かぎが2本ついてウニを1個ずつ獲るやつ。そして、アワビ漁の鉤が1本ついたやつ。アワビをこれに引っかける。この辺は、こういう技法で獲ってるんです、とりあえず道具はこれ。

  • ギグ(ウニ漁用:2本の鉤の間にウニを挟めるようにして獲る)

  • ギグ(アワビ漁用:1本の鉤でアワビを引っかけて獲る)

箱メガネ漁の期間

ウニはですね、5月からお盆までだから、8月12か。うん最終日は12日だね。週2回しか入れてない。回数で30回ぐらいです。アワビですね、11月から12月の間に、アワビのくち開け、っつうの。アワビのかいこう。全部で7回。

ウニ漁

これ全部ウニだね。あそこのも全部ウニ。獲っていい量は震災前と変わんない。量が決まっているから。船の上に黄色いカゴがのっかってる、あれで1人1個。制限はキロ数じゃなくて、カゴ1個ってことになってんの。人間と同じで、がっちりした太い人、痩せでる人ってあるように、ウニも身入りの悪いのもあるし、いい身入りのもあるしね。だから、人によっては差がかなりつくんだよね。金になるにはね、身入りのいいウニを獲ってくる。身入りのいいウニは外見から見ても分かんのさ。どんなウニって、やっぱり草。草ってさ、海藻。ウニは海藻食べるから、昆布とかある所がいいウニがいる所なの。そういう所のもんを獲ってくると身入りが良くてキロ数で違ってくんのさ。量的に大体ね、獲れる時はむき身で1人5キロ位獲んだけど、平均それだけ獲るってことはなかなかいかないと思う。太ってれば6キロも7キロも出る人もあれば、痩せでれば2、3キロの人もいる。同じカゴ1個でもだよ。

その違いは浅い所で獲る人と深い所で獲る人とにあるのさ。深い所は、砂地っていうか草が少ない。浅いほうは、岩とか草とかがあって、波も荒くて大変なのさ。浅いほうは食べ物が豊富だから、そういう所にいるウニは太ってるわけ、身入りがいい。狙うにはやっぱり大変だね。楽に獲る人は痩せてんの獲って早く帰って行く人もある。いろいろだねウニは。

ウニはねぇ日の出から7時までって決まってんだわ。昔は10時頃まで獲ったんだけど、今は時間が決まってんの。それはね、買い請負人の都合もあるんだね。ここ4、5年前からかなぁ入札制度。ウニのくち開けになると、買い人が来るわけさ。この買い人が次の日のセリさ間に合うように持ってってくんで、時間決まってるんだよ。買い人の方からこうして下さいよって、県漁連を通して決まり事になったっていうこと。ウニのくち開けって、開口っていうんだけど、開口日っていうのはね、漁協の理事さんたちが決めんのさ。

  • ウニ(左側に見える黒い半円状の物体:岸壁に沢山張り付いていました)

  • ウニ漁で1個に制限される黄色いカゴ(4個重ねてあります)

アワビ漁

アワビを獲りに行く日数っていうのはね、限られてんだけど、11月と12月の間に7日。それも朝6時30分から10時までっていう制限があるわけ。

動物だら保護色と同じでさ、アワビの貝も岩の色してるから、ちょっと見つけづらいのさ。アワビにカギを引っかけて素早く獲らないと吸い付いてしまうのよ。そうすっと引っ張っても剥がれずらい、っていう獲るタイミング。それはね、自分でやってみて、どうしたら傷つけないで、素早く獲れんのかなって仕事やってるうちにこうなる、つうの覚える。口で言ってこうしてこうしてこうゆうのを獲んだ、って言って、分かる人もいるかもしんないけど、やっぱりね自分の体で覚える。

アワビは2人で獲りに行く。アワビは1個ずつサイズを測んないといけないのさ。規格外、9cm以下サイズのアワビが入っていると、罰則になってしまうから。もうちょっと大きくなるまで放しておくっていうこと。獲ってしまうと組合の罰則で1個1万だよ。サイズ調べるのに自分でやって獲ってる時間がないから1人連れてってサイズ調べてもらう。

箱メガネ漁の技術

みんな子供のころから練習したけど、獲れる人と獲れない人の差はなんだべ。目はより特別いいわけじゃねえし、いくら目だけがよくっても、経験なんじゃねえかなぁ。確かに水がきれいな所はみんな見えるけど、やっぱり隠れている所は経験だね。ずうっと、そういう仕事してれば、大体、いそうだなぁって所、見えなくてもウニは触っと分かんですよ。タモの輪になった所で、感触っていうの。あぁ、いだいだって獲れるんだよ。

指導したから獲れるもんでもないんだよ。自分で覚え慣れるもんで。教えて覚えるのもあるよ、確かに。んだけどね、1人ひとりやり方が全然違うからね。俺たちの経験からいって、こうしてこうするんだって言って聞かせたりすんだけど、その人の性格もあるからね。だからね、他人のやってる仕事をみて盗んで、覚える。そうだと思うのよ。

箱メガネ漁の漁場

  • 三貫島(1935年国の天然記念物に指定:萬さんの船の上から)

さんがんっていう島があんだけど、おかで稼ぐ人と島さいって稼ぐ人に分かれるんだ。沖にボーンと島があるとこだから、ウニもアワビも大きいんですよ。ウニもアワビもキログラム数で出荷するからね、どうしても1個獲っても重量があって大きいほうさ行きたくなる。沖さ行くと潮が速い。そこはアワビの宝庫なんだけど、どっか影があって見えにくかったり、竿を使おうとすると、ウニやアワビのあるとこさどうしたら行くのか。だから初めての人はほとんど獲れねえ。港を出たくらいのとこで漁を覚えて稼いだ人たちは行ったって獲れないから、頭っから行かない人もいるし。島のほうさ行ぐ、っていうのは経験を積んだ人じゃないと。それからうんと自信がある人。あと慣れなんだね。

風が強い、波が荒いとかの気象条件が悪い時、少しでも獲ってくると値段が高いんですよ。3倍も4倍もあるんです。ただ、アワビ漁は時間の制限があるしウニは時間の他にカゴ制限もあるし。いつまでも獲り放題にしていたら放流が追いついでいかねえから。

育てて獲る

ウニは魚でねえから、青森県境の種市って所から震災前は買ってきて放流してたんですよ。今、ウニはねぇ、買わなくていいぐらい増えてんですよ。震災後増えてんだよ。

うちの漁協でも、震災前までアワビの子供を獲って孵化させて、3cm位に大きくして、アワビの漁をするような場所に放流して歩くんですよ。1年に80万個ずつ作ってね。獲った分放すというようなやり方してきたんです。だけど、その施設、アワビセンターも全部津波で流されてしまったから。まだ作る予定はないです。あまりにも経費かかりすぎて。赤字、赤字できたから。

震災後ね、まず船がなかったからね、ウニは獲んなかったね。くちどめだったからね。それこそ学者の偉い人たちが言うに、アワビが全然いなくなったとか、いない、って評判になって。でもダイバー入れて調査してみたら、震災前に近い位、結構見えてるっつうことでね、うちの組合では開口したんだ。

震災の次の年、新しく来た船さ2人か3人共同で組んでね、アワビ獲った。それで1人分ずつって、組合員全員に分けたんだ。出た船は、すごい量のアワビ獲ったんですよ。今年からやっと個人になったから、アワビとウニは元に戻った。できる人は震災前の規模に戻ったね。

リアス式海岸で生きる~養殖で安定した生活~

今は主にホタテ養殖。あと昆布、ワカメ。養殖は三種類ですね。ホヤも若干はやってるんだけど。それプラスちゃっこい秋鮭獲ってます。それで生計を立ててます。

1月から3月まではホタテの出荷。売るのは1年間ずっと売れっけど、仕事の都合で3月まで。優先する仕事があるからね。3月の真ん中から4月の真ん中までの1ケ月がワカメの出荷。あとは、4月から6月いっぱいが昆布。その間も、作業的にちょっと余裕がある時はホタテの出荷もしますんでね。昆布の間はホタテができないから、昆布さえ終わればね。ホタテの出荷は、3月のワカメが始まるまで、ずっとできます。漁師としての一番の収入はホタテだね。

ホタテの養殖作業

漁協の理事もしてホタテの責任者になってるもんだから、北海道に行って貝を見て、ホタテ養殖業者と相談して契約してきて、買い付けを決めてくるんですよ。ホタテもここいらで獲ってたんだ。それが失敗して全滅になって、ほとんどの人がホタテをやめた時期があったんだよ。釡石周辺いろいろあったんだけど、ここ箱崎の浜もね。それでホタテのルーツを探して北海道まで行ったんだよ。

毎年10月から北海道の貝が入ってくんだけどね。買ってくるサイズもいろいろあんですよ。一個3円の稚貝。あと、一個15円位のと20円位のはんせい貝で三種類。サイズ的に大きい貝から早く出荷できるように段取りを取って振り分けて。そのようなやり方をしてるんですよ。

稚貝っていうのはね、サイズ的には大体平均3cm。稚貝からすっと、販売するまで3年かかります。大きい貝は、7、8cmの貝だったら1年で。だから、買ってくる時は高いわけですよ。ちゃっこい稚貝を3年待ってる間に、1年で売る貝を出荷できる体制で仕入れてるんですよ。

稚貝をカゴ1段に10枚か12枚を入れて大体1年間おぐど7、8cmくらいに成長するわけ。そしたらカゴから出して、耳吊りって言って、ホタテ貝にドリルで穴開けて、ピンクのピンを貝に通す作業がある。10月から1ケ月、1ケ月半かかるね。だから、その時期はアルバイトを頼んで集中的に作業をする。

北海道はちゃっこい稚貝を海に放流する、撒ぐんですよ。その放流したのを3年後に引いでサイズ見て、規格外はまた放流するってやりかたを繰り返してんだね。このへんだったらコゲダって言うんだけど動力船で引いて揚げるんだから。加工貝として丸いカゴさ入れて養殖している人たちもあるけど、ほとんどは稚貝を売っている人たちだから喜んで売ってくれる。

漁場から貝の見分け方とか作業していること、ホタテに関して技術的に北海道は先進地だからね。使っている機材も道具もここらのものとは比べものになんない。こっちみたいに養殖で大きくするっていうのはないからね。向こうの業者は多量生産だからさ、俺たちみたいな数量限定で漁したったら経費倒れになっちまうからね。

  • ホタテの稚貝を入れるカゴと説明をしてくれている萬さん

  • ピンクのピンと半成貝に穴を開ける機械

ホタテ養殖が軌道に乗るまで

養殖の数量ね、個数決まってる。何個って決まってる。1人15万ですよ、つぅ制限あんですよ。組合で決まってるわけ。今は15万だけども、昔はね、年間3万個から始まった。数量の制限つぅのは、20万個も入れっと、病気が出てきたり成長悪かったり、そういう問題が出てきて、そこから始まったんです。

何が原因だったか、つうのも分かんなかったし、まあいろいろ考えると勉強不足だったんだね、今思うと。最初に北海道から貝買って来たったんだけど、ほかの貝さも病気入って失敗して。当初はネットに入れた稚貝来ても、何ケ月も経たないうちに死んで。

それが北海道の漁場に勉強に行ってきて、その貝を見たりしてからだね。それからいぐなったんだ。北海道からね、一昼夜かけた搬入方法が悪かった。最初は、普通の氷をトラックさ撒いてドライアイス置いて、よく冷やしてから来たんだけど、それ真水の氷だもんね。海の海水を使った氷にしてから、まず失敗はなぐなったね。道中で溶けても海水だから大丈夫だ。真水と海水じゃ違うでしょう。うん、やっぱりホタテは海水で生きてる。それこそ、真水はホタテに関しては一番の外敵だね。

それから、病気もあったと思うし密集のせいもあったのか、一気に増えたからか。海の深いほうに出すようになって、いぐなったんだ。成功するようになってきて今に続いている。

震災後の漁業再建と課題

  • 萬さんと辨天丸

この船7月28日に注文してたのが着いたばっかり。前にも同じくらいの船あったんだけど津波で全部流されて。震災前の規模には養殖は始まるようになったんだけど、まだ出荷が始まったばかりだからね。お金は今やっと入ってくるかこないかっていうところだね。

震災前はここ箱崎にも47世帯あったんだよ。戻ってくる人24、5世帯だと思うんだ。あとの人らはさ、地元から離れていってしまうのさ。漁業しなかったら、交通の便は悪いし店もないし、不便な所にいなくてもいいわけなのさね。漁業離れもそうだけど、世帯数も少なくなっていぐっていうのもそこにあっと思う。

今から借金して船作ったところで何年も働けねえっていう65から70位の人たちは、ほとんど養殖やめた。あと、後継者のいない人も。養殖は1人でできないから、手伝う人が親や年寄なのでやめる若い人も出てきたね。ホタテやってる人ね、震災前は21人か22人位だったんだ。震災後は7人だけ、3分の1。

せっかく覚えて来た知識を持つ若い漁業者たちも震災前は結構いたんだけど、震災で考え方が変わってしまった。借金をするのがつらいって言って。まあ船ばかりじゃなくて家とかも流されてんだから、手っ取り早く収入になるっていう仕事見つけて、なんでもいいから給料もらったほうがいいって考えになってんだな。漁業やる人増えてほしいと思うけど。このままじゃいなくなってしまうんじゃないかと思う。

俺にできるのは今までやってきた仕事しかない。それにもうこの年だから、違う仕事を改めてするっていうことは、これもまた大変なことだと思う。だから今までやってきた仕事それだったら、できんじゃないかなぁって思った。それなりに体が厳しい仕事だけどね、まぁ私の考えは普通のサラリーマンなら漁業者の方がずっといいと思ってやってからね。とにかく魅力があるってことかなぁ。

ここも本当は北海道みたいにホタテならホタテっていう漁をしたほうが楽なのさ。本当はね、1本にしたほうが体も楽なんだ。そうしたいんだけど、これができないっていう条件があるっていうのが、ここの漁場を作るリアス式海岸っていう独特の地形だからね。漁場が手に入らない。

ホタテはいいんだけど、ワカメはこの場所はだめだってね。そういうとこはコンブの場所にしたりするんだ。だから漁種類がいろいろある。難しいことは、まぁいっぱいあったけど、やりがいはあっと思うよ。ただ、辛いのもある。それを乗り越えなきゃね。若い人それを分かんないと思うけど、漁協の理事もしてるし民生委員もしてるから、そういう面でサポートしていけんじゃねぇかなぁって。できることっていうのは、そういうことかなぁって思っています。だから、まず漁師になりたい人やってみたいと思う人が出てきてほしいなぁっていうのが俺の考え。

[取材日:2013年9月24日、10月31日]

  • 取材を終えての感想

    聞き書き甲子園に参加すると決まった時、嬉しさと同時に自分にこんなことができるだろうかと思いました。私は人見知りで、上手くコミュニケーションがとれず、自分に自信が全くなく、そんな私にできるのかと本当に不安でした。

    名人さんが決まって、初めて電話した時も緊張のあまり早口になってしまい、名人さんを困らせてしまったと思います。初めてインタビューに行った日もとても緊張しました。そんな私に萬さんと奥さんはたくさんのお話をしてくださいました。漁師というあまり関わったことのない職業のお話はどのお話も初めて聞くことばかりでしたし、お仕事で使う道具を見せていただいたり船に乗せていただいたりと貴重な体験をたくさんさせていただきました。

    最初は不安でしたが、聞き書き甲子園に参加して本当に良かったと思います。このようなすばらしい経験をさせてくださったたくさんの方々、そしてお忙しい中、取材をさせてくださった萬さんご夫婦、ご家族の皆様大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

CONTENTS

  • 名人とは
  • 名人の仕事
  • 聞き書き高校生の感想
  • 海・川の仕事人2020
  • 森の仕事人