自己紹介
名前は青木英雄です。昭和4年1月6日生まれの81歳です。生まれは東京です。江戸っ子なんです。埼玉に来ましてもう40年くらいたちます。元は建築業で、親父の仕事手伝ってたんです。その傍ら、川漁師やってたんです。それで今から40年くらい前に埼玉県南部漁業協同組合に入って、今、組合長をしています。
宝の川
生年月日 | 昭和4年1月6日 |
---|---|
年齢 | 81歳 |
職業 | 漁師 |
略歴 | 東京生まれ。子供の頃から魚を獲るのが好きだった。海員養成所を卒業後、戦争を経験する。 終戦後、父親の大工の仕事を手伝いながら漁をしていた。現在は、埼玉県南部漁業協同組合の代表理事組合長を務めている。 また、戸田の伝統漁撈こども教室などを行っている。 |
只野雄太(宮城県石巻工業高等学校1年)
第9回(2010年)参加作品
自己紹介
名前は青木英雄です。昭和4年1月6日生まれの81歳です。生まれは東京です。江戸っ子なんです。埼玉に来ましてもう40年くらいたちます。元は建築業で、親父の仕事手伝ってたんです。その傍ら、川漁師やってたんです。それで今から40年くらい前に埼玉県南部漁業協同組合に入って、今、組合長をしています。
大工と漁師を両立
小学校に上がる前から、魚を獲るのが好きで、その頃から親に、船に乗せてもらってたんです。
戦争が終わって、家に帰ってきてから、親父の大工の仕事を手伝ってたんです。それで親父の手伝いをしてまして、建築士の免許を取りました。その傍ら、埼玉県の荒川で、魚獲りをしてたんです。大工としての仕事と、漁師を両立してました。その頃は私が大工の仕事をしなくても、住み込みで若い人たちが十何人と働いてたから、その人たちに仕事をやらしといて、私は、好き勝手に漁をしていました。
船の上から見える荒川
川っていうのはね、上流域、中流域、下流域っていうのがある。下流から外が海になっちゃうわけ。私が漁をするのは、下流域。この下流域の所には、ダムがあるんです。ダムから上流が真水。下流域というのは、海の水、しょっぱい水も入ってるわけ。真水と海水が混ざってるんだ。そこが下流域。下流域を汽水域ともいいます。
月に2回、満月っていうのがあるでしょ。それによって干満の差ができる。その干満の差が荒川では2mくらいあるんです。満潮になると、海の水が逆流してきて、海の魚まで一緒に川に来ちゃうわけ。そういった海の魚のことを、天然資源といいます。魚を放流しなくても、自然に海から来るんだから。埼玉県は海無し県ですから、当然そういった天然資源を活用する。荒川では、淡水の魚と、海の魚、両方混ぜて、季節によって違いますが、40種類前後獲れます。その内、4分の1は海の魚です。私が漁をするところは、海から25kmくらいございますが、たまーにタイや、クロダイが獲れる。川でクロダイが獲れる、嘘みたいな話でしょ。ですから、水辺の環境、または、干潮によって、獲れる魚がみんな違うわけ。
海から川に、アユなんかが遡上してくるのが3月の下旬ですね。大体、水温が14度くらいになってくると、遡上してくるんです。アユというのは、川の上流の石ころのあるところで卵を産む。それがふ化したのが海に行って、水温が14度くらいに上がってくると、また、戻ってくる。それが3月の下旬なんですね。そのアユなんかが、何十万、何百万匹、帯になって川が真っ黒くなるくらい上がってくるんです。そのアユを食べながら、クロダイとかスズキといった海の魚が追っかけてくる。それから、ウナギやモクズガニだって上がってくるし、荒川で獲れるエビは大きいので30cmくらいあんだから、そんな大きいエビ、荒川だけでしか獲れない。そういう川なのここは。
大潮
船を操縦する青木さん
私が魚を獲るのは大潮の日。大潮っていうと干満の差が2mくらいある。川幅が200mくらいあるとすると、大潮の日の潮が引いた時は川幅が150mくらいになっちゃうわけ。
川幅が200mのところに100匹の魚がいるのと、川幅が150mに狭まったところに100匹の魚がいるのでは、川幅の狭いところで獲った方が、確率がいいわけ。ですから、魚獲りをする時は、必ず大潮の日を狙ってやるわけ。
さらに、川幅が狭まるから、骨が折れない、楽して魚が獲れる。そういうメリットが大潮にはあるわけだね。
漁法
漁法はねたくさんありますよ。例えばその地域地域で昔から伝わっている伝でんとう統漁ぎょろう撈。戸田では、建干漁、投網漁、刺網漁、袋網漁なんかがあります。漁をする時はね、建干漁と、刺網漁と、袋網漁。これだけはやっぱり1人じゃできない。最低でも3人くらいはいないとできないんです。
・建干漁(たてぼしりょう)
建干っていうのは要するに、干満の差を利用してやる漁。海でいうスダテっていうの。
建干をやるにはまず、エサになる、だんごっていうのをこ作るさるわけ。で、荒川は大きい船が来る。だから、泥の上にだんごをポンと置くと流されちゃうわけ。だから、だんごを3分の1から3分の2埋めるわけ。じゃねーと流されちゃうから。そして、枝やなんかをとっちゃった竹を泥のところにさしていく。そしたら、大潮だって時に私らが明け方5時頃に川に行って埋めておいた網を竹の先に引っ掛けるわけ。そして、11時頃になって水がひけたら、魚を獲るわけ。建干の網の長さは200mくらいで、丈が3mある。川が1番満潮で、多少泥にいけるから、水面から、50cmくらいでる。でも、大きいコイなんか網を飛び越してでていっちゃうんだから。
この建干ができるのはこの戸田1ヶ所しかないんです。なぜかっていうと、川には満潮、干潮がありますよね。干潮になると州がでる。州がでるってことは、砂がでてくるね。昔は砂が出てきたんだが、今、人口がだんだん増えてきたでしょ。そうすっと、処理場でもって汚い水をきれいにして流すんだが、人口が増えると、全部、処理しきれないわけよ。そうすっと、そのまんまもろに出しちゃうから、下流域は半分がヘドロになっちゃうわけ。だから、建干ができるのは戸田1ヶ所しかないんです。本当はそれじゃいけないんだが。
・投網漁(とあみりょう)
投網はね、船の上でやるの、船の上。船というのは、ローリング(船の横の揺れ)、ピッチング(船の縦の揺れ)がある。それを足で調節するわけ。それで、網を必ずへその高さで持つこと。それで、網を7:3の割合で持つ。
網をうつときは、風のあるときね、風を利用して必ず風上から風下へうつ。そうすっと漁師は全然疲れない。楽に網が広がるわけ。
それともう一つは、時計の振り子があるでしょ。それを利用するわけ。反動ですよね。北の方にうつ場合は、反対の南の方を向くわけ。ほれでもって網をビューッとうつわけ。ですから広がると大体30畳、15坪。範囲が大きいでしょ。
投網はね、波によって体力が消耗するから、体力がなくちゃできないですよ。これが投網。
風を利用して風上から風下へうつ
網は3:7の割合で持つ
・刺網漁(さしあみりょう)
刺網漁ってね、オットバシっても言うの。刺網ってね、たまに川に昔の杭やなんかがでてっとこがあんですよ。そこを30mくらいある網を4つくらい結わって、3×4、120mくらいにした網でまく(囲む)わけ。
網をまくのはね、シオトメっていって、潮が満ちたり、引いたりする。その時に流れが止まる時がある。その時に網をまく。そして、水面を竹でひっぱたいてやる。すると、物陰やなんかに隠れる癖がある魚がたまげて、出てきて、網に引っ掛かっちゃうわけ。
ですから、大きい魚を獲る時には、網の目はでっかいのを。小さい魚を獲るときには、網の目は、小さいのを。魚に合わせて網を張るわけ。これが刺網。
杭付近に隠れている魚を、
水面を叩いて驚かすことで魚が網に引っ掛かる
荒川に出ている昔の杭
水面を叩く青木さん
・袋網漁(ふくろあみりょう)
袋網はね、大きいのは100mもあるからね。網の中に魚が入るようになっていて、順々に入っていくと、最後に奥に入る。網にはかえしっていうのがあるから、魚が出らんなくなっちゃうわけ。 袋網は川の大きさに合わせて張るわけ。小さいところには小さいのを、大きいところには大きいのを。
袋網は、奥に入るにつれ出にくい構造になっている
小さい袋網
傷を付けずに魚を獲る
アユを獲っていけすに入れるのは、大体ね、30㎏から40㎏まで。それ以上は入れられない。それ以上入れると、アユに傷がついちゃうんです。傷がついていないほうが、病気にならないし、傷がつくともう売りもんになんなくなっちゃう。
台風
台風のときは、どんなに仕事が忙しくても船から、桟橋から、全部片さなくちゃいけない。 昔はですね、川に船を繋いでおいて、水が引くまでついてなくちゃならなかった。ところが今、行政に理解していただいて、エダガワっていう大きい川にある小さい川がある。そういうエダガワに船を入れさしてもらうようにする。または、レッカー車でもって、自分の家に置く。まごまごしていて、水が、堤防の半分以上にまでくると、その水が引くまでに1週間ぐらいかかるから。
気をつけること
いくら漁師でも、やっぱり救命胴衣を着ないと。もっとも、それが当たり前なんだから。中にはほら、お酒飲んだりなんかして、どんちゃん騒ぎして死んだとかね。川遊びや、バーベキューやなんかして、雨降ったって、「なに、せっかく来たんだから」なんて言ってやってんでしょ。あれ、みんな救命胴衣を必ず着てれば、もう死ぬってことはないんだから。事故があったんでは、もう何にもならない。事故がないのが最高なの。
掃除
漁のシーズンが終ってから、道具を掃除する。建干の網とか、100mくらいある袋網とか、道具は一つや二つじゃないからね。処理しきれないのが、紙くずですよ。毎年多くなっている。だから、普通の水道水じゃダメ。自動車を洗うようなのでないと、きれいにならない。その後、天日で乾かして、ほれで、片付けるから、3人ぐらいで5日くらいかかっちゃう。掃除も大変。
川の変化
ワンドっていって川にあるちょっとしたくぼみがあるでしょ。そういうところに昔は川藻がびっちり生えてたんだ。昔は投網うっても、沈まないくらいだった。ところが今、ダムがあります。戸田から東京湾まで行ったって藻なんて、1本も生えてないんですよ。藻が無くなってしまった。そうすると、シジミがいなくなっちゃう。あと、カラスガイも昔は足でけとばしたってとれるくらいいたのに、いなくなっちゃった。なぜいなくなっちゃうかっていうと、下水処理場だけが悪いわけじゃないんですけど、家庭の雑排水とかが、下水処理場が不備な所で、塩素なんか使ったりしても、目に見えないような、髪の毛とか、紙のくずとかそういうのが、網目を通って、川に流れちゃう。それが、川に沈殿しちゃう。沈殿するということは、最後には泥になっちゃうわけ。それともう一つは、外来魚。例えば、サンフィッシュ、オオクチバス、コクチバス、ブルーギル、アメリカナマズ。こういうのは、外国から持ってきたやつ。日本人は外来魚を食べないし、外来魚は日本の小魚を食べてしまう。食べると、必ずフンをする。そうすると、これもだんだん沈殿していくわけ。そうすると、水中に酸素がなくなっちゃう。だから、シジミとか、カラスガイが、いなくなっちゃうんです。
今、外来魚の駆除をやってる。でも、もう追いつかない。外来魚だけじゃなく、カワウっていう、真っ黒いカラスみたいな鳥がいます。このカワウの巣落としもやってます。カワウは前まで保護鳥でしたが、去年から狩猟鳥獣になりまして、鉄砲で撃ってもかまわないことになりましたから。カワウは、アユやなんかを放流しても、2、3日でみんな食べちゃう。その被害は、何十億、何百億ですよ。今、日本全国で、外来魚とか、カワウの駆除をやっております。
戸田の伝統漁撈こども教室
荒川の近くに生えている竹
小学校の子供らに、投網漁や建干漁を教えたり、釣竿をこさったりする。投網をね、小学校の校庭で3日間くらい教えるわけ。そしたら今度は船でもって、実際に子供らに、投網をうたせる。
建干漁では、だんごをこさったり、網をかける竹をこさったりする。で、とった魚をこの魚はこういう魚でああいう魚だよって説明するわけ。で、食べる人はそれを持って帰るわけ。
釣竿をこさる。山やなんかに竹があるでしょ。その竹をまず切って、曲がってる竹を火にあぶってね、真っ直ぐに伸ばして竹竿を作る。ほいで作った竿で魚釣りをやる。それで、竹には笹があるでしょ。笹は笹で使えるわけ。笹をふん縛って池に1週間くらいつけとく。そうすっと中にウナギとかエビが入る。だから、笹には捨てるところがない。
子ども教室の最後には、はんてん着せて、卒業式をする。その後、子どもらが作文を書いてくれるわけよ。「楽しかったよ」とか、「獲った魚がおいしかった」とか、そういう話を聞くと、一番嬉しいですよね。私らだけで終わっちゃうっていうんじゃなしに、川の恵みというものを知って、理解して、それを活用していただければ、こんな素晴らしいことはない。学校じゃあ、教えてくれませんから。
感謝
やっぱり、他の人が認めてくれたってことは感謝してます。「お前は本当にいい事をしてくれたよ」とか、「本当、みんなの為になるような事をしてくれた」とか、紙切れ1枚でいいんですよ。感謝状。これで皆さんが喜んでくれる。
活動が浸透
年々ね、20歳過ぎの人が、漁師になりたいというわけじゃないが、川でお手伝いしたいっていう人がぼちぼち増え荒川の近くに生えている竹てきてます。例えば、漁を習って魚を獲りたいとか、春先に、アユを獲るのをお手伝いしたいとか、こども教室を手伝いたいとか。まぁ、長いことやってっから浸透してきたんだね。そういう人達、本当に助かります。ありがたいことですよ。
青木さんの提案
今、漁業に携わる組合員の減少、高齢化、漁に対するなり手の問題で、漁業者が困って居ります。荒川水系下流域における、昔から伝わる伝統漁撈を若い方々に少しでも理解していただき、地元の発展に寄与し水辺の環境と川にはどういう魚がいるかを次の世代を担う若い人に継承していく事が大切だと思います。
私は今回、この聞き書き甲子園に参加して、今まで知らなかったことを聞け、さらに、体験する事もできました。
青木さんのプロフィールが届いてから、うまくインタビューできるかとても不安でした。しかし、1回目の取材で実際に青木さんに会うと、とても優しい人でしっかりインタビューすることができました。さらに、その日に獲ったモクズガニをお土産にいただきました。2回目の取材は大潮の日に行き、刺網漁、投網漁を体験させていただきました。投網漁は、網がうまく広がらず身をもって漁の難しさを感じることができました。青木さんはその日、1回だけ網をうって大きなコイを獲りました。それを目の当たりにして青木さんはやっぱり凄いと思いました。また、漁に同行していただいた秋葉さんにも大変お世話になりました、ありがとうございました。
青木さんはインタビューの中で、川の恵みを多くの人に知ってもらいたいとおっしゃっていました。それだけ、川を大切にしている、川が大好きな人なのだと感じました。
最後に、このような機会を与えていただいた関係者の皆様、大変感謝しております。ありがとうございました。