自己紹介
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名人ご夫婦と私
原幸男。生年月日は昭和13年7月21 日。和歌山県日高郡みなべ町の清川で生まれた。小学校、中学校と清川で育った。昭和29年に中学校卒業してな。それからずっと清川で炭焼きしてる。今は77 歳。家族は息子夫婦と家内とわしの4人。孫は男が3人いる。1人目が27 歳。2人目も高校卒業して、3人目が今高校3年生。
わしが炭焼きしてる清川は山奥で空気がええ。炭焼きするのに相応しい場所や。
わしは窯のお医者さん
原 幸男(和歌山県日高郡みなべ町)
生年月日 | 昭和13年7月21日 |
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年齢 | 77歳 |
職業 | 製炭業 |
略歴 | 昭和13年みなべ町の清川に生まれる。中学校卒業とともに実父の元で製炭業に従事し、現在に至る。62年間木炭の最高傑作と評される紀州備長炭を作り続け、その原木の伐採技術である「択伐」施業を継承している。平成22年には日本特用林産振興会より「特用林産功労者表彰」を受賞した。近年は、息子の原正昭さんが代表を務める紀州備長炭「やまづくり塾」の開催などの活動を、師匠という立場で支えている。 |
藤田 満帆(埼玉県立浦和第一女子高等学校2年)
第14回(2015年)参加作品
自己紹介
名人ご夫婦と私
原幸男。生年月日は昭和13年7月21 日。和歌山県日高郡みなべ町の清川で生まれた。小学校、中学校と清川で育った。昭和29年に中学校卒業してな。それからずっと清川で炭焼きしてる。今は77 歳。家族は息子夫婦と家内とわしの4人。孫は男が3人いる。1人目が27 歳。2人目も高校卒業して、3人目が今高校3年生。
わしが炭焼きしてる清川は山奥で空気がええ。炭焼きするのに相応しい場所や。
炭焼きを仕事にする
中学校卒業したときに、絶対炭焼きをやるっていう心構えは無かったな。大変な仕事やさかいに、何年かやって仕事変えようかなと思ってた。その当時は、中学校上がりでも他に就職できたんや。一応親父が炭焼きやってたから受け継いだけど、だんだんしんどくなってきて。2、3年してから、もうやめようか、と思うときがあったな。でも、そこでやめたら今までやってきたことが水の泡になってしまうさかいに、もうちょっとやってみようかと思って。もうちょっとと思って頑張った炭焼きが、60年も続いてしもうたな。
親父がおったころは、一緒に山へ行って教えてもらってた。昔は、今のように道の近くに窯は無くて、炭を焼くのも山の中でやってた。小さな窯を、木の搬出が楽なところへ造ったんや。だから何台も窯を造って、山を転々としてた。
紀州備長炭
紀州備長炭
「ねらし」の様子
わしの作る炭は、紀州備長炭っていう白炭や。木炭には白と黒がある。黒炭は、ホームセンターとかで売ってる、柔らかくてくずれやすい炭や。黒炭は、窯の中で木を炭化させた後に、窯に開いてる空気穴(※後述)を外から全部塞ぐんや。ほいで、窯の中を酸欠にさせて、窯の中で消火するんや。一方白炭は、窯の中の温度を1000℃まで上げて、ねらし※1にかける。ほいで、素灰※2をかけて消火する。白炭は、ねらしにかけたるさかいに、硬くなるねん。
最近だと、炭は1年に600~700 俵※3生産する。うなぎ屋や焼き鳥屋の料理屋が炭を買うんや。
※1「ねらし」…炭が焼けたら窯の口を開いて空気を送り込み、窯の中を真っ赤に光らせること。
※2「素灰」…灰と砂を混ぜたもの。窯出しで取り出した炭にかけて消火する。
※3…1俵=重さ15kg、ダンボール1箱
炭材となる原木と手入れ
原生林の様子
紀州備長炭の材料は、ウバメガシや。ウバメガシは葉が細かい木で、枝も細いんや。岩場の傾斜地に生えることが多い。苗から炭の原木になるまで、46年ほどかかる。ウバメガシは、普通の木の倍近く成長に時間がかかるねん。ほいで、炭が硬くなる。ウバメガシのほかに、カシも炭材になる。カシは、ホンガシ、アラカシ、シラカシ、アオカシってたくさん種類がある。
伐採した後に、同じ株が何回も萌芽したからといって、その株がダメになってしまうことは無い。大きな古株が腐ってしもうても、木は新しい株を横に作っていくんや。
真っ直ぐ原木が育つように、木に巻き付いたツルをチェーンソーや鉈で切る。木を傷つけないように切るのは難しいけど、木が真っ直ぐ綺麗に育つんや。
木も他の植物と一緒で、間引きが必要や。風通しが良くなって、育ちが早い。そして、太い木を間引くことが大切。細い美しい木は次の炭材になるさかいに、残しておくんや。
腐った古株
萌芽した株
原木を襲う病中獣害
カシナガっていう虫が今恐ろしい。カシナガは三重県におる虫でな。炭を焼くために、カシナガが住んでいる木を和歌山県へ買い入れたわけや。そして炭の原木に移ってしもうたんや。被害がひどいと木が使えなくなる。伐採した木を窯まで運んでくるうちに、木の芯が腐ってしまうんや。小さいんやけど、えらい虫や。
シカの食害もひどい。春先に伐採すると、次の木を育てるために、芽がすぐ出てくるんやが、それがシカに食われてしまう。萌芽したばかりの芽が美味いさかいに、すぐ食べられてしまうんや。シカに食べられたら、木に毒が回って、そのあとの芽が成長しにくくなってしまう。
伐採に使われる道具とその推移
伐採のときに使う道具はチェーンソーと紀州鉈や。わしが若いときはチェーンソーが無かったさかいに、斧と鉈で木を伐ってた。斧と鉈で伐ってた頃は、毛が剃れるほどに道具をよく磨いたんや。薪割り機は伐採した木を割る機械や。昔は、こんなものは無くて、楔を打ち込んで、大きな木槌で割ってたんや。それで同じ仕事をするんやから、今は楽で便利や。
チェーンソー
上:斧 下:紀州鉈
薪割り機
択伐が山を救う
さで
シュート
「択伐」は、細い木を残す伐採の方法や。次の炭が早く焼ける。択伐の伐り方はなかなか難しい。1 つの株に5本も6本も木が立ってはるさかいに、そこから太い木だけ伐って、細い美しい木を残すんや。コツは、絶対に細い木を傷つけないこと。傷つけたら枯れてしまう。よく見て、刃を細い木に当てないようにして、太い木だけ伐る。
細い木も全部伐る方法が「皆伐」。皆伐で山を全部伐採してもうたら、次に炭を焼くまでに時間かかる。択伐をすれば、皆伐で50年かかるものを25年で焼けるんや。わしはそういう伐り方を昔から今までずっとしてんねん。
択伐には「抜き伐り」と「バイ立て」の2通りがあるんや。「抜き伐り」は比較的大きめの炭になれるような木を伐らないでおいて、何本かだけを伐採する方法。薪割り機で半分に割って使うような、大きな木だけを伐るんや。抜き伐りなら、その株から7~8年後には次の木が伐れる。もう一つは「バイ立て」で、細い美しい木だけを残しておくんや。バイ立てなら15年後には次の木が伐れる。
わしの場合は大体15年回帰で伐採する。ほいで、その切り株に若い芽が萌芽して、木になっていく。その繰り返しで、循環的に利用してるだけだ。皆伐をして山を裸にすることは、わしは絶対しないんや。
伐採するときは、山の下から上へ伐っていくことが多い。上からだと木が伐りにくいさかいに、下から伐る。でも山によっては、上で伐った木が倒れて、下の美しい木の幹を傷つけてしまうことがあるさかいに、上から伐る場合もある。
木の切り口は斜めに伐るのがベスト。株に水が溜まらないようにする。雨水が溜まったら、切り株が腐るんや。
伐り倒した木は、山の上から下まで落とす。よくあるのは、谷の地形を使った「さで」で落とす方法やな。最近だと、「シュート」が多い。「シュート」っていうのは、滑り台みたいなものを山に設置して、そこに伐採した木を1把にして流す方法や。急な山やったら、すぐに下まで飛んでしまうけども。昔は、伐った木は、肩で担ぎ抱いて出してた。今はだいぶ楽になったわ。
「やまづくり塾」という活動
わしらがやってる「やまづくり塾」は、択伐をして、山を守っていくのが目的なんや。やっぱり、山を丁寧に伐ってほしい。
やまづくり塾では教えるということはあまりしない。銘銘で仕事するさかいに、みんなが一緒に山へは行けないんや。他の炭焼きさんと交流したり、教える機会はなかなか無い。だからやまづくり塾では、丁寧に伐採することを守ってもらうんや。
もし、やまづくり塾をやってなくて、このまま山を放っておいたら、山は確実にダメになるな。皆伐になってしまう。これからも、この択伐を維持していきたいと思う。今まではわしがひとりでやってきたけどな、これからはみんなで維持していきたい。
窯造り
窯の口の大きさを調節する名人
名人の現在の炭小屋
炭窯はレンガや石でできている。天井部分は土だけや。窯の修繕は、長い人だと、10年に1回しかしない。新しい窯が固まるまでは1ヶ月かかるんや。それまでは粘土みたいに柔らかい。窯の形はみんな好き好きや。上から見ると、丸形からいちぢく形まで色々ある。一定に決まってないさかいに、自分が炭にしやすい窯がええと思う。あんまり奥へ遠いと、夏にバテてしまう(笑)
今のわしらの窯は、家族だけで炭焼きしてる。今、弟子はいないんや。元々わしは弟子をあんまり取らないんだが。昔は何人か来て、今も炭焼きをしてる人は2、3人おるな。その人たちの窯の調子を見に行くこともある。
わしの窯だと、炭は焼き始めてから8日で焼き上げていくんや。その間は、繰り返し毎日、焼けるのを見てる。この窯だと、1回の炭焼きで22~23 俵ほどしか炭ができない。下手に焼いたら無駄になるんやが、それが無いようにするのが技術や。
今は1週間に1 回だけ、窯の番するために、炭小屋へ泊まる。今の窯で止まって炭を焼くようになったのは、わしが45 歳のとき。それから32年間ずっとここで炭焼きしてる。昔は窯を移動してたけど、窯場ひとつ拵えるのに物凄い時間かかるさかいに、1つの窯で長時間焼くことにした。
窯の後ろに竹で拵えた煙突を作るんや。炭化されてできた炭が、その煙突を通る間に冷やされて、水滴になって戻ってくる。その水滴が「木酢液※4」っていう酸っぱい液体になんねん。
元々、備長炭の焼き方は、高野山の空海さんが遣唐使で中国から伝えたんや。煙が出てくる窯の下に開ける穴は「大師穴(弘法穴)」といって、空海さんに由来してはる。大師穴は、炭窯の心臓部分で、これのおかげで炭が下の方まで焼けるようになったんや。
※4「木酢液」…木材を乾留した際に生じる乾留液の上澄分のこと。外見は赤褐~暗褐色の液体。ほとんどが水分であるが、木材由来の有機酸が含まれ、弱酸性を示す。
レンガでできた窯
窯の天井
上から見た窯の形
竹で作られた煙突
上から見た大師穴の様子
木づくり~窯入れ
次に炭になる木
木は曲がってると窯へ上手く入らないさかいに、木を真っ直ぐにする作業(木づくり)が必要なんや。木の曲がってる部分に切り込みを入れて、小さい木の欠片を詰める。そうして真っ直ぐになったら、前の窯を出すまで、立てて2日間置いておくんよ。ほいで、次に置いておいた木を窯に入れる。こうしたら、出来る炭の量は変わらない。
窯に木を入れるときは、「えぶり」っていう長い鉄の道具を使うんや。まずは木を横にして窯に入れて、えぶりを使って縦に立てる。人間が窯の中に入って立てることはない。窯入れは、家を建てるのと一緒や。最初に柱となる木を5、6本入れて、窯の上へ組んでいくんや。そして、あとはどんどん木を入れていく。
窯入れのときには、木は逆さに焼べるんや。木の根元が上になるようにして、窯に入れて真っ直ぐ立てる。というのも、木の根元を下にして入れたら、木が寝てしまって立てられんようになるんや。極力逆さにして、細いのが下の方が綺麗に真っ直ぐ立っていく。ほいで、炭ができたときに、根元に比べて細い方は傷む確率があんねん。また、根元の先まで綺麗に焼けるようにしたいんや。その2つの理由で、木は逆さに焼べるんや。斜めに立てたら上手く焼けない。均等に焼くには細いのを下にして真っ直ぐ立てるんや。窯自体も少し上に広がって造ってはるさかいに、木を逆さに入れると丁度ええ。
木づくりをする名人
えぶり
口焚き
口焚きが終わると窯の口を閉じて炭化を進める
炭になるまでは、窯の中で3~4日かかる。窯の中へ木を入れた次の日から「口焚き」をする。口焚きは、木を炭化させるために窯の中の温度を上げる作業や。窯の口で炭にならない木を焚いたら、窯の中の温度が上がってくるさかいに、炭になる木の水分を飛ばすんや。ほいで、木を乾燥させる。そうして炭化が始まるねん。口焚きのときの窯の中の温度は300℃くらいの低温で、蒸し焼きの状態になってる。口焚きには、ウバメガシの枝の部分とか、原木の炭にならんものを焚くものに使う。
口焚きは炭のためにええんや。時間をかけて木を乾燥させると、ええ炭になる。急いでどんどん焚くよりも、ええ炭になるのをじっと待つ。
口焚きの様子1
口焚きの様子2
煙の匂いがカギを握る
口焚きが終われば、炭化に入る。窯の口を塞ぐときに開ける小さな穴が空気穴や。空気穴は、窯の口と天井の部分に開けて、そこから風を通す。風が通らないと、窯の中に空気が入らなくて木が燃えすぎてしまう。
ええ炭かどうかの判断は、煙の匂いでできる。窯から酸っぱいような匂いがするとええ炭や。匂いが悪かったら、窯の中で木が粉々に燃えて灰になってしまう。空気穴から空気を入れて、煙の匂いを調節するんやが、それがかなり難しい。相当神妙にやらんといかん。窯の中の温度が上がってきたら、匂いがくる。最近の炭焼きさんは、温度計で温度を計るけども、わしは匂いで窯の調子がわかるんや。温度は関係ない。わしも、匂いがわかるまでに4、5年かかった。そうして匂いがわかっても、上手く調子取るのはなかなかできない。やっぱり長い経験が必要なんや。
窯上部の空気穴
煙の匂いを調節する名人
名人の実績
紀州備長炭で賞をいただいたことが2回ほどある。国からは特用林産功労者表彰をいただいた。みなべ町からも、いままでずっと品質のええ備長炭を焼いてきたさかいに、いただいたことがある。炭焼きやっててよかったと思ったな。
後継ぎ
ここの炭焼きは、わしの親父から始まって、わしが2代目で、息子が3代目や。今度は孫が継いだら4代目になるけど、上2人はもう就職してるし、3人目もする気無いな。わしは、炭焼きをみんなにしてほしいんやけど、今の若い子はしてくれないさかいに、悲しいんや。面白いのにな。息子にはこれからもええ炭を作り続けてほしい。わしに負けんくらい(笑)
木を焼べる息子正昭さん
窯の調子をとる正昭さん
炭焼きと自分
炭は、焼き方によってはグチャグチャになって壊れてしまう。そうしたら、ほんまに水の泡や。商品にはならんさかいに、お金にならない。でもな、炭が出来上がるまでが物凄い楽しい。炭焼きはやっててええことってあんまり無いけども、この仕事が好きや。窯の調子をとってええ炭を焼き続けられたら嬉しいな。
窯っていうのは自然が相手やからね。調子をとっていくのがすごく骨折る。自然の窯と会話できるような状態にならんといかん。上手く会話できたら、自然と仕事が流れに乗っていくんや。いわば、医者と一緒よ。医者っていうのは病気を治してくれる。わしは『窯のお医者さん』や。「この窯はあそこが悪いから、ここ治したろうか」という具合で。そうして自然と窯の調子がわかってくるんや。
わしももう歳やからな。これからはのんびりと過ごす。でも、出来る限りはまだ炭焼きしたいな。わしにとって、働くっていうことが一番大事やな。ほいで、働くのが一番の幸せや。
紀州備長炭の窯出し
62年間炭を焼き続けた名人の手
[取材日:2015年9月12日、10月24・25日]
【出典情報】
・『紀州備長炭原生林の「択伐」技術マニュアル』和歌山県農林水
・産部森林・林業局林業振興課/平成27年3月発行
・Wikipedia『木酢液』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%85%A2%E6%B6%B2
正直なところ、私は聞き書き甲子園に参加することに、戸惑いや不安を感じずにはいられませんでした。普段の学校生活と聞き書きとの両立が難しいのではないかと思っていたからです。しかし、実際に幸男さんとお話をして、山を歩き、炭窯の前に立ってみると、学校の授業では得ることのできない知識と知恵で溢れていました。
幸男さんはとても優しい方で、お話しするのがとても楽しかったです。幸男さんが炭焼きのお話しをしているときの幸せそうな顔が忘れられません。私も幸男さんのように、自分の仕事が大好きで、その仕事に誇りを持てる人間になりたいと思いました。択伐が今後伐採の主流となり、よりよい紀州備長炭の原木林がつくられることを願っています。
最後になりますが、貴重な体験を与え、支えてくれた両親、聞き書き甲子園のスタッフの皆さん、そして取材に協力してくださった幸男さんとご家族の皆さん、温かく迎えてくださったみなべの地域の方々、全ての人に感謝しています。本当にありがとうございました。