ただ、頑なに昔の技術を伝承することがベストだとは思ってない。その技術ってものの何が本質なのかを見極めるってのが大事なんじゃないかな。前からあるものをそのままやってても、何も進歩ないじゃん。なんでこうなる、どうしてこの技術があるんだ、って考えて、失敗したら失敗した、成功したら成功したで、その理由を考える。徹底的に突くの。そうすると次の一手がみえてくるんだな。椎茸栽培ってのは植菌をしてカリブセしてテンチガエシして・・っていろいろ技術があるんだけど、菌がまわるために本当に必要なのか、と。パラドックスってきいたことないかな?逆説の論理ってやつ。一つのものを表からだけじゃなくて裏からも考える。自分のやりたい事ってあるじゃない、もっとこういう風になんないかな、ああいう風になんないかな、って。そうやって練って一歩踏み出して試してみる。俺んちの経営も、そうやって段々に積み重ねてきた。だけど今現在が百点満点だとは思っていない。まだ更に上がある。菌床栽培にできて原木栽培にできないっていわれている技術も沢山ある。おんなじ菌なのにこの差はなんなのよ!ってね。それを勉強すれば、安全性や収穫量についても労力の事も解決策があるだろうし。ただ、一つの事を変えてもダメ。トータルで筋道だててやれば成功できる。多くの失敗した人達ってのは、いい所だけをつまみ食いしようと思って真似するの。学ぶ(まねぶ)のはいいんだけど、何でかって考えないから失敗しちゃう。俺が今まで大きな失敗もなくこれたっていうのは、ちょっとヘソ曲がりな所があるから。正面だけじゃなく、斜めから見て考える。そういう風に見れる目を培えたのは、やっぱり上の勉強をさせてもらったからだな、性格上ひねくれてるっちゅうだけじゃなくて(笑)。見えてるものが全てじゃないって考えれば、自分が100%じゃないってことになる。100%だと思っちゃうと失敗を人のせいにしたくなるけど、自分は半人前だっていう感覚でおれば、もっといろんな事を吸収できるようになる。周りの人も教えてくれるしね。椎茸で失敗する事もあるの。なんだかなぁ、俺分からねぇわ、って友人に聞くわけだ。そうすっと教えてくれるんだ。そらぁそうじゃねぇらお前、こうゆうんだろ、ってな。でもその時、絶対何かのせいにしない。山やってもきのこやっても。そうやってりゃもう何やってもなんとかなるもんだ。
うちは、山にオオタギリの河原ってとこがあって、その脇で木を作って家の裏のハウスで発生させる、っていう循環をしとるの。春と秋が旬なんだけど、今は品種が改良されて、自然の状態でも夏出るものもある。それを組み合わせてやるのが栽培者。夏だったら秋を感じさせる、秋だったら春を感じさせる。まぁ、きのこの菌を騙すわけだな。美味しいきのこが沢山採れる。きのこが出るようにするのは菌をまわす技術なんだけど、要は温度と湿度。ムッとムレたような、食中毒注意報がでるようなね。あれが、菌にとってすごく成長しやすい環境。そういう環境を整えてやって、あとは水管理をいつやったらいいか、ってことを考えて調節してく。そうすりゃあ絶対不作なく採れるはずだ。水が欲しい時、栄養を取りたい時、健康な人は摂取してすぐ栄養にできるけど、不健康な体でおったらなかなか取れないでしょ。だから健康な体になるように原木をコントロールしてやる。そういう感覚。百姓は感性だもんで。
今、味噌や醤油なんかの発酵食品を自分で作って使ってる家庭ってのがうんと減っちゃったね。椎茸も発酵だし、堆肥作りもそうだね。それから酒づくり。悪政って言っちゃ悪いけど、酒税法で、かつて農業者がやってたドブロク作りの技術を剥奪しちゃったの。百姓っていうのは、そういう発酵技術があって成り立ってきた。土とかも全部発酵なのよ。発酵をさせてないと、化学肥料や農薬漬けにしにゃならんで。ところがアメリカからの近代農業ってかたちで合成の化学肥料やなんかの技術が入ってきて、農業者が日本の持ってた発酵っていう技術を忘れちゃったわけ。見た目上、必要がなくなったんだな。でもそこには不幸な結末が待っとった。こりゃイカン、土が死んじゃった。食の安全だ安心だ、っていわれるようになって、ようやくまた目が向いてきたんだけどな。本当はその発酵技術てのがベースにありさえすれば、農薬漬けにする必要もなかっただろうし、地域循環もできただろうしな。俺は自分のとこではそういう風にやってんのね、だけど他の人もそうやって考えて行動しなきゃいけんかった。