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名人の仕事

  • 森の名人
  • 原木しいたけ栽培

駒ヶ根の椎茸名人

  • みずかみへいはちろう(長野県駒ヶ根市)

    生年月日 昭和30年3月23日
    年齢 47歳
    職業 原木しいたけ栽培
  • 丸山 座(長野県立松本深志高等学校二年)

第1回(2002年)参加作品

名人、水上平八郎誕生秘話

椎茸を始めたのは俺で二代目。親父がやってたもんでね。小さい時分からきのこ見て育ったからね、頭ん中叩っ込まれてるから、体で覚えてるからね、作り方ってものはもう、親父がやってたのを見よう見まねで。「門前の小僧習わぬ経を読む」じゃないけど。小学校から中学・高校と学校へ行く時にはきのこを市場に持っていったんだ。大学卒業する時にはもうこの道一本に決めてたね。小学校の頃にも百姓やろうって思ってたしね。高校卒業して上に行く時も、迷うことなく農学選んだよ。高校は林業科だったんだけどね、気が変わって大学行かしてくれっちゅうて親父に頼んだ時、卒業したら勤めなんで家入るっていうのが条件だったんだ。俺が家に入ったのは21歳のときだから、始めてからもう30年近いな。後継者は、やるつもりでおるんじゃないかなぁ、息子が。こんな面白い仕事やらなんで、他に何するって言うほど。まぁ、椎茸じゃなくても農業っていうものの中で、何か自分の理念に合ったもの作れればいいと思うがな。何をやっても、極めるっていう気持ちがありさえすればいいと。ただウチの基盤の場合には10町歩近い山があって、親父の築いてきたものがあって。自分のうちの経営を客観的に見た時に、こらぁ椎茸やる方が得だな、と。理念に合ってるし、無農薬でいけるしな。それに山も管理できるでしょう。こう、いろいろ考えてみて、じゃあこれだな、と。大学では花の勉強したんだけど、今すごく活きてるな、それが。連作障害や微生物の研究やなんかをしたんだけど、できる限り無農薬で有機栽培に、って考えるとそうゆうのは椎茸とも切り離せないんだ。野菜も少し作っとるんだけど、ウチの経営の中で上手にまわるようになっとる。どっかで一生懸命やっときゃ、どっかで必ず活きるんだ。

百姓と環境

  • 百姓と環境

今、原木の生産者が少なくなってきてるんだ。で、オガクズで育てる菌床栽培者や輸入物が多くなってる。そうすっと、販売環境で見たらこれからは売りやすい環境だと思う。食の安全性ってのが求められてるから、より安全な原木の方が優位性が高い。当然そういう時代になってくる。ただ、栽培環境ってことを考えると、今迄のやり方のままでは重労働になる。原木という重いものを扱うんだからね。そこを何とか変えようっていうならば、変え得るんだ。でもそうすると、一部変えただけじゃあダメだから、全ての栽培環境を変えにゃならない。そういう面では今この不況の中で投資をするのは大変なことだな。もうひとつ、自然環境ってサイドで捉えるとすると、椎茸栽培は、原木の置き場所を作らにゃいかんし、クヌギやらナラの伐期があるから、必然的に山の管理ができるわな。木を一つの作目として考えてみたら、今、クヌギやナラは杉やヒノキなんかよりはるかに高収益なんだから、金にもなる。そういう風に考えてくと里山を維持する職業としては、最もいい職業の一つと思うね。

長野県が今ね、脱ダムだなんていわれてる中で、広葉樹の働きってのはすごくあるわけだ。広葉樹を植えることによって、保水もするし土壌の保持もできる。広葉樹を一つの生業の柱にすることはものすごく大事な事なの。そういう意味で、椎茸ってのは、これほど素晴らしい仕事はないな、と思うけどね。

県下でもウチみたいな経営体を持ってる者は僅かだと思うよ。当然、地域がなきゃできないんだけど、自分が動けば、幾らでも可能性が出てくる。理屈だけじゃダメで、一歩前に進んでやる。里山で暮らしてて、よく、都会へ出て行っちゃう衆もおるけど、ここで暮らすにゃここで暮らす一つの価値観だとか喜びが見えてくればね、こんな楽しいこたぁないと思う。若い衆にもやってほしいねぇ。四季折々生き物と接してると、自然のサイクルが見えてくるじゃない、ね。それと、自分のサイクルときのこのサイクルが合えば、必然的にいいものが採れるし生活もできるようになる。価値観の多様性っていうのも農業の魅力だね。百姓、100の姓(かばね)って言われる位、未分化なんだよね。業念一致、考えてる事を行動に移さなきゃ百姓はできない。俺もいろんな事できるよ。木は切る、運搬する、きのこ作りに販売、米作り、野菜作り、堆肥作り。炭窯も作ったな。この家も建てたんだ。数えれば本当に百あるかもしらん。

変化する技術

  • 変化する技術

ただ、頑なに昔の技術を伝承することがベストだとは思ってない。その技術ってものの何が本質なのかを見極めるってのが大事なんじゃないかな。前からあるものをそのままやってても、何も進歩ないじゃん。なんでこうなる、どうしてこの技術があるんだ、って考えて、失敗したら失敗した、成功したら成功したで、その理由を考える。徹底的に突くの。そうすると次の一手がみえてくるんだな。椎茸栽培ってのは植菌をしてカリブセしてテンチガエシして・・っていろいろ技術があるんだけど、菌がまわるために本当に必要なのか、と。パラドックスってきいたことないかな?逆説の論理ってやつ。一つのものを表からだけじゃなくて裏からも考える。自分のやりたい事ってあるじゃない、もっとこういう風になんないかな、ああいう風になんないかな、って。そうやって練って一歩踏み出して試してみる。俺んちの経営も、そうやって段々に積み重ねてきた。だけど今現在が百点満点だとは思っていない。まだ更に上がある。菌床栽培にできて原木栽培にできないっていわれている技術も沢山ある。おんなじ菌なのにこの差はなんなのよ!ってね。それを勉強すれば、安全性や収穫量についても労力の事も解決策があるだろうし。ただ、一つの事を変えてもダメ。トータルで筋道だててやれば成功できる。多くの失敗した人達ってのは、いい所だけをつまみ食いしようと思って真似するの。学ぶ(まねぶ)のはいいんだけど、何でかって考えないから失敗しちゃう。俺が今まで大きな失敗もなくこれたっていうのは、ちょっとヘソ曲がりな所があるから。正面だけじゃなく、斜めから見て考える。そういう風に見れる目を培えたのは、やっぱり上の勉強をさせてもらったからだな、性格上ひねくれてるっちゅうだけじゃなくて(笑)。見えてるものが全てじゃないって考えれば、自分が100%じゃないってことになる。100%だと思っちゃうと失敗を人のせいにしたくなるけど、自分は半人前だっていう感覚でおれば、もっといろんな事を吸収できるようになる。周りの人も教えてくれるしね。椎茸で失敗する事もあるの。なんだかなぁ、俺分からねぇわ、って友人に聞くわけだ。そうすっと教えてくれるんだ。そらぁそうじゃねぇらお前、こうゆうんだろ、ってな。でもその時、絶対何かのせいにしない。山やってもきのこやっても。そうやってりゃもう何やってもなんとかなるもんだ。

うちは、山にオオタギリの河原ってとこがあって、その脇で木を作って家の裏のハウスで発生させる、っていう循環をしとるの。春と秋が旬なんだけど、今は品種が改良されて、自然の状態でも夏出るものもある。それを組み合わせてやるのが栽培者。夏だったら秋を感じさせる、秋だったら春を感じさせる。まぁ、きのこの菌を騙すわけだな。美味しいきのこが沢山採れる。きのこが出るようにするのは菌をまわす技術なんだけど、要は温度と湿度。ムッとムレたような、食中毒注意報がでるようなね。あれが、菌にとってすごく成長しやすい環境。そういう環境を整えてやって、あとは水管理をいつやったらいいか、ってことを考えて調節してく。そうすりゃあ絶対不作なく採れるはずだ。水が欲しい時、栄養を取りたい時、健康な人は摂取してすぐ栄養にできるけど、不健康な体でおったらなかなか取れないでしょ。だから健康な体になるように原木をコントロールしてやる。そういう感覚。百姓は感性だもんで。

今、味噌や醤油なんかの発酵食品を自分で作って使ってる家庭ってのがうんと減っちゃったね。椎茸も発酵だし、堆肥作りもそうだね。それから酒づくり。悪政って言っちゃ悪いけど、酒税法で、かつて農業者がやってたドブロク作りの技術を剥奪しちゃったの。百姓っていうのは、そういう発酵技術があって成り立ってきた。土とかも全部発酵なのよ。発酵をさせてないと、化学肥料や農薬漬けにしにゃならんで。ところがアメリカからの近代農業ってかたちで合成の化学肥料やなんかの技術が入ってきて、農業者が日本の持ってた発酵っていう技術を忘れちゃったわけ。見た目上、必要がなくなったんだな。でもそこには不幸な結末が待っとった。こりゃイカン、土が死んじゃった。食の安全だ安心だ、っていわれるようになって、ようやくまた目が向いてきたんだけどな。本当はその発酵技術てのがベースにありさえすれば、農薬漬けにする必要もなかっただろうし、地域循環もできただろうしな。俺は自分のとこではそういう風にやってんのね、だけど他の人もそうやって考えて行動しなきゃいけんかった。

3世代森林

  • 3世代森林

百年木を作りたいっていうのが俺の夢なんだよ。今多くの山が、一斉に成長させて一斉に切っていく一斉林なんだけど、俺が思ってるのは、松にしろヒノキにしろ杉にしろ、そういう木のあるところで、尚且つその山にはおじいちゃんの様な太い木もあり、俺みたいな親父の木もあり、植えたばっかの小っさい子供の木もあり、っていう三世代の家族みたいな。それから針葉樹も広葉樹もあるようなね。そこにオオムラサキが飛ぶような山をつくりたい。初めは、この辺にゃあオオムラサキはいないと思ってたんだよ。でもある時ね、川に魚捕りに入ってったら、手のひらくらいの大っきな蝶が浮いてたんだ。手にとってみたら、紫色に見えるじゃない。ひょっとしたらひょっとするぞ、と思って図鑑で調べて見たら案の定そうだった。うわぁ、この山にもいるんだぁ~と思って。それからは、蝶の食性がエノキだからエノキを植えたりなんかもしてる。蝶の飛ぶ山ってのは生態的にも環境の整った山になるんだよ。蝶がいればそれを食べる動物も来るじゃない。食物連鎖のピラミッドがうまくできるわけよ。そういう山づくり、やりたいなぁ。まぁ、今もうちょっとずつ始めてるんだけどね。その中の一部分なんだ、椎茸ってのは。

理想はね、できればこの地域で全部循環させたい。木も土も水も、動物やなんかも。本当は長野県なら長野県の中で循環させるのが一番なんだけど、今はできないから外国から原木を輸入したり他県から入れたりしてるんだけど。森の恵みは得れるのに、なんで日本でできないのか、やらないのか。山は放ったらかしで荒れ放題、コストが掛かるからって言って、国内のものを生かそうとしない。利用もしない。利益一辺倒にながれて、目の前にあるコストだけでものを考える。結果としてでてくる、空気だとか水だとか、益となるものをプラスしてないじゃない。ただ手間がかかるというだけでマイナスばっかしてて。みんな今ある環境ってものを見過ごしてる。得ているものを評価してない。プラスになる力がどれほど大きなものか、環境経済として考えれば、日本のものを使った方がいいに決まってる。豊かな生態系、人間はその中で生かされてる、という感覚でいなければいけない。そう思うね。そういう目がでてくると、百姓ほどおもしろい仕事はないよ。

椎茸名人一代目

  • 椎茸名人一代目

おじいの時分じゃ無我夢中で。やる事なす事みんな初めてだったもんで。経験者に話を聞こうとすると、企業秘密じゃっちゅうて教えてくれなんだの。だから人の技術を見て盗むより他にない。家に帰って真似をして、試行錯誤を繰り返す。そうしてようやく、あぁ、こういう事だったのか、って一歩前進するんだ。だから皆さんの勉強と違って、うーんと時間がかかったんだよ。きのこってものに目をつけるまで、果樹園、花つくり、動物までみんなひと勉強したわけ。ところがどれやってみても、ちぃっと時間が経つと生産過剰がきちゃうんだよね。こんなにすぐ行きつかえちまうようじゃあダメだ。資本にも限度があるしね。資本が幾らもなくても始められて、発展性のある仕事、こういうものはねえかなぁ、と探しとった時、たまたま町に行ったついでに農協に行ったんだ。そこできのこの周年栽培の講習会をやってたわけ。それまではきのこなんて自然栽培のものしかなかったからね、はてはて、春夏秋冬ぶっ通しでできるきのこなんて珍しい、そんなことができるのかな、ってところで椎茸栽培に火が点いたんだ。きのこがいっぱしに作れるようになるまでに十年かかったよ。嫌になった事も二度ばかある。大失敗をしてね。でもその時は男の意地だ。折角始めたのに、三日坊主でやめちゃったら虫が治まらない。根性じゃないかな。原点に帰ることをいつも心掛けてた。80年生きてきて、これは終に失敗に終わったっちゅう事は一度もない。失敗してもそこからまた火が点いて、何らかのかたちになるまではやり続けた。やらしてもらえる息子は幸せだよ。でも任しちまう親父はさみしいよ。ほんとうにさみしい。

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

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