初めて取材に行った日、名人の一言目は、「あんた、里山って知ってるか?」だった。名人は、私にまず里山について教えてくださった。炭のことは取材慣れされた様子で、私が質問することはほとんど無く、分かりやすく説明してくださり、私はすごく助かったなあと思っていた。2 時間半くらいお話を聞いて、お土産にしいたけを頂いて、帰り道さっそく録音したものを聞こうと思ったら、何も録音できていない。ショックで情けなくなったけど、取材に着いて来てくれた祖母に励まされて、とにかく話を思い出そうと思った。するとほとんど思い出せて、その日から毎日少しずつ、ノートに書いていった。明日になって忘れていたらどうしようと不安になった日もあったけど、真剣に今西さんの話を聞いていたから大丈夫、という変な自信で頑張れた。このおかげ(?)で、私は誰よりも早く取材を振り返ったと思う。
二回目の取材の前に、私は名人に紹介してもらった、服部保教授の「里山連携講座3」に参加させてもらって、実際に里山を歩いた。台場くぬぎを実際に見たり、里山とはこういうものだというのを肌で感じた。でも、私はなかなか里山と炭焼きが結びつかなかった。
二回目の取材の日は、私が質問することに名人が答えてくださることになった。前回と違って、私が話しを組み立てていくのは難しく、どのタイミングで次の質問に移ればいいのか迷って黙ってしまったこともあった。でも名人はいつも、私の考えがまとまるまで待っていて下さった。2回目の取材の後、初めて本格的に書き起こすのに、2 日かかった。いざ、まとめてみると、名人の言葉をつなげいていくだけじゃ意味が通じなかったり、身振り手振りで説明してもらった部分をどう書くかを迷ったり、なかなか進まなかった。電話で取材をして、なんとかまとまったが、大幅に字数をオーバーしてしまい、12 月の末は削る作業ばっかりだった。どの話が名人が一番伝えたいことなのか。これがなかなか分からなくて、この削る作業が一番つらかった。
そして1 月2 日に私は炭出しを経験しに行った。名人と一緒に釜の中で作業をしていると、なぜかすごく安心できて、でも炭焼きが重労働だということがよく分かった。仕事が終わった後、最後の締めとして自分のモットーや誇りについて話される名人は、本当にかっこよかった。
私は10 月の末に初めて炭焼きという職業を知った。こんな私が名人のようなすばらしい人を文章にまとめていいだろうか、とずっと思っていた。でも、何度も自分の文章を読んで、名人が一番何を私に、これを読む人に、伝えたいのか考えるうちに、名人が伝えたいことは、私が伝えたいことになっていった。途中でパソコンを見るのが嫌になったときもあったけど、これを思うと頑張れた。
最後に。取材の最後に名人から、「これで終わりやと思わんと、親類や思ていつでも遊びに来たらええよ」と言ってもらえたのが一番嬉しかった。このレポートは、私の家族や友達、名人のご家族だけでなく、名人を通して出逢ったたくさんの人のおかげで完成した。関わってくださった全ての人に感謝したいと思う。ありがとうございました。少しでも多くの人に、名人の気持ちが伝わるといいなと思う。