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名人の仕事

  • 森の名人
  • 炭焼き

「更新」で守る日本一の里山
~茶道を支える池田炭~

  • 今西 いまにし まさる(兵庫県川西市)

    生年月日 昭和13年7月14日
    年齢 75歳
    職業 炭焼き
    略歴 兵庫県川西市黒川に生まれる。茶道で使うことを目的とした池田炭( =菊炭) を50 年以上焼き続けている。黒川地区の里山景観の維持にも力をいれる。多くの見学者を受け入れ、指導者としての信頼も厚い。現在は息子を共同経営者としている。
  • 稲本朱珠(同志社高等学校一年)

第6回(2007年)参加作品

自己紹介

名前は今西勝です。昭和13 年生まれ、2008年で70歳になります。兵庫県川西市黒川の家で53 年間、池田炭を焼いてます。家族は僕夫婦と僕の弟、長男夫婦、次男、孫ふたりの全部で8人。
小さいときから炭焼きの仕事を手伝うてました。小さいときに母親が亡くなって、再婚して新しい母親が来るまで父親一人やったんです。掃除とか洗濯は、おばあさんがしてくれてたけど、身体は良うなかったし、炭は僕が手伝わなあかんかったんやな、やっぱり。人を雇うとなると、銭がいるやろ?
父親ひとりでそういう余裕もなかったんやろなぁと、今になったら思います。

僕が就職するころは、ちょうどバブルの時期で、サラリーマンちゅう仕事がいっぱい出てきたころやった。僕もサラリーマンに就職決まってたんやけど、そんなんも関係なく炭焼きしないかんことになって、炭焼きを継いだんです。炭は、あんまりやりたなかったんやけどね。父親を手伝いながら、見よう見まねで炭を作ってきて、技術とかそういうもんを身に付けた。今は息子とやってます。

池田炭=菊炭=茶の湯炭

  • 池田炭=菊炭

    池田炭=菊炭

炭はおおまかに言うたら、白炭(しろずみ)、黒炭(くろずみ)、消炭(けしずみ)の3 種類に分かれます。バーベキューで火をおこしたときに、木が灰になってしまう前に火を消したら出来る炭、これは消炭です。消炭は誰でも作れるんやけど、白炭と黒炭を作るのにはそれなりの技術がいります。白炭は硬い炭で、代表的なんは備長炭。黒炭いうのは白炭より柔らかくて、見た目は木がそのまま黒うなったようなもんです。池田炭は、この黒炭なんです。黒炭は愛媛県の伊予の炭、千葉県の佐倉の炭、池田炭という三大産地があったようで、昔の本に「伊予と佐倉は池田に次ぐ」と書かれとるらしいです。

さかのぼるとね、昔、池田や川西は鉱山が発達してて、そこでとれた鉱物を武器とか農具にするには溶かさなあかんやろ?
その熱源が炭で、炭の需要が高なったから、炭焼きが広まったんちゃうかと考えてます。また豊臣秀吉がお茶会をやったときに、池田炭をほめたという記録も残っとるみたいです。

兵庫県の川西市黒川は、三つの川に囲まれたとこにあります。昔はこの三つの川がそろったとこが、池田であり川西やった。池田と川西は、隣同士というだけやなくて、二つでひとつのような関係にあったんです。そこで炭をぎょうさん焼いとったんやけど、川西は岩場ばっかりの難所とよばれるとこやった。池田の方が交通の便が良かったから、炭が池田の方に集まったんです。そやから川西で作った炭は、牛で池田まで運んで、池田から全国発送した。その名残で、川西で焼いてる炭を「池田炭」と言ってます。池田炭も、今では川西で焼いてるのはうちだけ、あと池田の方で1 軒くらいです。

現在の池田炭は、茶道のお茶席のときのお湯を沸かすための炭、茶の湯炭として使われます。良い茶の湯炭の条件は、まず一番に美しいこと。それから、はやくいこるということ。長い時間いこっているということ。また炭の「実」と「皮」が密着していること。炭の皮は、欠けたりヒビが入ったりしたら、はやく灰になってしまうんです。それから、炭の切り口に菊の花びらのような割れ目があること。菊炭(きくずみ)とよばれて、中央から均一に細(こま)こう割れてるのが、より良いとされてる。池田炭は、これらを全部揃えとるんです。また、燃えた後の灰が粉雪のようで美しく、香りがいいというのも、お茶席で好まれる理由みたいです。

※炭がいこる…共通語では「熾る(おこる)」。炭に火がついて炭自体が燃え始めること、炭がしっかりと燃え盛っていること、という二つの意味がある。

炭焼きの手順 1.木を切る

池田炭は、くぬぎの木を使います。くぬぎの木で焼いた炭だけが、菊炭になるんですよ。
僕の炭焼きは、炭にする木を選ぶことから始まります。10月に入ったら、今年切る範囲を決めて、地主さんから木だけを買います。山は買わない。1年間焼く炭の分、全部くぬぎがある山はないから、何箇所かの山の木を買います。8~10 年の木を太いのも細いのも一緒に焼きます。

木を買(こ)うたら11 月の末くらい、葉っぱが黄色く紅葉して落ち始めたら木を切ります。この時期が良いのは、木の生長が止まってるからです。木は生長してないときは、水をあんまり吸い上げない。木は、皮の内側からも水を吸い上げてるから、まだ生長しとるときに切った木は、炭にしたときに皮が外れてしまいやすい。それとね、春や夏に切ってしまうと、切ってすぐ芽が出てきて、その芽は冬を越せない。そうならんために、木は冬に切ります。

木はチェーンソーで、地面から1m くらい上を切ります。これは、切り株から出てきた新芽を、特に鹿に食べられんようにするためです。この芽をまた木にして、炭のために切るときは、前切った高さと同じとこで切る。これを繰り返すと、下のずっと切らへんとこは太くなっていく。これを「台場くぬぎ」と呼んでます。根元の部分、つまり親を大事にした切り方で、そこから芽、つまり子供が出てきて大きなっていく。池田炭の木はこういう切り方をするんです。

炭焼きの手順 2.釜にならべる

山で切った木は、トラックで家の横の釜に持って帰ってきます。
黒炭の場合、切った木を1ヶ月か2ヶ月乾燥させる方がええんやけども、その間炭焼けへんとなると仕事にならん。そやからうちでは、木は切ったらすぐに焼きます。
毎年11月の末になったら、釜に残ってる土とかを取り出して中を掃除して、2、3回くぬぎでない木を入れて焼きます。本格的に焼き始めるのが12月の中旬あたり。燃えかすなんかを取り出して、釜が冷めんうちに木を並べます。

焼くときの木の並べ方はそう難しくない。1mに切った木を、木の太い方を上にして立てます。木は上から順番に焼けてくるから、太い方が絶対炭になるようにね。木は、奥からきちっと手の指が入らんくらいに並べます。ほんまは、ちょっと隙間が空いてる方が、熱がまわって良いんやけど、同じ1回やったらちょっとでも多く焼こうと思ってね。
一回に焼く木の量は4t。これが炭になると800kgになります。

繰り返した釜の工夫

釜は、ほぼ全部土で出来てます。車が無かった時代は、木を切っても麓(ふもと)まで持って帰ってこれへんから、山の中にそこの土で作ってました。今でも残ってる釜があるから、その技術はすごかったやろなあと思います。
今の釜は、広さ6畳。1回にだいたい炭が800kg焼けます。もう作って10年くらい。もともと池田では、1回に400kg焼ける釜が普通やった。まだ僕の父親が元気やったとき、一人の人にうちで働いてもらうことになったんです。3人で木を切ると、400kgの釜では木が余ったので、いっぺん(1回)に倍焼いたろうと言うたんです。口で、倍言うのは簡単やけど、倍という数字は相当なもんでね。どんな会社でも、5%収益が上がった言うたら、大きいことなんです。それを一挙に僕、倍にしたわけ。釜を、それまでの倍焼けるだろうという計算で作りました。
父親とやってたころはね、75cmの木を焼いてた。今から20年くらい前に、僕が1mの木に変えたんです。釜を1mの木が焼けるようにした。今まで炭を焼いてきての僕の功績は、これかな。20cm長くすると、やっぱり量が増える。20cmは1mの2割やからね。ただ20cm長くしたことで、炭の質を保つのが難しいです。

炭焼きの手順 3.燃やす→「くど」

釜に木を並べおわったら火をつけます。並べた木に直接火はつかないから、釜の入り口で燃えやすい木を燃やして火を移らせます。9時間ぐらいしたら、温度が350℃くらいになって1mの生の木自身が自然に燃えてくる。炎も煙もすごい勢いです。
火をつけて65時間くらいで、木が全部黒くなる。このときの釜の温度は750℃くらいで、炭焼きの中で一番高い。そしたら火を消します。このタイミングはプロにしか分からんもんです。釜の上の穴から、煙が何も出んようになったときやな。その時にマッチを穴に持っていくと3秒で火がつくというのが目安です。火は、煙突、釜の上の穴、入り口、全部に蓋をして、空気が釜の中に入らんようにして消します。
この、空気が釜に入らんようにする作業を「くど」と言うて、炭焼きの中で一番重要な作業です。「くど」は昔から「親の死に目にも会えん」、つまり親が死にかけていようと、やらないかんと言われてます。「くど」のタイミングが遅いと、炭がどんどん灰になるし、反対に早すぎると、焼けてない部分が残ってしまう。そやから「くど」が夜中になりそうやったら、夜中でも起きて寒い中、釜を見に行かんといかん。「くど」のタイミングは、気候とか燃え方によっても違うから、そろそろやと思て釜見に行ったら、まだまだ焼けてないこともある。今でこそ、釜が家の隣にあるけど、木切ったとこに釜を作ってたころは、「くど」するのにも山ん中へ行かなあかんかった。昔はもっと大変やったと思います。

炭焼きの手順 4.炭出し

「くど」をして4日くらいで、釜の中の温度が100℃くらいになります。そしたら炭を取り出す。80℃くらいやと楽なんやけど、80℃にするには1日長く冷まさなあかん。20回焼くとすれば、トータルで20日間遅れる。炭焼きは燃やすのに3日、冷ますのに4日の7日で1回やから、3回分焼けなくなる。だから100℃でも我慢して釜へ入ります。
服装で変わってんのは、頭に防空頭巾をかぶること。第一の目的は釜の中の熱い空気が顔に当たらんようにです。もう一つは、釜の天井の土の温度が100℃くらい。これが背中に入って、やけどせんようにです。昔は、浴衣を3枚か4枚合わして分厚うしたのを着てやってたけど、今はズボンと服でやってます。釜の中の100℃というのは、サウナ風呂の温度やから、普通の服でも、やけどする暑さでない。でもサウナ風呂は、自分の好きなときに外へ出れるけど、炭出しはそういう訳にいきません。しんどうて倒れそうでも、仕事終わるまでは釜の中に居ないかん。服は、乾いてる方が熱さを感じないけど、熱い釜の中でずっと仕事してきてるから、僕の体は汗出すようになってます。
この炭を出す作業は一人では難しいんです。出来上がった炭は、軍手をした手で持って出します。釜の入り口は小さいから、炭を持ったまま釜の外へ出れない。そやから中に入る者、外で出してきた炭を受け取る者の、最低2人がいるんです。うちは大人4人でやります。孫も、お手伝いしてくれます。
釜に入ってる時間は、炭を出すときは1回25分で、僕が3回と息子が2回。木入れるときは、僕夫婦と息子の嫁さんと3人入って、そのあと息子が入ります。出した炭は半日くらい、倉庫には入れんと何箇所かに分けて外に出しときます。もともと燃えてたもんやから、ちょっとした衝撃で火がついて、倉庫の中身が全部燃えて灰にならんためやね。

炭のサイクル

炭は12月中旬から桜が咲くころまで、1年間に炭で20t焼きます。1回が800kg、25回で20tの計算。体が病気になったとか、山行けんような状態になれば別やけど、そうでもない限りはお正月も1回も休まない。今まで僕、50年以上やってきたけど、途中で休んだことは1回もありません。
1回を焼く周期は7日より短く出来ない。これ、炭焼きの欠点。7日の間に、木切りに行って準備をするから、炭焼いてるうちは休みはないですね。

後継者問題

今は材木が安いから、山を生活の糧にすることが大変な時代なんです。けど炭やっとれば、それなりの収入はある。それに炭焼きは、家族で出来る仕事です。でもだからと言って、後継ぐ人が出来やすいことはない。山の仕事で大変だということ、100℃の釜の中入って仕事せんなんこと、顔やらが黒くなることがあるからね。普通の人では出来ない。それから、新しい人が急に始めても炭は作れんし、売れないんです。うちの場合は長い伝統で、売るとこがしっかりしてて、問屋さんとかお茶の先生も、うちを信用して買うてくれはるけど、新しい人が急にやったかて、信用がない。やっぱり炭で生活しよう思たら、長い伝統がいります。

今の釜で続けよう思ったら、息子と孫二人でも、ちょっと出来ないと思う。昔の小さい釜に戻せば出来るけど、炭を焼くのを減らせば得意先を切らんなんでしょ。増やすのは楽ですけど、得意先を切るのは難しい。だから、息子が続けていくには、山の仕事を喜んでしてくれるパートナーを見つけることが一番大切やと思てます。

山を守るということ

「里山」って何か知ってますか? 里山いうのは、山があって家があって田んぼがあるとこ。山が家のすぐ裏手にあって、山を生活のために使ってるとこです。
僕が炭を焼いてる川西市黒川は、里山の中でも日本一の里山やと言われてます。山が一つあるとすると、その山を毎年すこしずつ切っていく。その結果、10年か20年の間には山全体を全部切っていて、それを繰り返している。山をモザイク状に切って更新してる。見た目はパッチワークみたいな感じです。僕が炭焼きのために木を切る周期は、山を更新するのとちょうど合うてて、生きた里山となってるから、日本一やて言われてるんです。

今は、木切ったら自然破壊やと思てる人がほとんどですけど、木を切らん方が森林破壊してるようなもんや。木は、切らんままほっといたら、本来なるはずのない太さになってしもて、代謝が悪なる。山も人間社会と一緒で、年取りすぎたら全体に活気がなくなってしまう。若いもんが支えていかないかん。山はうまい具合に使うてやらんといかんのです。木切らんと、30年も40年も置いてる山は里山やない。それはもう、荒れ山なんです。

以前には「台場くぬぎ」を天然記念物にするという話や、川西市黒川の里山を世界遺産にする話があった。けどね、ここは今、木を切ってるから世界遺産にしようという話が出たんです。木を切って、更新をしてるから里山なんです。もし世界遺産にしたら、「世界遺産の山は大事に保護しなあきません」と言われます。必ずそういう時期が来る。いつの時代でも、木を切れなくなったら山はダメになる。使わずに保存することが、山を守ることでないんです。これを分かってほしい。里山がないと、炭焼きは出来んのです。

僕の訴え

ほんまは僕が、山の手入れや植林をして、山を守らないかんのやけど、その財力がない。僕は贅沢するつもりもないし、炭作る分のお金だけもろたらいいと思って売ってるので、なかなか山の手入れまで出来ない。

それから、里山を守るということの大切さ。木を切って、更新させていくのが里山の管理です。これを国、県の手でしてほしい。それが里山を守っていくうえで大切なことやないか、と思うんです。

うちの炭は、調べたら一番安いみたい。高く売りつける気はないけど、そのうちちょっと値上げをして、山を守るためのお金をつくろうと思てます。このままでは順番に山がダメになって、息子の代にまで繋がらない。息子にやる気があっても、焼く木がなかったら炭焼きは出来ない。つまり、お茶の文化がなくなってしまうんです。だから国や県に、手を差し伸べてほしい。

最後に

炭を焼くうえで、僕はモットーとしてることがある。まず、使う人の身になって作るということ。信頼を得るようにね。初めて買うてくれたお客さんは、お金と一緒に「良い炭をありがとうございます」という手紙が必ずついてます。ありがたいことです。お客さんから、こんなお言葉をもらって出来る商売、今あらへん。これで心が温まります。もう一つはね、池田炭は上等だという歴史がある。お茶という日本の文化の一翼を担っていて、そして最高の炭を作って、最高の炭をみなさんに使ってもらってるんだ、という自負と責任。これを持って炭焼きをやってます。

それから僕は、出逢いと信頼を大事にしてる。新しいお客さんとの出逢い。見学や取材に来る人との出逢い。ほんで出逢った人との信頼関係。山主さんにも、買う木の値段は安いけど、僕は炭を売る収入の何がしかを山主さんにお返ししようという気持ちで、出来るだけ高く買うてます。炭売るのにしても、うちの炭は自然の中で出来るもんやから、全部同じでない。完璧でなくても95%くらいやったら使ったろか、という気持ちで使ってもらってる。でもやっぱり、買う身になってものを売るということで、買う人とも信頼関係が出来るんと違うかな。

出逢いと信頼。この二つはね。家族でも友達でも、どんな時代でもどんな人でも、一番大事なことやと思てます。この二つを、僕は大事に生きてるし、若い人たちにも大事にしてほしいと思います。

  • 取材を終えての感想

    初めて取材に行った日、名人の一言目は、「あんた、里山って知ってるか?」だった。名人は、私にまず里山について教えてくださった。炭のことは取材慣れされた様子で、私が質問することはほとんど無く、分かりやすく説明してくださり、私はすごく助かったなあと思っていた。2 時間半くらいお話を聞いて、お土産にしいたけを頂いて、帰り道さっそく録音したものを聞こうと思ったら、何も録音できていない。ショックで情けなくなったけど、取材に着いて来てくれた祖母に励まされて、とにかく話を思い出そうと思った。するとほとんど思い出せて、その日から毎日少しずつ、ノートに書いていった。明日になって忘れていたらどうしようと不安になった日もあったけど、真剣に今西さんの話を聞いていたから大丈夫、という変な自信で頑張れた。このおかげ(?)で、私は誰よりも早く取材を振り返ったと思う。 二回目の取材の前に、私は名人に紹介してもらった、服部保教授の「里山連携講座3」に参加させてもらって、実際に里山を歩いた。台場くぬぎを実際に見たり、里山とはこういうものだというのを肌で感じた。でも、私はなかなか里山と炭焼きが結びつかなかった。

    二回目の取材の日は、私が質問することに名人が答えてくださることになった。前回と違って、私が話しを組み立てていくのは難しく、どのタイミングで次の質問に移ればいいのか迷って黙ってしまったこともあった。でも名人はいつも、私の考えがまとまるまで待っていて下さった。2回目の取材の後、初めて本格的に書き起こすのに、2 日かかった。いざ、まとめてみると、名人の言葉をつなげいていくだけじゃ意味が通じなかったり、身振り手振りで説明してもらった部分をどう書くかを迷ったり、なかなか進まなかった。電話で取材をして、なんとかまとまったが、大幅に字数をオーバーしてしまい、12 月の末は削る作業ばっかりだった。どの話が名人が一番伝えたいことなのか。これがなかなか分からなくて、この削る作業が一番つらかった。

    そして1 月2 日に私は炭出しを経験しに行った。名人と一緒に釜の中で作業をしていると、なぜかすごく安心できて、でも炭焼きが重労働だということがよく分かった。仕事が終わった後、最後の締めとして自分のモットーや誇りについて話される名人は、本当にかっこよかった。

    私は10 月の末に初めて炭焼きという職業を知った。こんな私が名人のようなすばらしい人を文章にまとめていいだろうか、とずっと思っていた。でも、何度も自分の文章を読んで、名人が一番何を私に、これを読む人に、伝えたいのか考えるうちに、名人が伝えたいことは、私が伝えたいことになっていった。途中でパソコンを見るのが嫌になったときもあったけど、これを思うと頑張れた。

    最後に。取材の最後に名人から、「これで終わりやと思わんと、親類や思ていつでも遊びに来たらええよ」と言ってもらえたのが一番嬉しかった。このレポートは、私の家族や友達、名人のご家族だけでなく、名人を通して出逢ったたくさんの人のおかげで完成した。関わってくださった全ての人に感謝したいと思う。ありがとうございました。少しでも多くの人に、名人の気持ちが伝わるといいなと思う。

名人の仕事~森・川・海の名人たち~

CONTENTS

  • 名人とは
  • 名人の仕事
  • 聞き書き高校生の感想
  • 海・川の仕事人2020
  • 森の仕事人