自己紹介
昭和4年の4月1日生まれ。80歳。結婚したのも4月1日。農林業を64年。8人兄弟で、兄が一人、姉が一人。わしは次男じゃ。
妻と二人暮らし。息子が二人おって、長男は大工しながら、山を一緒にしてくれよる。次男は井関農機行きよる。旋盤工じゃ。
不言実行64年
~美しい山は情熱と努力から~
生年月日 | 昭和4年4月1日 |
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年齢 | 80歳 |
職業 | 農林業(優良材生産) |
略歴 | 64年に渡り、山林を管理。上浮穴地方育林技術体系の育林技術を取得し、優良材生産を目的に密度管理によるきめ細やかで丁寧な山づくりを行っている。 また、地域の育林意識と育林技術の向上発展のため育林クラブを立ち上げ活動しているほか、林研グループにも所属し、副会長を務め現在も会員として活動中。優良材生産の発展に大きく寄与してきた。 平成12年にはその育林技術が認められ、第5回育林コンクール優秀賞(知事賞)受賞。親子三代で山に入り、後継者の育成にも励んでいる。 |
菊池富士美(愛媛県立伊予農業高等学校2年)
第8回(2009年)参加作品
自己紹介
昭和4年の4月1日生まれ。80歳。結婚したのも4月1日。農林業を64年。8人兄弟で、兄が一人、姉が一人。わしは次男じゃ。
妻と二人暮らし。息子が二人おって、長男は大工しながら、山を一緒にしてくれよる。次男は井関農機行きよる。旋盤工じゃ。
山仕事をするまで
わしは、尋常高等小学校を卒業して、呉の海軍工廠行ったんよ。18歳のとき終戦になって、兄が海軍で戦死して
親父が2町歩、山は持っとったけんど、山へは行く人じゃなかった。わしは山が好きやったけん、山を好きなだけ努力して、真面目にやってみようと思うて。30歳くらいから、わが山を買うていった。わが買うた山が6町歩くらいで、今は全部で8町歩ほどよ。
6月15日から
最初は下刈り。6月15日から、カマで草を刈るんじゃ。7年下刈りして、6~7年ぐらいからは、悪い木をのけていかないかんのよ。除伐。除ける木。悪い木とは、金にならん木よ。曲がりとか、腐りとか二股の木(笑)。8年くらいから枝打ちもせないかんのじゃ。もうわしの背丈くらいに芯が伸んだら、下のほうをちょっぽりずつカマで枝落とさないかん。芯というたら年輪の一番若い1年生の目合い。木が年々太るけんなぁ。いっつも山行って手入れしよらないかん。一抱えの木になったら、草もじわじわ生えんようになるわい。ヒノキがずぅーっと根張るけん、ササがだいぶ弱ったわい。
枝打ち
図1 枝打ちの方法
枝打ち、泥枝打ち。泥枝というのは、下のほうの枝。自分の手が届くだけ打ったらなぁ、次に立てり枝。立って手が届くだけ打つ。打ったらそこにのぅ、2mばしごを持っていったら、ちょうどその立てり枝の下まで行くんじゃげ。それで手一杯打ったら、次にはちょうど3mばしごがかかるんよ。
そこで手一杯打ったら、次は、4mばしご。4mのはしごになってくると、10段くらいになるけんな。田荒れ(田の荒れたとこ)みたいな、ゆるやかな平坦地やったら4mはしごかけたら7m打てる。
元がちょっと曲がるけん、1カセかける。4m手いっぱい打ったら、カセ言うて、ちょっと引っ掛けてさっとやるやつが。それかけて、枝打ったら背丈ぐらい打てる。カセ言うたらのう、鉄の半円で、木に当てて、チェーンでこう、カチャッとかけて。それが足場になって上がれる。急な斜面の場所は、4mはしごが使えんけん、カセで枝打つ。
六部堂
昭和40年代頃、岡さんいう人が、久万町中で枝打ちの講習や、実習してくれよったんよ。ああ言う人がおったけん、わしらみたいな林業家が出来たんよ。
わしは40歳ちょっとで、六部堂(地名。久万スキーランド入り口の国道端)で2町1反の山を買うたんよ。6300坪。森林組合の人夫に造木を全部切って、パルプにして売ってもろうてから、昭和45年の春に、1万2000本、ヒノキ植えたんよ。森林組合の山本専務が応援してくれて。
2町歩1反の山で、下刈りがちょうど10日かかったわい。家内と二人で雨の降り照り関係なしで。そうでもせなんだらやれなんだんじゃけん。農作業もあるけんなぁ。
翌年、六部堂にあった小さい田を荒らして杉を2000本植えたんよ。谷や田とか水分が多い地のええとこは、杉がよう太るんでのぅ。1年で50cmぐらい、ヒノキじゃったら伸ぶ。水分の少ない地の悪いとこほどええヒノキが出来らい。
ヒノキは、
木は
図2 はさみ尺と印し付けテープ
図3 はさみ尺で測る
上浮穴久万育林技術体系という方程式ができたんよ。昭和41年に。
久万林業では、山が何年になったら木を何本の本数にせないかんと言うのが。それに沿うてやりさえしたらええ木ができる。ええ木も切らんといかん。木切りが惜しいようでも切って本数を減らすんよなぁ。それを密度管理と言うんじゃけんど(笑)。間伐とも言う。
木は木中と言うけどのぅ、真芯に芯がおるようにするのは、密度管理、周りの木をバランスよく除けてやったらええんじゃ。密度管理せなんだら、共倒れ、全部がいかんようになる。
こんな木にしてもかまんというような木を残すようにせんと、最後にお金がよけ取れんし、風や寒さで折れやすくもなるけんな。
わしは、1町歩に6000本くらい植える。終戦前までは、5000本ほど植えよって、それで材積は増えるけど、ええ木はできん。
40年生になって1町歩だいたい1500~2000本と言うけんど、もうちょっとよけ切ったほうがええと思う。40年生たったヒノキでも、下が4寸、上が3.5寸の柱と、二玉とれるんよ。一玉3m。一本でな。50年生になったら4寸が二玉とれるんじゃけども。胸高直径言うて、こう立ってはさみ尺で挟んでなぁ、22cmになったら4寸がとれるんよ。だいたい直径18cmで。
湧き水
環境税を払うのは当然よ。あんたらが飲みよる水でも、どこかの山の湧き水じゃけんの。密度管理をせなんだら環境にもいかんのよ。木があったら大雨が降ったときにじぃーっと木の皮や葉で持つけんなぁ。それで、調節してくれて。洪水を防げる。
ほっといたんじゃいかん
ヒノキは植えて20年生までに7m枝落とさなんだら、4寸の無地柱は出来んぜえ。
毎年、枝打たないかんのよ。ほっといたんじゃいかん。1年遅れてもいかん。木は待ってくれんけんのぅ、伸ぶけんなぁ。全長の7割以上は枝打たれんのよ。打ちすぎたら枯れるけん。木も息する枝があるけん太りよるんじゃけんな。6~7年打ったら、打たいでかまん。
高いときに、6mの無地柱じゃったら12万円。それが12万円の柱じゃったら1町歩で1億円ぐらいになるんじゃ。今は、そがいせんけどのぅ。
若い人が木の良さを知らんのじゃげ
鉄やコンパネとかの建築材は、今度処理する頃にも困ると思うよ。あんなもん焼いたらいかん言おげ。木は焼いたってかまんがのぅ。
法隆寺なんか、木じゃけんもっとんで、鉄骨やったらもう、とうに腐ってなんちゃないようになっとらい。千年の木は千年もつとしたもんじゃけん(笑)。木が一番丈夫やと思うで。
若い人が木の良さを知らんのじゃげ。木はやわらかみとか温かみがあらいのぅ。
目の詰んどる木
だいたい
先祖を敬う
今は外材
今、8割は安い外材。どしてか言うたら企業が同じもんを一定量いつでも、無いといかんとなると、外材じゃないと間に合わん。外材も
木をたくさん貼って、板にして、それを何本も合わせた集成材の柱があるけど。集成材で、柱の見えんような家を建てよる。木、そのままの柱は、ムク材。芯がある。芯がある柱の方がわしは、ええと思うで。集成材は、のりで貼っとるんじゃけんの。なんぼ剥げん言うたって。ムク柱は、きれいし、上品
今は久万の製材でもだいぶ辞めとるけんど、売れんけん、自然と辞めないかんなる。太い木なんかも、外材のベニヤに押されて売れんのじゃけんのぅ。絞り丸太も今は、さっぱりいかんのよ。売れんので。若い人が
木切り
図4 受けを切った様子
山は、ユンボで道付けたんで。道付け専門の人がおるんよ。ジャガーの道を所々に付けとるのよ。運搬車のことよ。22~24cmで柱になる木に印付け用の白いテープを付ける。そしてその印の木を切るんよ。木が立っとったらのぅ、受けを切るんよ。
チェーンソーで横に芯ぐらいまでジャーッと切って。ほて、斜めにこう切って。受けでこの三角を除けるんよ。木が裂けんようにするために。チェーンソーで反対側からジャーッと芯まで通したら、枝がだいぶある方に
ほて、太さ1cmぐらいのワイヤーで巻いてジャガーに乗せる。3mにつまえて。つまえるというのは切ること。3m10cmぐらいで。7mぐらい枝打っとったら、
雨降ったときは、
こえぐろ
図5 こえぐろ
こえぐろ。
小さい田は手間がかかるけん、草場にして。屋根みたいにして草を順に積んどる。
乾かして、切って、田や畑に混ぜたら肥料になって、作物がようできるんじゃ。
こぶこぶ
林業やり出した頃は、冬は11~3月の5ヶ月、床柱
箸が落ちんように締めもって巻いて下がる。木の年輪だけ、シワになるんよ。手が痛いわい。寒い頃じゃないといかんのじゃけんのぅ。針金で滑って落ちたりもしたわい。よう死ななんだ(笑)命がけよ。一日に精出して5~6本しかようせなんだ。ほて、1~2年置いとく。これは、11~3月彼岸ぐらいまでしか出来んのじゃ。もう水が上がり出したら皮が剥げだすけんいかんのよ。木が、幹と皮の間に水を吸いだすけんなぁ。
春の彼岸頃に、彼岸花が咲き出したら土から水が上がり出すのよ。秋の彼岸で彼岸花が咲いたら水が止まる(木があまり水を吸わなくなる)のよ。秋の彼岸花が咲くときに山行って元切りをして、枯らしといて1ヶ月ほどしてから取って
わしは、床柱やってみて木の作り方勉強したわい。床柱は木が真っ直ぐで、枝打っとって、丸くなけりゃいかんのじゃげ。45?60歳くらいまで15年ほどやったんよ。
葉枯らし言うて、春、4月の土用を避けて木の元から10cmくらいを、皮剥ぎ用の小さいカマで皮をぐるっと剥いだら、15ヶ月置いて、枯らす方法もあるんよ。軽くなるけん。切り出しに楽なんよ。夏目が固くなって、つやが良くなるんよ。
まんじゅしゃげの咲く頃に
7月20日の土用に連伐しよったんよ。その日が来たら、木切って剥いでも黒ならんのよ。木を全部切って、皮剥いで、乾かすと木が軽なるんじゃげ。丸坊主になったら、きれいに焼いてあずき播いて翌年、植林しよったんよ。
毎年のように切りよったけんど、今は、人手も足りんし、みんな連伐せん。切ったら幹も乾くし、皮が全部とれるんじゃげ。連伐したら循環すらいのぅ。若木がまた出来るけん。あずき播いたらようできるで。後、植えたら下刈りがしよいんじゃげ。草がようけ生えんけんな。
育林クラブ
育林クラブいうてなぁ、林業のクラブが久万に14~15ある。みんな、山好き
副会長は16年やったけど、もう辞めさしてもろうた。けど、林研は入っとるけんな。林業研究会。
育林コンクールで知事賞
平成12年の育林コンクールで知事賞、一番ええやつをもろうたんよ。ええ木を作ったけんよ。今でもわしの木は最高の値よ。手入れしとるヒノキじゃけんよ。あの六部堂の山。31年生。平成14年ぐらいに林研の全国の会が愛媛県の道後であって、全国の会長とかが久万に来てくれてなぁ。わしが知事賞取った六部堂の山を見てくれたんよ。
林業祭り
毎年10月には、久万で林業祭りがあるんよ。わしの木も製品として出しよる。林業祭りに出す木は、製材賃がなんぼか安いんよ。
交換研修会
11月11日が山の日で、その日に毎年、交換研修会というのがあって。山のこと。木材の流れや販売のことなんかを県の人が話してくれるんよ。
山の
図6 林業祭りで販売した木
図7 林業祭りで展示したヒノキ
孫になんとかバトンを渡さないかんと思うて。孫も一緒に山やってくれるんよ。田村さんや土居さんに習うて、山へ行ったり、市場へ行ったりして修行しよる。期待しとるんよ(笑)。愛大農学部の林業科で今2年生じゃ。ドイツへ行って林業の勉強もして来る言うて。久万林業を支えて、後を絶やさんようになんとかやってくれたら、安心する。
土建屋の若い人に間伐とかの指導をしてくれと頼まれて、49年生の手入れされてない山へ行ったんよ。山は銭さえとったらええと言うもんでもない。切ったら山は良うなるけんなぁ。銭になってもならいでも。土建屋さんを潰さんように国の補助金もろうて、山を良くしようかと言うんで。まだ今始めたとこじゃ。
ジャガー道はユンボで、この人ら専門じゃけん付けてもろうて。久万が災害でも起きた時、この人らがおらなんだら直すこともできまい。
みんなが久万林業の支えになるけん。わしは、もう体力的には
山はええぜぇ
やりがいは、あるある。金ぎりじゃったら商売するのが一番ええけど。そりゃあ山は、あまりにええ。その木が太る成長を喜ぶというか。やっぱり体使うけん、体も元気になる。焦ったっていくもんかや。林業じゃの言うもんは、50年かかるんじゃけん。
とにかく努力をせないかん。わしは山が好きじゃったけんな。それで出来たんでもあるんよ。山は安気なぜぇ。山はええぜぇ。山はのぅ、
山は、行くほど、手入れするほど喜んで太るけんのぅ。山は自然が作るんじゃけんなぁ。木は、やるほど答えが返ってくる。ほじゃけん、山を手入れおしよ、とみんなに言よるんよ。
人生は、ぼちぼちおいきよ
好きなことはやらないかんぜぇ。ほて、苦労して成長した人に話を聞かないかんで。わしは、山のことしか知らん。山じゃったら、もうわしに
ええの知っとってもやらなんだら1銭にもならないのぅ(笑)。汗かいた人と毎日遊んだ人とが、答えが
一日一日の積み重ね。一日一歩よ。十日で十歩でええんじゃけんな。自分の力だけ上がったらええ。とにかくまじめに。目標を持って、焦らんようにのぅ。ぼちぼちおいきよ。1の次は必ず2にいくようにせんと、飛ばしたらその分落ちてしまう。自分ができる小さなことでかまん。社会に貢献せないかん。
わしは、そうよにしてきたが、それじゃったら百まででも千まででも上がれるがなぁ。
ありがたいことじゃ
わしらは、枝打ちという技術を教えてくれた人、指導者に敬意を表しとる。
みんなに支援してもろうて、誠におかげさまで80歳まで山仕事できて、名人にまでしてもろうて。ありがたいことじゃ(笑)。
人に好かれる人間にならないかんなぁ。人は一人でも多くの人と交流がないといかん。
茶色い線が冬目、白い部分が夏目
柱の節
大森さんの山
奥様と名人
私が今回、森の聞き書き甲子園に参加して、一番嬉しかったことは大森恒雄名人に出会えたことでした。
最初取材に行くときは、上手に話せるかなぁ、上手にお話を聞くことができるだろうかなど、いろいろな不安もありました。しかし、家へ伺うと、温かく迎えて下さいました。初めて会う私に対しても、気さくに仕事のことや、人として大切なことなどを話して下さいました。これらの経験を通して、名人は想像していた以上に、偉大な方だなぁと心から思いました。たくさんの試練を乗り越えて、山の道を究めて来られたからこそ、人への心づかいや、思いやりに溢れているのだろうと感じました。
そんな方のお話を聞けるなんて、とても貴重でありがたいです。大森さんに教えていただいた、知恵や人の温かさを宝物にして、これからの人生を生きていきます。
大森さん、大森さんの奥様、そして私を陰で支えてくださった事務局の人や友達、家族に心から感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。
※伊予弁と一部の漢字にルビ(読み方)を付けました。