グアム出身の和菓子職人
私はグアム出身で,現在は愛媛県の今治市にある「清光堂」という,昭和30年創業の,老舗の和菓子屋で和菓子職人をしています。この和菓子屋はもともと,妻の父がやっていたもので,現在は妻が社長としてお店を経営し,私は工場長として,和菓子づくりの責任者を務めています。お店の看板商品のひとつ「まるごとみかん大福」は愛媛特産のみかんを丸ごと一つ使って,白あんとお餅で包んだ大福です。みかんが入った大福は珍しいですが,これは私が開発したお菓子なんですよ。お店では他にも,いちごやいちじくが丸ごと入った「まるごとフルーツ大福」,みかんの入ったどら焼き「みかん生どら」といった創作和菓子や,先代から受け継いだ,舟の形をしたもなか「椀舟最中」といった和菓子を販売しています。どれもおいしいですよ。
グアムから日本へ
厳しい修行の日々
日本に来てからは,妻の父のもとで和菓子づくりの修行を始めました。和菓子を作るのも初めてですし,当時は日本語も話せなかったので,勉強することばかり。修行は大変でした。
最初はお父さんが作るのを見るだけです。その後で,店の仕事が終わった後,お父さんの指導を受けて自分でも作るようになるのですが,昔気質の職人なので,「それはダメ」「それはあかん」と,厳しいダメ出しが飛んできます。和菓子は味だけでなく,見た目も大事なのですが,和菓子になじみのない私は,なぜ「この色」や「この形」でなくてはいけないのか,なかなか理解できず,苦労しました。お父さんも「ビル,がんばってください」と励ましてくれましたが,なかなか上達しないので嫌になって,「自分はこの仕事に向いていないかもしれない」と思って落ち込んだこともありました。今はこの仕事のことを理解していて,とても面白いと思っているのですが,あの当時はとても大変でした。日本に来てから3年間は,ひたすら修行の日々が続きました。その後,お父さんから店を任せられるようになって,今に至っています。
奥が深い,和菓子の世界
和菓子には色や味,季節感など,さまざまな要素が盛りこまれるので,とても奥深い世界です。この世界に入って15年以上になりますが,未だに毎日が修行だと思っています。どんな材料を使ってどんな味の,どんな色や形をした和菓子を作ればお客さんが喜んでくれるか,毎日,考えていますね。
お店の看板商品のひとつ「まるごとみかん大福」は私が考案して,2005年から販売を始めました。「愛媛のみかん」は特産品として有名です。でも,「いちご大福」や「栗大福」はあるのに,「みかん大福」はない。じゃあみかんを大福に入れてみよう,というのがそもそもの発想でした。
このお菓子ではみかんを丸ごと一個,使っています。当初は入れるみかんが大きすぎて食べにくかったり,甘すぎたりもしました。みかんを甘い白あんで包んでいるので,ただ甘いのではなく,甘酸っぱいみかんのほうが合うんです。1年くらいかけて味や形のバランスを探り,ようやく今の形になりました。最初は「こんなの和菓子じゃない」とお客さんに言われたりもしましたが,じょじょに売れるようになり,今では店の看板商品にまでなりました。その後,いちじく大福など,いろいろなフルーツ大福も始めましたがいずれも好評で,インターネット販売でも売れています。
お客さんの「おいしい」がうれしい
新しい商品を考えるのは好きですが,思いついてから商品として売り出すまでには時間がかかります。お店の営業時間が終わってから,さまざまなアイデアを試しながら試作品をつくり,妻や息子の意見も聞いて調整していきます。妻は店の経営を担当しているので,妻の意見は厳しいですよ。「それじゃまだ出せない」「色が違う」など,いろいろ言われます。最終的に商品化するかどうかの決定はみんなでします。
こういうふうに時間と手間をかけて新しい商品を生み出しているので,新商品をお客さんに食べてもらって,「おいしい」と言われると,苦労が報われたような気持ちでうれしくなります。また,うちの和菓子はすべて手作りで,手間ひまをかけて作っていますから,新商品に限らず,自分たちが作った和菓子でお客さんが喜んでくれれば,それはうれしいですね。
シンプルな生活だった少年時代
グアムは小さい島ですし,私の実家があるのはその中でもさらに小さい町だったので,とてものんびりしたところでした。父親は厳しい人で,私は7人兄弟の一番上なので,特に厳しくしつけられました。実家は裕福でもなかったので,学校から帰ったら,豚やニワトリの世話など,まず家の仕事の手伝いをするのが日課でした。それが終わったら遊びに出かけて,バスケットボールや野球,ビーチボールなどをしていました。グアムは海が美しいところなので,釣りやフリーダイビングなんかもしていましたね。週末には友達と釣りに行ったり,家族と一緒にバーベキューパーティーをしたりしていました。
グアムは都会ではないので,することは限られていて,とてもシンプルなライフスタイルでしたが,ハッピーな子ども時代でしたね。もちろん,当時は日本で和菓子を作るようになるなんて,想像もしていませんでした。
挑戦を恐れずに
みなさんには,挑戦を恐れないでほしいです。何事も,失敗することばかり考えて挑戦しないよりは,挑戦してみたほうがいいですよ。たとえ失敗したとしても,失敗するのはいいことです。失敗すれば,その経験を次に生かすことができて,次はもっとよくなるはずですから。
私にとって,日本に移り住むことは,大きな挑戦でした。日本に来て店を継ぐこと自体にはためらいはありませんでしたが,グアムと日本では言葉も人もライフスタイルも,すべて違います。でも,日本で生活していくには,変わらなくてはいけない。考え方もライフスタイルも,グアムにいるときのままではいられません。それは怖いことでもあり,時々,とても困難なことでもありました。特に最初は毎日が闘いでした。でも少しずつ変わっていくことができて,今,こうして日本に住んで,和菓子を作っています。
同じところにずっといるのではなくて,変わり続ける。それが私のスタイルです。みなさんも恐れずに,どんどん新しいことに挑戦してみてください。