私(わたし)はイタリア生まれで,福岡(ふくおか)市に住んでいます。「イタリア会館」というイタリア語やイタリア文化を教える施設(しせつ)の館長をしながら,「琵琶(びわ)修復(しゅうふく)師(し)」という仕事をしています。
「琵琶(びわ)」という楽器,みなさんは知っていますか？ギターのような形の弦楽器(げんがっき)で,インドや中国から,８世紀ごろ日本に入ってきました。雅楽(ががく)の演奏(えんそう)や,『平家物語』を語るときの伴奏(ばんそう)に使われます。琵琶(びわ)の演奏(えんそう)をする人は意外と多くて,今でも各地で演奏会(えんそうかい)が開かれているんですよ。
琵琶(びわ)修復(しゅうふく)師(し)としての仕事は,その「琵琶(びわ)」を修復(しゅうふく)することです。琵琶(びわ)の演奏(えんそう)をする人が持(も)ち込(こ)んでくることが多いですね。また,木を削(けず)るところから始めて,一から琵琶(びわ)を制作(せいさく)することもあります。琵琶(びわ)にもいろいろな種類がありますが,なかでも「筑前(ちくぜん)琵琶(びわ)」という琵琶(びわ)の職人(しょくにん)は,日本中で私(わたし)一人しかいないと思います。

私(わたし)はイタリアのサルデーニャ島というところで生まれ,後にローマへ移(うつ)りました。学生のころは国立の音楽アカデミーでクラシックギターを専攻(せんこう)するとともに,人形劇団(げきだん)に入りました。その後,自分の人形劇団(げきだん)を立ち上げて,脚本(きゃくほん)と演出(えんしゅつ)を手がけていました。
ローマで日本人の妻(つま)と出会い,結婚(けっこん)して,１９７４年に日本を訪(おとず)れました。そして半年ほど滞在(たいざい)したころ,運命の出会いがありました。ラジオから琵琶(びわ)の音が流れてきたんです。衝撃(しょうげき)を受けました。独特(どくとく)で不思議な音色で,とても魅力(みりょく)的だと感じました。西洋の人間にとって,琵琶(びわ)の音はとても現代(げんだい)的に聞こえます。日本人には「古い音」に聞こえるようですけどね。
ラジオを通して出会った琵琶(びわ)の音色が忘(わす)れられず,友人の紹介(しょうかい)で,当時,日本でただ一人の筑前(ちくぜん)琵琶(びわ)職人(しょくにん)で,福岡(ふくおか)県の無形文化財(ぶんかざい)でもあった吉塚(よしづか)元三郎(げんざぶろう)さんの工房(こうぼう)を訪(たず)ねたんです。「弟子は何人いるのか」と聞くと,「一人もいない」という。「じゃあ自分が弟子になりたいので教えてください」と言ったら,顔をじいっと見て,「明日から来なさい」と言われたんです。それが琵琶(びわ)修復(しゅうふく)師(し)としての第一歩になりました。

吉塚(よしづか)さんに弟子入りしたのはいいのですが,当時,私(わたし)は日本語があまりわからなかったので,コミュニケーションをとるのも大変でした。師匠(ししょう)は日本語,なかでも博多弁(べん)しか話しません。例えば「これは何ですか？」と私(わたし)が師匠(ししょう)に聞くと,「かんなったい」という答えが返ってきます。そこで私(わたし)は辞書で「かんなったい」を調べるのですが,どこにも載(の)っていません。博多弁(べん)では語尾(ごび)に何でも「たい」をつけるんです。「かんなったい」は,「『かんな』だよ」という意味だったんですね。 そんなふうに苦労しながらも師匠(ししょう)からいろいろな技術(ぎじゅつ)を教わって,師匠(ししょう)について５年間は,琵琶(びわ)修復(しゅうふく)師(し)としての修行(しゅぎょう)に専念(せんねん)しました。その後,「イタリア会館」の仕事も始めて,今に至(いた)っています。

私(わたし)は「琵琶(びわ)修復(しゅうふく)師(し)」です。「修復(しゅうふく)」は「修理(しゅうり)」とはずいぶん違(ちが)います。「修理(しゅうり)」は,「ただ音が出るようになればいい」というものですが,「修復(しゅうふく)」は「元に戻(もど)す」のが目的です。作った人の意図どおりに再現(さいげん)するということですね。
たとえば,琵琶(びわ)はバチで弾(ひ)くので,バチが当たって,前面に傷(きず)がついてしまいます。この傷(きず)を取(と)り除(のぞ)かないといけない。「修理(しゅうり)」をする人は,前面にかんなをかけて削(けず)っていきます。そうすれば傷(きず)は取れますが,これは楽器を殺すようなものです。音色のためには木の厚(あつ)みがとても大事なのに,その厚(あつ)みが変わってしまうんですから。 「修復(しゅうふく)」では,絶対(ぜったい)にこのようなことはしません。では傷(きず)があったらどうするのかというと,琵琶(びわ)の上に濡(ぬ)れたぞうきんを乗せて,そこに焼きごて（昔のアイロン）を熱して,当てる。大量の蒸気(じょうき)が出るので,それを木に押(お)しこむんです。そうすると,時間はかかるけれど,少しずつ少しずつ,へこみがなくなってくる。深い傷(きず)は無理ですが,浅い傷(きず)ならこれで取(と)り除(のぞ)くことができます。時間はかかっても,作られた当初の状態(じょうたい)をなるべく再現(さいげん)するのが「修復(しゅうふく)」です。

琵琶(びわ)という楽器は,部品を組み立てて作るのではなくて,一つの木のかたまりを削(けず)って作っていきます。だから,一つひとつ,形が違(ちが)うし,音も違(ちが)います。私(わたし)は琵琶(びわ)のことを“音の出る彫刻(ちょうこく)”と呼(よ)んでいるんですよ。
一つひとつがぜんぶ違(ちが)うので,「これだけ覚えれば修復(しゅうふく)できる」ということはありません。傷(いた)み方もそれぞれ違(ちが)うので,毎回,その琵琶(びわ)に合わせて修復(しゅうふく)をしなければなりません。たとえば,木の「ねじ」という部分があるのですが,このうちの一本がダメになってしまっていたら,他のねじに合わせて古い木材を探(さが)してきて,それを一から削(けず)って自分で作るんです。修復(しゅうふく)に使う木材も,切り倒(たお)してから３０年くらいは寝(ね)かせて,乾燥(かんそう)させないと使えません。すべてがこんな調子なので,とにかく時間がかかります。でも,私(わたし)にとっては,琵琶(びわ)という楽器の持つ,こういう複雑(ふくざつ)さが魅力(みりょく)なんですね。私(わたし)は琵琶(びわ)という楽器が,心から好きなんです。

修復(しゅうふく)をするうえでは,「ごまかし」がききません。「修理(しゅうり)」なら,形が少しくらい違(ちが)ってしまっても,よしとするのですが,「修復(しゅうふく)」ではそうはいきません。修復(しゅうふく)をしていて,時々(ときどき),「なんでわざわざ,こんなにめんどくさいことをやったんだ？」と不思議でたまらなくなることもあります。あまりに凝(こ)った,細かい細工がされているときなどですね。小さな部分を直すのに,３日も４日もかかってしまう。そういうときも工夫して,元のとおりに直します。でも,そんな作業をしていると,その琵琶(びわ)を作った人の気持ちと通じ合ったような気持ちになってきます。作った人の気持ちを想像(そうぞう)しながら,作った人と同じ苦労をするという感じですね。それは,この仕事の醍醐味(だいごみ)のひとつです。
また,琵琶(びわ)を修復(しゅうふく)するにあたっては,木を切って,削(けず)ってという大工さんのような作業から,虫眼鏡(むしめがね)で見ながら小さくて繊細(せんさい)な細工の部分を直すような細かい作業まで,すべて一人でやらなければいけません。大変ではあるんですが,私(わたし)にとっては,逆(ぎゃく)にそこが楽しいんです。いつも同じ作業ばかりだと飽(あ)きてしまいますから。毎日,違(ちが)った仕事ができるのは,私(わたし)にとっての喜びです。

子どものころから,ものを作るのが好きでした。今と違(ちが)ってテレビやスマートフォンのゲームもないので,木を削(けず)ったり,針金(はりがね)を使ったりして,自分たちでおもちゃを作って遊んでいましたね。木の枝(えだ)を削(けず)って道具を作って,野球とゴルフの間のような遊びをしていました。周りの友だちも自分で道具を作って,その遊びをしていましたよ。
その後,国立の音楽院でクラシックギターを専攻(せんこう)することになったわけですが,ここで培(つちか)った音への感受性(せい)は,今の仕事につながっていると思います。琵琶(びわ)を人前で弾(ひ)くことはありませんが,家では自分で弾(ひ)きます。琵琶(びわ)というのは,基本(きほん)的には「語り」の伴奏(ばんそう)に使われるのですが,私(わたし)は琵琶(びわ)の音色そのものが好きなので,いずれ,琵琶(びわ)で演奏(えんそう)する曲の作曲もしたいと,ひそかに思っています。

私(わたし)は「何でもやりたい人」でした。音楽の道に進む前は俳優(はいゆう)になりたかったし,クラシックギターを専攻(せんこう)した後も,人形劇(にんぎょうげき)をやり,自分の劇団(げきだん)も作りました。家具を修復(しゅうふく)する仕事をしたこともあります。レオナルド・ダ・ヴィンチだって,いろいろなことをした人ですよね。比(くら)べるのはおこがましいけれど。
今までいろいろなことをやってきましたが,すべてが役に立っていて,後悔(こうかい)はしていません。だから,若(わか)いみなさんには,「一つを深くやる」のもいいですが,浅くでもいいから,好きなことを,いろいろやってほしいと思います。人生は一度きりなので,後から後悔(こうかい)しないよう,やりたいことをやったほうが良いと思いますし,やったことは必ずいつか役に立ちますよ。いろいろなことをすると,自分の世界がどんどん広がって,たくさんのものが見えてくるはずです。そうやって,広い視野(しや)を身につけてほしいと思います。